208話
「そこ、湿っていて滑りやすいです」
「ゲーっ!! 何かの糞を踏んじまった」
ドクポリ解放戦線は可能な限り、敵に気づかれにくいルートを選択した。
百人という小勢であることを生かし、森林内の獣道を進んだ。
「トウリ、どうだ?」
「見た感じ、伏兵はなさそうですが……」
「よし、じゃあ進むぞ」
森林道は、視界が悪く奇襲されやすい。
ルイとトウリは慎重に偵察して、伏兵を警戒し進んだ。
「ルイ兄さん、あの丘が目標ポイントです」
「おお、もう着いたのか」
幸いなことに、道中に賊の襲撃はなかった。
……敵はこちらのルートに気づいていないのか。
はたまた、気が付いたうえで『奇襲しないこと』を選択したのか。
「ポイントに到着したらベースキャンプ設営し、塹壕を掘るんだったな」
「射線が通っていないとはいえ、警戒も欠かさずに」
「ああ」
おそらく後者だろうと、トウリは言った。
ルイは気付かなかったが、偵察兵らしき賊がチラッとトウリの視界に映ったからだという。
こちらの動きを把握した上で、動かない敵。
それが、賊が難敵であることを示していた。
「おお、こりゃいいぞトウリ」
「どうかしましたか、ジェンさん」
「フカフカの黒土だ、こりゃ掘りやすい」
一方で幸いにも、ドクポリの土は掘りやすかった。
ドクポリは穀倉地帯なだけあって、肥沃で柔らかな土壌らしい。
「今のところ、敵に動きはないです。今のうちに掘りましょう」
「おお、そうするか」
「偵察は自分にお任せを。……動きがあれば大声で知らせます」
トウリは双眼鏡で敵の陣地を注視しながら、そう提案した。
賊が攻めてくる様子がないと知って、ルイは安堵する。
しかしトウリは、
「……イヤな予感がしますね」
賊が悠然と待ち構えていることに、不安を感じているようだった。
「ひとまず、それなりに掘り進んだな」
夜になるころには、全員で隠れられる塹壕が掘られていた。
ベースキャンプも設営され、木材や水源の輸送路も構築できた。
「今日はみんなよく頑張った。敵が遠いうちに、ワインを開けちまおう」
「よっしゃあ!」
作戦の初日、ルイはメンバーに飲酒を許可した。
……これは、最初から決めていたことだった。
「トウリ、村から持ってきたパンとバターだ」
「ありがとうございます」
「ワインもどうだ」
「いえ。自分は、酔いたくないので」
敵陣とこちらのキャンプの間は、300メートル以上ある。
これだけ離れていれば、奇襲してくる可能性は低いだろう。
もし奇襲してきたとしても、まだ防衛は容易だ。
危ないのは、至近距離まで接近してからである。
「また、土の中で食事を摂る日が来ると思っていませんでした」
「俺は、初めての経験だ」
「気分はどうですか」
「不思議なことに、あまり悪くない」
その宴会では、皆がワインを陽気に楽しんでいた。
トウリは土壁を背に、ルイの隣で焚火に照らされてパンを頬張っていた。
「何だか、キャンプにでも来たような気分だ」
「……そうですか」
初めての戦場、明日には死んでいるかもしれない恐怖。
だというのにルイは、この場を楽しいと感じていた。
「戦場の夜は、もっと怖いもんだと思ってたよ」
「こんな風に、どんちゃん騒ぐことも多いんです」
そんな言葉を聞いてもトウリは怒ることはなく、小さく微笑んだ。
「戦友と酒を手に未来を語り合う。それは金銀に勝る、宝のような思い出」
「うん」
「だからこそ。失った時に、辛いのです」
ドクポリ解放戦線は、名前も知らぬ間柄の人間の集まりだった。
ただ賊が憎い、奪われたものを取り返したい、その一心で集った他人同士。
ルイという人間を旗印に、奇跡的にまとまった義勇軍。
「良い人たちですね、彼らは」
「ああ、大切な仲間だ」
彼らの思いは一つだ。だからこそ全員が、親友のような関係になっていた。
年齢も思想もバラバラの人間が、一致団結できるなんて珍しい。
「人形ちゃんに、ルイ! こんなところで何静かに飲んでるのよ!」
「……マリッセ姉さん」
「ルイ、あんたもこっちに来なさい。リーダーでしょ!」
ルイとトウリが二人並んで語っていると、ほろ酔いのマリッセが近づいてきた。
シックな雰囲気の二人が気になり、邪魔しに来たらしい。
「みんなアンタの言葉を待ってるわ。何か良い感じに言いなさい」
「お前、そんな無茶ぶりな」
「それは大切なリーダーの仕事ですね。ルイ兄さん、頑張ってください」
「トウリまで……」
マリッセの誘いを受けて、トウリも静かに立ち上がり。
ギャアギャア騒いでいるメンバーの元へ向かうべく、ルイに手を差し伸べる。
「兵士の鼓舞は大切ですよ。頑張りましょう、ルイ兄さん」
「……あー、分かったよ、やればいいんだろ」
「自分も、何か芸をして場を温めますので」
「久々に、人形ちゃんの劇が見たいわ」
……戦いの前の空気は、いつだって明るい。
どんなに絶望的な戦闘が待っていても、皆が楽しそうに振舞う。
「期待してください、あれから人形劇の腕も上げたのですよ」
「ほほー」
それはきっと、人間としての本能なのだろう。
人は『命の危機』が迫っていると察すると、どうしても落ち着かない気分になる。
「さあさ、お立合い。ふつつかながらノエル孤児院で人形奇術師の異名を頂きましたトウリの一世一代の人形劇、開演でございます」
「いいぞー!!」
だから、楽しく叫んで恐怖を誤魔化すのだ。
だからみんな、こんなにも楽しそうなのだ。
「「ひーかーりを、はなーつ、わがーそこくー」」
────兵士には現実から目を背け、気兼ねなく歌を歌う時間が必要なのである。
「敵は来ていないぞ」
「今のうちに、塹壕を掘り進めろ」
作戦二日目も、やはり敵は詰めてこなかった。
解放戦線のメンバーは、汗だくになりながら土を掘り進めていった。
「賊も、何かごそごそやってるな。連中、何をしてるんだ?」
「……最悪ですね」
賊は距離を詰めてこないものの、動きがないわけではなかった。
彼らはトウリたちのいる方向に土嚢を設置し、裏でこそこそ何かをしている。
それは、おそらく……。
「塹壕を掘り足してるのだと思われます」
「……おお」
トウリたちが塹壕戦を選択したため、賊も塹壕を掘り出したのだ。
無理に打って出ず、地盤を固めることを選んだのである。
「冷静すぎます。少なくとも、従軍経験者がいるでしょう」
「そうか。敵にも、戦争経験者が」
「しかも『分かってる』指揮官ですね。こちらの進行ルートを包み込む、嫌らしい掘り方です」
そんな賊の塹壕を見て、トウリはげんなりとした。
どうやら、イヤな掘られ方をしているらしい。
「このまま進むのは不利ですね。ルートを考えなおさないと」
「どうするんだ?」
「ちょっと東に遠回りしましょう」
敵はただの賊でないことは明白だった。
従軍経験者のトウリが、顔をしかめるような采配。
無策で突撃していたら、どうなっていたか想像に難くない。
「なぁ、俺たち勝てるのか?」
「自信がなくなったなら退きましょう。もとより、勝ち目は薄い戦いです」
「でも、こんなに援助してもらっておいて退くなんて。何を言われるか」
「命に勝る宝はありませんよ」
このまま塹壕を掘り進めば、あと五日ほどで交戦範囲に達する。
そうなれば、いよいよ命の削りあいが始まる。
「それに、敵の前に姿を見せるだけでも意味はあります。略奪を抑止できますので」
「そう、かな」
「我々が穴を掘っているおかげで、どこかの村が略奪されずに済んでいると思いましょう」
トウリは、そう言ってルイを慰めた。
ドクポリ解放戦線のおかげで、略奪を未然に防げた可能性がある。
確かにそれは、事実だろう。
「だからギリギリまで対峙して、引き返すのも一興です。賊に対応を強いた、それだけで戦果としては十分」
「……俺は、妻を取り返したいんだが」
「無論、いけそうであれば全力でお手伝いします」
そうは言うが、ルイの目的は攫われた妻の奪還だ。
ちょっと賊に嫌がらせをしただけでは、気が済まない。
「ただそれは、勝ち目がある場合にしましょう。……分かっていますね」
「ああ」
だが、実際に賊と相対してみると。
敵が思った以上に冷静で、狡猾なことが分かった。
「トウリ。前に言ったな、敵がどこかの正規軍である可能性があると」
「言いましたね」
「……その場合、敵はどこの正規軍の可能性が高い? そして、狙いは?」
本当に、どこかの正規軍であるとすれば。
それはどこで狙いは何なのか、想像がつかなかった。
「何の証拠もないですが。十中八九、エイリス軍でしょう」
「エイリスって、あの島国の?」
一方でトウリには、思い当たる節があるようだった。
エイリス。それは世界大戦におけるオースティンの敵で、遠く海を隔てた島国。
「どうしてエイリス軍が、略奪なんかするんだ」
「あの国が一番、終戦に反発してましたからね。さんざんに兵士と予算を注ぎ込み、小さな植民地を得ただけに終わった国。その不満は相当だったと聞いています」
「……」
「なので賊を装い、独立国家を自称してオースティン領を切り取った……なんてあたりでしょうか」
「そんなの、侵略じゃないか!」
トウリの推測を聞いて、ルイは激怒した。
十年前に世界大戦は、終戦で合意したはずだ。
その条約を破って、エイリスが侵略しているのだとすれば……。
「ええ、侵略です。許されるはずがありません」
「何で政府は動かないんだ!!」
その侵略に対抗するのは政府の仕事。
彼らが指をくわえているから、妻が攫われた。
ルイはオースティン政府にも怒りをあらわにするが……。
「オースティン政府も、ドクポリへ兵を向けようとはしたのですよ。しかしエイリスの反発が凄まじく、承認してもらえないのです」
「そう、なのか? エイリスが、拒否を?」
「ええ、ドクポリはエイリス植民地のすぐ隣。もし軍を動かしたら侵略行為とみなして迎撃すると」
オースティン政府も出来ることなら、軍を動かしたかった。
エイリスの抗議があまりに強く、後手に回っていただけ。
「ね、臭いでしょう?」
「……そうか、そうだったのか」
「状況をご理解いただけましたか?」
「ああ。トウリは事情を、よく知っているなぁ」
ルイはそこまで言うと、ん? と一瞬だけ首をひねった。
そして、
「トウリ。そういやお前、ドクポリに旅行しに来たって言ってなかったか?」
「……え? そうでしたっけ?」
「そこまで詳しいなら、ドクポリに賊がいることなんて知ってたんじゃ」
「あ、えーっと、それはですね」
トウリが最初、旅行者と名乗っていたことに違和感を覚えた。
今の話を知っていれば、ドクポリが賊の根城であることなど明白である。
その矛盾をトウリに突きつけると、彼女は困った顔で、
「……ごめんなさい。自分は、一般市民を装って賊の拠点を偵察していたのですよ」
「え。じゃあ、トウリは、政府の人?」
「厳密には違うのですが……。詳しくは、内緒です」
シーっと、唇に指を当てて誤魔化した。
「あの日は、賊の拠点を調べた帰りだったんですよね。攻略するには、一個師団くらい要るなと思ってたら……」
「俺たちと遭遇した、と」
「はい。たった百人で突撃しようとしてる貴方たちを見かけ、警告のため接触したのです」
その説明を聞いて、ルイは得心が言った。
トウリはただの元衛生兵にしては、事情を知りすぎていると思っていたのだ。
「……お前まさか、諜報員やってんの?」
「さあ、内緒です。シーっ、です」
おそらくトウリが、戦時中に衛生兵をしていたことは事実。
そして戦後、何らかの諜報機関に入ったのだ。
────それで、あんな物言いをしていたのか。
「分かったよ、聞かない。じゃあお前、仕事をほったらかしていいのか」
「良くないですよ。あなた達が警告を聞かなければ、見捨てる気でした」
彼女が密偵か何かであれば、戦いに参加なんてできないはず。
ルイと別れ、情報を報告しに戻るべきだ。
「……まさかルイ兄さんがいると思ってなかったのです」
「トウリ?」
しかしトウリは、ルイについていくことを選んだ。
偵察任務を切り上げ、命がけで戦うことに決めた。
その一番の理由は、
「見捨てられないですよ。マリッセ姉さんや、ルイ兄さんを」
「……そう、か」
トウリが、私情を優先したからだった。
「お前な。それで、上司から怒られたりしないのか?」
「大丈夫です。自分は誰かの命令で動いているわけじゃないので」
「命令じゃない?」
「ま、詳しくは内緒です」
そんなトウリの返答に、ルイは若干呆れつつ。
ますます謎が深まった『トウリ』という孤児院の後輩に、
「秘密が多いほうが、魅力が増すのですよ」
「なんだよソレ」
うやむやに、はぐらかされた。