204話
「……はぁ」
襲撃を延期したルイたちは、拠点としていた村に戻った。
そこから周囲を回り、スコップや木材を調達することとなった。
「うまくいかないもんだな」
「失敗する前に教えてもらえてよかったじゃない」
せっかくの決戦ムードに、水を差された形である。
しかし、戦争経験者たちの意見は無視できなかった。
「人形ちゃんと再会できた幸運に感謝なさい」
「そう、だな」
妻を攫われたルイには、焦りがあったのだろう。
誰かが死ぬ前に気づけて良かった、とマリッセは慰めた。
「人形ちゃん、外傷治療にかなり詳しいわ。ありゃ、相当な腕ね」
「そうか、そいつはありがたいな」
「私もいろいろ教えてもらえそう。……どしたの、ルイ」
トウリを褒めているものの、ルイは面白くなさそうな顔だった。
むしろ、トウリの話をしたくなさそうな雰囲気だった。
……その理由は、ルイ自身がよく分かっていた。
「……何でもないさ。俺はただ、器の小さい男ってだけだ」
「あー、ね。なんか優秀そうだもんね、人形ちゃん」
つまり男の嫉妬、である。
彼は、トウリの方が指揮官として相応しいのではと思ってしまったのだ。
「でも誰が何を言おうと、この軍のリーダーは貴方よルイ。人形ちゃんは優秀かもしれないけど、アンタほど求心力はないわ」
「そう、かな」
「ここにいるみんな、アンタの言葉に動かされてついてきたんだもの」
しかしこの集団は、ルイを中心に結束している。
彼が村落を回り、言葉を尽くして集めたのだから。
「人形ちゃんだってアンタのために、力を貸そうとしてくれてるんじゃない」
「そうだな……」
「ルイの人徳と天運ってやつよ、もっと誇りなさい」
そこまで言われたら、凹んでいる暇はない。
ルイには妻を取り返し、賊を追い払うという大志があるのだ。
「ありがとうマリッセ!! うおお、俺はやるぞ!」
「はいはい、私も死ぬまでついて行ってあげるわ」
発破をかけられ、彼の目に再び光が宿った。
そんな彼を、マリッセは微笑ましい目で見ていた。
「そうと決まれば、情報収集だ。戦争経験者から、ノウハウを学ばないと」
「そうね、行ってらっしゃい」
ルイという男は、やや短絡的で欠点が多い。
しかし素直な性分で、どこか人を引き付ける魅力があった。
だから、百人ほどの軍を束ねるに至ったのだろう。
指揮官としての素養は欠けるが、周囲が補ってやれば輝くタイプだった。
「と、言う訳で。ジェンさん、トウリ、俺に塹壕戦を教えてほしい」
「結局、塹壕戦やるんじゃな」
「分かりました、自分の知る限りですが」
思い立ったが吉日。
ルイは元兵士であるジェンとトウリの元へ向かい、教えを請うた。
「塹壕とは、どうやって作るのだ?」
「難しいことは何もない。ただ、深く穴を掘るだけじゃ。深く深く、ちゃんと頭を隠せるくらいにな」
「崩落しないよう、壁は支柱で支えます。支柱は、塹壕を駆けあがる際の足掛かりにもなります」
トウリもジェンも、戦後まで生き残った兵士なだけあって、戦いには詳しかった。
ルイは二人に教えてもらいながら、実際に塹壕を掘って確かめた。
「ルイさんルイさん、村の真ん中に穴ァ掘って、何をしよんじゃ?」
「悪い、戦争経験者の二人に塹壕について教えてもらってたんだ。後で埋めるよ」
ルイが塹壕について学んでいると、ドクポリ解放戦線の同志たちも近づいてきた。
自分たちのリーダーが穴を掘っていたのだ、そりゃあ興味も示すだろう。
「そこの小娘が、噂の新入りかい? 元兵士っていう」
「どうも、トウリと言います」
「若いなぁ……、本当に従軍経験者なのか?」
周囲を男に囲まれても、トウリは物怖じすることなく笑顔で挨拶をする。
緊張などしている様子はなさそうだ。
「自慢という訳ではないのですが。自分は、実年齢より若く見られる性質でしてね。ルイ兄さんとは一つしか違いません」
「なんと! じゃあ俺より年上か!」
「そりゃ確かに、その、あー。若いな!」
トウリはちょっとだけ自慢げに、外見の若さをアピールした。
ぶっちゃけ幼いという言葉の方がふさわしいが、そこには誰も触れなかった。
「お嬢ちゃん、衛生兵だったって聞いたけど。なんで前線に詳しいんだ?」
「あるエースの回復役として、前線に勤務していた時期があったのです」
「ほう、エースの部下だったのか! そのエースってのは誰だ?」
トウリがかつてエースの部下だったと語った瞬間、元兵士ジェンは目を輝かせた。
エースといえば、戦場では有名人だ。兵士の間で、ちょっとしたヒーローである。
有名人にあったことがある、と聞いたらテンションもあがるだろう。
「ガーバック軍曹、という方です。自分にとっては恐怖であり、憧れでもある人」
「……ガーバック、ガーバック? ああ、彼か!! 塹壕制圧で大活躍したという、あの突撃狂の!」
「知っていらっしゃいましたか」
「なんだ、本当に古株なんじゃな。東西戦争中期の突撃エースの部下だったとは」
ルイには、ガーバックという名を聞いたことはなかったが。
元兵士ジェンは大興奮して、トウリの手を握って喜んだ。
「あのガーバックの部下に会えるとはぁ、光栄だ」
「有名なのか、そのガーバックっていう兵士は」
「そりゃあ有名さ。剣撃無双、近接最強の名を欲しいままにした伝説の剣士だ」
ジェンという兵士は年甲斐もなく、ガーバックの名を聞いてミーハーに喜んだ。
彼にとって塹壕戦のエースとは、昔懐かしのアイドルなのだろう。
「なんで塹壕に剣士が? 銃の良い的じゃないか」
「……その人、剣で銃弾を叩き切るタイプの人なので」
「そんなヤツがいるか」
銃弾を剣で両断するなど、人間業ではない。
尾ひれのついた話だろうとツッコミを入れたが、
「エース格はやっとるよ、銃弾斬り。どういう目をしとるんじゃろな」
「一部のエースは出来ますねぇ……」
トウリもジェンもスっと無表情になり、どこか遠いところを見つめていた。
どうやら、デマや誇張ではないらしい。
「……本当にいるのか、銃弾を斬れる奴」
「最初は法螺話と思っていたが、この目で見たわ。遠目ではあるが、銃弾を叩き切りながら突撃するエース」
「ジェンさんもエースの部下だったのですか?」
「ええ、まぁ。ウチの大将は有名だから、トウリさんも知っとると思うぜ」
トウリに話を振られ、ジェンは穴を掘る手を止め話し始めた。
老兵である彼にとって、戦場の話は楽しくて仕方ないらしい。
「ウチの大将は、あの堕狐じゃ」
「堕狐……ですか」
「ありゃ、聞いたことがないかの? まぁ、フルネームなら分かるじゃろ」
ジェンはニヤリと笑い、自慢げに懐から軍籍票を取り出した。
それは戦時中のもので、もうボロボロとなっていたが……。
「俺は、『堕狐』ケネル・ファビアン大尉の直下部隊にいた」
「ケネル・ファビアン大尉。……げ、まさかイリス連隊の?」
「そう、あのイリス・ヴァロウの片翼だ」
「……ぁー」
彼が自慢げに取り出したその軍籍票には、確かにケネル大隊の名が記されていた。
ケネル大尉はイリス・ヴァロウの腹心の一人で、軍でも屈指の指揮官らしい(と、ジェンさんはよく自慢している)。
「俺は東西戦争時代からケネルの部下をやっていてな。最後の方は、小隊を任されていたよ」
「そ、それは……すごいですネ」
「最後の戦では、あのイリス・ヴァロウの片翼として防衛戦に参加した。どうだ、なかなかだろ」
だがルイはどちらかといえば、イリス・ヴァロウという名のほうをよく知っていた。
彼女はオースティン軍の参謀長官でありながら、自ら前線に立って戦った人物である。
ただ彼女が優秀な人物であったとは聞いていない。むしろ参謀としての能力は低く、指揮を部下に丸投げしていたという。コネで参謀長官の位を継いだのだとか。
彼女の知名度が高いのは、講和の際に英雄アルノマと抱き合った人物という意味が大きい。
平和の象徴として有名なのだ。
「ジェンさんがよく言ってた、『堕狐』ケネル大尉ってのは銃弾を切れるんだな。にわかに信じがたいが」
「いや、そっちじゃない。俺の言うエースたぁ、イリス・ヴァロウ本人の方だな」
「何、イリス・ヴァロウ? 彼女は、ただの参謀将校だろ?」
「そっちが有名だが、そもそも彼女は前線のエースだったんよ。功績を認められ、参謀将校までのし上がったんだ」
「そいつは知らなかった。てっきり、コネ人事とばかり」
「ま、実際ケネルが言うには、イリス様は前線兵士としては超一級だが、指揮官としては今一つだったんだとさ」
だがジェンの話によると、本来イリス・ヴァロウは前線のエースだったという。
その適性は指揮官ではなく、前線にあった。だから指揮は部下に任せ、自ら前線に立ち続けていたらしい。
最終決戦でもアルノマの前に布陣していたから、講和役として抱き合っただけだそうだ。
「……新聞には、イリス・ヴァロウはおとなしく優しい参謀だったと、書いてあったが」
「馬鹿いえ、ひでぇデマがあったもんだ」
ルイはてっきり、イリスは名家のおしとやかなお嬢さまだと思っていた。
しかしイリス・ヴァロウの本来の顔は、
「戦場で高笑いしながら銃弾斬って突っ込んでいく、人を殺すのが好きで堪らねぇって女だった」
「……そんな人だったのか」
「あの女が全身を血で塗りたくって突撃していく様は、今でもたまに夢に出る」
どうやらバリバリの武闘派で、先駆けて突撃していくエースだったらしい。
その平和の象徴とはあまりにかけ離れた姿に、ルイはしばし閉口した。
「と、トウリ? どうした」
「い、いえ……」
一方でトラウマでも刺激されたのか、トウリはガンガンと地面に頭を打ち付けていた。
戦場のトラウマを想起した兵士の奇行はよくあることなので、触れないことにした。
「ちょうど背丈は、そこにいるトウリ嬢ちゃんと同じくらいだったな」
「エースって、こんなに小さくてなれるか?」
「戦場だと、銃に当たりにくい小柄な体は武器なのさ。動きはすばしっこくて、ネズミのように戦場を這って……」
「あ、あの、ジェンさん。少し、聞きたいことが」
ジェンさんはそんな恐ろしいエースの話を続けていると。
トウリは言いづらそうに、ジェンの話を遮った。
「そのケネル大尉はどうして、『堕狐』って呼ばれていたのですか」
「ああ、渾名の由来かい? ケネルって男は、とにかく性格が悪くて」
「というと?」
「ミスをやらかした兵士を部屋へ呼び出し、その兵士の好物を並べて、説教しながら目の前でニヤニヤと平らげる」
「……うわぁ」
「人の欲望を刺激し堕落させる狐野郎、って意味だ。いやぁ、アレは腹が立ったなぁ」
……確かに、性格が悪い指揮官だった。
「そいつはさぞ、部下から忌み嫌われてたんじゃないか?」
「ところがどっこい、ケネルは人心掌握も上手くてな。よくやったやつには褒美を惜しみなく与える面もあった」
「ほう」
「そもそも他の指揮官は、やらかしたら死ぬ手前まで殴るんだ。ケネルは医療費の無駄だって、そういう罰にしてただけで」
「へえ、それは良い指導ですね。ケネル大尉がそんな人とは、知りませんでした」
ジェンさんから『堕狐』ケネルの話を聞いたトウリは、感心した声を上げた。
……確かに性格は悪いが、指揮官としてはかなり優秀なように聞こえる。
「じゃあトウリよぅ。ガーバックってエースは、どんな人だったんだ?」
「ガーバック小隊長ですか。彼はとても暴力的で、苛烈な人でした」
「あー、さてはブン殴られたな?」
「数えきれないほど。何度泣かされたか分かりません」
いつしか塹壕掘りは中断され、戦場帰りの二人の男女が、かつての思い出話に花を咲かせ始めた。
そんな二人の元兵士の話を、みんな食い入るように聞いていた。
貴重な『実戦』の経験談は、これから塹壕戦を行う彼らにとって、何より必要な教養だ。
「塹壕戦は地獄だったが、素晴らしい戦友がたくさんいた」
「ええ。自分も、戦友には恵まれたと思っています」
ルイには二人が、戦場を怖がっているように見えなかった。
むしろ、戦場を恋しがっているようにすら聞こえた。
「お二人は、戦争中に時間を戻せるってなったら、戻るかい?」
「そりゃ戻るに決まっとる」
「……自分もきっと、戻るでしょうね」
塹壕戦は本当の地獄だったと、戦場帰りの酔っ払いによく聞かされた。
しかし話を聞くと、ほとんどの兵士は栄光時代を自慢するような口ぶりで語る。
「ほほう。なんだかんだ言って、君らは戦場が好きなんだな?」
「ああ、いえ。決してそういう訳ではありませんよ」
いやなこともたくさんあったが、嬉しいこともたくさんあったのだろう。
そういう意味で、ルイは二人にそう聞いてみた。
「戦場が楽しいわけあるかい、ずっと言っとるだろ。地獄よ、地獄」
「これから戦いに行く人の前では言いにくいですが。……あんなもの、いいことなんて一つもありません」
二人は目を見合わせた後、苦笑して首を振った。
ジェンが煙草の煙をプカァと吹かし、何とも言えぬ香りが漂った。
「じゃあ何で、二人は戦争中に戻りたいんだ?」
「戦友に、もう一度会えるから……でしょうね」
クスリ、と。トウリは遠い目で、そういって微笑んだ。
「一目でいい。死ぬ間際、数分だけでいい。もう一度、話をしたい人がいるんです」
「……そうか」
「それが叶うなら、もう一度あの地獄に戻ってもいいと思えるくらい。今の自分を見て、あの人が何て言ってくれるのかなって、気になって」
そう言うとトウリは、遠くドクポリの方角を眺めた。
……その瞳のどこか、哀愁の中に親愛の情を感じた。
「俺ぁ、ちゃんと死ぬべき時に死んどきたくてね」
「ジェンさん?」
「俺の判断ミスで、部下が全員、おっ死んだ戦いがあってさ。その時に正しく指揮をしていたら、死んでたのはきっと俺だけで、部下はみんな生き残ってた。……俺が戻りたいのは、その時さ」
ジェンはそう言うと、煙草を大きく吹かしてそっぽを向いてしまった。
────トウリも、ジェンさんも、二人とも戦争中に何かを置いてきてしまったのだろう。
その失ったものを取りに行きたくて、戦争中に戻りたかっただけらしい。
「それで、ルイ兄さん。一つ、忠告を」
「なんだ、トウリ」
「この先、兄さんは『今この瞬間』に戻ってきたくてたまらなくなるかもしれません。このドクポリ解放戦線が勝利したにしろ、です」
「……」
「後悔しないよう、入念に準備をしてくださいね」
話の最後に、トウリはそういってルイを見据えた。
未来のルイが、今、この瞬間に戻ってきたくてたまらなくなる可能性がある。
その言葉に、ルイはハっとした。
「そうだな。いや、ありがとうトウリ」
「いえ、出過ぎた言葉でした」
ルイの握りしめたスコップには、まだ新しい泥がたくさん付着していて。
その周囲には、彼を慕って集まったたくさんの仲間がいる。
「……何よ、私の顔なんか見て」
「いや、なんでもない」
しかしルイは、トウリの言葉を聞いて。
────家族のように大事な女性。マリッセの顔を、思わず凝視してしまった。