179話
戦闘開始から1時間が経過したころには、すでに殆どの塹壕が敵に『浸透』されていました。
オースティンの塹壕陣地は連携を分断され、防御力を失いつつありました。
こうなれば、人数で劣るオースティン軍に勝ち目はなく。
状況は限りなく詰んでいて、自分達は『撤退』か『壊滅』するしかありませんでした。
「ジーヴェ大尉、自分はどの部隊を率いればいいですか」
「え、あ、ああ……」
「時間がありません、早くしてください」
中でもエース級『大盾』を擁するB17地区は、最も深く斬り込まれていました。
もし最終ラインを突破されたら、自分達の陣地は穴の空いた風船のように崩壊するでしょう。
1人でも多くの味方を救うため、自分は撃って出るべきだと考えました。
……いえ、違いますね。
「だ、だめです。トウリ少佐は、あの男の恐ろしさを知らない!」
「ええ、自分は彼の恐ろしさを知りません」
自分の手で、エースを屠れる可能性に気付いて興奮し。
「ただし、彼より恐ろしい人なら、知っています」
「何を……っ!」
出撃したくて仕方なかったのです。
「……」
ジーヴェ大尉は、出撃すると言い出した自分に狼狽している様子でした。
……こんなところで、押し問答をしている時間はないというのに。
「上官命令です。部隊を貸してください」
「考え直してください。し、失礼ながらトウリ少佐では何も出来ないかと」
「出来るかどうかを判断するのは自分です」
「……で、ですが。……駄目です、大事な部下を少佐の自殺特攻に付き合わせる訳には────」
どれだけ要請しても、ジーヴェ大尉は首を縦に振りませんでした。
上官命令の拒否に当たりますが、彼なりに部下を思ってのようです。
どうしたものでしょうか。
「……仕方ありませんね。ガヴェル少尉!」
「ん、何だトウリ!」
本当は、訓練兵の多いガヴェル中隊の兵士を随伴させたくなかったのですが。
ジーヴェ大尉が頷いてくれなければ、仕方がありません。
「ガヴェル少尉、腕のいい小隊を一つお貸していただけますか────」
「ちょっと待ってください。トウリ少佐!」
そう考え、ガヴェル少尉に声をかけた直後、
「ジーヴェ大尉殿、俺にお任せを! キャレル小隊が随伴部隊に志願します!」
「え? お、お前が?」
「はい!」
威勢の良い声で、自分の前に駆けてきた兵士が居ました。
これはまだ若いですが、爛々と輝いた目を持つ偉丈夫です。
「地獄へのお供は、我らでよろしいでしょうか。トウリ少佐」
「……っ! 貴方は」
自分は、笑顔で敬礼してくれたその男に見覚えがありました。
……彼はおよそ1年前、あのアルガリアの戦いを共に戦った生き残り。
「まさか、キャレルですか? 一緒にアルガリアを生き抜いた」
「ええ、お久しぶりです」
何と、かつてトウリ中隊で二等兵だった兵士キャレルでした。
色々と気が利いて、優秀だった男でしたが……。
この1年で、まさか小隊を任されるまで昇進していたとは。
「この塹壕で一年、生き延びました。トウリ少佐のご指導の賜物です」
「……っ!」
この一年で彼は、たくさん功績を上げたのでしょう。
首元の階級章を見れば、キャレルは既に兵長になっていました。
去年と比べ体躯はたくましく、背丈も高くなり、顔は自信に満ち溢れています。
「また、貴女の力になって見せます」
背中を預ける戦友が、なんと心強い事か。
「貴官の勇気に感謝を、キャレル兵長。……では、貴小隊に随伴をお願いします」
「了解、トウリ少佐」
「他小隊は援護をお願いします。指揮を任せましたよ、ジーヴェ大尉」
「わ、わかった」
自分はキャレルに勇気を貰うと、鉄帽を深くかぶり、塹壕越しに敵の位置を確認して。
「────エースを、仕留めます」
塹壕壁の木材を蹴って、死臭漂う大地へ突っ込んでいきました。
背丈が低いが、体は軽い。それは、自分の取柄です。
なので足場さえあれば、自分は素早く高所へ駆け上がれるのです。
「振り返るな、自分に続け!」
塹壕壁の木材に足をかけ、勢いよく塹壕から躍り出た後。
自分はアーミーナイフを抜き払い、前傾姿勢で戦場を駆けていきました。
フラメール陣地から前進してくる、蠢く謎の鉄塊へ。
「……自分の後ろは、安全、ですっ!」
塹壕から飛び出してすぐ、先陣を切った自分へ数多の銃弾が集中しました。
自分は無数に迫りくる狂弾を、【盾】で無我夢中で弾きました。
「ぐぁあ!」
「痛い、痛いよぉ!!」
同時に背後で、数人の泣き叫ぶ声が聞こえました。
自分の【盾】の範囲外にいて、銃弾に当たったのでしょう。
「……すみません」
自分が戻れば、彼等を治せるかもしれません。
ですが自分は、振り向きもしませんでした。
突撃作戦で、死者が出るのは当たり前だからです。
「貴方達の命は、無駄にはしません!」
彼等の死を無駄にしないために、敵のエースを仕留める。
そして一人でも多く、味方を無事に撤退させる。
それが、今の自分の仕事です。
「やはり、移動速度は遅い!」
敵のエース『大盾』は、移動が鈍重でした。
確かに防御力は鋼鉄のようですが、移動速度はカタツムリです。
「今から突っ込みます、援護を!」
「りょ、了解」
あのでくの坊を倒せば、味方の被害を減らせる。
ここで敗走したら、セドル君に危険が及ぶ。
ならば、ここであの敵を殺すしかない。
「はは、は」
胸のうちに、罪悪感のない殺意が満ち溢れてきます。
自分は戦争を言い訳にして殺人を肯定し、高揚を感じていました。
人間として歪んでいますが、今はこれで良い。
精神を歪ませないと、戦場では生き残れない────
「あの鉄の塊、どう攻略しようっていうんですか」
「前からじゃダメ、左右からも攻めれないとなれば一つしかないでしょう」
自分は殺意に押され、まっすぐ『大盾』に向かって走り込みました。
鉄盾に刻まれた聖母像は、自分を見下し、潰した血飛沫を浴びて笑っていました。
「うぐ、ぐ!」
「トウリ少佐に追従しろ! 少佐に銃弾を集中させるな!」
『大盾』に近づくと、銃撃の密度が濃くなりました。
抉るように頭蓋を掠る、危ない一発もありました。
ですが、立ち止まるわけには生きません。
「ご武運を、トウリ少佐ァ!!」
「ぐぁあああああ!!」
数多の犠牲に支えられ、自分は大盾の目前まで無事に辿り着きました。
ここまで来ると、盾が遮蔽物になって逆に安全です。
「……後は任せてください」
……多くの戦友を殺したフラメールのエース『大盾』。
その報いを、今こそ受けて貰います。
「【盾】!!」
その鋼鉄の聖母像は、確かに強固でした。
銃弾は弾かれ、爆風は避けられ、鉄条網をも踏みつぶせます。
「トウリ少佐! 一体何を!」
「こう見えて自分は、運動神経は良いんですよ!」
ですが、その鉄盾は動きが鈍重であるがゆえに。
足場さえあれば、ボルダリングのようによじ登ることが出来るのです。
「こうやって、駆け上がって上から!」
自分がその鉄盾の前に、【盾】で足場を作り。
「鉄盾の中に手榴弾をダンクすればいい!」
ピンを抜いた手榴弾を手に持って、聖母像の顔面を踏みつけ。
盾の上から、真下の敵に手榴弾を叩きつけました。
「わぷっ!」
「トウリ少佐ァ!」
その直後、凄まじい爆発が鉄盾を揺るがして。
自分は鉄盾から滑り落ち、2メートル近い高さから地面に叩きつけられました。
「無事ですか!」
「痛い……ですが、何とか」
盾越しに手榴弾を叩きつけ、エースを丸焼きにする。
これが、自分の出した『大盾』の攻略法です。
「……仕留めましたね」
エース『大盾』の姿を見た時から、この攻略方法以外はないと思っていました。
鉄盾の形状は半円錐で、前からの攻撃を左右に弾く形です。
なので敵の銃弾を掻い潜り、盾を駆けあがって上から手榴弾を叩きつければ致命打を与えられるのです。
「少佐っ! 足の、骨が……」
「ええ、折れてそうです」
ただ銃弾が乱れ飛ぶ中、鉄の盾をよじ登って上から手榴弾を叩きつけるのは至難です。
自分のようにある程度、銃弾を【盾】で弾ける兵士にしか出来ない攻略でした。
だから危険を冒し、自分が前線へ出たのです。
……ちゃんとしたエースがオースティンに残っていたら、もっと早く『大盾』を仕留められていたでしょうね。
「……歩けますか、トウリ少佐」
「すみませんがキャレル、ちょっと厳しいです。治療する間、周囲の警戒をお願いします」
「了解」
流石と言うべきか、キャレルはまだ生き残って自分に随伴し続けてくれていました。
【癒】で快復するまで、彼に護衛して貰いましょう。
「銃弾は飛んできませんね。……痛ッ」
「鉄の大盾が、守ってくれてますから」
自分は折れた骨をまっすぐ伸ばし、正しい形に固定した後、【癒】を発動しました。
これで、歩けるようになるはず────
「っ! 危ない、少佐!」
「なっ! キャレル!?」
そう思って、自分が足に【癒】を使った瞬間。
キャレルが凄まじい形相で、自分を鉄盾の陰から突き飛ばしました。
「一体────!?」
「どうか、ご無事で」
その直後、キャレルは安堵の表情を浮かべ。
倒れ込んできた鋼鉄の処女に、顔面をトマトのように叩き潰されました。
「────」
最期に見たのは、安堵の笑顔。
小隊長になったキャレルは、自分を庇って鉄盾に押し潰され、血飛沫とともに短い断末魔を上げました。
「■■■ァ!」
フラメールのエース『大盾』は健在でした。
いったいどうやったのか、彼の軍服は焦げていましたが、爆風の中で致命傷は避けたようです。
「まだ、生きてましたか……」
「■■■!」
その男は、鬼気迫る表情で自分を睨みつけ、銃を構えました。
どことなくアルノマさんに似た顔立ちだな、と思いました。
「……っ!」
せっかくキャレルに救われた命、無駄にするわけにはいきません。
自分は男の銃撃を、折れていない足で地面を蹴って躱し。
ゴロゴロと転がりながら、近くのオースティン塹壕へ転がり込みました。
「■■■■■────」
しかし自分が転がり込んだ塹壕は、フラメール軍に占領されていました。
味方は地面に伏し、誰も生きていません。
「トウリ少佐を援護しろ!」
「撃て撃て! 『大盾』を殺せ!」
まだ周囲には、フラメール兵士がうようよしています。
このままだと敵に詰められ、蜂の巣にされてしまうでしょう。
早く、足を治さねば。
「【癒】っ……」
「■■■■!」
……回復魔法の行使には、十秒ほどはかかります。
しかし周囲を敵に囲まれた状況で、十秒という時間は想像を絶する長さでした。
「■■■■っー!」
「■■!」
回復魔法を発動しようとした瞬間。
自分を仕留めるべく、敵兵がわらわらと塹壕に飛び込んできました。
憎しみと怒りを込めた目で、自分を睨みつけながら。
────ああ、死にましたね。
自分はぼんやりと、回復魔法を行使しながらそう感じました。
同時に二つの魔法を発動することは出来ません。
【癒】を行使してしまった以上、咄嗟に【盾】には切り替えないのです。
もっと安全な場所で、安全なタイミングで治療を行うべきでした。
無数の銃口が、自分の体躯を捕らえます。
ここから生きて帰れる可能性は、どれほどでしょうか。
彼らの銃弾が全て外れて、回復魔法が完了するまで生き延びる事が出来れば、生き延びるチャンスはあるかもしれません。
逆に言えば、それ以外に自分が生き残る方法は無い。
そんな奇跡を、神に祈るのみ。
「……これも、報いなのかもしれません」
自分は戦争を理由に、『敵を撃つ事に快感を覚えて』戦いました。
それは戦争を理由に虐殺を行った、ベルン・ヴァロウと同類の単なる快楽殺人者です。
そうならねば戦場を生き抜けないと言い訳をして、人間性を捨ててしまった者の末路。
……自分のような外道は、戦場で死んで然るべきなのでしょう。
「ごめんなさいね、セドル君」
今夜の戦闘詳報には、自分の名前が載るでしょう。
死者の一名として、ヴェルディさんのサインと共に、アニータさんに死亡通知が届けられます。
幼いセドル君は、まだ自分の『死』の意味も理解してくれないでしょう。
薄暗い戦場で、フラメール兵に死体を踏みつけられ、泥に塗れて朽ちていく。
それが、自分の運命です。
「……ロドリー君。会いに行きます」
自分は死を覚悟し、眼を閉じました。
ここまで好き放題をやったのです。戦場で死に、土の中で朽ちる覚悟も出来ています。
「あと少し、待っていて下さい」
自分は心のうちに、温かい彼の笑顔を思い浮かべ。
そして、来るべき死の瞬間を待ちました。
────足が、癒える。
「……?」
何故かフラメール兵からの、銃撃はありませんでした。
彼らは自分に銃口を向けたまま、発砲することなく見つめるのみでした。
「■■■■ー!」
「■■■?」
見れば彼らの指揮官が、発砲を制止しているようです。
これはどうした事でしょうか。
自分が少女のような見た目なので、撃つのを躊躇ったとか?
「よし」
足が動く。力が入る。
これなら、逃げられる。まだ魔力には余裕があります。
敵の追撃に気を付けながら、塹壕間を走り抜けることが出来れば────
……そう思って、空を見上げた直後。
地鳴りと共に、大きな鉄塊が自分に向かって落ちてきました。
「────『大盾』ですか!!」
「■■■ッ!!」
その男は憤怒の形相で。
治療を終えた自分を見つめ、激高しています。
「同じ手は二度、食いません!」
鉄盾には、まだ赤い血が滴っていました。
それはおそらく、キャレルの血。
優しく優秀で、自分に告白してきたこともあった、アルガリアを生き延びた戦友。
そう気づいた瞬間、憤怒が全身の血を沸騰させました。
「■■■!!」
「……遅い!」
『大盾』の動きは、読みやすく鈍重でした。
この男の恐れるべきは、鉄盾を自在に振り回すその底知れぬ膂力と、爆風すら耐える生存力。
見ればヤツは真っ赤になった肩を怒らせ、鉄盾を構えていました。
……それは到底、エースの動きではない。
「■■■■ー!!」
男はまっすぐ、自分を叩き潰そうと直進してきました。
自分を塹壕壁と挟み、潰すつもりの様です。
「愚かですね」
殺す気ならば素直に、自分に銃口を向ければいいものを。
我が身を危険に晒したくないから、この男は盾を構えて突っ込んできたのです。
「……【盾】」
自分は地面を盛り上げるように、三角形の【盾】を形成しました。
こんなもの、本来であれば鉄盾に踏みつぶされる強度しかないのですが……。
「■■■!?」
「そんな大きなもの、バランス悪いに決まっているでしょう」
自分はその【盾】を、大盾の右端にぶつかるよう形成してやりました。
狙い通り、右端が突っかかった鉄盾はバランスを崩し、傾いて進路が逸れます。
「そんな大きなものを動かすのです。そりゃあ、両腕を使ってますよね」
自分は逸れた鉄盾を回り込み、小銃を構えました。
鉄盾の中には、転倒して唖然としている巨漢が、呆然と自分を見つめていました。
「銃を撃つ度胸がないなら、戦場に出て来こないでください」
「■■■ーーーーォ!!!」
勝った。これで、殺せる。
敵エースを仕留められる事に気分が高揚し、唇が歪みました。
ああ、終わっています。きっとこの人にも家族や友人がいるだろうに。
自分は敵のエースに銃口を向け、恍惚の笑みを浮かべました。
「待て! 待ってくれ、彼を殺すな!」
「さようなら、エース」
「待っ────」
慌てて銃のホルダーへ手をやる『大盾』に一声かけ。
自分はその男の額を、寸分狂わずに撃ち抜きました。
「ははっ♪」
血飛沫が飛び散って、男の目が上転します。
力なく地面に伏し、額に開いた銃口からは動脈血が噴き出して。
間違いなく自分は、エース『大盾』を仕留めました。
「あははァ────」
エースを殺した快感に、美酒のように酔っていると。
「────小さな、小隊長?」
「えっ」
その視線の先で、呆然と。
塹壕の中、信じられないような目で、自分を見つめるアルノマさんが立っていました。