アウローラ王国の現在
◇天央歴1027年 2月13日 朝 アウローラ王国 王都アテナ 王宮
王都アテナ。
農業国とは言え、豊かな国の一国の首都というだけあってそれなり以上に発展しているこの街は、きらびやかさこそ無いものの、活気に満ち溢れた光景が街の至るところで見受けられていた。
──だが、それも1週間程前までの話。
現在のアテナでは貴族にはあまり受けがよろしくなかったものの、国民には人気が高かった女王を排除したこと、更にはクーデターが起きてからの政情の不安定化によって商人や業者などといったこの街に様々な物品を持ってくる人間が近寄りがたくなっていたことで、街全体の雰囲気は暗くなっており、以前の活気に満ち溢れた光景は何処にも見受けられず、この街に潜入している緑色の服を着た男達の故郷の首都・東京の現在の光景に近い雰囲気となっている。
さて、そんな暗い雰囲気となった街に存在する王宮では、1人の20代頃の青年がとある報告を聞いて怒り狂っていた。
「確かなのか!?」
「は、はい。複数の領主の軍がマナヤ軍と遭遇したことにより、ヨルダン殿はやむ無くマナヤ国に撤退したと」
「おのれぇぇぇえ!!!」
青年はそう叫びながら、側にあった花瓶を床へと叩き付ける。
その様子に彼の部下らしき男は怯えた様子を見せるが、青年はそんなことを気にもしていなかった。
青年の名はセラビス・フォン・パッシェ。
若くしてパッシェ公爵家の当主に就任した男であり、アウローラ王国で起きた一連のクーデター騒ぎの首謀者でもある人物だ。
クーデターを起こして女王を追放した彼だったが、一方で突然のクーデターに反発した幾つかの有力貴族には牙を剥かれており、完全に政権を掌握できているとは言えない状態が続いていた。
マナヤ国の駐留はアウローラ王国での自分の権勢を確かなものにする他に、そういった輩を黙らせる意図もあったのだが、ヨルダンの撤退によってそれが全て御破算となってしまったのだ。
(くそっ!これではユリシアに相応しい婚約者としての地位を確かなものにすることは出来ん!それではクーデターなどした意味がなくなってしまう!!)
セラビスはそんなことを思いながら、その表情に焦りの色を浮かべ始める。
実は元々、彼がこのような行動に走ってしまったのは元女王の妹──ユリシア・エル・アテナへの恋心故だ。
魔法が出来る者が高く評価される傾向にあるこの大陸の王侯社会において、幼い頃から保有している魔力の割には魔法の才能があまり無いと言われていたセラビスはパッシェ公爵家内では冷遇されており、高位貴族という割には順風爛漫な人生を送っているとは言えず、王都を出歩いてはチンピラに持ち前の魔法で喧嘩を売るような荒れた生活をしていた。
だが、そんなある日、何時ものようにチンピラの集団と戦っていたら油断して怪我をしてしまい、王宮の近くの道で倒れてしまい、そこを久々の外出を許されたユリシアに発見されて介抱されたのだ。
そして、その時に浮かべた彼女の笑みは荒れていた自分の心を忽ち浄化し、セラビスは瞬く間に彼女に一目惚れしてしまった。
それからは心機一転し、並々ならぬ努力をして魔法を鍛え上げ、その努力の甲斐あって公爵家の当主となったパッシェだったが、それでもユリシアの婚約話は成立させるどころか、そもそも持ち掛けることも出来ない状態だったのだ。
その最大の理由としては、パッシェと元女王であるレイラの仲が致命的に悪かったことが挙げられる。
これは両者の魔法を使う努力に対する考え方の違いから来たもので、パッシェからすれば魔法を使う努力を全くしないで女王に就任したレイラは苦労して公爵家の当主となった自分の努力を否定されているように感じていたし、レイラもまた努力したと言っても元々魔法の才能があった人間にその点を指摘されても生まれつき魔力が殆どない自分への嫌味としか思えず、可愛い妹をそんな人間に嫁がせようとは欠片も思わなかった。
そういった思想的な擦れ違いによる溝からセラビスが幾らユリシアとの結婚を打診してもそれが通るわけもなく、パッシェは苛立ちと怒りを覚えていたのだ。
そんな彼に接触してきたのがマナヤ国であり、彼らはこの国に自軍を駐留させる対価としてセラビスを新たなアウローラ王国の国王として認める話を持ち出した。
正直、国王の座などどうでも良かったセラビスだったが、ユリシアと結ばれるにはあの忌々しい女王を排除しなければならないことは確かであり、それ故にその甘言に乗ってしまったのだ。
そして、女王に不満を持っていた貴族達にクーデターの話を持ち掛けて根回しを行い、更にはユリシアに『今回のクーデターは貴族の殆どが参加しており、女王に抵抗する術はない』といった感じの嘘をつき、彼女に対して『姉を助けるためには君が女王に就任するしかない』と囁き、クーデターに協力させた。
アウローラ王国内の政治事情に疎かった彼女はまんまと騙されてしまい、その結果、クーデター後のユリシアは騙されたことに気づいて激怒したが、戦闘の訓練を受けていない彼女はあっさりと制圧されてしまい、今はセラビスの命によって地下牢に閉じ込められている。
もはやなんのために政権を奪ったのか分からなくなっていたセラビスだったが、一度政権を奪取してしまった以上、ここで止まるわけにもいかなくなっていた。
(こうなったら、軍勢を集めて奴等と決戦を行って勝利するしかない)
幸い、自分に反抗しているのは有力な領地貴族とは言え少数派で、全体的な兵力ではこちらが優勢となっている。
決戦を行えば勝算は十分にあった。
と言うより、それしかなかったと言える。
何故なら、マナヤ国の助力を得られず、クーデターで権力を得たせいで正当性すら怪しい上に、今後の国家運営に対するビジョンすら全く持っていないとなると、長期戦になればセラビスの下を離れる貴族も出てくるようになるだろうからだ。
問題なのは向こうが決戦に乗ってくるかという点であったが、もし乗ってこなかった時は一つ一つしらみ潰しに潰していけば良いとセラビスは考えていた。
(見てろよ、必ず俺は手に入れてやる。ユリシアの心を。絶対に!)
──もはやそれが破綻していることに気づかぬまま、セラビスはそんな決意の炎を燃やした。
◇同時刻 地下牢
「ゴホッ、ゴホッ。・・・やはりダメなのですね」
王宮の地下牢。
そこでは両手を頭の上で一括りにされ、両足もまた鎖で繋がれた状態で拘束されている1人の少女が居た。
彼女の名はユリシア・エル・アテナ。
前女王であるレイラ・エル・アテナの妹であり、現在は名目上だけではあったものの、アウローラ王国の現女王となっている少女だ。
その容姿は髪形こそ若干違っていたものの、顔立ちはレイラと瓜二つであり、地下牢に閉じ込められていたことで若干薄汚れてはいたが、それでもかなりの美貌を保っている。
そして、彼女はいま必死に魔法を使ってここから脱出しようとしていたものの、彼女を拘束する鎖が繋いだ者の魔力を吸収する形で魔法を使えないようにする魔法封じの要素を持っていたことや魔法が使いやすくなるように魔力を一時的に増幅する役割を持っていたドレスが制圧された際に剥ぎ取られ、粗末な貫通衣に着替えさせられていたことで、脱出など不可能な状態になっていた。
「・・・相変わらず、誘っているとしか思えんな。あの姿は」
「言うな。言いたいことは分かるが、手を出したらセルビス様に殺されるからな」
ユリシアが閉じ込められている地下牢を見張る兵士達はそう言いながら、下卑た視線を彼女に送る。
現在の彼女の姿はほぼ裸も同然で、隠されている部分ですら体のラインが浮き出た状態。
更に素材も極上の美少女と来れば、熟練の兵士でも下卑た視線を送らずにはいられないだろう。
だが、それは男性側の視点であって、そのような視線を向けられた女性側にとっては屈辱以外の何者でもなかった。
「・・・お姉様、ごめんなさい」
ユリシアは騙されたとは言え、昔から大好きだった姉を裏切ってしまったことを後悔し、見張りの兵士達にすら聞こえぬ小声でそんな謝罪の言葉を口にした。