第八話―落ち着いたら泣けてきて―
目を覚ますと、見知らぬ天井が――剥き出しの丸太の梁が、ドンと目の前にあった。
(何処、ここ?)
窓もない部屋だが、何処からか外光が入り込んでいるらしく、仄かに明るい。
むくりと上半身を起こそうと、床に手を付いた。
もの凄く、柔らかい。
「もふもふ」
縫いぐるみのように柔らかなマットレスだ。猫がクッションを踏み均すように、そのマットレスを華奢な両腕でふみふみと堪能した。
「ふわふわ気持ちいいー」
弾力があるそのマットレスに、欲が勝って、思わず再び身体をマットレスに埋めた。
ぽふん、と柔らく身体を受け止めてくれる。心地良くて、今度はうつ伏せに倒れた。すん、と鼻を擽るのは花の香り――ラヴェンダーだ。
その香りは、就職活動中、ストレスでなかなか寝付けなくなった私のために、母が用意してくれたラヴェンダーのポプリを思い出させた。
半信半疑だったが、久しぶりに深く眠れたところ、私には合っていたらしい。
母にそう告げたら、嬉しそうにえくぼを見せてくれた。
父の影響で戦隊ものから始まり、短い人生を終えるまでバイクにすべてを捧げた女の私に、可愛いもの好きな母はよく溜息を吐いていた。
バイクなんて危ない、と非難がましく、フリフリの可愛い洋服を着た女の子を見る度に、私を残念そうに見る母。正直鬱陶しかった上に、変に罪悪感を覚えさせられて、思春期は母と極力会わないようにしていた。
そんな風に心配の声をあげていた母は、それでも私の心からの願う夢を、渋々ながらに応援してくれていた。
母には申し訳ないことをしたと思う。母の理想の娘になれなくてごめんね、と心の中で何度も謝った。一度でも口に出せば、自分を否定してしまうので、思うだけ。
せめて大人になって稼げるようになったら母親孝行しようと、バイクとは別に海外旅行の資金を貯めていた。母が好きなフランスへの旅行資金。
「こんなに早く死んじゃうなら、遺言書でも残しておけば良かったなあ……」
過去の、前世のことを悔やんでも仕方がないと分かっている。
けれど、私にとってはつい昨日の話だ。
昨日の早朝、車に轢かれなければ。
(後の祭り、ってね。母親孝行どころか、親不孝者だわ……)
昨日の朝は、土曜日の早朝にも関わらず、両親共に玄関まで見送りをしてくれた。母親はともかく、父親は日曜朝こそ早起きだが、土曜朝は打って変わって昼まで寝ていることの方がざらだった。
(今生の別れじゃあるまいし、って思ってたのに……)
気をつけてね、と手を振る母と父の顔は、勿論今も覚えている。
昨日の話だ。
もう手の届かない遠い存在だ。
見知らぬ天井。
見知らぬ寝台。
見知らぬ華奢な手足。
見知らぬ空気。
それが、どれ程自分が遠くに来てしまったか、もう元の場所へは二度と戻れないことを如実に物語っている。
「う、っ」
そこからは堰を切ったように、涙がぽたぽた溢れて、綺麗な白地のシーツを濡らしていった。
止めどなく出てしまう嗚咽を抑えるように、柔らかなマットレスに顔を埋める。
ラヴェンダーの香り。
その香りが、更に涙を誘い、過去の情景を蘇らせた。
昨日の時点で、自分が死んだことは分かっていた。だと言うのに、今更になって家族のことを思い出し、後悔に明け暮れる。
なんて親不孝。
なんて人でなし。
自分の非道にも親不孝にも泣かずにはいられなかった。
――そもそも、バイクという趣味を持たなければ良かったのか?
(嫌だ! そんなこと……!)
極論とは言え、それは事実だ。
何もしなければ、私は死ななかったし、両親を心配させることもなかった。
後悔の沼に嵌り続ける私は、どんどん自身を落とし込む深みへ勢い付いて沈んでいく。
否定は、更にそれを否定する。
否定を重ねて、涙を流し続ける。
どれほど泣いていたか。
嗚咽と涙と悲しみに溺れていた私には、ガチャリと開かれた扉に気づかなかった。
「チハヤ?」
吃驚して泣き腫らした顔を上げると、そこには桃色頭のモモが居た。彼の背後には、紫髪の男も居る。
怪訝な顔をし、モモは心配そうに眉を潜ませて、私の方へと歩み寄って来た。
「チハヤ、どうした? 怖い夢でも見たのかい?」
「ちがあぁぁぅ」
嗚咽交じりの悲鳴にも似た訴えに合わせて、首を大きく振って否定する。
その様子に、男二人は困惑を深めた。
「おい、どうすりゃ良いんだ?」
「そんな、こっちに言われても困る。何で泣いてるかも分からないし……」
「……」
困って情けない顔になった二人の男が、無言になって顔を見合わせた。
(なんてヘタレなんだ、この男ども!)
涙も嗚咽も止まらないので、心の目で睨んでおく。
そんな私に気付いた二人は、更に困窮して肩を竦めさせた。
「……一人に、なりたい?」
モモがおずおずと訊ねる。
その方が、このヘタレ男どもには都合が良いのかも知れない。
けれど、私は今一人になりたくなかった。前世で成人しているが、大人でも寂しい時はあるのだ。
首を横に振って見せると、二人は再び顔を見合わせたものの、今度は私のいる寝台へと近付いて来て、そのまま私の両隣へ腰を掛けた。
「カトラ」
「……お前だろ?」
「この子に懐いてるのは、お前だ」
頭上でそんな会話をして、紫男――カトラは困惑気味に私へ両手を差し出した。その両手は私の脇へ差し込まれ、ヨイショと力を入れる事もなく、まるで人形を持ち上げるように軽々と抱き上げた。思わず嗚咽が治まった私をその胸元へ寄せる。
「ほれ、泣き止め。何で泣いてるのか知らんが、とにかく泣き止め」
「そんなつっけんどんに……」
「だったら! お前が慰めろよ! 柄にもないことヤラされてる俺の身にもなれっての‼」
モモへ怒鳴り声をあげながらも、彼の手は優しく私の頭を撫で、もう一方の手は宥めるように背中をぽんぽんと優しく叩いてくれている。
「柄にないだけで、チハヤのことずっと気にしてただろ? 導師さまの元へ連れてからずっとソワソワし過ぎて川に落ちたくせに」
「なっ、んな……、おまっ……‼」
一瞬ビクリと身体を震わせるが、撫でる手は止まず、代わりに仄かに彼から伝わる体温が高まった気がした。
「っ、あああもう! お前もそんなに泣くな! せっかくの綺麗な瞳が溶けるぞ」
「えええ、いきなりそんな口説き文句……」
「はぁっ?! 口説いてねぇし!」
「……ふふ」
私の口から漏れたそれに、二人はハッと顔を見下ろした。
涙に濡れた私の瞳と二人の瞳がぶつかる。途端、何処かホッと安堵した様子になって、私を見つめ直した。
「ふふ、チハヤもおかしいよね。こいつ、こんな仏頂面だけど、とっても優しいんだよ。子どもには怖がられるけど、意外と動物には好かれてるし、それに満更でもなく喜んでるし」
モモの言葉に、カトラは顔を更に真っ赤にさせて、恥ずかしげにモゴモゴと呟きながらプイっと顔を背けた。
それに対し、私は脳内で「雨の中、普段近寄り難い強面学ランが雨傘を濡れそぼった捨て猫に貸し、自分は雨に濡れて帰る」の図を想像し、今度はぷーっと噴き出してしまった。
「なっ、この駄々っ子! 泣くか笑うかどっちかにしろ!」
「だ、駄々っ子じゃないもん!」
(しまった、もん!とか言っちゃった……。恥ずかし)
照れを隠すために、唇を尖らせてそっぽ向く。そこでようやくあれほど止まらなかった涙も嗚咽も止まっていることに気付いた。
「……」
「ん、どうした? 少しは落ち着いたか?」
その言葉に伴い、カトラはゆっくりと私から離れようとする。それがまだほんの少し嫌で、私は沈黙後、首を振った。
頭上のカトラは、呆れ半分な溜息を吐いて、再び身体を寄せて頭を撫で始めた。
「……はいはい、泣き虫お姫さま」
「……」
言い返そうと思ったが、確かに今の私は泣き虫だ。泣き虫で我儘で、駄々っ子だ。
大人だと思っていたけれど、まだ全然子どもだったことが恥ずかしい。
私は死んだ。
親孝行も出来ず、どころか心配ばかり掛けて、最期には親より先に死んだ親不孝者だ。
悔やむ気持ちは消えない。
寧ろ、泣いた分だけ高まったような気さえする。
親孝行は一生出来ない。
私は死んで、早々に別の世界の別の人になってしまった。
この思いは、一生の罪として、私の心に根付くだろう。
一生――
そうだ。私は、もう老いて死ぬことはない。寿命という概念がほぼ無い存在になった私の一生は、イコール世界の終末だ。
せっかく記憶を保持しながら生まれ変わったのだ。しかも不老の身。あわよくば、世界の終わりまで死なない。ならば、最期まで生きて生き抜く事こそが、罪滅ぼしになるのではなかろうか。
(自殺、は絶対駄目。それこそ親不孝だ。他殺や事故も出来れば避けたい……。避けれるのか分からんけど。……いや、待てよ)
エルフは――エルフとなった私は、魔法が使えるらしい。
そこに、もしかしたら光明を見出だせるのではなかろうか。
「カトラさん、モモさん、ありがとう。もう大丈夫……です」
おずおずと身じろぎして身体を離してもらう。が、身長差もとい脚の長さが違い過ぎて膝に乗せられたままだ。
「カトラで良い。あと敬語も要らん」
「私もモモで良いよ」
カトラは仏頂面に、モモはニコニコと優しく笑んで頭を撫でてくれた。
「さ、これで涙と鼻水を拭って。顔洗ったら、朝ごはんにしよう」
「朝ごはん……っ」
キュルルル、とひもじく鳴いた私の腹に、カトラがプッと噴き出した。
「いや、悪い……」
ムッとした顔で睨んだ私にそう笑いを抑えながら謝るカトラ。悪気の無さを全く感じさせない。
「じゃあ、カトラは罰でチハヤを抱っこしたまま食堂ね」
「……仕方がねぇな」
私を抱えたまま、カトラは難なく立ち上がった。
「あぁっ、大切なことを忘れてた!」
先行していたモモが部屋を出る直前で振り返り、私の顔を覗き込んだ。
「私の名前はモーリス・モンテ。さっきも言ったけど、モモって呼んでね」
「は、い……」
(モモって、本名じゃなかったのね)
しかし、とてもぴったりの愛称が付けられたな、と変なところで感心していた。
「俺はカトラだ」
カトラが名乗ると、次は君だ、と言わんばかりに二人の視線が私へと向けられた。
「えと、チハヤです」
おずおずと名乗ると「よろしくね」とモモはにっこり微笑み、カトラは頷いて見せた。
「私たち二人はチハヤの教育係、というのは建前で、今日からチハヤの兄弟になります!」
わー、とパチパチ手を叩いて盛り上げようとするモモと、それを白々と眺めるカトラ。
私は、というと……。
「……え?」
突然の兄妹宣言に、ポカンと呆けたのであった。
文章の不正箇所を直しました。読み難くなっており、申し訳ございませんでした。
お読みいただき、ありがとうございました。