第一話―ここは何処? 私は……?―
パチっと目を開けると、そこは見たこともない広大な荒地だった。
見慣れたアスファルトもコンクリートもない。黄土色の渇いた大地が広がっている。
遠く遠くに鬱蒼とした森が見える以外何もないそこに、私は何故か突っ立っていた。
夢から覚めたばかりのような定まらない思考であっても、今現状がおかしいということは理解できた。
だって、あまりに違う。さっきまで、私は確かに近所の公道を走っていた筈なのだから。
「……った!」
足を踏み出すと、チクリと足裏に何かが刺さった。
足元を見ると何故か裸足で、刺さった何かはただの鋭利でもない小石だった。足元を見るついでに目に入った私の身体。違和感しかなくて、グルリと見回した。
手足が小さい。細い。やたら白い。
油で黒ずんだ手ではなく、まるでサロンで整えられたような綺麗な手が私の身体から生えていた。そして、その身体には、真っ白な肌心地の良い簡素なワンピースが着せられている。ワンピース自体を持ち合わせていない私が、何故こんなものを着ているのだろう。
サラリと視界に入った髪は、黒の見慣れた毛髪。しかし、違う。長い。その上、くせっ毛だった筈の髪は、なんと憧れのストレートヘアに化けている。整髪料のコマーシャルに出れそうな艶々サラサラな髪。くせっ毛故にショートカットだった髪が、百八十度変わっている。
「何これ? ……って、え?」
思わず口を抑えた。私の声ではない声が口から発されていたからだ。
「あーあーあー」
震える喉から出るのは、やはり聞いたことがない。しかも、なかなかに愛らしい女の子の声だ。ハスキーボイスと言われた私のものではない。
混乱が混乱を呼ぶ中、私は最重要事項を思い出して、辺りを慌てて見回した。
そして、地面に倒れたそれに、私はひどく安堵して、裸足であることも自分に起こったことも忘れて駆け出した。
「ナイトドラグーン‼」
横たわったその車体は、紛れもなく私のナイトドラグーン。
しかし、その姿は見るも無惨だった。私は言葉を失い、車体の前で立ち尽くす。
濃紺の艷やかだったボディは、ボコボコのボロボロで、あちこちが擦れていた。ホイールはグチャリと潰れ、曲がっているし、ヘッドライトのガラスレンズはものの見事割れていた。
どこもかしこも、破損破損破損……。
人ならば、息も絶え絶え、三途の川でも見えてるだろう。
三途の川と言えば、私は確か何だかよく分からない衝撃に体当たりされて――事故にあって宙を舞っていた筈だ。
もしかして、私が見てるこの荒野は、死後の世界――地獄なのだろうか。
否、そうに違いない。
此処が天国ならば、私の愛車がこんな無惨な姿で横たわっていることはないだろう。
その悲惨な姿に私は足の力を失い、膝から崩れるようにしゃがみ込んだ。
「ドラグーン……」
鼻の奥がツンとしたかと思うと、目からポタポタと止めどなく涙が溢れた。
「私の、ナイトドラグーン……」
まだほんの少ししか走ってない。
だと言うのに、こんな事って……。
(でも、あの世に愛車と一緒なら、幸せな人生だったと言えるのかな)
タンクの中央に挿されたままの鍵をほんの僅かな期待を籠めてキュッと回す。
が、やはり期待は儚く、エンジン音どころかうんともすんとも言わない。
「うぅっ、ふぐぅ……」
渇いた大地に、ポタリポタリと雫が落ちる。しかし、それでこの広大な荒地が潤う筈もなく、瞬く間に潤いは渇いていった。
虚しい。
私は何の為に頑張ってきたのか。
私の生涯は、ただただ夢を潰えるためだけにあったものなのか。
溢れるのは涙だけではなく、後を追うように埋もれていた気持ちが表面に出て溢れてくる。虚しさを覚えるほど、涙は溢れて止まなかった。
大それた夢ではなかった。
ただ、バイク――ナイトドラグーンと世界を駆け巡りたかっただけだ。
けれど、それに短い人生を費やした。
それが罪だったのか。
そんなバカな。
そう思うが、目の前の相棒がそれを肯定するようだった。
(バカみたい……)
地獄にきて、目の前に突きつけられても、私は何故自分が此処に居るのかが分からない。
バイクのことしか考えていなかった私は、やはり馬鹿なのかもしれない。
「もし、少女」
「っ?」
予想だにしなかった他人の声に驚いて振り返ると、止まらなかった涙がピタリと止まった。
頬を涙で濡らしたまま顔を上げると、そこにはいつの間にか人が集まっていた。しかし、日本人でもなければ、地獄に居そうな鬼のように恐ろしい存在でもない。
否、恐ろしいと言えば恐ろしいのかも知れない。
テレビでも見たこともないほど、畏怖さえ覚える美形たちがそこに居た。
しかも外人だ。肌は日本人女性が羨みそうなシミ一つない透き通った白。
髪色や瞳の色は、黒でも茶でもない。
何とパステルカラー。
パステルカラーの髪色なんて、テレビや本屋に並ぶファッション雑誌でしか見たことなかったが、雑誌のモデルよりもずっとその色が似合っている。
ミント、ピンク、レモンイエロー、スカイブルー、ラベンダーと色彩豊か。
(え、地毛なの? どういうことなの? コスプレイヤー?)
あれほど私の心を満たしていた悲しみが、彼らによってあっさりと流れていった。完全に涙は止まり、私がぽかんと口を開いたまま、呆けていると、前列中央に立つピンクの髪の美男子がニコリと極上の笑みを浮かべた。
「私たちの言葉はわかりますか?」
「え、は、はい」
物腰穏やかに、慈愛に満ちた表情。
地獄かと思いきや、天国?
確かに背中に羽根が生えていても違和感のない天使然としているが、彼らから羽根は見えず、天使の輪らしきものもない。
そうこう混乱する最中、彼らの内の一人が私を軽々と抱き上げた。
「お、重いですから!」
突然のことに筋違いなことを口にしてしまったが、抱き上げた男性は「どこがですか?」と小首を傾げた。
「鳥のように軽いですよ」
「オゥフ……」
そんな、脳内お花畑な台詞を面と向かって言われるとは思わず、私は微妙に口元を引き攣らせた。断ってもおろしては貰えず、私は半ば諦めて俯いた。
大人しくなったことをいい事に、彼らは移動するような会話を始めた。
ぼんやり聞いてみると「これは何だ?」「こんなものあったか?」等という言葉が聞こえてくる。彼らが指差す方を見やると、そこには私の相棒が横たわっている。
「わ、私のです‼」
我武者羅に暴れて、緩まった男性の腕の中から飛び降りた。
「な、何を?!」
「私を連れて行くならこの子も一緒に連れて行ってください! そうでないなら私は此処から動きません‼」
短くなった四肢で、横たわるナイトドラグーンをがっしりと全力で抱き締める。
そんな私を彼らは目を丸くして見つめた。
「これは、貴女のものですか?」
先の男がそう訊ねるので、私は力いっぱい頷いた。その回答に、彼らはほんの少し戸惑った様子を見せたが、最後には「分かりました」と頷いた。
「何で出来ているんだ? 重そうだなあ」
「まぁでも、こないだの川の反乱で流れてきたあの大岩よりはマシだろう」
そんな会話をしていたかと思うと、別の男性がバイクの前に立った。
「これは俺が責任持って運ぶ。お前は危ないから彼に運んで貰うんだ」
「嫌です! きちんと運ぶところを見るまでは離れません!」
頑なな私の態度に、その男性は大きく溜息を吐く。
「仕方ない。このまま運ぼう」
そう言った男は私の傍で膝を付くと、その大きな手を私の肩に乗せた。
「大切なものなら、絶対離すなよ」
「い、言われなくたって!」
ツンとそっぽ向いて、ギュッとナイトドラグーンを抱き締める。まさかこのまま持ち上げて運ぶことはないだろうけれど、荷台車でも持って来るのだろうか。
「任務完了。これより、里へ帰還する。移動を開始せよ」
堅苦しい口調で男が告げると、周囲の男たちは見る見る内にその場から消えていった。
走って行った、とかではなく、文字通りに消えていったのだ。
「大地の記憶を借りて移動しているんだ」
阿呆ヅラで呆けていた私を見兼ねたのか、彼はそう教えてくれた。
「大地の記憶?」
「そう、……いや、俺は説明が下手くそだから。あとで導師さまが教えて下さるだろう」
そうして、私とナイトドラグーンは彼らとともにその荒れ地を後にした。
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