♯1 PrologueーHello,World!ー(前編)
「では、どうあっても、思い直すつもりはないと言うのですね……?」
「わたしたち、創造と再生、破壊と修正のガイアを敵に回すことになっても……?」
「――当然だろう?」
恨めしげな――どこか悲しげでもある問い掛けに対し、白く煙る息を吐いて表情ひとつ変えずに答えたのは、冥々たる夜の天鵞絨の下、巨大な時計塔の屋根で佇む一人の童女だった。
見た目十歳前後の小柄な童女だ。
ポンチョとキルティングスカート、編み上げのブーツに身を包んだその童女は、轟々と吹き荒ぶ夜風に身動ぎもせず、被ったベレー帽を抑えながら言の葉を紡ぐ。
ひどく淡々と。
どこか億劫そうに。
「逆に訊くがな、この眼下の光景は、おまえたちの目にはどう映っているのだ? 我らのチカラを――地球を模造するためのチカラを手にした者たちが招いたこの事態を、おまえたちはどう受け止めている?」
そう言って眼下を一瞥するベレー帽の童女、そのひどく冷めた眼差しの先には、驚天動地と呼ぶに相応しい現実離れした光景が広がっていた。
霜降り、凍て哭き、氷結し、ヒビ割れてゆく大地。この小さな離島はもちろんのこと、浅海の向こうに浮かぶ列島や彼方遠くに覗く大陸すらも、薄氷と霜柱で覆い尽くさんばかりに降り注ぐダイアモンドダスト。そんな渦中を平然と跋扈する、ティラノサウルスやブロントサウルスといった滅びたはずの巨大生物たち。
さらには、生き霊である彼らの、紫の燐光を纏って宵闇に浮かび上がる半透明の巨体を、次々に撃ち抜いては霧散させる火の玉のシャワー。無数の隕石による、いつ終わるとも知れぬ重爆撃!
――そして、世界の終焉へ向かって廻り続ける火時計のようなこの天変地異のど真ん中、次々とクレーターが穿たれていく雪原の片隅で、
「……う……」
「っ……」
「………………」
力なく横たわり、あるいは突っ伏す三人の女の子。
「――阿鼻叫喚、鬼哭啾啾という形容すら生温いこの地獄絵図に、地球の化身、分霊であるおまえたちは、何も思うところがないのか?」
揶揄するように言って、肩まで伸ばした亜麻色の髪に付着したダイアモンドダストを掌で払いながら、魄飛雨のごとく降り注ぐ隕石を浴びて砕け散っていく時計塔の天辺で、童女は二人の対峙者を見上げる。
「それは少々無関心が過ぎるのではないか? 我が主の愛し子らよ」
その言葉に。
「「どの口がほざくのっ」」
白無垢や巫女装束を彷彿とさせる白と朱の衣――いかにも霊験灼たかといった装いに身を包んだ二人の対峙者は、一対の仁王像のように空中に並び立ち、童女を睥睨した。
片や柳眉をキッと逆立て、その弓手を突きつけて。
片や頬をぷうと膨らませ、その馬手を突きつけて。
まさに鏡写しのごとく、見事なまでの阿吽の呼吸でもって。
「務めを放棄し、母様のチカラをみっつも奪って出奔しやがったのはどこのどいつです!?」
「その上、それらのチカラを勝手にヒトへ貸し与えたのは、他でもないあなただヨ……!?」
童女に『地球の分霊』と形容された二人の対峙者は、しかし、童女よりもさらに幼い見た目をしていた――パッと見、小学校低学年くらいにしか見えない。言動や格好だけでなく顔立ちも似通っていて、ほとんど瓜二つと言ってしまっても差し支えが無かった。人間の物差しに当て嵌めて考えるならば、二人はまず間違いなく双子であろう。
とはいえ、差異が全く無いワケでもない。
たとえば、
「いったい何を考えてるのですか、〈太母〉! 何故このような所業を!」
と、童女から見て右手、柳眉を逆立て弓手を振り上げた幼女のほうは、勝気そうな吊り目に紅玉のような煌めきを宿しており、姉に違いないと確信させる気品がある。
しかも、左の側頭部でサイドテールにした黒髪は紫水晶を塗したような菫色に艶めき、蒼い蝶を象った髪留めで束ねられた髪の房は、ふりふりと揺れて火の粉のような光の粒を空中に振り撒いていた。
いっぽう、
「ヒトの肉体なんかに乗り移って何がしたいの、〈太母〉? あなたの役割は『人類進歩』。人類がアフリカに誕生したときから現代まで、適時その無意識に干渉し、知識を与え、進歩を促し、文明の進化と発展をオリジナルの地球の人類と同じ方向へ導くこと。それだけのはずだヨ?」
童女から見て左手、頬を膨らませ馬手を振り上げた幼女のほうはと言うと、こちらは内気そうな垂れ目に瑠璃のような煌めきを宿していて、こちらが妹に違いないと思わせるあどけなさがあった。
ツインテールにした黒髪は青瓊玉を塗したように蒼く艶めき、特に水色の水引で束ねられた左右の長い髪は、やはりふりふりと揺れて蛍火のような光の粒を空中に振り撒いている。
「「答えなさい、〈太母〉!」」
そんな愛らしい双子に対し、
「……ずっと気になっていたのさ。主の命とはいえ、地球を模造したことは本当に正しかったのか。別の宇宙にかつて存在した惑星を再現することに、どれだけの意味があったのか」
「そして」と、時計塔の天辺に佇む童女、〈太母〉はベレー帽を目深に被り直し質問に答える。
「――ヒトという種に、わざわざ生み出すだけの価値があったのか」
「「………………っ」」
「だから。私はあそこに転がっているヒトの子らを使い、確かめてみることにしたんだよ。神のごときチカラを手に入れたとき、ヒトという種は己が領分を超えたそれをどう扱うのか。それで何を成そうとするのか」
「「そんなことのために……?」」
「そう。そのために、私は甘言を弄し、あの子たちにチカラを貸し与えたのだ」
――大気中に含まれる二酸化炭素を消失させるなどして寒冷化を引き起こし、この地球全体を七千万年もの永きにわたって氷床と海氷の中に封じ込めるチカラ『全球凍結』と。
――隕石に付着した微生物の胞子のようなモノ……種子を媒体に、宇宙を漂う魂魄を召喚し、地球上に最初の生命を誕生させるチカラ『宇宙播種』と。
――因果に干渉したり確率を操作したりすることで、無数に分岐する未来の中から『最も望ましい未来線』を引き寄せたり、他のチカラによるこの星の地球化の成功率を跳ね上げたりするチカラ、『稀少地球』の。
「――まっさらな地球を創造するための、みっつのチカラをな」
「「っ」」
「いや。より正確に、みっつのチカラの源泉である、休眠中の私の同胞たちを――と言うべきかな?」
「「………………く、」」
「そして、それらみっつのチカラを、あの子たちは自身の願いを叶えるために揮ったのだ」
「「願い……?」」
「そう――脳死した友を呼び起こすという不可能を可能とするために!」
「「!?」」
「そのためにあの子たちは、」
――『全球凍結』で引き起こしたミニ氷河期、それが生んだ雪のシェルター……イグルーでもって、自分たちの身を護り。
――『宇宙播種』で引き寄せた隕石を媒体に、先日不幸な事故で脳死した友の、半ば天へ昇りかけていた魂魄を、地上へと喚び戻し。
――『稀少地球』による確率操作でそれらが成功する確率を跳ね上げ、友が奇蹟の蘇生を果たす未来線を掴み取ろうとした。
「すべては友との日常を取り戻すために!」
友と一緒に大人になりたい――ただそれだけの理由で。
「でも……」
「それでは……」
「そう。私の同胞たちの許しや支援も無しにチカラを揮った結果がこれだ」
チカラの暴走とそれによる天変地異。
『全球凍結』による超ミニ氷河期と、『宇宙播種』による隕石の重爆撃……。
「ということは……」
「あの恐竜さんたちは……」
「太古にこの地上で天寿を全うし、死者の国である月で永き眠りについていた者たちさ。暴走した『宇宙播種』のせいで、この地上へ喚び戻されてしまったんだ。雨霰と降り注いだ隕石を媒体に。あの子たちの友の代わりに、な」
「「くっ……」」
「そんな恐竜たちを――喚び戻され、この地を漂っていた魂魄たちを、半端に受肉・生き霊化させてしまったモノが何かは、今更言う必要もあるまい」
「……『地球系統』……」
「……母様がわたしたち〈ガイア〉を生み出すために、この地へ振り撒いたチカラ……」
「そういうことだ。主も軽率だな。――やれやれだよ。私としてもここまで大事にするつもりはなかったのだが。……いったい何が悪かったのだろうな。人選か。それとも地上へ顕現する際の受肉の手段として、脳死状態だったあの子たちの友の肉体を借りたことか」
「「っ」」
「次に試す際は、もっと慎重を期すとしよう」
そう言って、〈太母〉が不敵な笑みを浮かべたのと同時に。
「おまえに――」
「――次なんて無いんだヨ!」
地球の分霊ガイアである双子の脚が、同時に宙を蹴った。
文字どおり、空中に地面が在るかのように。
何も無いはずの空間を足場に、眼下の〈太母〉めがけて跳んだのだ。
「ぱーんちっ!」
「きぃーっく!」
もっとも、その攻撃手段はシンプル極まりない代物ではあったが……。
「……生まれたてとはいえ、この地球の分霊であり、現人神とも言える存在の攻撃がそれでいいのか?」
〈太母〉は呆れたように言うと、身を翻し、夜空めがけて軽やかに跳ぶ。
「「くっ」」
物理法則を無視した動きで吶喊した双子は、攻撃を躱され、そのまま時計塔の屋根へと突っ込んだ。
無論、超常的存在である彼女たちにダメージは無かったが、高さ三十メートルはあろうかという巨大な塔身を砕き、致命的な損傷を与えてしまう。
隕石の重爆撃によってただでさえボロボロになっていた塔身はひしゃげ、真ん中でポキリと折れると、たちまちのうちに傾き始め――
その先に、
「う……」
「んっ……」
「………………」
未だ気を失ったままの三人の女の子の姿があった。
「やっちまったのです!?」
「しまったんだヨ!?」
双子は空中で体勢を立て直すと、何も無い宙を蹴って再度跳ぶ。
どうにか倒壊する時計塔よりも先に着地できた双子は、女の子たちを抱えて引き摺り、急ぎその場を離れようとするも、遅きに失した感は拭えなかった――その時点で塔身はもうほとんど目と鼻の先まで迫っており、もはや逃げ場などどこにも無いように思われた。
地球の分霊といえども、生まれたて、しかも焦った頭では、如何ともし難いものがあった。
だから、
「「もうダメーっ!」」
双子は観念して目を瞑ると、せめて女の子たちだけでも守ろうと庇うように覆い被さる。
それを見た〈太母〉は、
「っ。世話の焼ける……!」
流石に主の娘を見捨てるのは気が引けたのか、急いで駆け寄ろうとして――
刹那。
煌、と。
気を失ったままの女の子たちと、覆い被さった双子の傍ら、隕石の重爆撃によって雪原に穿たれた無数のクレーターのひとつで、何かが紫の燐光を発した。
「なっ!? この光、この反応は……母様が使った『地球系統』!? あたしたちを生み出すためこの地に振り撒かれたチカラがまだ残っていたのですか!? 誰かがそれを使おうとしてる!?」
「それだけじゃない! 見て、恐竜さんたちが次々と消えていく! 彼らを生き霊化させていた『地球系統』まで誰かが強制的に接収しているんだヨ!」
「これはまさか――『宇宙播種』によって引き寄せられし隕石に乗ってやってきた何者かが、恐竜たちのように自らの意志で受肉・顕現しようとしている……!?」
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