89話
「お見事です、イリゴルさん」
「……」
やはり、この日の自分は絶好調でした。
自分の放った銃弾は狙った通りに、敵の額へ吸い込まれていきました。
「お前こそ、よく当てたな」
「たまたまです」
その後、自分は銃を拾う時間を稼ぐため、民家に向けて威嚇射撃を行いました。
射程距離ギリギリですし駄目元で狙い打ったのですが……、幸運にも民家から警戒していた敵を仕留めることが出来ました。
これで射線管理がだいぶ楽になりましたね。
「ん、ここが良い位置取りですね。このゴミ箱の裏に伏せましょう」
「……本当に敵が、この道に来るのか?」
これで我々だけで、一気に3人仕留めたことになります。
流石に無視はできなくなったのか、読み通りに敵はこの下水に詰めてきました。
「……来ましたよ。セド君、シーッです」
「あい」
ここまでは、狙い通りの展開。
後は、敵が通るルートで待ち伏せし、仕留めるのみ。
……の、筈でしたが。
「まさか、やりすごせるとは」
「奴等、裏を覗きすらしなかったな」
敵は、ゴミ箱裏に隠れた自分達に気づきすらしませんでした。
ゴミ箱で息をひそめる自分たちの目の前を、3人ほどの男がドタドタと足音を立てて走り去って行きました。
あの人たちは警戒という概念を持っていなさそうですね。
「こっちの方が都合が良い、より忍び込みやすくなった」
「ええ」
気付かれずに済むなら、それに越したことはありません。
スニーキングが一気に楽になります。
「すぐこの小道を駆け抜けましょう。今ならば、敵に捕捉される前に貴方の家に飛び込めます」
「ああ」
自分達は敵をやり過ごした後、まっすぐイリゴルの家へ走りました。
幸いにも、見つからずにイリゴルの家にはたどり着けました。
「裏から入るぞ」
「了解です」
イリゴルの家は、少し旧い作りの豪邸でした。
彼の案内に従い、自分とセドル君は裏口の窓から家に入りました。
「カノ姉さんの容態はどうだ!」
「おぉイリゴル、さっきからカノゥが息をせんのだ……」
「……なんだって!?」
家に入ると、胸を押さえた女性が床に寝かされているのが目に入りました。
唇は真っ青で、殆ど動いていません。
「イリゴル、お姉さんに人工呼吸を。……イリゴルのお母さん、煮沸した清潔な水などはありますか」
「……いや、ありゃあせん。今から湯を沸かすわぁ」
「お願いします」
自分はイリゴルの母らしい人に指示を飛ばした後、倒れた女性の服をずらし、創部をアーミーナイフで切り裂きました。
もはや一刻の猶予はなさそうなので、手術しながら状態を確かめようと思ったからです。
「……」
「おいどうした、衛生兵!」
「……これはかなり厳しいです、最悪の事態も覚悟しておいてください」
自分が胸を刺した瞬間、鮮血と共に大量のゼリー状の凝固血が噴き出してきました。
どうやら銃弾が心臓を掠って、内膜を抉っていたようです。
心膜内に大量の血が貯留していたのでしょう。
「何とか助けろ、頼む」
「やるだけやってみます」
前世だと心臓内膜切開なんて凄い大手術ですが、この世界では【癒】があるので強引にアプローチできます。
幸いにも、心臓そのものは無事でした。弾は掠っただけみたいです。
「……」
銃弾は背へ貫通しており、血を掻き出して【癒】をすれば治癒可能でした。
銃創などで出来る小さな傷は、内臓破裂しない限り【癒】だけで十分なのです。
心臓は止まっていたものの、マッサージをすれば再び動き出してはくれました。
「……心臓は、治りました」
「助かるのか!?」
「いえ」
しかし、自分に出来るのはここまででした。
確かに心臓は、元通りに動かす事が出来ました。
「姉さんが起きないぞ」
「ええ、もう目覚めることはありません」
しかしこの女性に、再び意識が戻る可能性はなさそうでした。
「……脳死、ですね」
「何だそれは」
血は糊のように粘っこく、血流が滞ると容易に固まってしまう性質があります。そして血管の中で固まってしまうと、血栓と呼ばれる物質になります。
血栓は様々な血管を詰まらせ、その先の臓器を壊死させてしまいます。
例えばこの女性のように、固まった凝血塊が頭に飛んで脳が壊死してしまったり。
「反射が出てません。……もうこの方が、話す事や歩くことは無いでしょう」
「────っ!!」
自分が淡々とそう告げると、イリゴルは自分の胸ぐらを掴みあげ、そして殴りつけました。
仰天したセドル君が大声で泣き、老婆は慟哭し、家は阿鼻叫喚に包まれました。
……冷静なのは、自分一人でした。
「自分を殴って、気は済みましたか?」
「────」
ここで自分は、敢えてイリゴルを怒らせる言い方をしました。
いっそのこと、怒りを自分にぶつけた方が立ち直りが早いと思ったのです。
「自分は貴方と合流してから、お姉さんを救うためベストを尽くしたつもりです」
「……んな事は分かってる!」
「では、早く平静を取り戻してください。貴方にはまだ、守るべき母親がいるでしょう」
自分は、イリゴルに「無茶を言っている」自覚はありました。
家族を失って、すぐに立ち直れる人間などいる筈がありません。
ですが冷静さを欠いたまま行動すれば、余計な被害が増えるだけです。
「自分の背にも、守りたい子がいます」
「……」
「家族も故郷も何もかも失う前に、落ち着いてください。まだ守るべき人がいるというのは、幸運なんです」
自分は殴られた顔の痣を治療しないまま、きっぱりとイリゴルにそう告げました。
「……姉をこんな風にしやがった、賊どもを皆殺しにしたい」
「たった一人で、ですか?」
「無理なのは承知だ、だが一矢報いたい。この手の銃で、奴等の数人を縊り殺してやりたい」
イリゴルは悔し涙を目に浮かべ、声を震わせて呟きました。
「俺が士官を蹴って故郷に戻ったのは、姉の嫁入りを見たかったからだッ!!」
「……」
「チクショウ、あいつら、舐めやがって! 何が革命だ、何が大志だ────」
……その感情は、よく理解できました。
自分だって、家族の一員のように扱ってくれたゴムージ夫妻を殺された憎悪はずっと胸の奥にくすぶっています。
セドル君を無事な場所まで運んだ後……、きっと大泣きして取り乱すくらいには。
ですが。
「それは……母親の命より大事な事ですか」
「……違う」
……まだ、自分達にはやるべきことが有るのです。
イリゴルは姉の為、この家に来た賊を縊り殺しました。
彼が銃を使わずに賊を殺したので、外の賊に勘づかれていないだけです。
しかし仲間がいつまでも戻ってこなければ、じきに調べに来るでしょう。
つまり自分たちは一刻も早く、この家を離れなければいけません。
「お袋、今からこの4人で村から脱出する。カノ姉さんは……」
「おお、おぉ……。カノゥ……」
「ベッドに寝かせておいてあげましょう」
イリゴルが脳死となった姉を寝かせている間に、自分は裏口の周囲を偵察しました。
……下水から自分たちが消えているのがバレたらしく、敵の警戒が強まっていますね。
慌ただしく賊が走り回って、自分たちを探しているのが見えます。
我々を炙りだしたいのか、火を放たれている家もありました。
「……外の様子はどうだ、オース」
「今、脱出するのは厳しいですね。かなり警戒が強まっています」
「ならどうする」
「籠っていても、この家に潜伏しているのがバレればおしまいです。タイミングを窺い、強行突破するしかないでしょう」
「強行突破だと? 母の体力じゃ危険すぎる」
この家に着くまでに派手に暴れたからか、賊は目を血走らせ我々を捜索していました。
家探しも始めている様子ですし、じきにこの家も探しに来るでしょう。
「タイミングは、自分が計ります。なるべく警戒が少ない瞬間を狙って、村の外まで脱出しましょう」
「無茶だ、無謀だ。この家に隠れ、奴らの捜索をやり過ごしてからの方がいい」
「彼等は今、民家を燃やして回っています。もう、なりふり構っていなさそうです」
「……」
燃やされている家を見て、ドクン、と自分の鼓動が早くなりました。
恐らく賊が民家を燃やし始めたのは、銃をもった我々が潜伏したからです。
……自分達が、巻き込んだようなもの。
「貴方が同行を拒否するなら、自分は独りセドル君を背負って出ていきます」
「……チクショウ」
「このまま立て籠るのが良策とは、とても思えません」
村の被害を増やした以上、何としても生き残らねばなりません。
今だけは落ち込むんじゃなくて、前を向かねば。
「だがお袋の足じゃ、まず逃げ切れない」
「……殺せばいいじゃないですか」
先ほどの賊から奪った銃の残弾は、4発でした。
これだけあれば、十分に戦えます。
「数人も殺せば、奴等は怖がって追ってきませんよ。彼らの目的は制圧ではなく、略奪ですから」
「セドル君。また、お静かにお願いしますね」
「……うん」
「また目もつぶっていてください。自分との約束です」
我々4人は数分後、イリゴル家を出ました。
人目がこちらに向いてない瞬間を見計らい、裏口の窓から飛び降りました。
「居たぞ!!」
「ん……、見つかりましたか」
「流石に目立つか」
裏口から出たハズですが、自分達はあっさり敵に発見されてしまいました。
どうやら死角から、この家の裏口も見張られていたようですね。
「銃をもった二人だ! 撃て、撃て────」
「……【盾】」
敵の声がした方向では、5人ほどの賊の集団がこちらに銃を構えていました。
【盾】を展開して1射目をやり過ごした後、即座に撃ち返します。
「右から3人目は軍人あがりだ、気を付けろ」
「分かりました」
やはり賊は、軍人と素人の混成のようです。
銃を撃った後にその場で再装填している人が居れば、すぐに物陰に隠れ姿を消す者もいました。
……その姿を隠さなかった素人は、自分たちの撃ち返した弾が当たってその場に倒れ伏しました。
「……お袋、走れ!」
「は、はぁ……っ!」
イリゴルは母親を、自分はセドル君を庇いながら賊と相対し続けました。
後の我々の目標は、村の外へ脱出するのみ。セドル君を背負った自分、足の遅いイリゴルの母の脱出時間を稼ぐ為に、しばしば撃ち合わねばならなかったのです。
「イリゴル、自分は先行しています! お母さんを守ってあげてください」
「あ? お、おい何処に行く」
ですが、このままですといつか逃げ道を塞がれてしまうでしょう。
────いや、むしろもう。
そう気づいた自分はセドル君を背負ったまま、走る速度を上げてイリゴル達を置いて行きました。
「てめぇ、俺達を見捨てる気か────」
「【盾】っ」
嫌な予感がしていた、十字路の角。
案の定、そこに敵が待ち伏せしていました。
「ここに敵です、イリゴル」
「ぬ」
自分が先んじて【盾】を置いたので、敵は慌てて銃を自分に構えました。
……さて、よくタイミングを見計らって。
「くそ、待ち伏せがバレてやがる。撃てェ!!」
「よっと」
自分はそのまま、自ら出した【盾】を蹴ってバックステップしました。
【盾】を足場にすることで、急な方向転換を行う技術はかなり有用です。
これで自分を待ち伏せていた敵の、一斉掃射をうまくかわす事が出来ました。
「敵が次弾を装填する間に走り抜けますよ、イリゴル!」
「あ、ああ」
この待ち伏せに気づいてなければ、自分たちは全員お陀仏でしたね。
本当に今日は、調子が良すぎます。
「何だよあのガキ!」
「チクショウ、早く撃て」
「駄目だ、また隠れやがった!」
二発目の装填を終える前に、自分たちは十字路を駆け抜けて。
こうして自分たちは、待ち伏せしていた賊を振り切る事が出来ました。
「……敵の気配、もうありません。背後から追ってきている連中だけです」
「そうか、なら走るぞ」
そして今の待ち伏せが最後の防衛ラインだったようで、
「……くそ、逃がしたか」
「戻ってこないか、しっかり見張っていろ! 村の外に逃げたならもういい、深追いするな」
村の外まで走り抜けた後は、賊が追ってくる気配はありませんでした。
「……お二人とも、怪我はありませんか」
「ない」
村の外に逃げた後も1㎞ほど走り続け、追跡が無いのを確認し、自分たちはようやく走るのをやめました。
老婆は最終的に、イリゴルに背負われて肩で息をしていました。
「……ふぐ……ぅっ」
「ごめんなさいセドル君、もう泣いても良いですよ」
「うあああん……、ぅああああああん!!」
そして自分もやっとセドル君を地面に下し、抱きしめてあげる事が出来ました。
4歳の幼い彼は、きっとまだ両親が死んだ事もよく理解できていないでしょう。
ただ怖い目に遭っているのにずっと、声をかみ殺して耐えていたのです。
「ドゥーちゃん……っ!! 怖がっ……っ!!」
「ごめんなさい」
そんなとても頑張った彼に対し、自分は抱きしめることしか出来ません。
彼の父や母に会わせてやる事は、もう出来ないのです。
今までずっとゴムージの世話になっておきながら、何という体たらくでしょうか。
「……ごめんなさい、セドル君っ……」
しかし、これでせめてもの約束は守れました。
ゴムージの最期の、息子を守ってくれという約束を。
これからどうすればいいのか、何処に落ち延びればいいのか、何も分かりませんけど……。
少なくともセドル君は、ここで生きてくれています。
「おい、オース人。ちょっと静かにしろ」
「……イリゴル。この子は今とても、落ち着ける状況では────」
「違う」
やがて自分も、徐々に感情が制御できなくなり。
大泣きしているセドル君を抱いたまま、泣き出しそうになって……。
「ぐぁ!!」
「……へ?」
その直後。
何やら周囲を警戒していたイリゴルが、突然悲鳴を上げて倒れ伏しました。
「……え?」
「お、おお! イリゴル、イリゴル!!」
イリゴルは胸を押さえたまま、血反吐を吐いて何かを睨みつけています。
その彼の視線の先には────銃を持った無数の何かが、蠢いていました。
「……」
ああ、油断。背後から追跡が無かったから、もう敵を振り切ったと思い込んでいました。
セドル君が泣いた瞬間、感情の制御が聞かなくなって自分も一緒に泣いてしまいました。
まだここは、敵がいた場所から1㎞しか離れていない危険地域だというのに。
「動くな。余計な口を利くな。貴様らは私の命令以外で行動する事を許可しない」
見れば現在自分を囲んでいる敵は、暴徒ではない様子でした。
凄まじい数の、統制された武装集団が無表情に自分達を睨んでいました。
「……そうだな、まず両手を挙げ武器を捨て、叛意がない事を示せ」
そう、気付けば自分たちは、四方八方から銃を向けられていたのです。
何たる油断、何たる無能。偵察役は自分だった筈なのに、包囲されるまで気付かなかったなんて。
「……」
その気になれば彼らは、いつでも自分を物言わぬ肉塊に変える事が出来るでしょう。
号泣し始めたセドル君を庇いながら、自分は指示通りに銃を捨てて手を挙げました。
「さて、と。貴様らは、誰だ?」
自分たちが武装解除したのを受けて、敵の指揮官らしき人物がゆっくりと姿を見せました。
その指揮官は、銀色に輝く髪を靡かせて、武骨なサバト軍服に身を包んでいました。
「ここで何をしていた?」
……その眼は昏く、氷のようで。額には、小さな痣がありました。
自分はその少女を見た瞬間、
「早く答えろ、撃ち殺されたいのか?」
「出会ってはいけない人と出会った」ような、直感的に言いようのない憎悪と恐怖を感じました。




