第十五話〜カルチャーショック〜
「昔のチハヤは、どんな服着てたの?」
夕飯のパンケーキに添えられたサラダを咀嚼していたところ、ラソワから唐突に訊かれた。
ラソワは食事が要らないタイプの妖精(食事の要るタイプの妖精も居るらしい)だが、時折モモと共に食堂へやって来ては刺繍や編み物をして過ごしている。
今のように、時々話題を振ることもままあることだった。
「昔の、って前世?」
「そうそう。チハヤってスカート履くの凄い抵抗あるって言ってたなあ、って思い出して」
そう、そうなのだ。
この世界、性別で服装もほぼ固定されてしまっている。男はズボン、女はスカートという具合に。
例え美少女チハヤに生まれ変わっても、この下半身がスースーする感覚に、始めは全く慣れなかった。
今でこそ、モモにお願いしてインナーパンツを作って貰って落ち着いたが、素肌が出ているこの格好は今でも少し恥ずかしい。
かと言って、善意で作って貰ってる手前、なかなかこの世界の常識から外れるものを作ってくれ、とは言い難かった。
「あー……、笑わずに聞いてくれる?」
「うん、笑わないよぉ」
にっこり微笑むラソワと、その隣で興味津々にこちらの話をチラチラ見て盗み聞きするモモ、興味のないカトラを一通り見回した後、私は小声でラソワに教えた。
「あのね、ズボンを履いてたの」
「へぇ! どんなのどんなの?」
私の心配とは裏腹に、ラソワは更に興味を増して訊ねて来た。
「“デニム”っていうゴワゴワした厚手の生地で作られてるズボンなの。確か……鉱夫の為に作られたのがきっかけだったかな?」
「鉱夫の服を着てたの? チハヤ、昔も女の子だったよね?」
やっぱり、と私は苦笑気味にラソワに返事をする。
「女だったよ。始めこそ作業着だったけど、私の時代には一般的な洋服として皆着ていたんだよ。丈夫だし動き易いし、あと私の時代ではストレッチ……柔軟性が高くなってて、身体のラインがハッキリするようなデザインや逆にダボっとしたデザインもあったりでお洒落を楽しんでる人も居たくらい。使い勝手が良いから、私なんて殆ど毎日履いてたし」
「作業着がお洒落? ふふふ、本当にチハヤの世界の服は面白いわね」
面白そうに目を細めて笑うラソワ。
ラソワは糸の妖精で、裁縫が好きなモモのパートナーであることもあり、私の前世の世界の服についても興味があるようだった。先程のように、ふと思い出しては私に訊ねている。
笑っていたラソワは表情を変え、「うーん」と頭を捻りながら、胸の前に手を翳す。
その細い指先から、糸がするすると現れる。それは、幾重にも交差しながら重なり、織られていく。
「こうかな? こうかな?」と呟きながら、時には解いて織り直しながら、次第にそれは布地となっていく。五分と掛からない内に出来上がった十センチ正方のそれに、私は口をあんぐりと開けて驚愕した。
「こんな感じ?」
それは色のない真っ白な布地だった。
当たり前である。染色してないのだから。
しかし、その見た目には、覚えが確かにあった。
ラソワから差し出されたその布地を手に取り、抓んだり引っ張ったり撫でたり、その感触を確かめる。
「凄い、凄いよラソワ! これ、まさにこれ!」
興奮する私に対して、ラソワは「ふふーん」と鼻高々に胸を張った。
「私にも貸して?」
我慢できなくなったのだろう。
とうとう口を出したモモに、私はその布地を手渡した。私が触った時の様に、その感触を高しめる。
「確かに、これなら作業着とか……、カトラの服にも良いんじゃないか?」
「ん?」
特に興味無さそうにしていたカトラが、名前を呼ばれて振り返る。
食事の最中だった為、口はモゴモゴと咀嚼をしている。
「ほら、よく枝に引っ掛けたりしてるからすぐ駄目にするだろ? これなら普通の布より丈夫だし、多少のダメージも防げるんじゃないか?」
「ふーん」
カトラは興味無さげに相槌を打つ。そして再び、目の前に広げられた膨大な量の食事を口の中へ放り込んでいく。
カトラは、自分の着る物に頓着がない。
モモに用意された物を従順に着ているだけなのだ。かと言って、派手な色や柄も好きではなく、結局モノトーンで似たような服装ばかりになっている。
それはそれで格好良いのだが、少し勿体無いな、とチハヤは思う。
「縫う時が大変そうだが、革よりはマシそうだし。一度作ってみようか、カトラ用に」
モモはそう告げる。
カトラの名前が挙がるが、カトラはそれでも興味を示さない。
「私も! 私のも作って!」
期待の眼差しで、私はモモにお願いする。が、モモは渋い表情をした。
「私のも、ってズボン? チハヤに?」
苦々しく言うモモ。
やはり、モモは“女にズボンを履かせる”ことに抵抗があるらしい。
しかし、それで私は諦めるわけにはいかないのだ。
何故ならば、私がバイクに乗るためだ。
バイクには、左足にはギアチェンジする為のクラッチがあり、右足にはフットブレーキがある。運転するには、どうしてもそこを操作する必要がある。
そもそも横乗りで運転などあり得ない。
馬でも、手綱を持つ人が横乗りなどしないのと同じだ。
きちんとシートを跨いで座らなければ、バイクは運転出来ない。
その為に、私はズボンが欲しいのだ。
いつかは、モモにお願いするか、自分で繕う予定だった。
但し、私は裁縫が出来ない。
前世、授業の家庭科で縫い目ぐちゃぐちゃのエプロンを作った苦い経験がある。殆ど失敗の無い、ミシンで真っ直ぐに縫うだけの簡単な裁縫でさえ、私はクラスの笑い者にされる程のものに仕立て上げたのだ。
だから、出来ればモモにお願いしたい。
いつか頼もうと思っていたが、デニム生地をラソワが作れると分かった今、絶好のタイミングとも言える。
これを逃す手はない、と思ったのだが、モモの顔には「気乗りしない」「女の子にズボンなんて!」という嫌悪感が滲み出ていた。
「お願い、モモちゃん! 将来バイクに乗るためにはどうしても必要なの!」
食事の手を止め、席を立った私はモモちゃんへ頭を下げた。
「ち、チハヤ⁉」
まさか頭を下げるまでするとは思わなかったようで、モモの座る向かいの席を慌てて立つ。机をぐるりと回って、私の元へとやって来たかと思うと、あろうことかその場で跪いたのだ。
「モモちゃん!」
今度は、私が慌てふためく番だ。
私よりほんの少し低くなった目線が、私へ乞うように向けられた。
「頭を下げないで、チハヤ。例えどんなことでも、頭を下げるような、他人行儀な関係にはなりたくない」
私たちは兄妹なのだから、とモモは言う。
エルフ同士で血の繋がりは、皆無である。
しかし、この世界に生まれたばかりのエルフは、必ず家族を作ることになっている。
教育係や監視役という意味合いもあるだろうが、独りにさせない為でもある。
その家族のあり方はマチマチだ。
村に居る間は、必ず保護者となったエルフと食事することになっているが、それ以外は個人の自由。
食事以外は全く顔を合わさない、なんてこともあるようだ。
しかし、モモとカトラは、正しく家族であろうとする。
それが何故なのか、なんて聞くことはしない。けれど、無理やりそうしようとして、やっているわけでないことだけは確かだと思う。
そうでなければ、こんなにも切実な表情はしないだろう。
今にも泣き出しそうなモモと、その様子を食事の手を留めて見詰めるカトラを交互に見る。
(まぁそれでも、頭を下げただけで他人行儀というのは、ちょっとやり過ぎな気もするけどね)
前世の私は、親に頭を下げっぱなしだったことを思い返して、クスリと笑った。
「うん、モモちゃん。もう頭下げないから」
そう言って、頭を上げてモモを見る。
触れ合った視線。モモの不安げな瞳は、その瞬間安堵して和らぐ。
「だからズボン、作ってね!」
にっこりと笑って、モモに言う。
せっかく和らいだ視線が、途端に嫌悪感を孕ませた。
「ぐっ、……だ、駄目だ。女の子なのに男みたいな格好させられない」
「あら、固いわねぇ、モモ。珍し」
「くもないだろ? チハヤのことだし」
「あぁ、そうね。カトラは気にしないの?」
「チハヤが俺の妹なのに変わりないし、チハヤなら何でも似合うんじゃないか?」
「ぐっ……、別に私も、チハヤに似合わないとは言ってない……」
ラソワとカトラの会話、特にカトラの言葉に、モモは歯噛みする。
私はカトラに視線を送り、それに気付いたカトラへ「ありがとう!」の意味を込めて笑顔でウィンクを送った。
「モモ、滅多にリクエストしないチハヤのせっかくの願いを無碍にしちゃうの?」
モモへ近付いたラソワが、モモの耳元で囁くように言う。
「そうだけど……でも……」
「ほら、チハヤを見てみなよ。あの真剣な眼差し」
ラソワの思わぬ言葉に、私は慌てて“真剣そうな眼差し”を作り、モモに見せた。
そんな私の必死過ぎる態度からか、ラソワは人知れずクスリと笑い、言葉を続けた。
「どうしてもズボンが欲しいと思ってるんだわ。これで貴方が作らなかったら、将来、モモの作ったものじゃない服を着てしまいそうね」
「それは嫌だ!!!」
ラソワの話術にものの見事引っ掛かったモモは、ハッとしたかと思うと勢いをつけて立ち上がった。
「ラソワ、今から最優先でそれ作るから、生地用意してくれる?」
「りょうか〜い」
「じゃあ私はすぐ作業に入るから!」
そう告げると、慌てて食器を片付けた後、食堂からツリーマンションへと走って戻って行った。
「カトラ、チハヤ、またね」
にっこりと笑みを浮かべて、ひらひらと手を振ると、シャボン玉が弾けるように姿を消した。
恐らく、ツリーマンションのモモの部屋へ向かったのだろう。
(モモちゃん、魔法まで忘れるなんて……)
既に見えなくなったモモを思い、食堂の出入り口を眺めた。
「相変わらず、モモはラソワに踊らされるな」
「へ?」
カトラの呟きに、私は首を傾げた。
「ラソワはな、モモが裁縫することが生き甲斐なんだと」
「?」
私が分からないままで居ると、カトラは眉を潜ませて「あー、つまりな」と辿々しく言葉を繋げた。
「ラソワの生み出した糸や布が服や鞄や、何か新しいものに変わる瞬間が好きなんだとさ」
「……つまり、さっきの布地で早く何か作って欲しかった?」
「そういうこと」
「でも、カトラのズボン作るって……」
「俺のなんて、チハヤの服があるなら後回しにされるのがオチだ。チハヤの分を作らせれば、すぐに作るだろ」
その言葉に、私は只々納得し、言葉巧みにモモを操ったラソワに戦慄する。
(ラソワが妖精で良かった。確実に引っ掛かってはいけない女の人になってたよ……!)
その思いを胸に秘め、私は残それたパンケーキを再び食べ始めるのだった。
お読みいただき、ありがとうございました。