16話―別れ
目の前で今まさにメルと男の戦闘が繰り広げられていた。
戦闘力的には確実にメルの方が上、だが。
男の武器は注射器。恐らくは毒。1発でも掠ったらそれだけで致命傷となる。
メルも恐らくそれをわかっているのだろう。男の攻撃全てを躱しているが、もつかどうか。
「こんな時に私は何も出来ない...」
もし武器が手元にあれば...!弓なら確実にあの男のレンジ外から攻撃出来るのに、こんな時に限って私は...。
「ワウッ!!」
「なかなかにすばしっこいですねぇ。このままだと埒が明かない。しかし、これならどうですかねぇ!」
そう言いながら男は手に氷の塊を出現させる。
私の感があれには触っちゃダメだとそう警告する。
「メル!!あの氷にも触っちゃダメ!!」
「ワウッワウッ!!」
返事をするようにメルが吠える。
男の持つ氷が変形していく。球体のようだった氷から幾つかの突起がでてくる。
メルも危険を察し、攻撃される前にと全速力で男の懐に入り込む。
「少しばかり遅いですねぇ!!」
男の氷から氷柱がメルに向かって射出される。私の矢よりも確実に早い。
「メル!!!」
私の目には氷柱がほんの少しかすったメルの姿がうつっていた。
「あー、当たってしまいましたねぇ。と、言うことであなたの負けですよぉ。可愛らしいお仲間さん」
「クウゥン...」
「足が震えていますよぉ。安心してください、死ぬような毒ではありませんのでぇ」
そう言いながら手に1本の注射器を握り直す男。
「ですが、この中身全部打ち込むとぉ。致死量なので死ねますよぉ」
メルに向かって歩いてくる。
「ダメ!!やめて!!!」
「貴方は少しばかり待ってくださいねぇ。まあ数時間も後にはあなたの番ですのでご安心をぉ」
メルの前でかがみ込み、注射器を刺そうとした時。
私は目の前の景色を疑った。
疑わない方が無理というものだろう。
メルが一瞬のうちで成長し始めたのだ。黒い、一種の恐怖すら感じる煙を纏いながら。
「な、なんですかぁ!これはぁ!」
「メ、メル...?」
大きくなったメルは黒い煙を纏いながらゆっくりと男に向け視線を上げる。
「うっ...急に大きくなったからとて強くなった訳ではないでしょうぅ!」
後ろから見てるだけで感じる、メルから発される威圧。私はこの感覚を知っている。
これは...異形を目の前にする感覚。
「ワオオオオオオォォォォォォォン!!!」
後ずさる様に、男は後ろに下がりながら、それでも手に氷を出現させる。
「さ、さっきは当たったぁ!こんな短時間でそこまで成長できるわけがないぃ!!」
氷から氷柱が放たれる。
4本、いや5本同時。先程より速度も早い。明らかに殺しに来てる。
「メル!避けて!!!」
叫ばずにはいられなかった。何も出来ない私の、ただ虚しい抵抗。
次の瞬間、目に入ってきたのは―
血
あたり一体に飛び散る血液、ありえない。なんで、どうしてその速度で男の後ろに周り込めたの...。
「な、ん......で.........」
圧倒的。
男の氷柱なんてものともしなかった。メルには文字通り止まって見えていたのかも知れない。
私の目では追うことが出来ないほどの速度で男の後ろに回り込み、前足で切り裂く。
倒れている男の背中からは白い物体が見えていた。
それ程までに、深く。強く。素早く。
「メ、メル......ありがとう」
私の中にも恐怖がある。ただ、相手はメルだ。ここまでほんの数日の付き合い。でも私も、おそらくデセスもメルのことを信用してる。
「ワオオォォン!」
強く。そう吠える。
メルと正面で向かい合い。言っていることが伝わってくるよう。
恐らくこれ以上自我を保っていられないと。
「エスペ!!!メル!!!」
この建物の入口から声が聞こえる。よく聞き慣れた声。
「デセス...来てくれたんだ......」
安堵により思わず気が緩む。
「あぁ!当たり前だろ!それよりこれは...」
「メルが」
そこまで言った私を遮るように。
時間がないと言うように。
メルは吠える。
「ワォン!!」
メルが私の方に近づいてくる。
手と足が、ふっと軽くなる。
「メルありがとう」
その返事を返すことなく私の視界からメルはいなくなった。
残ったのは無惨に果てた男の死体と、私の事を、そしてメルを心配するように入り口の方を見つめるデセスだけ。
私はもうメルに会うことがないんだろうな。
そんなことが頭に浮かび、私の意識と共に消えていった。