グラードバッハに帰還
迎えの小舟に乗った時、漕ぎ手の男たちに心配されるほど、俺は目の下に濃い隈をつくっていた。
リュミドラは仮面をつけて、顔を隠している。
商船へと乗り込み、船長の労いをうけて客室に入る。
湯とタオルが用意されていて、貴重な水を使わせてもらうことに感謝しながら服を脱いだ。途中、寝落ちをしていて半裸で座ってままいびきをかいて、自分でそれに驚いて起きた。どれだけ寝ていたのかわからないが、せっかくのお湯が冷めてしまっていることが悲しい。
いたるところに打撲の痕……お湯で濡らしたタオルで身体をふき、用意されていた着替えを使わせてもらった。
ドアが叩かれ、リュミドラが入って来る。
水を持ってきてくれたと思い、水筒を受け取るとそのまま接近されて、二人でベッドの上に倒れた。
「……お前の気持ち、迷惑じゃないけど今は困る」
「……最悪な告白だよね? あの竜、頭おかしいよね?」
「……そもそも、お前は姫様だ。身分がちがう」
「エリオット……家柄はそうとうに良かったのに?」
実感がないんだ。それに、それを知ったからといって何かしようということもない。
リュミドラの首から、石鹸の匂いがする。彼女の柔らかなぬくもりが直に伝わってきた。
「……リュミドラ、俺も男だ。約束のできないまま、欲に溺れてお前を抱くかもしれないぞ」
「じゃ、お断り」
パっと離れた彼女は、意味ありげな笑みを見せるとドアへと向かいながら、横顔を見せる。
「エリオット、魔物や化け物と戦うときは勇敢なのに、恋には臆病だね」
彼女が出ていく……。
臆病なんだろうか……いや、実際、そうなんだろう。
それにしても……変わった姫さんだ。
-Elliott-
暦は四月に入っている。
北方大陸の北西に位置する半島にも、春がやってきた。
しかし、俺の心はまだ冬模様といえる……。
グラーツから南へと南下した俺とリュミドラは、四月五日の午後早い時間にグラードバッハに入った。彼女は抜け出したことをジークにこっぴどく叱られていたが、爺さんは俺には感謝を伝えた。
「たくましくなったように見える。お前のおかげだ」
「連れ出して申し訳ありません」
「そういう言葉遣いするなら許さんよ?」
「ジーク、いろいろと報告がある」
「その前に風呂入れ。リュミドラ、お前もだ。二人とも臭いぞ」
「な! お爺ちゃんよりは臭くないよ!」
……風呂、ありがたい。
ジークの厚意で風呂でサッパリとして、食事もとらしてもらう。そして陽が落ちた頃、三人でギルドを出て、魔法学院へと入った。
ここで、ひとつ問題が起きていることを知る。
ガリアンヌの塔が接近禁止になっていたのだ。
ジークが苦笑しながら教えてくれた。
「例の天才少年が、あの夜の作戦で生徒たちは囮に使われたと訴えてな。多くの生徒たちが抗議で塔にこもった」
「学長は?」
「他の建物におるよ。あそこ」
ガリアンヌの塔ではなく、研究棟のほうに移っているらしい。
ジークの案内で引っ越した学長の部屋を訪ねる。
リュミドラがノックをした。
「小僧どもを捕まえてきたのでなければ入るな」
ドアを開けて入ると、彼女は怒鳴ろうと立ち上がった直後に俺たちだとわかって表情を一変させた。
「よく戻った!」
「ありがとうございます」
「どうだった!?」
「そのことで参りました」
「おい! 椅子とお茶をもってきて!」
学長の張られた声に、外から「はい!」と返事がかえる。
「ノアが大変らしいですね」
俺が話題をふると、学長は苦笑する。
「どうせ、腹をすかせて降りてくる……今、四日目だ。そろそろあの建物の中から食べ物や飲み物がなくなるだろう」
「ノア、捕まえてきましょうか?」
「相手する必要はないよ。あれは相手をしてほしいのさ。そして、すごい、さすが、とチヤホヤされたいんだ。でも本人は謙虚にふるまうよ? それが皆に好かれる方法だと知ってやってることだからタチが悪い……」
お茶とお菓子が運ばれてきて、椅子も二脚、追加された。
「わたしが行ったほうがいいかな?」
リュミドラだ。
彼女は祖父母を交互に眺めて続ける。
「わたしがたてた作戦だったの」
「いや、俺が助言した。そうしろって」
「ううん、わたしがそれを受け容れた。だからわたしの責任なの。婆様、わたしが行って話をしてみる」
「それは後にしろ……エリオット、話しなさい」
俺は魔竜ステルラから聞いた内容を、そのまま学長とジークに伝える。そして、そこで親子の再会があったこと、北方騎士団、ヴァスラ帝国、聖なる騎士団と俺が関係していたことも隠さず教えた。
ジークはうなり、学長は天井を眺めて腕を組む。
彼女はそのままの姿勢で、口を開いた。
「北方騎士団の跡目問題……先代はおかしな死に方をした……それがフレデリクの仕業ではないかという噂になった……あの時からこれが始まっていたのか」
ジークが継ぐ。
「だが、聖なる騎士団が騎士団と名乗っている理由に納得できるものがある。長男のグレンダルフが総長……彼は表舞台におったころは聖騎士と敬われるほどの人物だったが……本性はまた違うのか」
学長はそこで、俺の母親のために祈ってくれた。
「シルティア・ガルディア・フェンネストの名において、オリビア・ファウム・シュバイクの魂が精霊のもとに届き、また新しき世に出るまで穏やかに過ごせますように……」
彼女はそこで口を閉じると、紅茶で喉を湿らしてから竜化に関しての私見を述べる。
「竜化は始まっている……この意味はふたつある。ゆっくりと進む。そして、石の力を使った時にそれは進行が早まる」
「……頼らないにこしたことはないってことですね」
俺の言葉に、学長は頷くも苦笑を浮かべていた。
「でも、お前さんは相棒を救うためにミラーノに行く……そうだね?」
「行きます」
「イングリッドが生きていることを信じているんだね?」
「はい……それに、生命の危機に瀕した時、石が発動するはずなんです。だから最悪、彼女は死だけは免れているに違いないと思うんです……」
「……お前が言ってた、資格ないものが石を使うと化け物になるというあれ……エルフもそうなるかもしれないよ?」
それは、わざと考えないようにしていたことだ……。
リュミドラが、俺を見ていた。
ぬか喜びさせたと後悔しているのかもしれない。
「どんな姿であれ、俺は相棒を信じてる……信じています。彼女は俺を待ってくれている。約束したんです」
「わかった……」
学長は頷くと、孫を見た。
「……リュミドラ」
「うん」
祖母が孫を見る。
「お前、ついて行くのだろ?」
「うん!」
「いや、今度は駄目だ」
俺は思わず口を出したが、学長がかぶりを払った。
「抜け出すくらいなら、十分に準備をして送り出す。だから言う事をききなさい」
「うん、きく」
ジークが呆れたように学長を見たが、睨まれて視線をそらした。
爺さん、奥さんにずっと負けてたんだろうなぁ……。
「ガリアンヌの塔の最上階に、精霊の加護を受けた防具がある。それを取りにいって来い。そのついでに、ノアを捕まえておいで」
「うん! あ、でもノアが抵抗したら戦いになると思うよ?」
「ガリアンヌの塔の壁面は全て魔法を吸収する。外へは被害が及ばないから存分に戦え……六階から上は昔、魔導士どうしが決闘をおこなう場所だったのよ」
俺は手伝うことにした。
「生徒たちが大勢いるのだろ? 俺も手伝う」
学長はうなずき、リュミドラに言う。
「あんたが惚れた相手は、ジークとは違って頼りになると思うよ」
「お婆ちゃん!」
顔を真っ赤にしてあたふたとする孫に、学長が笑いながら俺を見た。
「だてに女を長くしてないよ。自分の恋は失敗したけど、孫には成功してほしいもんさ。ジークは黙ってな」
孫の恋心に関して文句をつけたかったはずの爺さんが、俺を睨みながら黙った。
爺さん、安心してくれ。
「ジーク、怒るな。手を出してない。傷ものじゃないから」
「では五発で許す」
「爺さん、黙れ」
学長がジークを睨み、俺とリュミドラへ手をヒラヒラさせた。
「早く行きな。精霊の防具を持ってきたら、改めてわたしが魔法を込めてあげるからね。それを着てエリオットの後ろを守ってやりなさい」
「うん! お婆ちゃん、ありがとう」
喜び、跳ねるような足取りで部屋を出るリュミドラ。
だけど俺は、あのノアがそう簡単に降参するとは思えないでいた。
-Elliott-
ガリアンヌの塔は、知恵の神ガリアンヌからきている。
近づくと、塔の上から火炎弾が放たれた!
防御魔法で防ぎ、一階の出入り口を蹴破ると、抗議に参加しているはずの生徒たちがぐったりとしている。
下級生らしく、疲労がやる気を上回り戦意を失っている状態だとわかった。
リュミドラが言う。
「君たち、外に行きなさい。ご飯があるから」
「……でも、抜けるとノアにあとで虐められるから」
「いいの。ノアはもう今日でいなくなるから」
リュミドラは、ノアを追放する気なのだとわかる。
実際、それがいいだろう。
階段をのぼり、二階、三階、四階とそれぞれの部屋をひとつずつ確認し、生徒たちに投降をよびかけた俺たちは、五階にあがったところで、異変に気づく。
五階には、研究準備室と資料室があるが、資料室が空になっていた。
「ここにはなにがあった?」
「えっと……標本……悪魔の手とか、邪竜の牙……聖石……魔法具も」
「……今、聖石と言ったか?」
「うん、あったよ」
「……ノアほどの奴だ。聖石のことを知ってるだろ?」
「神学で習うからね。魔法学院の必須科目だから、一年生で習うよ」
まずい。
嫌な予感はあたってる。
あいつ、聖石で勇者になって学長や教師、自治軍、俺やリュミドラを見返そうとしてないだろうか!?
部屋を出て、六階に行くと、開いた窓から下を監視していた生徒たちがいた。
「君たち、外に出てご飯を食べなさい」
リュミドラの言葉で、生徒たちがうなだれる。
さっきの攻撃は、彼らか……よろよろじゃないか。どうしてこんなになっても……なにがこの中であった?
生徒の一人が、リュミドラに言う。
「ノアに逆らうと殺されます」
「大丈夫。わたしがさせない。早く降りなさい」
彼らが逃げるように階段を降りていく。
俺たちは、七階を目指す階段を進む。途中、生徒たちのものと思われる衣服が捨て置かれていた。
「七階は発表会に使う部屋」
リュミドラが階段をあがりながら言い、七階の踊り場に立つとドアを開ける。
円形の部屋、中央にノアがいた。
彼も、そして彼を囲むようにしている生徒たちも裸だ。
皆、何か呪文を唱えている。
「君たち! いい加減にしなさい!」
リュミドラが腰に手をあてて大きな声を出したが、四人の男女がノアを囲んで一心不乱に呪文を唱え続ける。
ノアが俺たちを見た。
「下の奴らは僕を裏切ったのか……」
「ノア君! やりすぎですよ!」
「黙れ、僕の才能に嫉妬する馬鹿ども」
彼は笑うと、右の手の平を上に向けて広げた。
赤い石がそこにはある。
聖石。
「僕は勇者になる。そしてお前らみたいな馬鹿な奴らとは違うってところを証明するんだ」
俺は、駆け出そうとするリュミドラを止め、口を開く。
「やめておいたほうがいい……ろくでもない結果になるぞ」
「うるさい! うるさい! うるさい! うるさい! うるさい! うるさいうるさいうるさいうるさい! 僕のすることにケチをつけるな! 僕のすることにケチをつけるな! 僕は考えてるんだ! お前らみたいな僕を認めない奴らが僕の邪魔をするな! 邪魔をするな!」
「邪魔をしたいんじゃない。人間でいてほしいだけだ」
「黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れー! 黙れ! 指図するな! 僕よりも馬鹿のくせに指図するな!」
赤い石が、光り始める。
「きた! きたきたきたきた! おい! もっと祈れ! もっとしっかり祈れ!」
ノアが叫んだ時、一人の生徒が疲労のあまり白目をむいて倒れた。
ノアはその子を睨むと、歯軋りしながら倒れた身体に蹴りを入れる。
「たて! たてよゴミ! これくらいしか役にたたないくせに!」
俺はもう見ていられなくなり、素手のままノアへと加速する。部屋は直径十メートルほどで、高さは三メートルあるかないか。
一瞬でノアの腕をつかみ、聖石を奪おうとした瞬間、周囲の生徒たちが俺に跳びかかってきた。
「こら!」
彼らをはがそうと手足を動かし、後退したところにノアが呪文の詠唱を始める。
おい! 仲間もろとも焼く気かよ!
俺は魔封盾を発動し、子供たちも含めて守る。
リュミドラが動いていた。
彼女は素早くノアへと接近し、その腹に殴打を見舞った後、蹴りも入れた。
「がぁ! げぇ……」
身体をくの字にまげて悶絶したノア。
俺は、まとわりつく生徒たちを引き剥がし、頬を叩いて正気に戻させる。
「あ……あれ?」
「ちょっとなんでわたし裸!?」
「いやー! いやー!」
女の子が混乱して階段へと殺到しようとした時、悶絶していたノアの手が動く。
それは信じられないほどに伸びて、逃げようとしていた女の子の足首をつかむと、自分のほうへと引きずり始めた。
「まずい!」
俺は剣でノアの腕を斬り、倒れていた男の子を抱える。そして足首を解放されて放心状態の女の子に叫んだ。
「下へ早く!」
二人が自力で階段を駆け下り、俺は腰を抜かした女の子と気絶している男の子を抱えて下へと降りる。
「リュミドラ! 急げ!」
「二人を早く! くい止める!」
馬っ鹿!
いや、もう入れ替わってる暇はない。
俺は全力で階段を駆け下りた。一階には、教師たちが入ってきていて、中の物が被害にあっていないかを確認しながら談笑している。
「よかった、よかった」
「しかし、今回の件はグラーツには秘密にしておかないと駄目ですなぁ」
「本当に。学長が先王妃陛下でよかったですよ」
「そうそう、面倒なことはすべてもみ消してくれますからねぇ」
俺はクソ教師たちへ、抱えていた二人をおしつける。
「上で姫が戦っている! 応援に来い!」
「え!? いや、私は戦うのは苦手で」
「そうそう、戦える人達は南にいますので、すぐに遣いをやりましょう」
「私が手配してきましょう」
俺はそいつらを無視して、再び階段を駆け上がる。
急げ。
急げ!
間に合え!
リュミドラまでも守れないなんてないぞ、俺は!
走れ!
三階、四階、五階と一気に駆け上がり、六層へは呼吸を整えることに集中する。
緊張が増す。
心地よい感覚!
上から、リュミドラの声が聞こえてきた。
「光翼邪滅」
今、行く!




