15 不穏な手紙
――本格的な冬が迫ってくる前に、ヴィオレッタの実家から米俵が届く。
「新米、新米だわ!」
藁の匂いを嗅ぎながら、ヴィオレッタはうっとりとする。
米俵の中には、精米されていない米がずっしりと入っている。
ヴィオレッタは歓喜して蓋を取り外し、中の新米を見つめる。今年の出来もとてもいい。よく膨らんでいておいしそうだ。
早速料理人を呼ぶ。
「奥様、これはなんなんですか?」
「米よ。この殻を取って料理するの。中の茶色い膜を剥がすと、真っ白なお米が出てくるわ。ただ、この膜を剥がすのがとても大変なんだけれど……」
レイブンズ領では水車小屋の動力を利用して精米する仕組みができているが、ここはヴォルフズ侯爵領。
ここでできる精米方法は、瓶に入れて棒で突きまくるぐらいしかない。
精米をして送ってもらうことも考えたことがあるが、その状態では長期保管ができないので諦めた。
「とりあえず炊き方を教えます。台所に行きましょう」
六年間炊いてきたことにより、炊飯方法はかなり確立された。
籾殻を取り、ある程度ヌカを取って、水でよく洗って一晩吸水させる。
翌朝、水を入れ替えて、少し塩を入れて、鍋で炊飯する。重要なのは水加減と火加減だ。蓋を閉め、中火で沸騰させ、沸騰すると弱火で約三十分。音が変わってきたら、一瞬だけ強火にして、火からおろす。
粗熱が取れるまで、充分に蒸らしてから、ようやく蓋を開ける。
蒸気と共に甘い香りがふわっと漂う。
味見に食べてみる。柔らかくて、甘くて、おいしい。ヴィオレッタは大満足だったが、料理人は微妙そうな表情をしていた。
「スープの具にでもしてみますかねぇ……」
「色々と使ってみてもらえると嬉しいわ。全部食べるから」
「好きなんですねぇ」
「ええ、とても好きよ。ただ、他の人の口には合わないかもしれないから、無理はしないでね。あとで、いままで作った料理のレシピを持ってくるわ」
――寒さが深まり、この地で初めて過ごす冬がくる。
ヴィオレッタは白キツネの毛皮を常に身に纏い、屋敷にいるときは一日のほとんどを暖炉の前で過ごした。
冬は農作業は休みなので、帳簿を見たり、クロと共に狩猟に行ってイノシシや鹿を狩ったり、街で子どもたちと遊んだりした。教会でシスターたちといっしょにドーナツを揚げて、子どもたちに配ったりもした。
(子どもって本当にかわいいわ)
この子たちのためにも、領地を発展させようという気持ちが更に強くなった。
そして、自分に子どもがいれば、どれほどかわいいだろうと思ったりもした。
(エルネスト様にそのつもりがないから無理ね。でも、跡継ぎはどうなさるおつもりなのかしら。……まあ、わたくしの考えることではないわね)
――春が訪れて雪解けを迎えると、小麦とクローバーの種を蒔く。どちらも順調に発芽し、日を追うごとに緑の絨毯が広がっていった。
「こんなに力強い小麦畑を見たのは初めてです」
セバスチャンが感嘆の声を上げる。
「海藻肥料と皆の頑張りのおかげね」
クローバー畑に佇みながら、ヴィオレッタは微笑んだ。
風が吹くと、白くて小さな花から甘い香りが漂ってくる。
「ああ、なんていい香り。ふふ、夏と秋のハチミツが楽しみね」
もちろん養蜂の準備もしてある。
黄金糖プロジェクトも走り始めたが、依然ハチミツも重要な資源だ。
この地で、無駄にしていいものなんて何もない。
すべてを活用するつもりで、ヴィオレッタは考え続け、動き続けた。
◆◆◆
夏に近づくにつれ、小麦たちが大きく育ってくる。
ヴィオレッタが嫁いできて、もうすぐ一年。
一年目の成果がもうすぐ出る。
ヴィオレッタは視察しながら、豊作の予感に胸を膨らませていた。
このまま大きなトラブルなく、収穫の日を迎えたい。
そうして来年は、ジャガイモと甘カブも育てるのだ。楽しみしかない。
クローバー牧草も順調に育っているので、冬に家畜の数を減らさなくてもよくなるだろう。どんどん労働力が増えて、土を耕すのがもっとスムーズになる。
「これからこの地は、もっともっと豊かになるわ」
確信を持ちながら、ヴィオレッタは屋敷に戻った。
「奥様、来月には旦那様がお戻りになられます」
ヴィオレッタを玄関で出迎えたセバスチャンが、そう告げる。
「旦那様……? ……ああ、そういえばわたくし、結婚していたのだったわ」
「旦那様……おいたわしや」
そっと目許をハンカチで拭う素振りをする。
「冗談よ。実感がないのは本当だけれど」
何せ毎日が充実しすぎている。
それに一年も顔を見ずにいれば、印象が薄くなっても仕方ない。
(何をしに帰ってくるのかしら。一年近く帰ってこなかったのに……でも、あの風景を見れば、きっと驚いてくれるでしょうね)
来月になれば、小麦の収穫間近だ。
黄金に輝く豊作の小麦畑を見れば、エルネストもきっと驚くだろう。
その様子を想像すると、微笑みが零れた。
「あと、奥様宛に手紙が届いております」
「わかったわ。部屋に届けておいて」
「それから――奥様用の予算がまったく消化されておりません」
「それが何か?」
ヴィオレッタは首を傾げる。
「このままでは旦那様に面目が立ちませぬ。ドレスや宝石もご購入いただけませんか」
目を丸くする。まさか、贅沢をするように言われるとは。
「そうね。それじゃあ使用人たちに特別ボーナスとして配っておいて。ただし、使い道に条件をつけるわ。必ず冬までに使い切ることと、領地内のお店で使うこと。経済を回さないとね」
「奥様――それは、皆喜ぶでしょうが……」
「わたくしはいいのよ。こちらへくる前にたくさんドレスを仕立てたから。それじゃあ、手配しておいてね」
夜、ようやく今日すべきことが終わったヴィオレッタは、ランプの明かりの下で手紙をチェックしていった。
最初は淡いピンクがかった色の封筒と手紙。
王都のレイチェルからの新米のお礼と、また米くださいという内容が、可愛らしい丸文字とイラストで綴られていた。
(今年も喜んでもらえてよかったわ)
マグノリア商会からの、また商談をしたいという手紙。最上級の紙に、流暢で美しい文字で綴られている。
新しい商品があるのなら、是非マグノリアに――という特段変わったことのない内容だが。
(……黄金糖のこと、どこかで聞いているのかしら。だとしたら、やっぱり鼻が利くわね)
黄金糖の普及には商会の協力が必要になってくる。
付き合いが長く、信頼関係を築けているマグノリア商会にも力を貸してもらうことになるだろう。返事の手紙はゆっくり考えて書くことにしよう。
最後の手紙を手に取り、ヴィオレッタは眉をひそめた。
「差出人の名前が書いていないわね……」
怪しさを感じつつも、封を開ける。
真っ白な紙に几帳面そうな字で書かれていた一文。読んだヴィオレッタの顔が引きつった。
「……浮気?」
――エルネスト・ヴォルフズは浮気をしている。結婚前からの恋人と、いまも逢瀬を重ねている。
手紙には、それだけ書かれていた。
他には何も書いていない。
「……ふしだらな女性が嫌いだと言っておきながら、浮気?」
心の中で疑問と怒りが渦巻き、手が震える。
(いえ、まあ、いいのですけれど。エルネスト様も跡継ぎをつくらなければならないですし……)
――仕方のないこととはいえ。
なんだか、すごく、馬鹿にされているような気がする。
(わたくしとの結婚は継続して、愛人との子どもをつくって、愛人を第二夫人として迎えるつもりかしら)
それが一番順当に纏まりそうな気はする。だが。
とても、ムカムカする。いますぐ王都に乗り込んで、真偽を問いただしたいくらい。
(いえ、決めつけるのは早いわ。こんな匿名の手紙一通で、真実がわかるものですか)
ヴィオレッタは何とか心を落ち着けようとする。
そもそも、誰が、何のために、この手紙をヴィオレッタに送ってきたのか。
エルネストの浮気相手が、宣戦布告してきたのだろうか?
おせっかいな第三者が、わざわざ教えてくれたのだろうか?
(どちらにせよ気分が悪いし、気持ち悪いわ。燃やしてしまいたいけれど、何かの証拠になるかもしれないし……)
燃やすことは中止し、保管しておくことにする。
こんな手紙、忘れてしまいたいけれど。
だが、もし本当に浮気していたら、どうすればいいのだろう。
潔癖な彼だ。そんな彼が結婚しても別れられないぐらい、魅力的な女性なのかもしれない。
もし本当にそんな女性がいるのなら、そのうち正式に離婚したいと言ってくるかもしれない。
(――それは、困るわ)
第二夫人を持つのは、いい。
愛人を持つことも。
だが、離婚は困る。
そう考えながら、ヴィオレッタは苦笑した。
(おかしなことね。最初に離縁しましょうと言い出したのは、わたくしの方なのに)
だが、四輪作も、黄金糖プロジェクトも、まだまだ道半ば。これから大きく育っていく。
放り出すわけにはいかない。
(わたくしは、投資を回収したいし、この土地を豊かにしたいし、美味しいものをたくさん食べたいし、食べてもらいたい――黄金糖には成功してもらわないと困る)
ヴィオレッタは深呼吸し、窓の外を――月明かりの下で揺れる小麦たちを眺めた。
「そうよ、わたくしのやることは変わらないわ」
浮気の真偽よりも、離婚を切り出されたときにどう対応するかが重要だ。
愛されようとは思っていない。
だが、自分の有用性は認めてもらわなければならない。
いったいどうやって、ヴィオレッタを認めさせるか――。
ヴィオレッタは頭を悩ませながら、眠れない夜を過ごした。