上陸の日
◇天央歴1027年 2月28日 深夜 アウローラ王国南西部 海岸
冬最後の日であり、あと数分で春の初日である3月1日が始まろうという時間帯のアウローラ王国南西部の海岸。
漁村が近くに存在するこの場所では夏の季節になると、村の子供が海水浴をしたりして遊んだりするが、今は冬、それも真夜中であることもあって何時もなら人気は全くない。
しかし、この日、偶々寝付けなかったばかりに気分転換のために海岸を散歩していた20歳前後の女性が居り、彼女は一通り歩くと体育座りをして海を眺め始めていた。
「クルト・・・」
女性は幼馴染みで、共にこの近くの漁村で育った男性の名前を口ずさみながら、何年か前にそのクルトという男から貰った貝殻をギュッと握り締める。
彼女にとってその貝殻は大切な思い出だった。
元々、彼女はクルトには恋心を持っていなかったのだが、彼が自分の家庭の兄弟達の食い扶持を稼ぐべく、兵士となって出ていった後に改めて彼が大切な存在であったことに気づいたのだ。
しかし、気づいたときには既に遅く、クルトは漁村を立ち去ってからここ何年もこの漁村には帰ってきていない。
そして、彼女は未だクルトへの恋心を引き摺っており、縁談も断り続けているという状態が続いていた。
「・・・未練たらしいね」
貝殻を見ながらそう思いつつも彼を想う事を止められない事に内心で自嘲しつつ、再び海の方を見る。
──だが、その時、彼女はある違和感を覚えた。
「ん?なんか・・・今、幾つかの巨大な岩みたいなのが動いたような・・・」
見間違いかもしれない。
海沿いの村に住んでいるだけあって視力はかなり良い彼女だったが、それでも深夜の時間帯の今では見間違うこともある。
だが、気になったということも確かであり、彼女は更に目を凝らしてその巨大な岩の群れを凝視した。
すると──
パタパタパタ
──その“岩の群れ”から何匹もの羽虫のような物が飛び立ち、こちらに向かってくるのが見える。
それは彼女に近づいていく毎に巨大となり、やがて彼女のすぐ頭上まで来た時には小型ドラゴン並の大きさとなっていた。
「な、なに!?何が起こっているの!?」
逃げることも忘れて混乱する彼女だったが、そんな彼女を他所に、上空に滞空している巨大な羽虫はロープのような物を垂らすと、それに沿うように人型の何かを降下させる。
──そして、彼女がヘリから降りてきた存在──陸軍第7師団第13歩兵連隊の将兵に拘束されたのは、その僅か1分35秒後の事だった。
◇同年 3月1日 早朝 アウローラ王国北西部 オルクス
アウローラ王国北西部に存在する港町・オルクス。
ウェルデンヌ王国との交易港でもあるこの街は毎日50~100隻程のガレー船が行き交っており、貿易を行っている。
だか、そんな街は現在、昨晩上陸した第一海兵師団によって占領されていた。
「な、何をするのかね!離せぇ!私を誰だと思ってる!!」
この街を治める貴族の家柄の当主──パットゥ・フォン・アイツベルク子爵はそう喚きながらも、屈強な海兵隊の兵士達に両脇を固められて何処かへと連行されていく。
残った少数の中立派貴族家の1つでもある彼の下にはウェルデンヌ王国とを結ぶ重要都市であるということで王国政府から派遣されていた騎士団、更には自前の私兵集団が居たものの、前者は政変に伴って王都へと帰還し、後者は真夜中という時間帯に奇襲、それもあまりにも相手側の行動が迅速すぎたために、殆どなんの抵抗も出来ないまま制圧されてしまい、結果、このオルクスは襲撃されてから僅か一時間で陥落することとなっていた。
「損害は死者が2名、負傷者13名か・・・」
第一海兵師団師団長──森田中将は損害集計が書かれた報告書を読んで苦い顔をする。
抵抗らしい抵抗は殆ど無いままにオルクスを占領した第一海兵師団であったが、流石に完全に無傷とはいかず、若干の損害が出てしまっていた。
勿論、それ自体は想定の内ではあったのだが、やはりこんな序盤の段階に部下を失ってしまった事実はそれなりに堪える。
「仕方ありません。我々の装備は魔導師や魔剣といったファンタジー要素を備えた相手との戦いは想定していませんから」
第一海兵師団副師団長である鹿島少将はそう言いながら、目を瞑って戦死者達への冥福を祈る。
ちなみに副師団長というポストは海兵隊特有のものであり、ユウキは海兵隊が斬り込み隊であるがゆえに士気を最大限に上げる必要があると考えていて、その為には指揮官が戦闘に立つ必要があると考えていた。
しかし、かといって指揮官がいきなり戦死して頭が無くなっても困るので、副師団長職というポストを設けてその指名された副師団長が前線で全体的に部隊を纏め上げ、師団長が後方で指示を出すという体制を作ろうとしたのだ。
組織規模が大きい陸軍なら混乱するかもしれないその体制だったが、組織規模が小さく尚且つ勇敢な兵士が多い海兵隊相手ならばその目論見は悪くないと思われ、今回の上陸作戦で試験的に試してみることになっていた。
しかし、誤算だったのは副師団長である鹿島ではなく、師団長である森田が後方の指揮を鹿島に任せて自分で前線にでしゃばってしまったことだ。
そもそも海兵隊という組織は志願制の斬り込み隊という特性上、勇敢な人間が多く配属されている。
まあ、そうではない人間も居るには居たが、そちらの方が例外となるくらいには勇敢な人間が数多い。
師団長である森田もそういった人間の1人であり、彼は副師団長という自分が死んだ際に指揮を執るポストが新たに出来たことを良いことに、自分が前線に出て副師団長が後方で指揮を執るという体制を独自の判断で形成させていた。
・・・もっとも、この形成したばかりのマニュアルを初っぱなから無視するような行いは後で事の次第を知った海兵隊長官によって大目玉を食らうことになるのだが。
「むしろ、我々が想定していなかった魔法を使われてもその程度の損害だったのは行幸であったかと」
「そんなことは分かっている。ただ、こんな戦争の序盤に退場してしまった事が残念に思えてならないだけだ」
森田は吐き捨てるようにそう言ったが、一方で鹿島の方は冷ややかな目でそれを見ていた。
彼からしてみれば、将兵達が何時何処で戦死しようが、この世から永久に退場して2度と家族に会えなくなることに変わりは無かったからだ。
「そうですか。・・・ところで、話を戻しますが、作戦計画では我々は12時にここを出発することになっていますが、今のうちに兵士達を交代で休ませても構いませんか?」
「それは構わないが、あまり休めはしないぞ?色々と作業があるからな」
兵員と一通りの重装備を揚陸させた第一海兵師団であったが、そこから奥地へ出発するための準備を整えるにはそれなりに時間が掛かる。
今から作戦開始時刻の12時までは6時間以上あるが、それでもそれらの作業と交代制での休みとなると一時間程度しか休むことは出来ないだろう。
「大丈夫でしょう。一時間も休めれば十分気力は回復できますよ。なんといっても、我々は海兵隊なのですから」
「・・・ああ、そうだったな」
鹿島の言葉に、森田は改めて自分が所属している組織の事を思い返す。
そう、海兵隊は精強な兵士で固められているのだ。
流石に特殊部隊と比べると見劣りはするが、それでも通常の陸軍の兵士などとは比べ物にならないほど強く、体力もある。
そんな自分の自慢の部下である彼らならば、夜明け前に小規模ではあれど戦闘を行い、お昼頃には出発という厳しいスケジュールの中でたった一時間程度の休憩しか取れなくとも任務をこなしてくれるだろう。
「分かった。休憩を取らせろ。特に先行する部隊に関しては優先的に、な」
「了解しました」
鹿島はそう言って部下達に命令を伝えるべく天幕を出ていく。
──そして、第一海兵師団はこの後僅かながらの休息を取った後、予定通り1200に内陸部へ向かって進撃していった。