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聖なる闇の紋章と  作者: 木庭秋水


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虚無討伐 その4



 ほんの一時の心安らぐ時間だった。


 しかし、虚無はまだ存在し、ソルウェイン隊の者たちも夜の闇の中を必死で捜索している。いつまでも現実から目を背けているわけにもいかなかった。


 ソルウェインは治療を終えたカミュとイリーナを自分の天幕へと連れて行き、二人に説明を求めた。


 そこで二人は、先ほど見た虚無のすべてを全部話していく。


「『火』か……ついてないな」


「うん。しかも、少々力が強い。あんなのを燃える物がある場所で乱発されたら、あっという間にこちらは動けなくなる。雨期だったら、まだよかったんだろうけど」


「見つけた後で戦闘になってしまったのが悔やまれるな……いや、無事逃げられただけでも上出来か……」


 ソルウェインは静かに目を閉じ、大きくため息を吐いた。


「ごめん、ソル兄」


「いや、責めているわけではない。むしろ、初めての虚無との戦いで、よくこれだけ冷静に判断した。上出来だ。お前なら、イリーナと二人で出せば必ず本気を出すとは思っていたけど、変に気負って無理をしないかだけは心配だったからな」


 ソルウェインは頭を下げるカミュに笑ってそう言った。しかしイリーナは、じっとりとした目をカミュに向ける。


「兄さん。兄さんも見誤ってるわよ。この馬鹿、とんでもない大嘘つきなんだから」


 カミュは言葉も返せず黙り込む。


「どういうことだ?」


 ソルウェインがイリーナの顔を見た。


「カミュはね。確かに兄さんが言っていた通り、戦えないんじゃなくて、戦わなかったの。でも、それなりに戦えるはずなんて実力じゃないのよ。紋章を使わずに戦ったら、たぶん兄さんでもかなりの苦戦を強いられるわ。よくこれで俺は剣が苦手だからなんて嘯いていたものよね。大得意よ。剣」


「そんなにか?」


「そんなによ。アーマードウルフが一瞬だったもの」


「ほぅ」


 ソルウェインはイリーナからカミュへと視線を戻す。カミュは再び怒りを燃え上がらせたイリーナとソルウェインに凝視されることになり、縮こまるしかなかった。


「ま。今更こんなこと言ってもどうしようもないけど。でも、もしあの時きちんと人数がいたら、私とカミュであの虚無を保持できていたかもしれない」


 その間に兄さんを呼びに行くことも出来たでしょうと、言外に含めてカミュを責めた。


「ふむ……」


 ソルウェインは無意識に顎に手をやり考え込んでいる。


 イリーナは大真面目だった。妹が本気でそう思っているということを、ソルウェインもはっきりと感じ取っていた。そして、だからこそ、いよいよ尋ねずにはいられない。


「……なあ、カミュ。お前がそうまでして自分の力を隠そうとした理由はなんなんだ? 理由もなく、そうしていたわけではないだろ?」


 イリーナもそれまでの責めるような目つきを止め、まっすぐにカミュを見つめる。イリーナとて、ずっと聞きたかったのだ。そこに、いつもカミュと言い合いをしている時の彼女はいなかった。


 カミュは二人から視線を逸らす。まっすぐに二人の目を見ていられなかった。


 二人はそんなカミュを急かすこともなく、口を開くのを待った。その代わり、今回は逃げは許さないと、二人とも煮え切らない態度のカミュから目を離さない。


 カミュはどうすべきか答えが出せなかった。


 ただひたすらに時間だけが流れていった。しかし、それでも二人は、カミュが口を開くのを待ち続けた。


 そして、どれほどの時間が経っただろうか。


「……闇の紋章」


 当然、ポツリと呟かれる。


「ん?」


 ソルウェインが聞き返す。


「闇の紋章が宿ってるんだ……」


 今度はハッキリとそう言って、カミュはゆっくりと意識を集中する。紋章が発動し、ブラムの時と同じようにカミュの体は闇の紋章の放つ気に輝いた。その額にも二人の知らない紫色に輝く黒い紋章が浮き上がった。


「まさか……」


 流石のソルウェインも目を見開いた。イリーナも己が目で見ている物が信じられないとばかりに言葉を失い、呆然としたままカミュの額から目を離せずにいる。


 二人が見たことのない色の気、そして知らない意匠の紋章。それがそこにあった。


 カミュは無言のまま、恐る恐る順番に二人と視線を合わせていく。今の彼には、二人の目を見るだけで十分勇気が必要だった。


 虚無討伐の話が思わぬ形へと進んでいく。


 ソルウェインも頭を抱えてしまう。


 イリーナは、


「どうして、そういうことを黙ってるのよ! そんなことになっていて一人でどうこうできるわけないでしょっ! もう、ホントにあんたはなんでそう変なところでお馬鹿なのよっ! そんなに私たちは信用できないっ?」


 と、今までにないほどに顔を真っ赤に怒りを顕にして、発動させた紋章の力を鎮めたカミュに詰め寄っている。


 実際のところ、カミュも一人でどうこうできるのだろうかと悩んでいた。それだけに、イリーナのこの激しい非難に言葉を返せずに沈黙することしか出来なかった。


「まあ待て、イリーナ。今そんなことを言っても始まらん。が、まずったなあ……。なあ、カミュ。お前、その紋章を宿してどのくらい経つ?」


 イリーナを宥めながらソルウェインは静かにカミュに尋ねる。しかし、そんな彼もいくつもの言葉を呑み込んでいる様子がありありと窺えた。


 カミュは、そんな二人に対して急に恥ずかしさを覚えた。


 真剣に話を聞いてくれている。直接的にあるいは間接的に独りよがりを指摘し、手を取ってくれようと怒ってくれている。そんな相手に対して、自分のしてきたことは適切だったのだろうかと迷いが生まれていた。


 そして、もう黙っているのはやめよう……そう思った。


 カミュとて、二人が信用できなかったから話さなかったわけではないのだ。信用できないから秘密にしていた相手もいれば、大事だからこそ話せなかった相手もいるのである。二人は明確に後者だった。でも、そのこと自体が二人への侮辱だったのかもしれない。そう思えたのである。


「十のときに宿ったから、八年くらいかな……」


 自然と口にできた。


「今、それをどのくらい使いこなせるんだ?」


「そこそこは……。顕現も出せるし、顕現を使わなくても幾らかの力も発動できる。運動能力の強化も、たぶんミラ・インストレルの紋章よりも跳ねると思う。ただ……、その分ちょっと消耗が激しいのかもしれない。顕現を出さなくても、紋章を発動させれば、何かが消耗していくのをはっきりと自覚できる」


 そして一度口にしたら、今までなんとしても隠さなければならないと思っていた気持ちが消え、するすると口が動いた。


「ってことは、かなり使い込んではいるんだな?」


 ソルウェインは確認するかのように、カミュの目を真っ直ぐに見据えて尋ねる。カミュは静かに頷いた。


「……表だっては使っていないけど、それなりに」


「わかった。それと、この話を知っているのは?」


「親父だけ……。最近鉄騎がやたらちょっかい出してくるだろ? で、少しでも親父の力になってやりたかったから執行人を請け負っていた。その話をするにあたって打ち明けた」


「……お前、そんなこともやっていたのか?」


 ソルウェインは呆れたように言う。


 先ほどカミュに怒りを爆発させて以降静かにしていたイリーナも、更なる秘密の暴露に首を小さく横に振った。もう言葉が出ないとばかりに。


「うん……」


「こりゃ、団長もため息ばかりをつくわけだ。俺はてっきり、お前がやる気を出さないことに頭を痛めていると思っていたんだが……」


「……別に遊んでいたわけじゃあないぞ。執行人の話を置いておいても」


「やるべきことをやっていなかったという意味においては、遊んでいたのと同じだよ」


 ソルウェインは自身の髪をクシャリと掻き上げ、そう言い切った。


「……」


 カミュは返す言葉がなかった。父親にも似たようなことを言われてはいたが、ソルウェインにまで同じ事を言われると、さすがに胸に刺さった。いずれ何とかしようと思ってはいたものの、どうにもできずに今の状況に陥っている現実が、その傷をより深いものへと変える。


「で、どうするつもりなの? とりあえず、このままというわけにもいかないでしょう?」


 それまで黙っていたイリーナが口を開く。


 先ほどまでのように、その口調は尖っていない。しかし、誤魔化しは許さないと、真っ直ぐにカミュの目を見つめて尋ねる。


「いやあ……今のところは現状が最善ではないかと思っていたんだが……」


「だが?」


 言葉を濁すカミュに、イリーナではなくソルウェインが先を促した。


「…………」


 カミュは再び言い淀んでしまう。


 そんなカミュに、イリーナは大きくため息を吐いた。


「はあぁ。そんなわけないでしょ。現に、兄さんの部隊のみんなから拒絶されたじゃないの。さっき鉄騎がどうのって言っていたけど、内通者を処理するのには多少都合がよくても、この先もっと本格的に鉄騎が動き出したらどうする気? そうなっても戦えませんって言うの? そうじゃなくても、その時に貴方は誰を率いて戦うの? 考えたくもないけど、私たちの仕事は死と隣り合わせなんだから団長や兄さんらだっていつどうなるか分からないのよ? もっと言えば、貴方がみんなを率いて戦えたら、その時がすぐではなく、ずっと先になるかもしれない。訪れることがないかもしれない。それでも貴方は今のままでいるつもりなの?」


 普段じゃれ合っているときとは違う声音で、噛んで含めるようにイリーナは言い聞かせる。


 カミュは、これにも反論できなかった。


 イリーナの言葉は、カミュが気付かない振りをして自分を騙し続けていたことそのものだったからだ。


 鉄騎、虚無、そして、もしかしたら異形なる者なんてものまで出てくるかもしれない今、群狼を取り巻く状況はどう考えても余裕の対極にある。そのことを、言葉でハッキリと突きつけられたのだ。


 カミュは口を噤み、沈黙の時間が続く。


 彼も、どうすべきかを見出せなかったのだ。すべてを充足する答えなどないのは彼にも分かりきっている。カミュだって、今まで何も考えてこなかったわけではないのだ。ただ、決断することが怖かった。決断した後で背負うものが大きすぎたから。


 その沈黙を破ったのはソルウェインだった。


「……まあ、俺たちのことは置いておくにしても、だ。俺が思うに、問題を先送りにして、このまま何事もなくという話にはならんだろう。お前だって、それは分かっているんだろ?」


 ソルウェインは、沈黙したまま視線を落としているカミュに普段とまったく変わらぬ調子に戻って語りかける。


「…………」


 黙ったままのカミュに構わず、ソルウェインは言葉を続ける。


「だから、まずは部隊を率いろ。そして、イリーナを副官につけるんだ」


「ちょ、ちょっと兄さん」


 その言葉にイリーナが驚いて口を挟んだ。


「まあ、最後まで聞け。幸いイリーナが紋章持ちになった。紋章持ちの力が必要になる場面ではイリーナを表に立てればいい。そうしておけば、いざとなればカミュが力を使っても結果だけをイリーナに押しつけてしまうという手が使える。イリーナの手柄ということにして押し通してしまえばいいんだ。自由兵や普通の戦士らに勝る力をすでにカミュが持っているというならば、これで誤魔化しがきく。彼らは基本的に、自分たちよりも強く、自分たちを守ってくれると思える者が上に立っていれば安心する。つまり、最低限彼らよりも強ければ、直接的な戦闘力に関してはほぼ問題ないんだ。あとは彼らの生活を守れるか……つまり、統率力の方が大事ってことさ」


 ソルウェインはそう言い切った。そして、更に言葉を足していく。


「こいつばかりは、今後のカミュの努力次第だ。俺も、ここは厳しい目で見ていくからな。腑抜けたことをやっていたら、いくらお前でも団を継ぐことに反対するぞ、俺は。気張れよ」


 カミュは、ソルウェインの言葉に目を見開いたまま固まっていた。イリーナも口をぱくぱくとさせて言葉を紡げないでいる。しかし、ソルウェインはそんな二人を見たまま話を止めない。


「で、差し当たって問題となるのは、ドラゴさんとハスの姐さんだが……この二人にはきちんと話しておくべきだな。二人とも薄々おかしいと感じているし、何より団の重鎮だ。ここは、きちんと押さえておくべきだろう。そもそも二人も俺同様の考えだ。カミュがきちんと団を率いられるならば、カミュ自身に戦う力などあってもなくてもどちらでもいいと考えている。ならば、不要な疑念などさっさと払拭しておくに限る。闇の紋章に関して、二人がカミュの敵に回ることなど想像できないからな」


 ソルウェインはまくし立てているわけではない。まるで何気ない会話をするかのように、ゆったりと話している。しかし、カミュはソルウェインの言葉の力強さに圧倒されていた。


 一方イリーナは、


「……また兄さんは強引なことを」


 とあきれ果て、文句が言い返せる程度には回復していた。


「強引なことは百も承知だ。だが、こうでもしないと落としどころがないだろう? と言っても、まずは団長の首を縦に振らせないといけない。でも、ま、これは俺が何とかしよう。言い出したのは俺だしな」


 しかしソルウェインは、けろりとした様子でそんな妹の苦言も受け止めた。そして、こんな厄介ごとにもほとんど動じる様子を見せないソルウェインに、カミュもようやく心のゆとりを取り戻す。


「無茶苦茶だなあ」


 笑い事ではないのだが、カミュの顔はにわかに笑みを作った。


 それを見たソルウェインもニヤリと笑う。しかしイリーナは、そんな二人を見て、何かを諦めたような顔になっていた。


「本当に大丈夫なのかしら……こんなみんなを騙すような事をして」


 しかし、それでもソルウェインは動じない。悪い笑みを澄し顔へと変える。


「おお、イリーナ……」


 彼は、芝居がかった仕草でイリーナに向かって嘆いてみせた。そして、彼女の顔の前に右の人差し指を突き出し、それを左右に二度ほど振って言ったのである。


「世の中にはとてもいい言葉があってな」


「な……なによ?」


 突然何と言わんばかりに、イリーナはきょとんとした顔になる。しかし、そんな妹にソルウェインは胸を張って言い放った。


「嘘も方便だ」


 イリーナは返す言葉を失った。

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