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九層の大穴

 八層の最深部で、アブダルが手荷物から水と軽食を出す。包みはパンにハムとレタスを挟んだものが入っていて、イングリッドが受け取った。


 先ほどから、空間全体の揺れがずっと続いている。


「揺れが続いている。嫌な予感がする。帰ろう」


 俺の言葉に、イングリッドが食べながら抗議する。


「ふぁふぁしゅふぁりゅうふぁをぉとれぇふぁぃふぁ」


 食べてからでいいから……。


 アブダルが水筒を差し出してくれる。受け取り、喉を潤しながら彼の言葉を聞いた。


「イングリッドは、お前が竜になってしまうのを止めたいんだよ。だからテンペストにそれを話してみて、例えば方法を教えてもらうとか、何かしらの方法を探りたいんだ。でもそれ、お前はさっきみたいに反対するだろ?」

「反対だ。テンペストはそんな存在じゃない。イングリッドだってわかってるだろ」


 彼女を見ると、食事を飲み込んで口を開いた。


「そうだとしても、諦めたくない。わたしはお前を助けたい」


 彼女は真剣な表情で言い、そこで言葉を止めると水を飲み、俺とアブダルを交互に見ながらまた口を開く。


「エリオットを助けたいんだ。わたしはお前が竜になるなんて嫌だ」

「わかった……」


 俺は、彼女が譲らないとしていることは理解できた。


「……俺だって竜になりたいわけじゃない。だけど、それが嫌だからってお前とアブダルが危ない目に遭っていいとは思わない。方法は探す。探すよ……だけど、テンペストを頼るのは駄目だ……彼女はそんな相手じゃない」

「他に……どこをどうやって探す?」


 俺を真っ直ぐに見つめるイングリッドに、嘘はつけない。


「わからない……わからないけど――」

「間に合わなくなる」


 イングリッドが俺を遮り呟くと、俯いた。


 なんて言えば、彼女は……いや、どう言ったところで彼女は曲げない。


 俺が、彼女の立場だったら同じことをする。


 もしイングリッドが、竜化の本人だったら俺は彼女のために、それを止める方法を探すだろうし、竜の命の欠片ティアドロップを俺たちにくれたテンペストと話がしたいと思うだろう。


 イングリッドがやめろと言っても、俺はやめない。


 俺のために、お前が竜になるのを止めると言ってきかない。


 こう思えたから、彼女の気持ちがとてもありがたかった。


 そして、そのイングリッドに話されて、協力してくれると言ったアブダルにも感謝をする。


「イングリッド、ありがとう。アブダル……すまない」


 アブダルに背中を叩かれた。


 痛い……強く叩きやがって……。


「アブダル、照れるなよ、キモいぞ、いい大人が」

「うるさいな、行くぞ」

「なんでお前が掛け声をするのだ?」


 イングリッドが笑いながら抗議し、三人で九層へと入る。


 壁に沿う狭い通路を進みながら、揺れが大きくなっていることに不安を覚えた。


「イングリッド、この神殿、崩れたりしないか?」

「わからん。だけどずっと無事だ」


 そのずっと無事だから、これからも無事だと信じた結果の地獄を、俺はいろんなパターンで知っている……。


 九層から、最深部へと通じる階段を前にした時、最後尾のアブダルが俺の肩を叩く。


「どうした?」

「逃げろ! 走れ!」


 俺もイングリッドも、アブダルが慌てるほどの事が起きていると感じて前に走った。


 肩越しに後ろを見る。


 九層の穴から、それが這い出てきたところだった。


 さっきから揺れていたのは、こいつが穴をよじ登ってきていたからか!


 現れたのは、さきほどよりも巨大な炎魔人ヴァルラグだった。




-Elliott-




「ヴォオオオオオ! ヴォオオオオ!」


 二度、咆哮した化け物が、真っ赤な両眼で俺たちを捉える。


「魂を封印している空間に入れたら駄目だ」


 イングリッドの声。


「アブダル、後ろに!」


 俺の声で、アブダルが最後尾についた。彼は勇敢にも弩に矢を装填している。


 俺は、言わないと機会がなくなると感じて、彼に言う。


「戦えないお前を誘って悪かった。最初に、お前を誘わなかったら、こんなことにならなかった。俺のせいだ」

「馬っ鹿! こんなの誰もわかんねぇだろ! 勝ちゃいいんだ、さっさと勝ってくれ!」


 自然と笑みとなる。


 そうだ。


 勝てばいい。


 イングリッドが、俺の左についている。右手をちょいと伸ばして、俺の左腕に触れた。


「エリオット、やろう」

「イングリッド、後ろを頼む」

「まかせろ」


 俺は深呼吸をする。


 鉱山で戦った奴よりも巨大だ。


 身の丈四メートルはあった。今、俺たちがいる九層から十層への階段は、ずっと下まで続いていて、まだまだ最深部まで距離はある。広さは戦うには十分だが、それは化け物にとってもそうだ。


「ΑΓΔΑΖ……ΖΔΔΨ」


 さっきの奴と同じように、理解不能な発音をした炎魔人ヴァルラグは、両拳をぶつけあう。すると炎が両手を包み、奴がそれを左右に離すと炎は大剣へと変化し、右手に握られた。


 大剣で階段を叩き割り、破片を撒き散らした化け物が身を乗り出して咆哮する。


「ヴォオオオオオオオオ!」


 来る!


 剣をかまえた直後、奴が大剣を投げた!


 そうきたか!


 剣で弾いた直後、炎魔人ヴァルラグは目の前に跳躍してきていて、俺が弾いた大剣を宙で掴み、そのまま振りおろした!


 魔剣イングリッドで防ぐ。


 大剣と魔剣イングリッドが、俺の頭上でぶつかった。


 奴は左の殴打を俺に見舞うも、イングリッドの風刃波ベントスがその拳を切り刻む。


 炎魔人ヴァルラグは後退しながら火炎弾フレイムを撒き散らし、俺たちは防御魔法ディフェンシォで防ぐ。


 イングリッドが、水幕アクア炎魔人ヴァルラグを包囲したが、奴は大剣を振り回して彼女の魔法を次々と払った。一瞬で蒸発する大量の水が衝撃波を生み、俺とイングリッドは階段を転げ落ちる。


 彼女をアブダルが受け止め、俺は剣を階段に突き立てて止まった。


「ΠΘΕξεΑλΟΛ! ΔЙΑμЁ、ΨΩζΞ!」


 あいつは何かを言っているようだが、全くわからない。


「エリオット!」


 アブダルの声。


 イングリッドが、左腕をおさえて立てないでいる。


 骨をやったか?


「イングリッド、治せ」


 俺は叫んで、前に出た。


 炎魔人ヴァルラグが、大剣を振り回しながら、左腕を伸ばして鞭のようにしならせた。


 右方向から迫る奴の左腕を跳躍で躱し、その腕を蹴ることでさらに跳んで大剣を避ける。そして化け物の頭部へと、渾身の力で魔剣イングリッドを叩きこんだ。


 硬いものを斬った感触!


 奴の肩を蹴って後方へと逃れ、襲いかかってきた左腕を剣で弾く。


 炎魔人ヴァルラグの頭部が、ぱっくりと割れていた。


 しかし、やはり奴の動きは鈍くならない。


 大剣の二連撃を魔剣イングリッドで弾き返し、左腕の攻撃も体捌きで躱した。


 俺は左腕を出して、魔剣イングリッドの刃で皮膚を切る。すうっと流れた血を、刀身に滴らせた。


 氷を浮かべた水の入ったグラスを、指で弾いた時のような音が鼓膜に届く。


 集中する。


 緊張している。


 呼吸を整えた。


 炎魔人ヴァルラグが、大剣を振り回しながら接近してきた。


 カウンターで、一閃をくらわす。


 だが、奴は大剣を投げた。


 狙ったのは、俺じゃない!


 咄嗟に動いて、大剣を弾こうとしたが、化け物は火炎弾フレイム二発を俺に撃っている。


 まずい!


 いや、大剣を叩く!


 俺の身体はもう反応している。


 魔剣イングリッドで、奴が投げた大剣を弾いた。


 火炎に襲われる直前、防御魔法ディフェンシォで守られた。


 イングリッド!


 肩越しに、立ち上がる彼女を見た。


 左腕を治していない……。


「イングリッド、治せ」

「嫌だ! 無駄な力を使いたくない」

「……アブダル!」

「イングリッドは任せろ!」


 助かる!


 炎魔人ヴァルラグが、突進してくる。


 俺は前に進むことで、奴の意表をついた。


 二人へは近づけさせない!


 俺の斬撃を、奴は左腕で防ごうとした。おそらく、これまでの攻防でその自信があったのだろう。だが今の魔剣イングリッドは、俺の血で力を増している。


 炎魔人ヴァルラグは左腕の肘から先を失い、驚いたように両眼の穴を歪ませて後退した。


「うぅううううう!」


 イングリッドの呻き声。


 アブダルがイングリッドの剣の鞘を使って、彼女の左腕の添え木にすると、自分の上着できつく縛り上げていた。


「ぁあああああ!」


 イングリッドが痛みで叫ぶ。


 俺はふり返らず、武器を失い片腕となった奴へと迫る。


 炎魔人ヴァルラグが、炎姫歌華ヴァルガデローザを発動したことがわかったが、イングリッドの魔封盾スクトゥムが守ってくれた。


 くらえ!


 斬撃を、奴の頭部にみまった!

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