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聖なる闇の紋章と  作者: 木庭秋水


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虚無討伐 その2



 その後もカミュらの探索行は続いた。


 語気荒かったイリーナもようやく落ち着き、夜の森の中に静けさが帰ってくる。


 キーンと耳鳴りがするような静寂が終わり、森の蟲の声、時折する小型の獣の走る音、そして少し遠くから聞こえてくる魔獣のうなり声……夜の森の日常へと戻っていた。


 高い木々に囲まれほぼ暗闇のみに包まれている世界に、松明の光によって伸びる二人の影だけが動く。


「それにしても、いる場所がまったく予測つかないってのはホント厄介だな」


 カミュがぽつりと零す。


 今二人は少々下生えの木々をかき分けながら進んでいるが、それらしき痕跡があって後を追っているというわけではなかった。


 ただただ、なんとか進めそうな所を奥へ奥へと進んでいる。今回の計画が、そういうものだったからだ。


 群狼からの増援部隊の到着を待つのも手ではあったが、ソルウェインはその前から動く事を選んだ。すでにブラムへと人を遣わせており、拠点までの距離を考えればすぐにも援軍は到着するだろう。だから交代要員を考えずに、現在ある戦力のほぼすべてを使い作業を進めようと言ったのだ。


 されど森は広く、その中に潜む人型一体に遭遇する確率はとても低い。簡単に見つけられるようなものではなかった。


「あまり先に進むこともできないしね」


「そりゃあな。見つけられても、ソル兄をすぐに呼べる距離でなければ話にならないだろ」


 正直、カミュにはそうしなくとも何とか出来る自信はある。虚無と戦ったことがないとはいえ、紋章持ちという存在の強さは十分知っているからだ。


 虚無は紋章持ちから知性が失われたもの。管理されなくなった力そのものである。力強さや速さは増すが思考や技を失っているという状態だ。だから、ブラムやソルウェインらのような超一級の戦闘力を持つ紋章使いを知っているカミュにとって、まったく想像もつかない力を持つ相手というわけでもなかったのである。


 ただ、そうは言っても、それは闇の紋章が使えればの話だ。


 紋章使いの強さは、紋章が発動している時と、そうではない時では天地の差がある。そして、虚無は常時紋章が発動しており、まして今回の虚無はゴルヴァほどの人物が手強いと言っている。そこを何とかしないと、出会った時には非常にまずいことになる。カミュはそう考えていた。


「ああ、もう。それにしても――――」


 イリーナは言葉を続けようとする。進む先は下生えの枝や蔦が絡まり合うようにして邪魔しており、イリーナは無理やり抑えつけているカミュの件と相まって更に苛立ちを募らせていた。


 そんなイリーナをカミュは恐々としながら見ていたが、その時、生い茂り重なる葉の向こうで、朧に輝く赤黒い小さな光が目に入った。


「黙れ、イリーナ」


 カミュは小さく、しかし鋭く声をかける。


 突然の強い言葉にイリーナは目を見開きながら、カミュの方へと振り向いた。


「なによ、突然」


「虚無だ……」




 二人は用心深く近づいていった。


 距離はもう百メイルほど先。苔むす大木のすぐ側で、なにをするでもなくただ立っている。全身に赤黒く輝く鈍い光を纏いながら、そこにあった。


 イリーナは、その姿を見て息を呑んで立ち尽くしてしまう。


 虚無は、半分以上肉がなくなっていたのだ。


 僅かに見える顔には黒く変色した腐肉が申し訳程度にこびりついているだけで、ほとんど骨が剥き出しだ。以前は高価なものだったのではないかと思える鎧も、大きな傷や破損で見る影もない。ただ、その手に見るからに傷んだ剣を握り、俯くように突っ立っている。その姿は、まるで悪趣味な彫像のようだった。ただ、その額で禍々しく光る紋章が、それがただの彫像ではないことを教えてくれていた。


「運が良いのか悪いのか……」


 カミュの口から思わず漏れた。


 彼は、そのことに気付いていなかった。いま彼はそれどころではなかった。必死で思考を整理していた。


 虚無は生物ではない。だからか、音や気配に反応するわけではないようだ。ただ、襲ってくるものだというのは間違いない。手当たり次第だと聞いている。


 カミュは更に思考を巡らせる。


 じゃあ、何に反応するんだ? あの分では物が見えているとも思えない。


 カミュは目を凝らす。かつて目があった部分はただの窪みとなっている。薄気味悪い光を宿しているが、すでに眼球などない。


 どうする?


 カミュは決断を下せずに迷っていた。


「カミュ、あなたは兄さんのもとに走って。私ならば、動き出しても多分逃げていられるから」


 イリーナが囁くように言った。


 虚無は耳も腐り落ちており音が聞こえるとも思えなかったが、そうせずにはいられなかったのである。


 しかし、即座にカミュは首を横に振った。


 もともとカミュは、もしもの時にはイリーナをソルウェインのもとへ走らせようと考えていたからだ。


 イリーナがカミュから離れれば、彼は闇の紋章を使える。倒してしまうわけにはいかないが、紋章を使うことができれば、あとはどうとでもなる。そう考えていたのだ。


「馬鹿を言え。行くのはお前だ。紋章が使えるお前ならば、あっという間に戻れる。そして、紋章を発動できる二人が再び戻ってくるならば、俺がソル兄のもとに辿るつくよりも早くここに戻ってこられるだろ」


 カミュは早口で言った。


「だけどっ。相手は虚無なのよ? 紋章がないあなたじゃあ……」


「大丈夫だからっ。こうして言い合いをしている時間が惜しい。行ってきてくれ。頼むっ」


 説明できない。だから、説得も出来ない。カミュはもどかしくてならなかった。


 そしてイリーナは、やはり首を小さく横に振る。


 承諾できない。イリーナにとって、それはカミュを見捨てることに他ならなかったのだ。彼女は無意識に胸元に手をやり、いつもはカミュを睨みつけるその目を心配という文字で満たしていた。


 どうしたらいいんだ……。


 カミュは頭を抱えずにはいられない。


 しかし、いつまでもそんな時間は続かなかった。強制的に終了を告げられることになったのである。この場にいる二人以外の者――すなわち虚無によって。

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