20 陰と炎
夜の中で華やかな光が舞い、誰かが演奏を始めて陽気な音楽が流れ始める。
テーブルには豪勢な料理が並び、その中でも特に目を引いたのは、ヴィオレッタが大好きなライスバーガーだった。料理人テオが、米料理レシピの中から選んで作ってくれたのだろう。
揚げたてのポテトフライもある。香ばしさと油の旨味と塩味とジャガイモの甘みがたまらない、人気料理だ。
「懐かしいな」
ライスバーガーを見つめながらエルネストが呟き、手に取る。
その言葉に、ヴィオレッタの胸がどきりとした。
(もしかして、エルネスト様も学園でのことを覚えていらっしゃるのかしら? いいえ、王都のお店でライスバーガーを出しているし、そちらで食べられたのかもしれないわ)
詳しくは聞かず、ヴィオレッタもライスバーガーを食べる。
間に挟まっているのはハンバーグに卵にマヨネーズにトマトケチャップにマスタード。
肉の旨味と米と野菜の甘みと香ばしさ、まろやかなマヨネーズと卵の中に、ピリッとくるマスタードの刺激。
とてもおいしい。
料理を味わっていると、誰かが陽気な音楽を奏で始める。
いつの間にか、使用人たちが手を取り合って、音楽に乗って楽しげに踊っていた。
キラキラと光るランタンと併せて、とても非日常的な風景だ。
交ざりたい――そんな気持ちが心によぎった刹那。
「ヴィオレッタ」
包み込まれるように名前を呼ばれ、大きな手を差し伸べられる。
ヴィオレッタはエルネストの手を取り、音楽に合わせて踊り始める。
初めて踊るダンスだったが、ステップ自体は単純だ。そして、間違っていても気にする人は誰もいない。
ヴィオレッタはエルネストに支えられながら、気負いなく楽しんだ。
「君は本当に、魔法使いだな」
「わたくし、魔法は使えませんよ?」
「この土地に大いなる実りをもたらせたこともそうだが――君の周りは、笑顔に溢れている」
そう語るエルネストの表情も、柔らかくなっている気がした。
この空気と酒に酔っているのかもしれない。
そしてヴィオレッタも。
「使用人たちがこんなことを計画するなんて、思ってもいなかった」
「楽しくてとっても素敵ですよね。まるでハロウィンのようで」
「ハロウィン?」
「そ――そういうお祭りがあると、どこかで聞きました」
思わず前世知識が零れ出た。
「そのお祭りでは、子どもたちにおやつを上げるんです。そうだ、エルネスト様、今度一緒に教会に行きましょう。テオと一緒にたくさんお菓子を作りますから、子どもたちに配りましょう。きっとすごく喜びますよ」
ハロウィンもクリスマスも収穫祭も一緒くたにしてしまっている気がするが、楽しければいいと思う。
「……君の優しさは、いつか世界も救いそうだ」
「スケールが大きすぎです。わたくしは聖女でも、勇者でもありませんし」
ヴィオレッタは苦笑しながら言う。
「でも、わたくしの手の届く範囲は、平和であればいいと思います。明日の糧を心配せず、幸福に暮らせたら、と」
夢物語であることはわかっているけれど。
農業改革が進んでいき、作物の収量が増えることで、そんな未来に少しずつ近づける気がする。
「そうだな……」
「はい」
その未来を見てみたいと、幸福感に包まれて踊りながら思った。
「――そうだ、エルネスト様。冬になったら一緒に狩りに行きましょう。わたくしとクロと、エルネスト様、どちらが大物を仕留められるか勝負です」
エルネストは困ったように笑う。
「これは、負けられないな」
「わたくしたちも負けませんわよ」
笑いながら話していたその時――
「――火事だ!」
賑やかな空気を切り裂くように、緊迫した声が響いた。
その後すぐに焦げ臭さが漂い、夜空に煙が浮き始める。
――火事。
その言葉と煙の臭いに背筋が冷たくなる。
皆で手分けして、急いで煙の立っている方角を確認する。
火元は屋敷近くの小麦畑だった。豊かな実りをつけた小麦が、赤く燃えていた。
ヴィオレッタはいままでにない焦りを覚えた。
燃える。
燃えてしまう。
苦労して得た実りが、努力の結晶が、炎で燃やされて消えてしまう。
ここ数日は晴れが続いていたので、小麦は乾燥している。このままではあっという間に燃え広がってしまう。
「皆、桶やバケツを持って井戸と川の方へ! 燃えている方に向かって一列に並んで、水を入れたバケツを隣の人へ渡していって!」
一刻も早く火を消さないと。
ヴィオレッタは他の使用人たちと一緒に近くの川に駆けつけ、桶を使って水を汲み上げる。
近くの領民たちも集まってきて、皆で協力して一生懸命に水を運び、小麦畑の火事は大きな被害が出ないうちに鎮火した。
だが、火が収まってもまだ安心はできない。再燃するかもしれないし、また別の場所が燃えるかもわからない。
火の気のない場所だ。火の不始末か、悪意のある故意でなければ、滅多に燃えることなどない。
放火だとすれば、また別のところが燃やされるかもしれない。
気づかないうちに燃え広がれば、大惨事になる。
(空から見れば、燃えてもすぐにわかるかも――)
クロのいる屋敷の方を見上げる。黒鋼鴉は夜目も利く。
エルネストに一声かけてから行こうと振り返ったヴィオレッタは、自分が人だまりから離れてしまっていることに気づいた。
ひとりになるなと言われていたのに。
早く合流しないと。
「待って――」
声を上げるが、誰も気づかない。
まるでヴィオレッタがそこには存在しないかのように。
人々が見えるのに、ひどく遠く感じる。
まるで見えない膜がヴィオレッタを包み込んでいるかのようだ。
「お願い、待って――!」
――届かない。
走っているのに、まったく近づけない。
まるで悪夢だ。闇の中をもがいて、一歩も進めないような悪夢。
そのとき、背後からに男性使用人が一人でやってくる。
安堵しかけたヴィオレッタは、違和感に息を呑む。
「……誰ですか?」
服装はヴォルフズ家の使用人のものだが、使用人たちの中に、こんな人間は見たことがない。
警戒しながら声をかけると、男は一瞬だけ動きを止めた。
黒髪の男は、ヴィオレッタを見つめながら、笑った。
本能が逃げろと叫ぶ。大声を上げろと。
だがヴィオレッタが動くよりも先に、あっという間に距離を詰められ、腕をつかまれる。
振り払おうとした寸前、身体に衝撃が走る。
殴られたのだと気づく前に、ヴィオレッタは意識を失った。






