レイナの決意
◇天央歴1027年 2月11日 夜 アウローラ王国南東部
姫将軍。
文字通り、王女かそれに近い血筋を持つ女将軍を表す言葉で、地球世界においてもそれに該当する存在が全く居なかった訳ではないが、限りなく珍しい存在だった。
そして、それは地球世界の同時代に比べて女性が将軍や軍の幹部になる例が多いこの世界でも同じであり、女将軍の例は何十とあれども、姫将軍という存在は歴が天央歴へと変わってからの1000年以上の歴史の中でも両手で数えられるほどしか存在していない。
──だが、今代のグレートランド皇国にはその歴史上類い稀なる姫将軍が存在する。
彼女の名はフィーネ・フォン・ベルリッツ。
ベルリッツ辺境伯家の先代当主ロバンス・フォン・ベルリッツとその妻グレートランド皇国第7皇女イリヤ・フォン・ベルリッツの間に産まれた伯爵令嬢であり、両親が亡くなったことで必然的に女王になることを迫られたレイナとは違い、8歳の時に自力で当主の座を掴み取った異才の少女でもある。
──そして、今宵、マナヤ国軍のアウローラ王国内への領土侵攻の報を耳にした彼女は領軍3000を率いてアウローラ王国内に侵入し、ヨルダン将軍率いる2万のマナヤ国軍を横合いから奇襲していた。
「なんの真似だ!銀の姫将軍!!」
「それはこちらの台詞です。あなた達こそ、アウローラ王国へと侵入して何をやっているのですか?」
それぞれの持つ魔剣で切り結びながら、そんな会話を行う2人。
2人が切り結ぶ様子は、端から見れば2つの閃光がぶつかり合っているようにしか見えず、並の兵士が割って入ろうとすればすぐさま殺されるであろうことは分かりきっていた。
その為、2人の間に割って入ろうとする者は居らず、それぞれの軍の兵士達は敢えて見て見ぬふりをして相手の兵士と戦っている。
ちなみに“銀の姫将軍”とは、フィーネの髪が銀髪の美しい容姿であることから付けられた異名で、彼女自身はあまり気に入っていなかったが、世俗の受けは良かったことでそう呼ばれるようになっていた。
「我々はアウローラ王国新女王よりの要請で領内進駐を行っている。そなた達は素早く兵を引け!」
「反乱を起こして就任した女王の言葉に正当性は有りません」
ヨルダンの言葉に、フィーネは一刀両断と言わんばかりにそう返す。
その凛とした返しと口調にヨルダンは感心しつつ、挑発するようにこう言った。
「ほう?ならば、お前達がアウローラ王国領内に侵入している事実には正当性は有るのか?」
「無いでしょう。しかし、それはそちらも同じ。ならば、先に攻め込んだあなた方の方が侵略者となるでしょう」
「くくっ。言うではないか」
ヨルダンは益々、この少女に対して関心を持った。
黒のフリルのついたドレスというおよそ戦場に似つかわしくない姿で現れた彼女であったが、そのドレスの色合いは彼女の髪の色とよく映え、彼女の美貌と黄色の月をバックにしていることもあって状況が状況であればかなり絵になる光景が出来上がっている。
そして、まだ十代前半という幼さでヨルダンと渡り合えるほどの剣の実力を持っていることや、ヨルダンの言葉に返す堂々とした振る舞い、更にその凛とした口調もまた彼は高く評価していた。
(これは“壊し甲斐”がありそうだな)
内心でニヤリとそう笑うヨルダン。
実は市世には知られていないことであったが、ヨルダンには気に入った女の心を壊して、犯すというとんでもない性癖がある。
まあ、誰彼構わず襲う好色男という訳ではなく、あくまで本当に気に入った女に対してだけ行っているのだが、その悪癖を知られれば王国の誇る武将の1人の名に傷をつけることになるため、被害者が少ないことを良いことに、マナヤ政府はこの事実を全力で隠蔽していた。
もっとも、それでも彼に近い立場に居る人間には分かってしまうのだが、それでもマナヤ政府の努力の甲斐あって市世にこの事実が噂として流出することはなく、国外の人間に至っては彼の性癖を知っている者は片手で数えられる程度しか居らず、その数人の中にフィーネは含まれていない。
そして、フィーネ自身もこういった男からの情欲の視線を基本的に受け流してきたことから、普通の婦女子であれば悪感が走るであろうヨルダンの視線の本性に気づけていなかった。
(まあ、今回のところは無理そうだがな)
ヨルダンは戦闘を行いながらチラリと自身の軍団とフィーネ配下の軍団の戦いぶりを見るが、戦力差が7倍近いにも関わらず、初撃の魔法矢の奇襲による混乱が治まりきっていないことやヨルダンが指揮を放棄してフィーネとの戦いに集中していることからフィーネ配下の軍団がこちらの軍団を圧倒している。
流石に壊滅することはないだろうが、少なくとも今すぐフィーネをこの場で撃ち取るか、捕らえるかしない限り、この会戦で勝つのは難しいだろう。
そして、なんの準備もしてこなかった今のヨルダンには今すぐフィーネを捕らえることは不可能に近かった。
(情けない奴等だ)
そう思いながらも、今は目の前の少女との戦を楽しもうと、ヨルダンは配下の軍団を放って再び剣を構えてフィーネに向かって突貫していった。
◇同時刻 東京 冬宮邸
アウローラ王国南東部にてフィーネとヨルダンが衝突していた頃、冬宮邸ではレイナが部屋の窓から黄色の月(この世界では月は1つではない)を見上げながら、あることを考えていた。
(この国は凄い。私たちの大陸と接触すれば、少なくとも私たちの国はすぐに呑み込まれるでしょうね)
具体的な軍事力こそ判別がつかなかったものの、この国の発展具合を見たレイナは、もしこの国がアルメリア大陸に進出したら一番近いアウローラ王国は瞬く間に呑み込まれるだろうと予想していた。
(不可解なのはなんであのヘリという乗り物で一時間も経たない距離にあるのに今まで進出してこなかったかだけど・・・まあ、その点は今は置くとして、一番の疑問はなんで民達が余裕の無さそうな顔をしているのかなのよね)
そう、彼女が昼間東京の街並みを見回った際に感じた一番の疑問。
それは都市の具合に対して、見掛ける住民があまりにも少なく、尚且つ見掛けた住民もまた何処か余裕の無さそうな顔をしているという点だった。
(普通なら、よっぽどの暴政を行っているというのが一番可能性が高いんだけど、どうもそういう感じとは違う気がするのよね)
もし暴政を敷いているならば、住民の顔は疲れているという意味で余裕のない顔になっている筈だ。
だが、彼女の見る限り、この国の住民達は疲れているよりは何処か苛立っているといった感じの余裕の無さに思えた。
そして、極めつけは何かを売っていたであろう無数の店が片手で数えられる程度しか開いていなかったこと。
ここまでヒントがあれば、彼女でもその原因は思い付く。
(おそらく、この国に起きているのは物資の不足。それも内的要因じゃなく、外的要因)
大方、今まで外国から輸入していた食料やら資源やらが何らかの理由で急に手に入らなくなったのだろう。
それならば住民が苛立っている事にも説明がつく。
なにしろ、その推測が正しければ、繁栄していたところから一気に突き落とされた形になるのだから。
(だとすれば、アウローラ王国への侵攻を考えるのは時間の問題、か)
アウローラ王国は食料が豊富に取れる土地だ。
食料に不足しているこの国が軍事侵略を行う可能性は非常に高かったし、もしかしたらその準備すら既に始めているのかもしれない。
そこまで推察した彼女であったが、仮にそれが事実であったとしても何かしようという気にはならなかった。
まあ、元から魔法の才能が皆無に近いということで陰口を叩かれていた上に反抗的な貴族も多く、政務を行う上でのストレスとなっていたところに、とどめとばかりに妹の裏切りにも遭ったのだ。
未だアウローラ王国の民の事を思ってはいたが、逆に言えば彼らが幸福であるのならば他の国が統治したとしても良いのではないか?
そこまで考えるほど、彼女の政務者としての心は折れていた。
「だったら、せめて・・・民とあれだけは残さないとね。例え、私の身を捧げても」
レイナはそう呟きながら、あることを決意し、明日の夜にはその胸の内をユウキに伝えることを決めた。