198話
────ああ、それと。俺はオースティンを勝たせるための策を、クルーリィに宛てて残している。
────機密保持の観点から、詳細については記さないけどな。
自分はその、ベルンの遺書を読んだときに眩暈がしました。
────お前はただ、時間を稼げばいい。そしたら勝手に勝っているはずさ。
彼の遺書には具体的な策なんて、何も書かれておらず。
詳細はクルーリィ少佐に伝えているから、ただ時間を稼げと書かれていたのです。
こんな遺書を読まされて、どう納得しろと言うのでしょうか。
『クルーリィ少佐、遺言書は読み終わりました』
『おお、どうでしたか』
ただ、一瞬だけ考えて。
あの男の『最悪さ』を思い出し、自分は気づいてしまいました。
『確かにアレなら勝てますね』
『おお、そうでしたか、やはり、ベルン様は天才だ』
ベルン・ヴァロウの狙いがそうであるなら、文面に残せるわけがない。
だとしたら、クルーリィ少佐にも同じ文面が書かれているのではないかと。
『イリス様がそうおっしゃるなら、勝利は間違いない』
『……ええ』
あの男の手紙にしては、感傷に恨み節と無駄な文面が多すぎました。
この手紙は、きっとそのまま読むべきではありません。
裏の意図を読め、と言外に言われた気がしました。
『私の遺言には遺策の中身がなくて不安だったのです。詳細はイリス様に伝えてある、とだけ』
『……』
『私宛に何も書かれていなかったのは、策の中身を私が知らない方が良いから。ですね?』
『……ええ、そんなところです』
自分はベルンの死の間際の行動から、裏の意図を読み取りました。
死んだ人間が、リアルタイムで動く戦場で有効な策など提案できるはずがありません。
だから彼の遺した策が、『具体的な戦術』ではありえない。
そして、わかりやすくつらつらと綴られた『シルフへの恨み節』。
これはシルフを利用するという『意図を読めよ?』と、ベルンなりのキラーパスだったのでしょう。
だから彼の遺書には、自分とクルーリィ少佐のどちらにも、『もう一人にだけ遺策を伝えておく』と記されていたのです。
もし二人とも意図を読めなかったなら、すぐ『お互いに真の策の内容』を確認しあい、ベルンの遺策がスカであることを知るだけ。
逆にどちらか片方だけ遺策の中身に気づいたなら、その人間が作戦を主導できます。
これは『裏の意図に気付けないような人間であれば、作戦を遂行しきれないだろう』という足切り。
『では、ベルン様の策はお任せしますぞ。貴女にしかできないと、ベルン様は信じ託したのですから』
『ええ、任せてください』
おそらく、クルーリィ少佐は裏の意図に気づいていません。
本当に、何か素晴らしい作戦がベルンの脳内に描かれていると信じてやまなさそうです。
『自分が、オースティンを守って見せます』
であれば現在、オースティンを勝利に導けるのは自分だけ。
────だから自分は、参謀長官となったのです。
連合軍を率いるシルフに、戦術面で勝つのではなく。
シルフの大義を奪い、彼女に負けを選ばせる。
それがベルン・ヴァロウの残した、オースティン勝利への道でした。
シルフの性格、背景を知り、彼女の『指揮能力』を信じたからこそ実現したベルンの奇策。
彼女は悲しいほど天才で、苦しいほど純粋で、愚かしいほど善性でした。
シルフ・ノーヴァが戦う理由は、自らの栄誉のためではありません。
ただ、自分を見捨てた祖国サバトの平和と安寧だけを願い、戦い続けてきたのです。
そんな彼女だからこそ、この策は刺さりました。
サバトから援軍が来た時点で、シルフは大いに悩んだでしょう。
オースティンを占領しても、サバト対連合という構図で戦争が続いてしまう可能性があったからです。
そんな中シルフは、レミから受け取った書状にたくさんの写真が同封されているのを見てしまいました。
ヨゼグラードの戦いを乗り越え、活気あふれる市街地。
復興しつつある産業に農業、清潔な街路、肥沃な田園。
……シルフは、労働者議会の政権が想像以上に良政を敷いていることを知ってしまったのです。
しかしシルフはまだ、折れませんでした。
労働者議会の考えは歪だ、いつか破綻するだろうと信じて戦いをやめませんでした。
いえ。『戦いをやめたら自分自身を否定してしまう』ことになるので、やめられなかったのです。
なので彼女はオースティン兵が守る陣地を重点的に攻略し、ウィンまで一挙に占領する計画を立てました。
サバトを愛する彼女は、民を大事にしているシルフは、同胞であるサバト陣地を攻撃したくなかったのです。
オースティン相手に一瞬で圧勝してしまえば、労働者議会も降伏するだろうとの考えでした。
しかし、彼女の渾身の奇策『変装浸透』はすんでのところで上手くいかず。
ウィン攻略戦はずるずると、長期戦の様相を呈し始めました。
そして連合側が彼女に『サバト兵への攻撃』を求めたことで、心が折れてしまったのです。
────このまま戦い続けたら、シルフはサバトにとって『死神』にしかなれないのですから。
シルフが俗な人間であれば、そのまま旧政府の指揮官として戦い、血みどろのサバトで権力を得ようとしたかもしれません。
しかしシルフ・ノーヴァは、我欲に飲まれる人間ではありませんでした。
いつまでも純粋で、まっすぐで、狂おしいほどに善性の────
戦争に狂わされただけの、まともな人間だったのです。
「シルフ。貴女はこれから、どうしたいですか」
「これから、だと?」
連合側は、シルフという人間をよく理解していなかったのでしょう。
彼女は父親を戦争で失ったその日から、サバトを救うための機械になっていました。
シルフなりに迷い、苦しみながら、正しいと信じた道を歩み続けました。
だけど、その信じた道の先を悪意に踏みにじられて、目標を失ってしまいました。
「貴女が望むならば、自分の立場から貴女の行動を公表して────」
「いらん。馬鹿にするな」
シルフはそう言うと、小瓶をポケットから取り出してグビリと一気飲みしました。
……おそらく、ヴォック酒でしょう。
「もはやサバトに私の居場所などない。ヨゼグラードで、いくら同胞を殺したと思っている」
「ですが、それは」
一息に飲み終えた彼女は、顔を赤らめ、瞳に涙を浮かべていました。
そして、吐き捨てるように、
「私の身柄は好きに使え。拷問にでも何でもかけろ。欲しい情報があるなら何でも喋ってやる」
「シルフ……」
「ただ、一つだけ要望があるとするなら。私の処刑は、ヨゼグラードでやってくれ」
「……」
「死ぬ前に、復興した祖国の街並みを見たいんだ」
そういって、顔を伏せました。
銃声と怒号が、周囲に響く。
シルフの守る塹壕陣地の周囲も、味方により確保されていったようです。
史上稀に見る大勝利。オースティン・サバト連合の大逆転です。
「そろそろ、戦いも終わりですね。シルフ・ノーヴァとその配下を拘束し、収容所へ連行してください」
「わかった、トウリ」
シルフやその部下は、抵抗せず縄を受けました。
その中には彼女の副官、エライアさんの姿もありました。
「シルフ。何か他に自分に、言っておきたいことはありますか」
「ない」
これで、オースティンの勝利は確定です。
天才を失った連合側など、もはや脅威ではありません。
ここからは何度攻めてきても、オースティンの防衛網は破れないでしょう。
「これで、終戦だ」
となれば、連合軍はオースティンと講和するしかない。
……ベルンの思い描いた勝ち筋は、ここに成ったのです。
「……ああ、くそ」
シルフは誰に向けて言うでもなく、ただ空を見上げ、
「地獄に行ったら、ベルンとやらを探さねばな」
「……会ってどうするんですか」
「地獄を見せてやる」
そう、小さな声で呟きました。
こうして、オースティンは奇跡の勝利を手にしました。
これは連合にとっては、兵力の殆どを注ぎ込んだ遠征です。
その渾身の一撃を失敗しては、戦争を続けることはできないでしょう。
あとは、戦後の処理をフォッグマン首相が上手くやってくれることを祈るばかり。
戦争は終わった、平和な時代が来る。
────そう、思っていたのです。
「トウリ、司令部から命令だ」
「おそらく、作戦終了の合図でしょう」
クルーリィ少佐は、ベルンの腹心として優秀な参謀でした。
ベルン亡き後は事実上の参謀長官として、オースティン軍の作戦本部を一手に運営していました。
ただ惜しむらくは、ベルンの影響を『受け過ぎていた』ことでしょう。
『こちら司令部クルーリィ。イリス連隊に問いますが、何をしておいでですか?』
「敵将シルフ・ノーヴァと思しき人物を拘束。その部下全員を確保していました」
『おお、それは素晴らしい』
シルフが奇襲を好んでいたように、ベルン・ヴァロウにも得意戦術がありました。
それは彼がさんざんに使い倒した、怪物の勝利の秘訣とも呼べる戦術です。
『ではシルフ・ノーヴァ以外は価値はないので、即座に射殺してください』
「……へ? 既に、拘束を終えているのですが」
『追撃の邪魔でしょう。シルフ・ノーヴァを確保する小隊のみ残し、再び前進してください』
「前、進?」
『何を言っているのです、貴官らしくもない。今は、追撃の好機でしょう』
ベルンの勝ちパターン、それは変幻自在の策略を以て敵軍を『敗走』させたあと。
逃げた敵を執念深く襲って多大な被害を出す、いわゆる『追撃』のスペシャリストだったのです。
『ここまで理想的な追撃ができるチャンスなど、もう二度と来ない。さあ』
「ちょっと、ちょっと待ってください。前進ってなんですか、これ以上は構築した防衛ラインを越えてしまいます」
『我らにはサバトからの援軍が三万もいるのですよ。これだけいれば国土を取り戻し、フラメールを再び国境に追い詰められる』
それは、本気の声でした。
クルーリィ少佐は、この千載一遇の大勝に浮かれ『追撃』を全軍に指示したのです。
「だめです、クルーリィ少佐。今の戦力で、追撃なんてしたら凄い被害が」
『何を仰る。かつてベルン様は、もっと少ない戦力で追撃を成功させましたよ』
「それはベルン・ヴァロウだから出来たことです! そもそも今、連合軍に追撃する必要がありますか」
『あるにきまっているでしょう!? ベルン様を撃った賊どもに、思い知らせてやれる好機ですよ!』
確かに、ベルン・ヴァロウはかつて少勢でも追撃したことはありました。
ですがそれは、オースティンを守るために必要だったからです。
今、この防御側の有利を捨てて、追撃というリスクを犯す価値なんかありません。
『敵を殺すチャンスです、相手を蹂躙する好機です。イリス様は、兄君を殺した敵が憎くないのですか!』
「我々は私怨で戦争しているのではありません! この追撃は意味がない、恨みを買って講和が遠のくだけ!」
『せっかくの大勝、生かさねばもったいないでしょう。私はずっとずっと待ち望んできたのです、ベルン様を殺された復讐の機会を!』
「貴方は感情で戦争をしてるのですか!? ここで終戦、そして講和。それが落としどころでしょう!」
『……はあ。残念ですイリス様』
自分はクルーリィ少佐へ、まくしたてるようにそう言うと。
通信機の向こうから、落胆した声が響きました。
『やはり貴女には兄君ほどの才覚はないのですね。所詮は、民間上がり』
彼の言葉に、目が眩みそうでした。
クルーリィ少佐は、何も見えていない。
そう言えばベルンの生前、オースティン参謀本部はずっと彼のワンマン運営でした。
その理由はおそらくクルーリィ少佐を含め、他の参謀将校はあまりにも────
『ベルン様がいたら、間違いなく追撃を選択されるに決まっています』
「ベルンがいたら追撃など絶対にしません! せっかくの勝利をどぶに捨てる気ですか!」
目が曇っているからです。
『もういい、分かりましたイリス様』
彼らは浮足立って逃げているだけで、その戦力はまだまだ強大。
消耗しきった我々の方が、圧倒的少勢なのです。
塹壕もない平地で追撃戦なんてしたら、オースティンが逆にやり込められて一転窮地に陥るでしょう。
『貴女には頼りません。戦後の褒章には期待しないでくださいね』
「自分が参謀長官なのでしょう! 命令です、今すぐ兵を引きなさい!」
『失礼。通信がよくないようで、何も聞こえませんな。ではまた』
ですがクルーリィ少佐は、ベルン・ヴァロウとともに戦う幻影を追い続けるがあまり。
今、追撃したら負けるのはオースティンだということが、分からない参謀だったのです。
「クルーリィ少佐! クルーリィ少佐ァ!!!」
何度通信しても、連絡はつながらなくなりました。
通信先をヴェルディさんや、レンヴェルさんに変えても何の返事も帰ってこず。
……クルーリィ少佐が手をまわして、自分の通信をシャットアウトした可能性が高いです。
「と、トウリ?」
「ああ、ぁ」
見える。これから何が起こるか、手に取るように見えます。
オースティンの追撃は最初こそうまくいくでしょう。
しかし敵も、いつまでも混乱してくれはしません。
おそらく、追撃に来ている我々が少数であることに気付き、態勢を立て直して迎撃してくるはずです。
そうなってしまえば、負傷兵だらけのオースティン軍の追撃など、赤子の手を捻るようにはじき返されるでしょう。
防衛側の有利がなくなれば、戦力差で踏み潰されるのみ。
────再び侵攻されて、ウィンまで制圧されうる。
「あぁ、あぁぁ! クルーリィ、クルーリィ少佐の愚か者!!」
「トウリ!?」
自分は我を忘れ、半狂乱になって叫びました。
せっかく、ベルン・ヴァロウがつないだか細い勝利の糸が。
シルフがすべてを投げ出して、守ろうとしたものが。
あの愚か者の倒錯のせいで、何もかもぶち壊しにされてしまいます。
どうする。どうすればこの馬鹿な追撃を止められる。
「周りの部隊が前進を始めたぞ!?」
「ど、どうすりゃいいんだ」
周囲はもう、追撃を開始してしまっていました。
このままでは、オースティンが亡ぶ。
自分が思い切り声を張り上げて、周囲に追撃するなと言って回るしか、方法が────
「驚いた。呆れた。連合も大概だったが、オースティンもアホばかりか」
泣き叫び、パニックに陥りかけていた自分に。
冷たくも、苛立たし気な声が突き刺さりました。
「この状況で追撃? 戦力差が見えていないのか」
「……シル、フ」
「最悪だ、最低だ。そんなことをされては、私がピエロになった意味がなくなる」
振り返れば、機嫌が悪そうな塹壕の魔女が。
癇癪を起す寸前のように、額に血管を浮かべて震えていました。
「お、おい。動くなシルフ・ノーヴァ」
「やかましい」
やがて彼女は、苛立たしそうに立ち上がり。
自分の胸ぐらを掴み、頬を真っ赤に上気させて、
「私にここまでさせておいて、そんな無様が通ると思っているのか! トウリ・ロウ!」
瞼が触れ合う距離で、そう絶叫しました。
「すみ、ません。シルフ……」
「言い訳はいい! とっとと動け、この阿呆!」
彼女の剣幕に押され、思わず謝ってしまいました。
すると彼女は、機嫌悪そうに眉を曲げたまま、
「で、ですが通信は封鎖されていて。どうすれば」
「ふん」
自分の横に立って、ため息を吐いた後。
地平線の先を指さしました。
「何をすればいいか分からんなら、私が教えてやる」
「────ッ」
透き通る碧眼は、塹壕の中からすべてを見通す。
戦場に靡く長髪は、数多の戦いを経てもまったく色あせない。
「戦争を終わらせるぞ、トウリ」
「……出来るのですか、シルフ」
「ああ」
今世紀最高の『天才戦術家』シルフ・ノーヴァが。
「貴様がいるなら、どうとでもなる」
そう、言い切りました。