『幸運運び』少女の噂
「俺さ……。この戦争が終わったら、結婚するんだ」
「そうか、おめでとう」
運気と言うものは、確かに存在する。
少なくとも俺は、そう信じている。
「首都にいるカワイイ幼馴染が、俺の帰りを待っているんだ」
「へえ」
俺はしがない2等歩兵。
最低限の体力訓練だけ課された、銃の扱いも素人な新米兵士。
祖国オースティンが危機に陥ったため、拒否権もなく徴兵された哀れな男だ。
「お前も恋人を作ってみろよ。生きて帰ろうっていう強い意志が生まれるから」
「ああ。まぁ、頑張ってみるよ」
俺が駆り出される先は、どうやら苦戦必至の激戦区のようだった。
恐らく、此処に居る兵士の大半は帰らぬ人になるだろう。
何の技術も持たない俺が生き残るには……幸運の女神さまに微笑んでもらうしかない。
「ああ、アンジェ。早く君に会いたい……」
因みに、戦場で恋人自慢はすべきではないと言われる。
その理由は演劇で、恋人自慢を始める兵士は死ぬのがお約束だからだ。
俺にずっと自慢してきたこの戦友も例に漏れず、サバト軍の奇襲で蜂の巣となった。
偶然だと思うが、俺は恋人が出来ても自慢すまいと誓った。
「……ん? お前、また祈ってんのか」
「あ、分隊長。どうも」
兵士はゲン担ぎを大切にする。
何の根拠もない与太話だったとしても、生き延びる可能性が上がるならやって損はない。
「おい、銃の置き方考えろ。邪魔だ」
「いや。銃を北に向けて寝た方が、縁起がいいらしいんですよ」
「知るかボケ」
そんな兵士達の間では、様々な『運が良くなる』おまじないが囁かれてた。
何の根拠もないジンクスから、実在する宗教逸話まで様々だった。
「お前が何に祈っても構わねぇが、戦場で無駄な行動してたら撃ち殺すからなァ」
「はい、気を付けます」
「おし」
俺は耳に挟んだ縁起が良くなるまじないを、片っ端から試した。
本当に効果があれば、万々歳。少なくとも、心を落ち着かせる効果はある。
「そんなにオカルトが好きなら、例のアイツを撫でてきたらどうだよ」
俺は兵士の中で、屈指のおまじない好きだったと思う。
オカルトに頼る俺を馬鹿にする者もいたが、気にしなかった。
信じる者は救われる。その気持ちが大事なのだ。
「例のアイツ、って何ですか」
「知らないのか? お前が好きそうなネタだが」
そんな俺はある日、先輩から少女の噂を聞いた。
先輩はからかう様な笑みを浮かべ、
「幸運運びさ。何でも、撫でると運が良くなるらしいぜ」
「え、何ですかその噂」
その噂の詳細を、教えてくれた。
衛生部に、年端のいかぬ幼い少女衛生兵が勤めている。
その少女は人形のように無表情で、硝子細工のように華奢で、蒲公英の花のように可愛らしい。
「何でその娘が、幸運の象徴呼ばわりされてんですか」
「ソイツ、何度も奇跡的な生還を遂げたんだとさ」
幸運運びは、西部戦線時代から衛生兵として働いているそうだ。
そして運命の女神に導かれたみたいに、今まで奇跡的生還を3度も果たしているらしい。
「1度目は、サバト軍の一斉突撃の時。最前線に取り残されたが、ソイツの小隊は殆ど被害なくマシュデールまで撤退できた」
「そりゃすげえ」
「2度目はそのマシュデールに取り残されて孤立した時。たまたま、ソイツはエース部隊に保護されて脱出に成功した」
「ほほー」
「そして3度目は、こないだヴェルディ中隊が包囲された時だ。あの時も絶体絶命だったが、英雄ヴェルディ中尉殿の指揮のおかげで生き延びたらしい」
「そりゃ本物の幸運持ちだ。そんな娘が衛生部にいるんですか」
「ああ。……ククク、お前が好きそうなネタだろ」
彼女は話を聞く限り、凄まじい運を纏ってそうだった。
事実なら、そこまで幸運の女神に愛された人間も少ないだろう。
「それだけじゃない。ヤツを撫でた奴はカードで馬鹿勝ちしたり、彼女が出来たりと良いことづくめらしい」
「それは一度会ってみたいですね」
「そうか。だったら大怪我して、衛生部に運び込まれたら会えるんじゃねぇか?」
「そいつはちっと勘弁願いたいです」
その噂を聞いて、俺はその少女と会ってみたくなった。
あわよくば、その少女に撫でさせて貰えないか頼みこむつもりだった。
是非とも、彼女の幸運にあやかりたい。
「まぁ、待ってりゃそのうち会えるさ」
「それは俺が、じきに大怪我するって言いたいんですか」
「いやいや」
だが先輩の言う通り、大怪我でもしない限り衛生部に行く機会はない。
休みをもらってわざわざ、見知らぬ人に会いに行くのも変な話だ。
そんな風に諦めかけていた俺だったが。
「もうすぐ、冬季行軍訓練が行われるだろ? その訓練のゴールが衛生部らしいぞ」
「おお」
「その幸運運び様も、上手く行けば会えるだろ」
先輩のその言葉を聞いて、俺は目を輝かせた。
今年の冬入りは、異常に早いらしい。
その異常気象の影響でサバトもオースティンも、寒すぎて冬明けまで戦闘を行えなくなったのだ。
そして冬の間、兵士の腕がなまらないようオースティン軍本部は冬季行軍訓練を歩兵に課した。
「訓練なんぞ、面倒くさいと思ってましたけど。その話を聞けば、楽しみになってきましたね」
「そうかい、そりゃよかった。くれぐれも興奮しすぎて、途中で熱出して離脱すんじゃねぇぞ」
先輩は興奮する俺を、ニヤニヤした目で見ていた。
なんだか、含みのある目だった。
「さて、本日から雪中行軍訓練だ。各員、準備は出来てるな」
「はい」
数週間後。いよいよ、訓練が始まった。
訓練は合計3日間、サバイバル形式で行われた。
行軍中はほとんど休みなく、寒い気候の中で限られた食料を部隊で分け合い、目的地を目指すらしい。
一応、負傷者が出た場合は信号弾を打ち上げれば救助が来るらしいが……。
「滑落して即死したら助からんからな。くれぐれも雪に足を取られるな」
「はい」
本当に救助などしてもらえるのだろうか。
周囲の視界は悪く、吹きすさぶ風は寒々しかった。
「てめぇら踏ん張れ! 訓練で死んだら良い笑いものだぞ!」
「は、はい」
半日ほど歩いた頃、俺は体中の水分が凍り付くような錯覚を覚えた。
筋肉は疲れているのに汗は出ず、骨身に染みる寒波で全身が火傷みたいな熱を持っていた。
「辛いです、小隊長ォ」
「頑張れ。衛生部で若いねーちゃんが、暖かいスープ作って待っててくれてるそうだ」
「それは、良いッスねぇ。美人にワイン注いでもらいたいな」
「南軍の衛生部長は、すげぇ色っぽい美女らしいぞ! 期待して前へ進め」
「……おー」
因みに衛生部のレィターリュ部長は確かに美人だが、同時に「戦場の死神」と恐れられるほど縁起が悪い事でも有名である。
もし彼女に悪戯しようものなら、次の日に流れ弾が当たって死んでも不思議ではない。
そんな噂を知ってか知らずか、小隊長は大きな声を上げ、
「衛生部長は慈しみに溢れてるから、尻くらい触っても怒らねぇぞ」
そう言って俺達新人兵士を鼓舞したのだった。
そして、いよいよ訓練最終日。
疲労困憊の俺達小隊は、なんとか衛生部キャンプへと辿り着く事が出来た。
「あーダルい……」
「死ぬ、マジで死ぬかと思った」
坂で滑落しないよう気を張りながら、重装備を身に纏っての行軍は想像以上に体力を消耗した。
雪中訓練は、想像以上に過酷な訓練だった。
「よし、脱落者は居ないな。お前らよく頑張った」
「うーす……」
他の小隊には訓練中に転倒し、衛生部に運ばれていった兵士も結構いるらしい。
俺達の小隊がほぼ全員、無傷で訓練を終えられたのは幸運だった。
「……ズビビー」
「先輩、さっきから顔紅いですよ」
「あー、風邪ひいたっぽい。チクショウ」
まぁ怪我人がいないだけで、熱を出した人はいるが。
「ま、衛生部がゴールでよかったじゃねぇか。診て貰えよ」
「了解、アレンさん。あー、頭痛ェ」
俺が良く話す先輩ロドリーは、訓練途中から体調を崩していた。
そして最終日の朝、とうとう熱を出してしまっていた。
「俺が診察室まで運んでいきましょうか、先輩」
「要らねーよ、一人で行けるわこんくらい」
「無理すんなよロドリー」
俺はロドリー先輩に肩を貸そうとしたが、手を除けられてしまった。
彼は「移ったらどうする」と不機嫌そうな声で怒って、一人で診察室に歩き去ってしまった。
「ほんと、アイツは意地っ張りだな。風邪の時くらい、仲間を頼ればいいのに」
「そうですね」
ロドリー先輩はなかなか、意固地な性格のようだった。
治療を受けに行ったロドリー先輩と別れ、俺達は衛生部の広間に設置された休憩所に向かった。
既に数十人の兵士が地べたに座りこみ、仲間と共にスープをすすっていた。
「ここで待ってろ。もうちょっとしたら美人の姉ちゃんがスープを運んできてくれらぁ」
「小隊長。運んでるの、男しかいませんけど」
「食事運ぶのも、力仕事だしなぁ」
残念なことに、食事の運搬係は男性が多かった。
もしかしたら、悪戯を防止する意味もあるのかもしれない。
「お、でも俺達のところに来るのは女の子っぽいぞ」
「でも、凄く小さいな」
まぁ別に、俺は誰がスープを運ぼうと興味などない。
ただ噂に聞く『幸運運び』殿はいないかと、周囲をキョロキョロ見回して……。
「スープ、お持ちしました」
「あっ」
「……どうかされましたか」
声をかけられてやっと。俺はスープを運んできてくれた少女が『ソレ』であると気が付いた。
「おおー」
「……?」
無表情な顔、華奢な体躯、吸い込まれるような瞳。
小首をかしげるその仕草は、何処か神秘的な雰囲気もあって。
「本当に居た……」
ロドリー先輩の話で聞いたとおりの、衛生服を着た少女がそこに立っていた。
「どうも、初めまして衛生兵さん。失礼ながら、少し撫でさせていただいてもいいですか?」
「またですか。まぁ、構いませんが」
自分はその少女に了解を得て、すぐ頭を触らせてもらった。
少女は慣れたような態度で、少しだけ面倒くさそうに俺の方へ頭を傾けてくれた。
「ありがたや」
「……はあ」
彼女の頭を撫でると、何だか不思議な力が湧いてくる気がした。
かじかんだ掌に、サラサラとした柔らかな髪の感触を感じた。
確かに、何かご利益がありそうな感じがする。
「おう、次は俺にも代われ」
「あ、小隊長殿。了解です」
本物の『幸運運び』にじーんと感動していたら、アレン小隊長も近づいてきた。
小隊長殿も、撫でたかったのだろう。
「おお、トウリ。聞いたぞ、お前なんか最近『幸運運び』とか呼ばれてるらしいな」
「何ですかソレ」
しかし予想と違って、アレン小隊長はニカニカ笑って少女衛生兵に話しかけた。
それはまるで、戦友に語り掛けるように気兼ねない態度だった。
「もしかしてその呼び名、自分が撫でられるようになったのと関係があるのですか?」
「ああ。何でも、お前は幸運のマスコットらしいぞ」
「はぁ」
少女からアレン隊長への態度も、気安いものだった。
察するに、アレン小隊長殿は彼女の知り合いだったのかも。
「おいレータ。話してやれよ、この『幸運運び』様の噂を」
「俺ですか? えっと、所属部隊が何度も奇跡の生還を果たした衛生兵が居て、その子を撫でると幸運に見舞われるって聞きました」
「それで、貴方も自分を撫でたのですか」
「その『幸運運び』様はお人形みたいに可愛い、表情乏しめの女の子衛生兵って話だって聞いてな。俺とロドリーはもう、大爆笑したんだ」
「……」
「俺もそのご利益にあやからせてくれよ、クッククク」
アレン小隊長はからかうように、クシャクシャと少女衛生兵の髪を撫でた。
少女衛生兵は憮然としたような、くすぐったいような、不思議な表情をしていた。
「お前も頑張ってんだなって。あの、塹壕の中で顔を青くして震えてたトウリがこんなに立派になぁ」
「……」
髪をくしゃくしゃにされたが、少女に嫌がるそぶりはなかった。
きっと、アレン小隊長と少女の間の関係はこういう感じなのだろう。
口を挟むのは野暮な気がしたので、俺は黙って見守ることにした。
「そういえば、ロドリー君はどうしたんですか?」
「あいつか? ロドリーは間抜けにも、訓練中に熱出してな。今、治療班に並ばせてる」
ひとしきり撫でられた後、少女は周囲を見渡しそんな事を言い出した。
彼女は、ロドリー先輩とも知り合いらしい。
「え、大丈夫なんですか?」
「熱出てるだけで平常運転だ。いつも通りに生意気で口の悪いロドリーだ」
そういえばロドリー先輩は、この娘の噂に詳しかった。
元々ロドリー先輩は、オカルト話に興味を持つタイプではない。
きっと知り合いの話だったから、詳しく知っていたのだ。
「……そうですか」
少女は少し寂しそうな顔をして、ため息をついた。
少しだけ、唇が尖っていたのが印象的だった。
「では、スープを飲んだら気を付けてお帰りください。帰り路に怪我をして、引き返すなんてことの無いように」
「おう、じゃあまたなトウリ」
しかし少女はそれ以上何も言わず、俺達に一礼すると立ち去ってしまった。
俺は少女衛生兵に軽く会釈を返し、そのまま熱いスープを飲み干しにかかった。
続々と訓練を終えた兵士が、広場に戻ってきていた。
あまり長居をすると迷惑だろう。
「いや、本当に居たんですね『幸運運び』。アレン小隊長、お知り合いだったんですか」
「ああ、戦友だ。俺が前に居た部隊に、アイツも居たんだ」
「成程」
「噂で聞いただろう? 最前線から脱出した小隊に『幸運運び』がいたってな。俺もその幸運な小隊に居たんだよ」
その言葉を聞いて、俺は得心した。
ロドリー先輩が妙に楽し気に『幸運運び』殿の話を振ってきた理由が分かった。
きっと先輩は、戦友が信仰対象にされているのを知り面白がっていたのだ。
「あんな小さな娘が、最前線に居たんですね」
「ああ。ああ見えてトウリは、根性もある」
『幸運運び』の話を聞いたアレン小隊長とロドリー先輩は、顎が外れるほど大笑いしたらしい。
曰く『トウリはそんな神秘的な存在ではなく、ただ宴会芸が好きな面白い娘』だそうだ。
「ま、一見すると独特の雰囲気だけど。話してみると普通の女の子だ」
「普通、ですか」
「おおとも。ちょっとアレ見てみろよ」
アレン小隊長はそう言って、ふと俺の後ろの方を指さした。
それにつられて俺も振り向くと、
「あっ」
「な、普通だろ」
とても不機嫌そうな『幸運運び』ちゃんが、頬を膨らませて立っていて。
その視線の先に、衛生部長に誘惑されて鼻の下を伸ばすロドリー先輩の姿が見えた。
「あれって、つまり」
「同じ小隊に居たころから、あんな感じでな。幸運運び様も、お年頃ってワケだ」
「ははは」
目を吊り上げてロドリー先輩の頬を引っ張る少女の姿に、俺は微笑ましさを覚えた。
俺が先ほど頭を撫でた少女は、幸運の女神の化身なんかではなく……年相応の少女だったのだ。
「ロドリー先輩も隅に置けないですねぇ」
「あ、ただロドリーをからかわねぇ方がいいぞ。アイツ、イジられるのは苦手だから」
「了解です、小隊長」
その仲睦まじい二人の様子を肴に、野菜のスープを飲み干すと。
俺は彼女を撫でた手をボンヤリ見つめながら、小隊の仲間とゆっくりとベースキャンプに戻っていった。
訓練の終わった日の夜は、休みになっていたはずだ。
俺は無駄に運を使いたくないから、ギャンブルには手を出さない方だけど。
今日くらいは、カードで遊んでみてもいいかもしれない。
4章ごろの一般兵士目線のお話です。
本編再開はしばしお待ちください。
発売させていただいております書籍版も、よろしくお願いいたします。