元女王との契約
◇天央歴1027年 2月12日 夜 アウローラ王国 南東部国境
「一時はどうなることかと思いましたが、なんとかなりましたね」
馬に乗って配下の軍団の先頭をゆっくりと進むフィーネに対してそう言った黒髪青目の少女。
彼女の名はアオナ。
生真面目を絵に書いたような性格のこの世界では珍しいユウキ達と同じ東洋系の顔立ちをした美少女であり、指揮能力はそれほど高くないが、回復系の魔法が使えることや事務能力や管理能力に優れている点をフィーネに見込まれたことで、平民の出で有りながら彼女の副官に治まっている少女だ。
彼女は自分を拾い上げてくれたフィーネに忠誠を誓っていたが、同時にはっきりと物を申すタイプでもあり、それ故に今回のアウローラ王国への侵入行為でも彼女は国際問題になりかねないとして当初派兵に反対の立場を取っていた。
だが、結局、アウローラ王国が落ちたらグレートランド皇国が窮地に陥るというフィーネの説得に折れて派兵の準備をすぐさま行っており、こういった自分の主張をするところと仕事をてきぱきとやるところもフィーネから高く評価されていたりする。
「はい。アウローラ王国側が動いてくれて本当に助かりました」
そう、フィーネは元々、自分達だけでヨルダン将軍率いる軍団を相手にするつもりは毛頭なかった。
当然だろう。
ヨルダン将軍の軍勢は2万、自分達は手勢だけで3000、機動力を優先するために置いていった後続の部隊を合わせても5000程でしかない。
如何にフィーネが優れた指揮能力を持っていても、4倍もの戦力差はそれこそ圧倒的な質が無い限りは覆せないのが現実だ。
それを考えれば、フィーネのマナヤ国軍への襲撃は無謀な行為と言えたのだが、フィーネには勝算があった。
そもそもアウローラ王国の貴族の中でマナヤ国軍のアウローラ王国内への進駐を知らされているのは、引き入れた張本人であるパッシェ公爵と彼に近い貴族だけで、パッシェ公爵と同じ派閥の貴族ですら末端となるとマナヤ国軍の進駐の一件を知らない。
そして、同じ派閥でそれなのだから彼に敵対する派閥の貴族は当然知っているわけもなく、だからこそ、フィーネはアウローラ王国の国境を越えてヨルダン将軍の軍団を奇襲する前に付近に居る反パッシェ公爵派のアウローラ王国貴族達に使者を送ってマナヤ国軍の進駐の件を知らせたのだ。
最初は半信半疑だった反パッシェ公爵派の貴族達だったが、実際にアウローラ王国南東部の国境警備隊が全く別の場所に配置されていることに気づくと、慌てて自らの領軍を引き連れ、アウローラ王国南東部へと向かった。
すると、そこにはフィーネの軍団とヨルダンの軍団が戦っている光景があり、フィーネの軍団は彼らと共闘する形でヨルダンの軍団をマナヤ国への撤退まで追い込んだのだ。
もっとも、フィーネの方も国境を軍団で越えたことを不問にする代わりに撤退することを強いられたのだが、今回の戦いはマナヤ国軍の『アウローラ王国への進駐を阻止する』という戦略目標を達成したフィーネ達の勝利と言えた。
「ですが、これでグレートランド皇国、引いてはクワイック同盟とマナヤ国の緊張は高まることになりました。近々、大きな戦争が始まることとなるでしょう」
「・・・それはフィーネ様のせいではありません。マナヤ国がアウローラ王国に進駐することを許せば、どのみち緊張は高まることになっていたでしょうし、確実に今より不利な条件で戦うことを強いられていた筈です」
事実だった。
実際、マナヤ国軍はそうなることを覚悟して戦争の準備を既に開始していたし、そうなればクワイック同盟もそれに対抗する形で軍備を増強せざるを得なくなっていただろう。
そうなれば全面衝突が始まるのは必然で、もしフィーネ達がアウローラ王国進駐を阻止していなければ、アウローラ王国を手に入れたマナヤ国軍は更に強力になった上にマナヤ国はグレートランド皇国の隣国であるウェンデンヌ王国と国境を接することになっていた。
そして、ウェンデンヌ王国はクワイック同盟に加盟している国の中では3番目に強力な国力を有しているものの、軍事力はそれほど強力とは言えず、もしマナヤ国と全面戦争になれば同国は忽ちのうちに蹂躙されていた可能性が高い。
そういう意味ではフィーネ達の行動は無駄ではなかったと言えるのだ。
「いずれにしても、帰ったらグレートランド皇国の王族や貴族の方々への釈明や根回し、そして、戦争の準備に忙しくなるでしょう。フィーネ様もご覚悟を」
「分かっています。元より、それは覚悟の上です」
アオナの言葉にそう答えながら、フィーネは昨夜とは違い、緑色に輝く月を見上げる。
(レイラ。あなたはいま何処に居るのですか?)
フィーネは幼い頃に親交があった生死すら未だ不明なアウローラ王国前女王の瞳の色を思い出させる月を見ながらそのようなことを思っていた。
◇同時刻 東京 冬宮邸
フィーネの軍団がアウローラ王国からの撤退を開始していた頃。
冬宮邸では、レイナがユウキの自室を訪れてある話をしようとしていた。
「それで、話って何かな?」
「・・・」
ユウキの問い掛けに、レイナは目を左右に泳がせながら迷った素振りをするが、やがて決心したように目を瞑るとこう切り出した。
「ねぇ。この国ってもしかしてアウローラ王国に侵攻しようって考えてるんじゃない?」
「・・・誰から聞いた?」
突然、鋭い視線になって睨み始めたユウキにレイナはゴクリと喉を鳴らすが、なんとか呼吸を整えるとこう返す。
「あくまで推測よ。色々と根拠はあったけど、決定的だったのは今日、部屋に出入りしているメイドにこの国の軍隊の現状について聞いたら、いまこの国では大々的に兵士を募集しているらしいじゃない。一度拡大した軍隊は何処かで力を使わなければ採算が取れない。取れないならば、何処に侵攻するのか考えたら答えは決まっているようなものでしょう」
「・・・なるほど。そういう見方もあったか」
ユウキはレイナの推察とそれを導き出した頭脳に素直に感心していた。
彼女の推察には“力を使わなければ採算が取れない”という何処か中世の軍隊的な考え方が残っていたが、大まかな点では間違ってはいなかったし、アウローラ王国に侵攻しようとしているという点も本当の話だ。
──しかし、逆に言えばそれだけ。
その推察を当てられたからといってユウキ達がアウローラ王国への侵攻を取り止めることはないし、それどころか場合によってはここで彼女を拘束しなければならなくなるだろう。
そう考えつつも、ユウキはレイナに対してこう尋ねる。
「仮に君の推測が正しかったとしよう。その場合、君はどうするの?」
「別に侵攻する事自体は止めるつもりはないわ。ただ、2つだけお願いがあるだけよ」
「お願い?」
「そう。これさえ聞いてくれれば、私はあなたのために何でもする。なんなら、奴隷にだってなっても良いわ」
「へぇ」
ユウキは彼女の覚悟に興味を持ち、一応、その話を聞くことにした。
指導者としては失格かもしれないが、そこまでの覚悟を持っている彼女の言葉を無視することは男が廃るとユウキは考えたのだ。
「じゃあ、言ってみてくれ」
「1つ目。アウローラ王国の国民をあなたの国の国民と同等に扱うこと」
「なるほど。確かに元とは言え、自分の国民が杜撰な扱いを受けるのには思うところが有るという事だな」
「そうよ。まあ、今すぐにとは言わないわ。生活様式や文化とかが色々と違うみたいだから、無理に同じ扱いにして血が流れても困るし。ただ、そういう扱いをする努力はして欲しいのよ」
「分かった。そういうことなら検討する余地はある。で、二つ目は?」
「この国の名前を何処かの土地でも都市でも良いから、何らかの形で残して欲しい。それだけよ」
「それは構わないけど・・・差し支えないなら理由を教えてくれるかな?」
「アウローラっていうのは暁の女神。つまり、太陽の女神を表す言葉だと小さい頃に私に良くしてくれたお婆様が教えてくれた大切な思い出なの。だから、せめてこれだけは残して欲しい」
「ふむ」
ユウキは考える。
彼女の幼少期の家庭事情がどういったものであったのかは分からないが、祖母のたったそれだけの言葉を大切にする辺り、彼女が祖母を愛していたことは確かだ。
(優しいなぁ。俺はお婆ちゃんとの思い出なんか全然覚えてないのに)
そう思いながらも、ユウキはある条件を追加で出す代わりに彼女の提案を呑むことに決めた。
そして、その条件とは──
「分かった。その条件を呑むよ」
「本当?」
「ああ。その代わり、君個人に対してのものだけど、2つほど条件を呑んで貰う」
「なによ?」
「1つはさっき言った言葉を忘れないこと。悪いけど、俺は一度口に出したことはやって貰う主義だから」
「・・・分かっているわ」
レイナはギュッと服の裾を強く握る。
自分から言い出したこととは言え、自分の身を他人に委ねるのはやはり怖いのだろう。
ユウキはその事に気付きつつも、敢えて無視して二つ目の条件を口に出す。
「そして、もう1つは君の本当の名前を教えてくれ」
「えっ?」
「レイナという名前は偽名だろう。アカネに聞いたが、君はアウローラ王国の女王。本当の名前が有る筈だ」
本当はもうアカネから聞いて知っていたが、ユウキは敢えて彼女に自分の正体を話させることにしていた。
そして、自分の名前を言うことに何処か躊躇っていた様子のレイナだったが、突然、フッと笑うと自分の名前を名乗り出した。
「──お初にお目に掛かります」
そう言ってスカートの両裾をたくし上げながら、上品に自己紹介を行う彼女の姿は王族らしい気品があり、ユウキは暫し見惚れてしまった。
(これが本物の女王というやつか。俺とは大違いだな)
ユウキが内心でそんなことを思っているとは露知らず、彼女は遂に自分の名前を口にする。
「──私の名前はレイラ・エル・アテナ。アウローラ王国の元女王です」
そう言ってニッコリ微笑んだ彼女は、確かに本物の王族であると空気だけで分からせるほど、まるで女神のような神秘的な雰囲気を晒し出していた。