♯9 52㎐の鯨② 問.このときの主人公の心情を述べよ<10点>(前編)
これは夢だ。
いつものように、『彼女』はそう悟る。
嗚呼、またこの夢か――と。
そう。これは狂おしいまでに愛おしい昔日の夢。
まだ世間知らずな幼子だったころの……ついに訪れた『彼』との別れの日の――
「ごめんね、三人とも。……これで本当にお別れだ」
あの日。
自分にとって生涯忘れられない日となった、小四の春。ゴールデンウイーク初日。
天を貫かんばかりに聳える巨大な氷山を前に、『彼』はそう言って申し訳なさそうに笑い、瑞穂と風花、そして自分の頭を順番に撫でてくれた。
「この半年、本当に楽しかったよ。キミたちのおかげだ。こんなボクを受け容れてくれてありがとう」
『彼』が大好きだった。心から。
それは瑞穂や風花も同じだったろう。
「そう――こんな異地球人のボクを」
自分たちと『彼』が初めて出逢ったのは、自分たちが人生最大の過ちを犯してしまった『あの夜』から半年後……再び自分たちの前に現れた〈太母〉が、「おまえたちにはまだ役割がある」と意味のわからないことを言って襲い掛かってきた日のことだった。
天女のような神々しい装束に身を包んだ双子を伴って、どこからともなく現れた『彼』は、自分たちがかつて〈太母〉から与えられ、いつの間にか失っていた不思議なチカラを何故か揮うことが出来て、隕石や寒波を次々と繰り出し、〈太母〉を追い払ってくれたのだ。
格好良かった。
どうしようもなく惹かれてしまった。
気付いたときには『兄様』と呼んで慕っていたほどに。
……それなのに。
『彼』が自分たちを助けるために戦ってくれたことは、偶然その場に居合わせた父や母だってその目で見ていたはずなのに。
「ボクとお別れしたら、もうお父さんやお母さんと喧嘩しちゃダメだよ?」
自分たちの両親は、最後まで『彼』のことを好くは思わなくて。
普段から『彼』には必要以上に関わるな、出来るだけ近付かないようにしろと口うるさくて。
「お父さんやお母さんのこと、悪く言っちゃダメだよ。あのひとたちはね、キミたちのことを心配してくれているんだ。ボクを煙たがるのも、すべて『仕方がないこと』なんだよ」
当時の自分たちには、そのことが全く理解できなくて。
〈太母〉が三度現れたそのときに備え、自分たちの傍にいてくれた半年間で、『彼』の人となりを知る機会は充分あったはずなのに――それなのになんて恩知らずなのかと、両親に不満を抱かずにはいられなくて。
「……たぶん、それが親ってものなんだと思う。キミたちにもいつか理解できる日が来るんじゃないのかな」
そう言って淋しそうに――どこか羨ましそうに微笑んだ『彼』との、〈太母〉との因縁に決着がついたことでとうとう訪れてしまった別れの日が、神様の意地悪としか思えなくて。
「それにあのひとたちは、今日までボクたちの寝食の面倒を見てくれた。それだけで充分さ」
『彼』のそんな言葉も、それだって我が子を〈太母〉から護ってもらう必要があったから、渋々最低限の援助をしただけじゃないか――そんなふうにしか受け取れなくて。
子を案ずる親の気持ちを、当時の自分たちはこれっぽっちも理解できてなくて。
……けれど。
「さようなら、瑞穂。風花。そして――希実。願わくば、ボクがまた目覚め、キミたちのもとに駆けつけなければならなくなるような災禍が、この先キミたちの人生に降りかかりませんように」
嗚呼、自分はこんなにも哀しいのに……このひとはもう二度と会えなくても平気なのだ……。
そう憤りを覚えた『彼』の言葉も、自分が親となった今ならば―――……。
「……夢、か」
どうやら連日の激務のせいで疲れが溜まっていたらしく、うたた寝してしまったようだ。
「懐かしい夢」
いつの間にか突っ伏していたマホガニーのプレジデント・デスクから顔を上げた『彼女』は、デスクの隅に置かれた写真立てを見下ろし、目尻に浮かぶ涙を拭って自虐の笑みを浮かべる。
「とっくの昔に割り切ったつもりでいたのに。我ながら未練がましいにも程があるわ」
結婚し、娘が出来てから、すっかり見なくなっていた夢なのに。何故今になってまた見てしまったのだろう。
……まさかここのところずっと自分を悩ませている例の案件が関係しているのだろうか。
「……っと、いけないいけない。昔日を懐かしむのはいつでも出来るわ。今は例の案件の調査を進めないと。万が一にも娘たちの身に危険が及ぶことのないように……」
我に返り、デスク上の書類を手に取ろうとしたその瞬間、写真立ての隣で非常用直通電話が着信を告げた。
「警察署の署長から? 何事かしら?」
ディスプレイに表示された番号を見て訝しりつつ受話器を取る。
すると『彼女』の耳に飛び込んできたのは、
『――母様!? 母様ですか!?』
他でもない、最愛の娘の声だった。
「結芽? どうしてあなたが、」
『母様、お願いです! アイツを……勇魚を助けてください!』
娘の口から飛び出した名前に、『彼女』の思考はしばし停止し、気が付いたときには持っていた受話器を落としていた。
☆
沿岸警備隊の船で無事戻ることが出来た美夜受島の漁港と、閑静な住宅地の中間にある警察署の一室。「もっと詳しい話を聞きたい」と案内された、見るからに取調室といった趣の部屋で。
「見込みが甘かったなー……」
勇魚はパイプ椅子の背もたれにぐったりと寄り掛かり、天井を仰いでいた。
「こっちはどう見ても被害者なんだから、事情聴取もすぐ終わると思ったのになー。警察のヒトも『何個か確認しておきたいことがあるだけだから。大して手間は取らせないから。聴取は一人ずつじゃなく全員いっぺんにで構わないし』なーんて言ってたのにさ」
「ほとんどの質問に黙秘せざるを得なかった以上、怪しまれるのも無理ないのですよ」
「名前はともかく住所や連絡先を訊かれても答えようがないし。仕方がないんだけどネ」
愚痴るこちらの頭を双子が椛のような掌で「よしよし」と撫でてくる。
「異地球人と地球の分霊に家族構成を訊かれてもなー……。結芽たちはいいよなー、ちゃんと答えられて。……ていうかさ、あの子たち、薄情じゃない? 自分らは帰宅の許可が出たのをいいことに、ボクたちを残してさっさと帰っちゃうし」
「いっそのこと脱走しますですか? 今なら警察のヒトも席を外しているのですよ」
「わたしたちのチカラを使えば、さほど難しいことでもないんだヨ」
「うーん……でもなぁ……。それはそれで、後々面倒くさいことになりそうなんだよなぁ」
流石に容疑者でもない人間を追跡や指名手配まではしないと思うが、ここが自分の生まれ育った地球ではないだけに警察がどう動くかイマイチ予測できない。
「こうなったら住所や連絡先を適当にでっち上げて……って、そんなの確認されたら一発でバレるよねー……。ああっ、もうっ! どうしたらいいんだよ!」
「元気を出すです、おにーさん! これもいい経験なのですよ! 警察署に泊まるなんて普通なら滅多に出来ない経験なのです!」
「そうだヨ、おにーちゃん! どうせ今晩寝泊りする場所のアテも無かったんだし! 夜露を凌げてラッキーと思えばいいんだヨ!」
「……励ましてくれるのはいいんだけどさ」
勇魚はぎゅうとしがみ付きスリスリ頬擦りしてくる双子をジト眼で見下ろし、
「いい加減、ボクの膝の上から降りてくれないかな。キミたちが聴取の間も終始こんな感じだったせいで、警察のヒトたちの視線や口調がボクのときだけ尋問に近かったんだけど」
「ヤなのです☆ 今夜はぜーったい離れないのですよ☆」
「おにーちゃんも昔みたいにナデナデてくれていいんだヨ?」
「昔みたいに……? それって二十五年前の――ボクの魂魄がこの地球に辿り着いたあの夜のこと? あのとき、キミたちの頭を撫でたりなんかしたっけ?」
勇魚が首を傾げながら問うと、蕩けきった表情で頬擦りしていた双子が急に真顔になってピタッと動きを止める。
「……あの。おにーさん? あの半年間のこと、思い出してくれたのではないのですか?」
「……だからわたしたちのこと、昔みたいに名前で呼んでくれたんだよネ?」
「うんにゃ? 思い出せたのは魂魄一体まわりのチカラの使いかたくらいだケド」
「「え……」」
「あれ? でも、よくよく考えたらそれって変だよな? 精神世界でマナたちに見せてもらったあの夜の映像じゃ、ボクは魂魄一体なんて一度もしていなかったはずだケド……。ボク、いったいいつ魂魄一体なんて使いかたを知ったんだ?」
それに、今日メガネウラの群れを撃退するため魂魄一体した際、脳裏に甦ったあの記憶。
この島を舞台にした、一柱の眷属と一人の女の子にまつわる物語――そのエピローグの記憶。
あれこそ、いったいいつの――
「……待てよ?」
双子がたった今口にした、『昔』『あの半年間』というフレーズ。
そして精神世界での〈隙間の神〉マナたちとのやりとり。
それらを踏まえて考えるに、やはり自分には過去、半年くらい、休眠から目覚めてこの地球上で活動していた期間があるのでは――
「「………………」」
「って、どうしたのさ二人とも? なんでそんなどんよりとした目でボクを見るの?」
「……おにーさんには心底ガッカリなのですよ」
「……おにーちゃんがここまで尽くし甲斐のないヒトだとは思わなかったヨ」
「ちょっ……やめて!? 見た目小学校低学年くらいの女の子にそんな冷え切った眼差しを向けられるのって思いの外キツイものがある!」
「あたしたちを愛してくれたあのころのおにーさんはどこへ行ってしまったのでしょう……」
「あれほどお互いの体温を求め合った仲なのに……。おにーちゃんは薄情だヨ……」
「やーめーろー! 誤解を招くような言いかたをするなー!」
ここの署員に聞かれでもしたらシャレにならない。
本格的な取り調べが始まってしまう。
「『今度ボクが目覚めたときは結婚しようね』って言ってくれたのに……」
「『どっちも最低五人はボクの子供を産んでもらうから、覚悟しておけよ』とも言ってくれたんだヨ……」
「嘘こけーっ! それだけは絶対に無いって断言できるぞ! キミたち、ボクの記憶に欠落があるのをいいことに、自分たちに都合のいい方向へ持っていこうとしてないか!?」
「「ちっ……」」
「舌打ち!?」
「もうなんでもいいから、ぎゅ~っと抱き締めてナデナデするのですー!」
「そんで耳元で『愛してる』と囁くんだヨ!」
「ちょっ、こら、膝の上で暴れるな! 危ないから! ほら、落っこちるってば!」
「……ゴホン!」
「わぁっ!?」
いつの間にか出入り口のドアの脇に立っていた若い警官に咳払いをされて、勇魚は漫画みたいに腰掛けたパイプ椅子ごと飛び上がって驚く。
振り返った勇魚に、警官はジト……ッとした眼差しを向けながら、苦虫を噛み潰したような顔で告げてきた。
「兄妹でイチャついているところ恐縮ですが。もう帰宅して頂いて結構ですよ」
「「「えっ」」」
「兄妹ちゃうわ」というツッコミも「そんなにイチャついてたかな?」という疑問も忘れ、勇魚は目を瞬かせる。
「今しがた、あなたがた兄妹の身元を保証するというかたがいらっしゃいましたので」
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