22 本当の夫婦
その後は天候に恵まれて、小麦の収穫は順調に進み、今年は大豊作で確定した。
すべてが落ち着くころには涼しい秋風が吹き始め、ヴィオレッタは気分転換を兼ねてエルネストを誘って、見晴らしのいい近くの丘へ、馬で出かける。
クローバーの緑の絨毯が広がる丘をゆっくりと登る。
登り切った先には、刈り取りが終わって金色に染まる大地と、緑色の野原、そして遠くには山々が淡く見えた。
涼しい秋風が心地よく吹き抜けていく。馬から降り、ヴィオレッタはエルネストの隣で、その風景を見つめて思う。
――この地はもっともっと豊かになる。
それは夢ではない。遠くない未来に訪れる現実だ。
ヴィオレッタは、その場所に向けて走り続けたい。
エルネストがどんな表情をしているか気になって視線を向けると、エルネストの瞳も遠くを見つめていることに気づく。
「エルネスト様は何を見ているのですか?」
「……この先のことを考えていた。来年のこと。これからずっと先のこと――」
少しためらいがちに零された言葉に、ヴィオレッタの胸が弾む。
「では、わたくしたち、同じものを見ているのですね」
同じ未来に向けて、支え合いながら進めていけたら、どれだけ素敵だろう。
目が合い、微笑むと、エルネストもわずかな笑みを浮かべる。
「――以前は、この地には冷たさと己の無力感しか感じなかった。だがいまは、光り輝いて見える……君のおかげだ。ヴィオレッタ」
「わたくしは、少しだけ手を貸しただけですわ。この地は素晴らしい場所です」
心から言うと、エルネストは嬉しそうな――だが少しだけ悲しそうな表情を浮かべた。
視線が、遠くから近くへ――足元に広がる緑に向けられる。
「それにしても、すごいクローバーだな」
「ええ、種をたくさん蒔きましたから。クローバーは本当にすごいんですよ。土も豊かになりますし、家畜用の牧草になりますし、ミツバチの蜜源にもなりますし」
草原にしゃがみ込み、ふわふわの葉を覗き込んでいく。
「何をしているんだ?」
「四つ葉のクローバーを探しているんです。見つけると幸せになれるって言われているんですが、なかなか見つからないんですよね。先にお昼にしましょうか」
草原に並んで座ってバッグからランチボックスを取り出す。
中には見た目も鮮やかなライスバーガーを四つ詰めていた。今回は、ヴィオレッタの手作りだ。二人きりで食べるなら、これがいいと思ったから。
「王都のお店の味とは違うかもしれませんが、どうぞ」
「だがあの店も、君が関わっているものなのだろう?」
ヴィオレッタは目を丸くする。そのことは、ごくわずかな人間しか知らない。
「食べるたびに、君のことを思い出していた」
「……もしかして、覚えていらっしゃったりします?」
何がとは言わず、問う。
「忘れられるわけがない。あの頃は、爵位と仕事を継いだばかりで、食事をする暇もないぐらい忙しかった。あれが久しぶりのまともな食事で、それ以降は食事と睡眠だけは気をつけていた」
――覚えられていた。しっかりと。
そしてヴィオレッタの言葉を聞いてくれていたことに、胸が熱くなった。
「レイブンズ伯爵から縁談を持ち掛けられて、どんな相手か気になって調べてみたら、とんでもない噂ばかりで……それでも、やむを得ず縁談を受け入れた」
遠くを――刈入れが終わった小麦畑を見ながら、昔のことを話していく。
「顔を合わせて驚いた。まさか、あのときの君がヴィオレッタだったなんて。浮かれると同時に、勝手に裏切られたような気持ちになった」
「…………」
「事実を知るのが恐ろしくて、自分で調べることもできなかった。感情の整理がつかないまま、式を迎え――君に、酷いことを言ってしまった」
「エルネスト様、もしかして……わたくしのことを、あまりお嫌いではなかったりします?」
うぬぼれかもしれないが、話を聞いていると、そんな考えになってくる。
エルネストの視線がヴィオレッタに向けられ、何かを持った手が差し出される。
ヴィオレッタが手を広げると、その上に四つ葉のクローバーが置かれた。
――幸福の証が。
「ヴィオレッタ。私は、君だけを愛している」
「……エルネスト、様……」
「この気持ちを押し付ける気はない。君は自由だ。離婚も、いつでも応じる」
浮かび上がった熱い感情が、すぐに奈落に突き落とされる。
湧き上がってきたのは怒りだった。
ヴィオレッタは腹を決めた。
「――では、自由にさせていただきます」
エルネストの手を握り、顔を寄せ、唇に、小鳥がついばむようなキスをした。
驚いて息が止まっているエルネストを見つめ、ヴィオレッタは言った。
「エルネスト様が好きです。わたくしは、あなたの子どもが欲しいです」
「ヴィオレッタ……」
「貴族としての義務ではなく、あなたと、本当の夫婦になりたいんです」
信頼し合い、尊敬し合い、強く結びついた夫婦になりたい。
跡継ぎのためだけではなく、愛し合って生まれる子どもが欲しい。
「ヴィオレッタ……本当に構わないのか?」
瞳を見ながら、強く頷く。
「私も、同じ気持ちだ」
熱を帯びた言葉と共に、手が握られる。
ヴィオレッタはエルネストに身体を預け、引き寄せられるままに、夫の身体を抱きしめた。
全然違う人間なのに、同じ気持ちで、同じ未来を夢見ている。
それが嬉しくて、奇跡のようで、相手を愛しく思う。
共に生きていきたいと思う。
「愛している、ヴィオレッタ」
再び重なった唇は、とても熱かった。






