135話
その人の逸話は、今なおオースティン兵の中で語り継がれていました。
雷を纏って突撃してくる、サバトの神速の雷槍使い。
西部戦線でガーバック小隊長と互角に渡り合った、正真正銘の『エース級』。
「雷槍鬼、って。エース級の……?」
「聞いた事がおありですか、ガヴェル中隊長」
敵エース級の情報は、積極的に歩兵間で共有されます。
それは戦場で生き残るために大事な情報だからです。
「あの男と正面からやり合ってはいけません」
彼が現れただけで、ビリビリと空気が緊迫し鳥肌が立ちました。
勝てない。自分の細腕ではどうやっても、あの偉丈夫を殺せない。
捕食者と餌の様な、圧倒的な実力差がそこにありました。
蛇に睨まれた蛙の気持ちがよく分かりました。
「……ゴルスキィ、さん」
……アレは、敵です。
彼は自分達を殺そうと、部下を率いて突撃してきた死神です。
彼の姿を見た時、動揺しなかったと言えば嘘になります。
ですが自分はすぐ、「敵として」のゴルスキィさんをどう対処すれば良いか考え始めました。
「どうする、もう挟撃は諦めて撤退するか?」
「ええ、確かにすぐにでも撤退したいのですが。相手が悪すぎます、逃げ切れるとは思えません」
ゴルスキィさんは非常に厄介です。
まず、移動速度が早いこと。ガーバック小隊長も最初に「足を潰したい」と考えるくらいに、常軌を逸した速度で突進してきます。
その上、あの人は【盾】が堅すぎて銃弾で死んでくれません。
運良く盾を破れたとしても、槍で弾かれてしまいます。
手榴弾をぶち当てたり、生身の接近戦で仕留めるしか倒す方法がないのです。
「敵エース級、こちらに突っ込んできます。どうしますか!?」
「雷槍鬼は無視して、彼の部下を撃ってください」
「じゃあアイツは放置ですか!」
ガーバック小隊長ですら仕留めきれなかった、東西戦争からのサバトのエース。
まともにやりあったら、まず勝つことはできないでしょう。
なので、
「……自分が出ます」
「は?」
「自分が離脱した後の命令を伝えておきます。復唱して忘れないように」
彼が動揺してくれる可能性がある、自分が出る。
それ以外に、この危機を脱する方法はありません。
「覚えましたか。では突っ込みますので、後は手筈通りに」
「ちょ、ちょっと衛生准尉殿!?」
そう方針を決めた瞬間、本能からの『死』の警告がけたたましく鳴り響きました。
しかしそれは「行ったら死ぬ」のではなく、「行かなければ死ぬ」という脅しのような警告。
「時間くらいは稼いで見せます。自分が死んだら、ガヴェル曹長の指示に従って撤退して下さい」
自分は、部下の兵士にそう告げた後。
意を決してたった一人、雷槍鬼の前に突っ込んでいきました。
戦場に、落雷が四方八方に木霊して。
蒼い森の木々の隙間を縫って、銃撃が四方八方に飛び交っていました。
『オースだ、撃て!』
『死ね!』
懐かしの、サバト語。
彼らは自分が近づくや否や、すかさず集中攻撃を掛けました。
流石に、反応とエイムが良いですね。
「【盾】」
右の掌を開いて【盾】を出し、銃撃を弾きます。
弾は自分の細い体躯を、僅に外れて抜けていきました。
そんな濃い銃撃の合間を左右ジグザグに動き、自分は敵に近づきました。
『動きが早いぞ』
『【盾】で銃撃を弾かれた! 気を抜くな』
彼らはサバト語で怒鳴り、隙間なく射撃を行ってきました。
自分の動きを止める目論見でしょうが……。むしろ撃ってくれた方が、リロードの隙をついて動きやすいんですよね。
サバト銃の装填間隔は、身に刻み込んでいるのです。
『動きに迷いがない。気を付けろ、エース級かもしれんぞ!』
『エースどころかただの衛生兵ですよ! 失礼ですね』
『えっ、女?』
何やらエースと誤解されそうだったので、時間稼ぎがてらサバト語で怒鳴り返してみました。
あの人に届くかもしれないという、期待を込めて。
『……もしや、と思ったがな。トウリか、貴様』
『ええ、お久しぶりです』
やはり、彼はそこにいました。
自分は樹木に身を隠しながら、ゴルスキィさんの声に返事を返しました。
彼の声は聞いた事も無いほどに……、冷徹でした。
『トウリって、あのオースちゃんか……?』
『ええ、お久しぶりです。出来れば、戦場でお会いしたくなかったですけどね』
思い返してみれば、先程自分を撃った兵士も顔見知りでしたね。
ゴルスキィ隊結成の際に、一緒にヴォック酒で席を囲んだ間柄のサバト兵です。
『何の用だ。降伏の申し入れという訳ではなさそうだが』
『それはこちらの台詞です。いきなり、フラメールとの戦争に乱入してきてなんですか。サバトとの戦争は終わったと認識していましたが』
『戦争は終わってなどいない。オースを滅ぼした先にこそ、サバトの未来はある』
自分はゴルスキィさんを相手に、軽口を叩いて時間を稼ごうとしました。
戦おうとしても、殺されるだけなので。
『降伏の申し出で無いのならば撃つ、それだけである。総員、構え』
『……何も答えてくれないんですね、ゴルスキィさん』
『ヤツはオースだ、敵だ。手榴弾を投げ込んだあと、第2射を撃て』
しかし流石は、歴戦のエース。
ゴルスキィさんは一切の動揺を見せず、自分の潜んでいる木陰に攻撃命令を出しました。
彼はもう自分を敵として殺す覚悟を持っているようです。
『抵抗はしませんよ。自分は兵士です、殺される覚悟はありますとも。……貴方をここに引っ張り出せただけで、戦果は十分でしょうし』
『そうか』
そんなゴルスキィさんを相手に、自分はなるべく平静を装って会話を続けました。
数千人規模の敵を相手に百人中隊で立ち向かい、後方を撹乱して数多の被害を出し、エースを後方に引っ張り出したのです。
新米だらけのガヴェル中隊の戦果としては、大金星と言える結果でしょう。
『どうぞ、撃ってください。……わがままを言うと、どうせ殺されるなら貴方がいいですねゴルスキィさん』
『……ぬ』
それにこの人が本気で追えば、ガヴェル中隊は全滅してしまうでしょう。
自分が姿を見せたから、こうして問答に応じてくれているのです。
冷徹に振る舞っておきながら、何だかんだゴルスキィさんは甘いですね。
『ああ。それとシルフに、遺言を伝えて貰っていいですか』
『何だ』
『この戦いは、貴方を引っ張り出した自分達の戦術的勝利です、と。そう、自慢たっぷりに言っていたと伝えてください』
……自分がそんな軽口を叩くと、ゴルスキィさんはふっと笑い。
優しい声になって、
『そんな遺言は伝えられんな。我らがボスに癇癪を起こされると敵わんのだ』
『それは残念です』
そう、軽口を叩き返してくれました。
────不思議な事に。
この時ですら、まだ自分はあまり『死ぬ』気配を感じていませんでした。
もう少し、突っ張れる。
あと数十秒、時間を稼げる。
『望み通り、貴様は吾が槍で貫いてやろう。……姿を見せい』
『分かりました』
自分は、その直感に従って。
抵抗の意思を見せぬよう両手を上げながら、ゆっくりとゴルスキィさんの前に姿を見せました。
────生き延びる、為に。
『本当に、貴様か。トウリ』
『……ええ。ゴルスキィさんは、少し痩せましたか』
金色の英雄は、自分の顔を見て悲しげな表情になりました。
その隻腕で握りしめる槍には、バチバチと電流が伝っていて。
『動くな。せめて、一撃で痛みなく仕留めてやる』
『どうも』
ゴルスキィさんはゆっくりと、その槍を自分に突きつけて構えを取りました。
────自分が処刑される時が、近づいてきました。
ゴルスキィさんは一切の油断なく、まっすぐ自分を見据えて立っています。
けたたましい警告音が、自分の脳をチリチリ焼いています。
『さらばだ、親愛なる故郷オセロ村の友人トウリ。……謝らんぞ、これが戦争だ』
『ええ、よく存じています』
ドクン、ドクンと脈が速くなってきました。
限界はもう、そろそろでしょうか。
『安心してください、恨みはしませんよ』
このままでは自分は、槍に突かれて死んでしまいます。
全身を脈打つように、心地よいゾクゾクが張り巡らされて────
『む、トウリ貴様?』
『何ですか?』
ああ。あと一瞬で殺されるという、ギリギリの緊迫感に。
……自分はどうしようもなく、心を躍らせていました。
『何を企んでいる!』
突如、ゴルスキィさんの態度が一変しました。
彼はいきなり姿勢を低く保つと、口角を吊り上げている自分に向けて、
「そろそろ、ですかね」
音速で飛び込んで、まっすぐ槍を突き上げました。
彼の槍の一閃には、凄まじい轟雷が追従しました。
少しかすっただけでも、その電熱に触れるだけで感電死していたでしょう。
自分はそのギリギリのタイミングで後ろに跳躍して槍の間合いから逃げました。
あと一瞬でも飛ぶのが遅ければ死んでいましたね。
『皆、撃て。トウリを撃て!』
『りょ、了解です』
「あはっ……」
跳ぶ、飛ぶ、翔ぶ。
自分はギリギリのスリルを楽しみながら、自ら出した【盾】を足場に蹴って森林内へ逃げ戻りました。
……敵を翻弄するのが愉しすぎて、思わず忍び笑いが零れてしまいました。
「あははっ」
『弾が当たらない! 避けられてます!』
『馬鹿な!』
興奮で、胸の鼓動がなかなか収まりません。
ゴルスキィさんは顔を青ざめ、そんな自分を撃つように部下へ命令しました。
チリチリとした心地よい緊張感の中、致命傷になりうる弾が何発も飛んできます。
それらの軌道をよく見て【盾】で弾き、銃剣で切り飛ばして木陰に再び身を隠すのは……。
これ以上ない、至福でした。
「あははははっ!!」
『もういい吾が突っ込む、あの女を逃がすな────』
どうやらゴルスキィさんは、自分の降伏がブラフだと見抜いたようで。
動揺したまま怒りに任せ、自分を本気で殺すべく突っ込んでくれました。
……自分の狙い通りに。
『すみません、見失いました!』
『阿呆! あの木の裏だ、彼処までヤツは移動しておる!』
追ってきてくれないと、どうしようかと思いました。
自分にはゴルスキィさんを殺せないですが、だからと言って見逃すわけにはいきません。
一人で勝てない相手は、囲めばいいのです。
『ぐぁ────!?』
『手榴弾!?』
彼が自分を追って大きく踏み込んだ、その直後。
背後で火炎と共に爆発音が鳴り響き、ゴルスキィさんの部下が爆死しました。
「あはははははは!」
これは「味方が配置に付いた合図」である手榴弾ですね。自分の指示通りの配置についてくれたみたいです。
……自分は準備が出来たら、手榴弾を一つ放るように手榴弾投げおじさんにお願いをしていたのでした。
『あいつ、本当にオースちゃんなのか!?』
『アイツ、あの女……。トウリに死ぬつもりなど毛頭ない! 吾の気を引くために姿を見せただけだ!』
その爆発を囮に、自分は森林内に転がり込んで姿をくらましました。
逃げる方向だけはわかる様に、嗤い声を残しながら。
『オースが逃げていきます、ゴルスキィ小隊長!』
『追え、撃て!』
自分は最初から、命を投げ出す気なんてありません。
サルサ君やリナリーの仇であるサバト兵を殺す為。
少しでも油断を誘い時間を稼ぐべく、会話を試みただけです。
「……」
ゴルスキィさんは、凄い人です。
西部戦線の時代からずっと、突撃兵として最前線で槍を振るい続けた英雄。
あのガーバック小隊長ですら、仕留め切れずに逃がしてしまった本物のエース。
自分では逆立ちしたって勝てる敵ではない相手でした。
『アイツを逃がすな! ヤツを放っておくと、サバト再興の最大の敵になる!』
だから自分は逃げを選択しました。
自分より装備が多く、装甲も高い「格上の敵」に出会った時。
無理をして勝負を挑むのではなく、逃げて機会を窺うのがゲームのセオリーだったから。
ゴルスキィさんは、どんな気持ちで自分に槍を向けていたのでしょうか。
サバト革命の時、彼はどこまでも自分に親身に接してくれました。
異国人である自分が孤立しないように気を使ってくれて、貧弱な自分が凍死しないよう寝袋に入れてくれて。
自分が今、五体無事にここに立っているのは彼のお陰と言っても過言ではありません。
ゴルスキィさんは獅子です。
優しく、気高く、そして強い兵士です。
顔にこそ出していませんが、きっと自分を殺すのにはすごく抵抗があったはずです。
そうでなければ、自分との会話に応じたりしません。
なのに、自分は。
この瞬間、どうすればゴルスキィさんを殺せるかを悩み、醜悪な笑みを浮かべていたのです。
……自分で自分が信じられません。
「凄いですね、ゴルスキィさんは」
彼の突撃は、猪の如く迅速でした。
木々に隠れて姿を隠さないと、一瞬で追いつかれていたでしょう。
「まるでガーバック小隊長みたいです」
そして、彼の防御技術は完璧でした。
四方八方からガヴェル中隊が彼を狙撃したのに、全て躱すか叩き落としていたのです。
エース級は銃弾に対する答えを持っている、というのは本当なんですね。
『四方からオースに銃撃されています!』
『誘い込みか。トウリめ、最初から全部計算しておったな』
ですが、それが出来るのはエースであるゴルスキィさん本人だけ。
彼の部下は、精鋭とはいえ普通の兵士です。
包囲銃撃されて、無傷で切り抜けられるほどの練度は無いのです。
『これ以上は危険です、そろそろ退きましょう』
『ぐぬぅ、トウリめ覚えていろ』
周囲を包囲されたと悟ったゴルスキィさんは、早々に撤退を決断しました。
自分が彼の部下を集中的に攻撃させたので、部隊損耗率が思ったより多かったみたいです。
誘われて斬り込まされた事に、もう気付いたようです。
『全軍撤退────』
まぁ、彼はすぐ冷静になって退くだろうと思っていました。
彼は勇猛に見えて冷静で、部下が傷つくのを嫌います。
部下の被害が多くなれば、早めに撤退の判断をしてくれると思っていました。
だからこそ。
「1点読みが当たりましたね」
自分はガヴェル中隊を後方に退かせるのではなく、迂回して前方に撤退させていたのです。
それは、逃げるゴルスキィ隊を包み込むように。
ガヴェル輸送中隊は、ゴルスキィ隊を左右から挟撃する事に成功しました。
『ゴルスキィ小隊長、退路に敵が待ち伏せしています!』
『くそ、トウリは一体どれほどの兵を用意して来た!?』
逃げた先で数多の兵に待ち伏せされたので、ゴルスキィさんは伏兵と思ったみたいです。
まさか後方撤退中のガヴェル中隊が、撤退のタイミングを1点読みして回り込んだとは思わなかったのでしょう。
『急がないと、後ろの部隊が反転してくる。吾が道を切り開くから付いてこい!』
『了解!』
ゴルスキィさんはまっすぐ、ガヴェル中隊の包囲を突き抜けて突破しました。
流石は理性的で勇猛な、西部戦線からのエース級。
ここまで完全に罠に嵌めてなお、討ち取るには至りませんでした。
『逃げるんですか、ゴルスキィさん』
『ぐ、トウリか!』
これが、金色の英雄ゴルスキィ。
ここまでやっても殺せないからこその、エース級。
『此度は退く。次は貴様に、一切の情けはかけん!』
『逃がしませんよ』
ゴルスキィさんは自分の声に釣られず、振り返らずに走り続けました。
撤退すると決めた以上、方針がブレないのは良い事です。
少しくらい、後ろ髪を引かれてほしかったんですがね。
「手榴弾の爆炎に乗じて一斉射撃。視界の悪い状況で一斉射撃してください」
「了解!」
これが、最後の攻撃でした。自分達の武器弾薬も残りわずか。
ゴルスキィさんを仕留めるため、出し惜しみなく全てを使って一斉攻撃を行いました。
「……っ!!」
爆炎、銃声、悲鳴。
大地を揺らす銃撃音が十秒ほど鳴り響き、ガヴェル輸送中隊は敵を包囲し一斉射撃をお見舞いしました。
「は、は。……はぁ」
「嘘だろう」
……しかしやはり、ゴルスキィさんは英雄でした。
自分ごときではとても太刀打ちできない、正真正銘のエース級。
「最後は自ら殿になって、弾を全部はじきやがった」
「本当に、人間かアレ」
爆炎で目くらましをしての一斉射撃だったはずですが。
彼は煙の中で我々の攻撃を正確に捌き、部下と共に撤退を成功させました。
「……すみません。トウリ衛生准尉殿」
「いえ」
恐らく、出来る事はすべてやったと思います。
自分が持っている武器を全て使って、ゴルスキィさんの人の好さにまで付けこんで殺しにかかったのに。
金色の英雄は一発の銃弾を浴びる事もなく、部下を引き連れ撤退していきました。
「エースは逃がしたが、戦果はもう十分以上だ。トウリ、もう終わろう」
「……ガヴェル曹長」
流石は歴戦のゴルスキィ小隊、見事な突撃でした。
彼らによりガヴェル中隊は武器弾薬を使い切らされ、これ以上サバト軍を挟撃することは出来ません。
まんまとゴルスキィさんは、後方撹乱を行う我々を撃退し帰還したのです。
戦術目標を達成したゴルスキィさんの────勝利でしょう。
「いえ、まだです」
……そんなことを許して良いのでしょうか。
リナリーをあんな目に遭わされたのに、のうのうと逃げ帰らせて良いのですか?
彼はこの戦闘の後、いつものようにヴォック酒で宴会でもするのでしょうか。
あの娘は、あんなに苦しめられたのに?
「あはっ……」
自分に残された銃弾は、たった一発だけ。
排莢を終えた後、自分は小銃を空の彼方へと向けました。
「……トウリ?」
「まだ、終わっていません」
この時代の小銃に、狙撃性能なんてありません。
衝撃で手元はブレるし、酷使すれば熱で銃身がすぐ曲がります。
そんな粗悪な銃で遠距離狙撃など、まぁまずありえないのですけれど。
「リナリーの、仇」
撃つだけなら無料。自分の両目は、仲間を気遣いながら逃げ帰る金色の髪の男を捉えていました。
何となく、当たりそうだと思った角度とタイミングで。
「逃がすものか……っ」
自分はどんどん距離が離れていくゴルスキィさんの後頭部に、一発の実弾を放ちました。
遠距離の狙撃には、正確なエイム力なんて必要ありません。
大事なのは当て勘です。
銃弾が到達するまで時間がかかるので、敵の動きを読みながら勘でぶっ放すのがコツでした。
当たれば儲けもの。外れて元々。
「なっ!」
「あっ」
そしてぱたり、と。偉丈夫は音も無く倒れました。
こんな遠距離で狙われるなんて、想像もつかなかったでしょう。
ゴルスキィさんは最期まで、何が起きたか分からなかったはずです。
────これくらいしないと、あのエースを仕留めることなどできなかった。
「仕留めました、か」
自分が放った銃弾は数秒ほど山なりに放物線を描き、数百メートル先で走るゴルスキィさんの後頭部を捉えていました。
この時代の遠距離狙撃で、恐らく世界記録を出したと思います。
「各員前進、追いますよ。彼の死体を確認しましょう」
ゴルスキィさんが倒れた瞬間、多くのサバト兵が立ち止まりましたが。
前進し始めた我々を見て遺体を捨て置き、躊躇う様に走り去っていきました。
「……嘘だろ、お前。あの距離で狙い当てたのか」
「偶然ですよ。こんな銃で確実に当てられるわけないでしょう、適当に引き金を引いたら当たりました」
「そうか。そうだよな、そうであってくれないと困る」
実際、自分で言った通りこの狙撃は運が多大に絡んでいました。
同じことをやれと言われても、多分二度とできません。
「偵察兵は先行し、彼の遺体を確認して来てください」
「了解しました」
この時も、実は本当に当たっていたのか半信半疑で。
死んだふりで我々を誘っている可能性も考え、偵察兵を放って死体を検分させていました。
「……死んでる。コイツ、死んでるぞ!」
「やった! エース級を仕留めた!」
結局のところ、自分の銃弾はゴルスキィ氏を仕留めていました。
彼は目を見開いて、何が起こったのか分からないという表情で地面に倒れていました。
「この、よくも戦友を殺ってくれたな! チクショウ!」
「蹴れ、踏め! ミンチにしてやれ!」
「ざまあみろ! これだからサバトは信用できないんだ!」
ゴルスキィの遺体に近づくと、味方兵士は奇声を上げて遺体を暴行し始めました。
今日の戦闘で、ガヴェル中隊に最も被害を与えたのはゴルスキィさんです。
戦友の仇ともなれば、恨みをぶつけたくなる気持ちも分かります。
「散々にてこずらせやがって、このクソが────」
「肉を切り裂いてミンチにしてやる!」
彼の顔面は踏みつけられて、目玉が潰れ落ちました。
鍛え上がった肉体は割り割かれ、四肢が銃剣で切り落とされました。
それは、憎らしいサバトのエース級にはお似合いの最期と言えました。
────私怨で人を殺せば、ただの殺人鬼だ。戦場でもない場所で、人を殺すのは許されん。
────取り返しのつくうちに、気付いて戻れ。
その、光景を眺めていたら。
「……」
「よく当てたなお前。幸運運びの実力、見せてもらった」
ポロリ、と一滴の涙が頬を伝いました。
同時に自分を褒めるガヴェル曹長の声が、霞みかかって。
心が、胸が、凍てつくような怖気に支配されました。
────貴様も職務に準じただけだ。悪しきは、戦争だ。
「あ、れ」
「おい、トウリ?」
「自分は、一体、何を?」
それは雨がやむように、魔法が解けていくように、自分の興奮は溶けて消え去りました。
どろどろとした憎悪が削ぎ落ちて、取り返しのつかない『出来事』が目の前に転がっている事に気づきました。
「どう、して?」
自分の目前で、恩人が死んでいました。
サバトに流れ着いてからずっと、自分の力になり続けてくれた偉丈夫。
人格者で温かく、色々な事を教えてくれた自分の父兄の様だった人。
「あっ────」
自分はさっき、サバトであんなに世話になったゴルスキィさんを撃ち殺し、狂喜乱舞していたのです。
────トウリ、何か困ったことがあれば吾を頼ると良い。力になろうぞ。
ゴルスキィさんの瞳は濁り、虚空を見つめ動かなくなりました。
顔は変な方向を向いていて、右の目玉は引き抜かれて踏み潰されていました。
全身を銃身で袋叩きにされた後、やがて銃剣で首を斬り落とされ、赤黒い血が大地に零れ落ちました。
……自分はまた、大切な人を失ってしまった、のでしょうか。
「違う、違います。……殺した、殺してしまっ……」
「お、おい。どうしたトウリ、さっきから顔色がおかしいぞ」
「自分は、嬉々として、彼を殺しました……っ!」
ああ。気付きました。
自分はゴルスキィさんに、そうはなるなと教えて貰っておきながら。
リナリーに、偉そうに『私怨で人を殺すな』と説教を垂れていながら。
「リナリーが殺されたのが、憎くて。憎悪に呑まれ我を忘れていた────」
後悔と情けなさで、吐き気が込み上げてきました。
先ほどの自分は、命の危機に怯えて『ああなった』のではなく。
純粋にサバト兵が憎くて、リナリーを失ったのが悲しくて、『ただ殺す事を目的に』ゴルスキィさんを撃ったのです。
今なら、ゴルスキィさんが自分を見て殺そうとした理由が分かります。
あの時の自分は、きっと狂った表情をしていたのでしょう。
憎悪と復讐に囚われいつもの自分ではなくなっていることを、彼は看破したのです。
だからこそ危険視して、殺そうとした。
そのゴルスキィさんは死にました。
自分に背後から撃ち抜かれ、森林に血液をぶちまけて。
兵士に四肢をもがれ唾を吐きかけられ、無様な肉塊へと変貌していました。
「……全員、今すぐその乱痴気騒ぎをやめて集合してください」
自分は絞るように声を出し、部下に集合を掛けました。
「どうした衛生准尉、アンタはやらないのか」
「馬鹿ですか。まだ敵はすぐ近くにいるのに、無駄に体力を消費してどうします。そもそも、勝手に行動していいという許可を自分は出しましたか」
「あ、いやその」
「集合です。すぐ点呼をとり、小隊ごとに整列してください」
込み上げてくる吐物を必死でこらえ、自分はそう命じて蛮行をやめさせました。
ゴルスキィさんの遺体を、これ以上損壊させたくありませんでした。
「……ガヴェル曹長。作戦行動は終わりです、一度指揮権はお返しします」
「あ、ああ」
「自分の我儘を聞いていただきありがとうございました。今回の作戦における被害の責任はすべて自分が持ちます」
「お、おい」
少しでも油断すると、意識が飛んで倒れ込みそうで。
息が早くなり気が遠く、立っているのもやっとでした。
「では、自分は現時刻を以てガヴェル曹長の指揮下に入ります」
「……トウリ、お前さ」
そんな限界ギリギリの自分を、ガヴェル曹長は憐れむように見つめて、
「何で勝った瞬間に、死人みたいな能面顔になってんだよ」
そう、つぶやくように問いました。