98話
「……セド君、ホットミルクが出来ましたよ。零さずに飲んでください」
「あい」
自分が賊の討伐作戦に参加させられて、数日が経ちました。
幸い命を落とすことなくキャンプに戻って来れた自分は、褒賞として頂いた粉ミルクを溶いてセドル君に飲ませあげていました。
シルフは作戦の後、白々しく「素晴らしい功績だ」と自分を褒めたたえ、褒賞として何が欲しいか聞いてきました。
放っておくと軍の地位を用意されそうになったので、とりあえずミルクと応えておきました。
セドル君はもう4歳です。年齢的にはもう粉ミルクなどいらないのですが……。
このキャンプでは毎日、期限切れレーション(乾パンや牛肉粉末)やオニオンスープなどしか食べさせてもらえないので栄養の偏りが心配でした。
この時期の子供に必要な栄養素はカルシウムやたんぱく質、鉄分です。これらをまとめて補給できてかつ、入手難度の低い食料としてミルクを要求してみました。
……分けて貰えたのは乳児用ミルクでしたが、貴重なカルシウム・鉄源なのでセドル君には毎日飲んで貰う様にしました。
「トゥーちゃん、今日はどこにも行かない?」
「ええ、自分はセド君の傍にいますよ」
前の作戦に参加させられてから、セドル君はしばしば自分が出かけないか不安げに聞いてくるようになりました。
あの作戦の行軍期間は1週間ほどだったのですが、彼は毎日「自分の帰還はまだか」とアニータさんに問うて困らせたそうです。
「じゃあ、少し出稼ぎに行きましょうか」
「うん」
自分が戦闘を終えキャンプに戻ってくると、既にオセロ村人による塹壕は完成していました。
赤土を掘って耐水シーツの屋根を張り、普通にテントを作るより広く雨風の凌げる空間を確保できていました。
ドーナツ状に掘られたその塹壕の入り口には水瓶が設置され、便所と居住空間を完全に分けたことで悪臭もかなり改善していました。
塹壕内にはかまどが設置され、その火が絶えない様にする火番という役目もいつの間にかできていました。
燃料である木材は、近くの森から持ってきています。その森は川より近い上、道が舗装されているので水より運搬が楽なようです。
「どなたか、空き缶や空き瓶、食料、衣類の切れ端をください。1瓶の水と交換です」
塹壕が完成した後は、水運び当番のローテーションにも余裕が出来ました。
なので自分は当番から外れている日、水を個人的に汲んできて他の集落と物々交換をするようになりました。
自分は普段のトレーニングの延長として、水を運ぶ作業をあまり苦にしていません。
オースティン軍に居た頃はもっと重い荷物を背負って走らされていましたし、オセロ村でも自主練的にランニングを行っていました。
日課のランニングの、場所が変わっただけです。
「足袋の切れ端では駄目か」
「いえ、十分です。受け取りましょう」
この時の自分は冬に備え、少しでも布を集めようと躍起でした。
幼児は大人に比べ、体温の調節が苦手です。セドル君が無事に冬を越えられるかどうかは、自分の頑張りにかかっています。
「はぁ、旨い。久々にたっぷり水が飲めたよ」
「毎度あり、です。脱水に気を付けて、今後もご贔屓に」
どこの集落も、水の管理は非常に厳しいみたいです。喉が渇いた時、好き勝手に水を飲めるという訳ではありません。
体を洗う水も、相当に節約を強いられているようです。なので、水運び商売は普通に成り立ちました。
「足袋は煮沸して、消毒した後に川でよく洗って……」
足袋というのは、いわば靴下です。布をぐるぐると包帯のように足に巻き付け靴を履くのが、当時のサバトの文化でした。
そのままだと水虫や雑菌などがついて物凄く汚いので、しっかり熱湯消毒しないと使い物になりません。
「トゥーちゃん。これ何に使うの?」
「上着の外に縫い付け、防寒性を高めます。サバトの冬は厳しいので、早めに備えないと」
他人から譲り受けた布を消毒し、重ね、防寒具を作り上げる。
こうして自分達は、スラムのような劣悪な環境のキャンプ地で、必死に生きていました。
「シルフ様がお呼びだ。トウリ・ロウ」
「……了解です」
自分がキャンプに帰還してから、1週間。
再び自分は、シルフ・ノーヴァに呼び出されました。
「また、出撃ですか」
「いや、単に貴女と話がしたいだけだと聞いている。……前の作戦の褒賞じゃないか」
「もう粉ミルクを頂いているのですけど」
どうやら出撃ではないらしいので、それは良かったのですが……。また、セドル君のご機嫌が悪くなります。
しかしエライアさんとシルフの呼び出しには、立場上応じねばなりません。
自分は溜息を吐いて、セドル君の頭を撫でました。
「……すみませんセドル君、少し自分はお出かけします」
「ダメ」
「今回は、すぐに帰ってきます」
「いや」
いつも、出撃する時はこれが大変です。
自分はセドル君を抱いてあやして、何とか了承を取り付けたのでした。
「よく来たなトウリ」
自分はエライアさんに連れられる形で、司令部内のシルフの私室へと案内されました。
ベッドとロッカーが置いてあるだけの狭い部屋ですが、個室を与えられている事からも彼女は相当権力を持っていると思われます。
「キャンプの暮らしはどうだ」
「いち衛生兵として申し上げるならば、早急な環境の改善が望ましいです。特に、防寒面と清潔面の改善は必須です。冬には死者が出ますよ、あの状況では」
「……む、そこまで劣悪か」
「一度、ご自身の目で視察なさってはいかがですか」
「検討はしてみよう」
シルフとは開口一番、そのような会話を交わしました。どんな無茶を言われるかと思えば、自分のキャンプ生活の探りですか。
……エライアさん曰く彼女は、改革に積極的に取り組んでいるらしいです。
もしかしたら、難民キャンプの現状を調査すべく自分を招集したのかもしれません。
だとすればありがたい話です。
「さしあたって、キャンプ地の民が求めていそうなものはなんだ」
「第一に、安全な水や食料。第二に、治安でしょう。窃盗など軽犯罪が多発しているのに、見張りの兵士に訴えても管轄外だと撥ねつけられます」
「何? ……見張りの兵士には、犯罪者を取り締まるよう命令が出ていたはずだが」
「犯人を現行犯で確保し連れて行けば、捕縛してくれます。犯人が不明だったり、犯人が逃げた後にしらを切っている場合は不介入なケースが多いです」
「……はぁ。分かった、それも対応してみよう」
見張りの兵士も人手不足なのか、勤務態度がかなり悪い印象です。
民衆の事を見下しているのか、明らかに年上の老人に対しても高圧的な態度で話しかけてきます。
仕事も雑で、何なら目の前で窃盗が起きても、犯人を追いかけてくれないことすらありました。
「エライア、今のトウリの話がどこまで真実なのかお前の部隊で調査しろ。ちゃんと信用に足るメンツを選んでな」
「分かりました」
「はぁ。士官学生や徴兵年齢前の者を、大量に徴用したツケだな」
自分は、現状のキャンプ地の問題をシルフに報告していきました。
彼女は、それなりの権力者であると予想できます。
少しでも、セドル君にとって暮らしやすい環境になってほしいものです。
「治安の問題は対策を練るとして。水はともかく、食料に関しては北部決戦で余った大量のレーションが配布されているはずだが」
「期限切れのものばかりでしょう。先日、腹を下し血下痢をまき散らし、衰弱死しかけたものが出ました」
「あー、まぁ腐っているのもあるよなぁ」
「密封が甘い粗悪品が混ざっているようで、それが食中毒を起こしているみたいです。品質の管理を徹底すべきです」
「……頭が痛くなってきた」
こういう苦情も見張りの兵士に報告したのですが、曖昧な返事しかもらえませんでした。
因みにその衰弱死しかけた人は、アニータさんが治療して事なきを得たそうです。
放っておいたら本当に死んでたと仰っていました。
「かなりキャンプ生活での不満は高まっています、いずれ爆発するかもしれません」
「堪えてくれ、やれるだけのことはやるから。元の村で、賊に襲われ殺されるよりはましだろう」
「それは、そうですが」
とはいえ、賊が蔓延っている元の村で生活し続けるよりかはマシなのかもしれません。
いつ賊が現れて、虐殺を行わないとも限らないのです。
「トウリ、貴様からも不満を宥めるような言い方をしてほしい」
「……命令であれば従いますが。オースティン人である自分の影響力など、ほぼ無いかと」
「そうか……」
村の人は、賊に襲われるよりはマシと必死で我慢しているのが現状です。
これが疫病などで死者が大量発生し「賊に襲われた方がまし」という状況になれば、きっとその恨みは軍に向くでしょう。
「レーションの品質管理についても、問題提起はしてみよう。兵士も口にする食べ物だからな」
「ありがとうございます。ご用件は以上でしょうか」
「あーいや、別に今のは本題じゃない。まぁ、ちょっとした雑談のつもりだったんだ」
「……雑談?」
シルフは頭が痛そうな顔のまま、自分に座れとハンドサインしました。
自分は促されるまま、シルフの正面の木椅子に腰かけます。
「本題は、先日の貴様の参加した賊討伐作戦についてだ。お前が何を考え、何を見てどう判断したかを聞かせろ」
「成程。そちらが本題だったのですね」
「ああ」
どうやらシルフは、先週の作戦における自分の行動の意味を問いただすつもりのようでした。
……つまり、答え合わせですね。
「ゴルスキィからの報告書にも目は通している。虚偽の報告などはするなよ」
「勿論です」
彼女は、少し怖い顔で自分にそう念を押しました。
「以上が、先の戦闘における自身の提案とその根拠です」
「……む、よくわかった」
自分はシルフに問われるがまま、あの戦場で見た内容とその行動を報告しました。
「トウリ、貴様は偶然にも敵の司令部がガラ空きになっているのに気づき、制圧したと。そう言いたい訳だな?」
「ええ、偶然です」
流石に『全部貴女の想定通りなんですよね』みたいな事を言う勇気は無かったので、自分は偶然上手くいったという言い方をしました。
シルフは底意地の悪そうな笑みを浮かべていますが、ここを深く突っ込んで藪から蛇を出す気はありません。
「よかろう、トウリ・ロウ。貴様、本格的に私の下で働く気は無いか」
「どういう意味です」
「そのままの意味だ。私付きの副官になれ、と言っている」
するとシルフは少し言葉を選びつつ、恐る恐るそう尋ねました。
自分に仕官をせよ、と。
「相応の報酬と権力は保証しよう。オース出身であることを含め、私が守ってやる」
「遠慮します」
「即答か」
彼女のその言葉がどういう意図かは、測り切れませんでした。
しかし、その問いに対する答えは決まっていました。
もちろん否、です。
「理由を聞いても良いか?」
「今の自分は少しでも長い時間、セドル君と過ごしてあげることが最優先です。貴女の招集に立場上断れませんが、本音を言えばずっとあの子の傍にいたく思います」
「ふむ、成程」
自分が仕官などしてしまえば、ますます彼の傍から離れなければなりません。
本音を言えば、今も彼の世話をアニータさんに任せているのが申し訳ない。
恩人であるゴムージとクーシャさんの忘れ形見を、精一杯守ってあげるのが今の自分の生き甲斐です。
「私は信頼できる部下が欲しかった。貴様は、少なくとも先の戦いで能力は示した」
「……」
「はっきり言おう。……私は今、多少強引な手を使っても貴様を手元に置いておきたいと考えている」
「自分を、随分と買っていただいているのですね」
「そりゃあもう」
彼女の言葉の端々から察するに、シルフが戦場で用意した「問題」に上手く回答して見せた自分を気に入った……という事でしょうか?
それとも、他に何かしら狙いがあるのやもしれません。
「軍で保護してやろう、その子供も。貴様と過ごせる部屋を、基地内部に用意してやる」
「……」
「話を聞く限り、随分とキャンプ地は環境が悪いようだな。どうだ、屋根とベッドのある部屋で養育してやりたくはないか」
「いえ、お断りします」
シルフはかなりしつこく、自分を勧誘しました。
何がそこまで、彼女を突き動かすのでしょうか。
「貴女の部下として軍属するとなれば、いつ自分が戦死しても不思議ではありません。セドル君には、自分の死後に世話をお願いしているアニータさんとも過ごしていただかねばならないのです」
「……」
「もし自分が戦死した場合、セドル君の扱いはどうなります。彼の一生を、貴女が世話してくれると言うのですか」
自分は、はっきりとシルフの誘いを断りました。
無論、セドル君の事を考えての拒否のつもりなのですが……。もしかしたらそれ以上に、
「はぁ……。そんなに私が憎いか、トウリ・ロウ」
「……別に、そのような」
ロドリー君を死においやった目の前の女が、思った以上に憎らしかったからかもしれません。
「そもそも、今の自分は貴女の捕虜です。勧誘ではなく、そうせよと命じればよいだけではないですか。さすれば自分は、淡々と従うのみです」
「それでは意味がない。……自らで思考して、サバトの為を考えて戦える部下が欲しいのだ」
「オースティン人である自分に、それを求めますか」
「筋違いなのはわかっている」
シルフはとても悲しそうな顔で、自分を見つめていました。
そして懇願するかのような口調で、
「今、この国は未曽有の危機に瀕している」
「首都の、暴動の話ですか」
「ああ。反政府組織の暴動により首都は壊滅し、各地に賊が溢れ出している。私は、これを止めたい」
自分にそう言って、頭を下げました。
「……貴様も、オセロの民が殺されて傷ついたのを見て、怒りを覚えなかったか」
「それは」
「貴様が私の下に居るといないとでは、恐らく被害が大きく変わる。貴様に故郷を裏切り、オースティンと戦えとは言わない。あの暴徒どもを鎮圧するまでの間だけで良い、力を貸してほしい」
そう自分に頼み込むシルフからは、企みの気配などは感じませんでした。
本当に、市民の事だけを考えているかのように感じました。
「……サバトに平和が戻ったら、その時点で退職してかまわん。子供を一人育てきれるだけの金を用意するし、安全な居住区も確保しよう。そこで存分に、あの子を育てると良い」
「それで良いのですか」
「ああ」
敵である賊と、その親玉である反政府組織の討伐。
その期間だけ、自分は彼女の指揮下に入れば良い。それさえ終われば、平和になったサバトで自分はセドル君と一生平和に暮らせる。
シルフは、そんな条件を出してきました。
「憎くはないのか。オセロ村を襲い、あの子の親を殺したという敵────『労働者議会』を名乗るテロ組織が」
「それは、無論。……憎い、です」
「だろう」
確かに、その条件なら悪くないかもしれません。
期間付きで退職出来て、生き残りさえすればセドル君とずっと一緒に生きていける。
「随分と、良い条件……いえ、良すぎる条件です。先ほども聞きましたが、貴女は自分に命令すれば良いだけなのにそこまで譲歩する意味は何ですか」
「ああ、ゴルスキィから聞いたんだよ」
そんな好条件を出してくるシルフに、自分は少し疑念を抱いてしまいました。
なので、その理由を問うてみたところ、
「貴様は一度でも是と頷けば、義理堅く尽くす性格であると。そういう輩には命令で従わせるより、納得してもらった方がよほど堅実だ」
「……」
「いくら命令しようと、貴様はセドルとやらの為ならば平気で裏切ろう。……お前に土壇場で裏切られるのはちと怖い、貴様の口から仕えるという言葉を聞きたいのだ」
と、返答がきました。
……。自分はオースティン軍の兵士であり、サバト軍に属するのは裏切りでしかありません。
しかしこの命令を拒否しても、どうせ定期的に呼び出されて従軍させられます。
それならば、
「分かりました」
「おっ」
一度だけ、この少女に尻尾を振って自由を手にするのも悪くないかもしれない。
「その条件であれば自分は、しばらくシルフ様の下に仕えたく思います」
そう、考えました。
この時のシルフの、花が咲いたような笑顔は今でも忘れられません。
こうして自分は、サバトの民間協力者という立場から「シルフ参謀大尉の副官」として本格的に従軍することになったのでした。
「そうか……、そうか! 貴様のような猛将が力を貸してくれるとは、頼もしいことこの上ない! よろしく頼むぞ、トウリ・ロウ」
「……猛将?」




