第十四話〜巻き巻き〜
『止めて! 私の為に争わないで!』とでも言うべきだろうか……。
ルドとカトラが睨み合い始めて、まだ三分も経っていない。
しかし、先程まで手の届く距離でワイワイガヤガヤしていた周囲の空気がいつの間にか遠ざかっており、チラチラと横目で此方を伺うように視線を向けている。その視線の先には、私も含まれている。
(やばい……)
この場で事態を収拾しなければ、良からぬ噂が立ちかねない。この里の中だけならまだ後日でも収拾出来るだろう。
しかし、この場に居るのは里の者だけではない。世界中のあちこちからやって来た旅人も此処には同席している。
更に運の悪い事に、当事者はドワーフ族では有名らしいルドがそこに居る。
唯一の救いは、この世に写真や動画を配信出来るSNS的なコミュニケーションネットワークが存在していないことだ。
あったらアウトだ。炎上だ。兄とその友人がロリコンとか言われてしまう。お巡りさんが呼ばれかねない事案だ。
(お、お、落ち着け、落ち着け〜、私)
思考があらぬ方向へ逃避仕掛けていた。慌てて理性を取り戻し、私は二人の間へ入ろうと身体を起こした。
「ちょっと、二人と」「何やってるんだ、二人とも」
カトラとルドから漏れ出た威圧感が、あっという間に引っ込んだ。
代わりに、私の背後から空気を震わすような圧倒的な威圧感が放たれていた。
カトラとルドは、壊れた人形のようにギギギと首を私の方へ向き、その視線を私の頭より上にの方へ向けた。
「モモ……」
やはり、モモらしい。
しかし、私はいつもの様に気安く振り返る事が出来なかった。何故だか、背筋に寒気が走る。
「ねぇ、私の声が聞こえた? なら質問に答えてくれるかな? ……何をやってるんだ?」
声は、声だけはいつも通りだ。しかし、明らかにその雰囲気は普段の彼のものではない。
カトラとルドは、我先にと言わんばかりに口を開いたかと思うと、「こいつが」と口を揃えてお互いを指差した。
「変なことを言い出したのはお前が先だろうが!」
「へ、変なことではないだろう! 大体、何でお前が」
「はーい、言うこと聞かない子は、巻き巻きしちゃうわよ〜」
寒々とした空気とは裏腹な声と共に、ルドとカトラの周囲にどこからともなく布が現れた。風に運ばれるように、ふわりふわりと二人の周囲を取り囲む。
「えいっ」
「ぐえっ」「ぎゃあっ」
その掛け声を合図に、ただ浮いていただけの布が、ルドとカトラの二人を巻き込み、ギュッと縛り上げた。
二人の顔は見る見る内に青褪めていき、「うぷ」と危険な声を喉から漏らした。しかし、二人の様子を鑑みず、モモの肩に寄りかかるラソワは楽しげに笑っている。
「反省しない子にはもういっちょ」
「ラソワさん、その辺で! これ以上やると
色々大変なことに……! 掃除とか掃除とか洗濯とか!」
慌てて訴えた私の言葉は、広い宴会場によく響いた。そして次の瞬間、ザザアッと波が引くようは音が周囲から立つ。見回すと、先程よりも周囲と距離が出来てしまっていた。
「あら、それもそうね」
嫌そうに眉を顰めたラソワが呟くと、ルドとカトラに巻き付いた布がほんの少し緩まり、余った部分は可愛らしく蝶々結びを作った。
「二人を収めてくれてありがとう、ラソワ」
「ふふん、もっと誉めても良いわよ?」
胸を張って鼻高々なラソワの頭を、モモが優しく撫でる。
何だ、そのちびっ子がお遣い出来てそれを褒める親みたいな絵面は。いやいや、お遣いじゃないんだから。
「で、喧嘩の原因は? 私もお腹空いてるんだから手短に頼むよ」
私の隣に座ったかと思うと、先程までのほのぼのとした絵面から一変し、モモは普段笑みしか浮かべない顔に苛立ちを滲ませた。
「だからっ、ルドがチハヤと旅に出ないかって誘ったんだよ! こんなおっさんが、チハヤをだぞ?!」
「おっさん言うな! と言うか、エルフにが年齢の話とかどんなけ無駄な話をしてるんだ! お前の方が俺なんかよりよっっっっっぽど、ジジイだろうが!」
「何ぃっ?!」
「何だ、このジジイ!」
「おやおやぁ? 巻き巻きキュキュッとして欲しいのは誰かな?」
二人が再び牽制し始めたが、ラソワの一言によって慌ただしく沈静化する。
その顔はやや青褪めていて、余程苦しかったのが目に見えて分かった。
「カトラ、冷静になれ。お前らしくもない」
「なっ! けど、モモは良いのかよ!」
「良いも何も、良くはないよ」
あっさりと、それはもうあっさりと、モモはカトラの言い分に肯いた。
思わず呆けるカトラに対し、ルドは今にも噛み付こうと歯を剥き出した。
が、それもルドの一言に収める事となる。
「けれど、それを決めるのは、カトラでもルドでも、況してや私でもない」
モモはそれを自身に言い聞かせるように呟き、そしてその視線はチハヤへと向かった。
「チハヤが決めることだ」
突然、モモに主導権を投げつけられた私は、漸く今までの話が自分に向いたものだと正しく理解した。
「え、私?」
まるで他人事のようで、そのせいか未だに私は理由が分からないでいる。
「そりゃ、そうだよ。チハヤの事なんだから
」
「い、良いの?」
「当たり前じゃないか。……まぁ、でも、基本的には反対するよ。特に、今回みたいな話はね」
そう答えて、モモは私の頭を優しく撫でた。いつものように、優しく。
「私はね、チハヤの旅についてはとてつもなく反対派なんだ」
「……」
「でもね、私にもカトラにも、誰にもそれは止められない。チハヤの事はチハヤの意思で決めていかなければならないからね。そうでなければ、自由じゃない。そう分かっていてもね、チハヤは可愛い私とモモの妹だ。人やドワーフの様に血が繋がっていなくてもね。だからこそ、心配なんだ」
「モモちゃん……」
知っている。
モモもカトラも、誰よりも私のことを親身にしてくれていること。
本当の兄妹のように接してくれていること。
私には勿体無い程の優しさと温もりを与えてくれていること。
そんな二人を心配させたくない気持ちは、勿論私の中にもある。
「だから、例え昔から知っている男でも、ぽっと出の男にチハヤを簡単に渡すわけにはいかないんだ」
「なっ、結局、お前もカトラと一緒かよ!」
一緒に縛られているカトラに構わず、ルドは四肢をバタつかせて暴れ始めた。すると、またしても何処からか現れたラソワの布がふわりとルドの周囲を取り巻き、その暴れる二の足と騒ぐ口を塞いでしまった。
「ングー! ンガーッ‼」
「最後まで聞けと何度言えば……。私が言いたいのはだね、ルドがチハヤのパートナーになり得る者ならば、文句は言わないって事なんだ」
「パー、トナー?」
その単語に、モモはコクリと肯く。しかし、その表情は不貞腐れていて、唇を尖らせていた。
「そう。パートナーは、ユグドラシルさまがそのエルフに相応しいと判断されたモノだけがなれる。そしてその者は、チハヤと一心同体であり、苦楽を一生共にする者になる。唯一無二の相手だ」
「あたしとモモみたいにね!」
ウフフ、とモモの肩から前のめりになって、嬉しそうに笑みを浮かべる。
そんなラソワの頭を、猫の頭を撫でるようにワシャワシャと、モモは撫でる。そんな乱暴な撫で方をする時は照れてる時なのよ、と少し前にラソワが教えてくれた。それもあり、ラソワはより嬉しそうに笑みを深めた。
「そういうわけだから、ルド。君がチハヤのパートナーならば、チハヤが成人した暁には、共に旅に出ることを俺は許すよ」
そう告げると、モモはちらりとカトラへと視線を向けた。
カトラは、モモの視線を分かっているのか、そっぽを向いたまま口を噤んでいた。
「……」
「カトラ」
「俺は、俺よりチハヤを守れる奴しか許さない」
「だそうだよ、ルド。私たちの妹を奪うと言うことは結構ハイレベルな事だと自負してるから、頑張ってね」
ラソワはモモにヒソリと一言告げられると、カトラとルドを巻いていた布の縛りを解く。解いた布は、布から糸へと戻っていき、最後にはラソワの身体へと溶けるように戻って行った。
「ったく、酷い目に遭った」
「おい、カトラ」
「分かってる。……ちょっと周りに酌注いでくる。ルドも」
「……わーってる」
カトラとルドは、その場にあった酒瓶を何本か持ち、離れてしまった仲間の席へと向かう。この宴会場では、騒ぎを起こしたエルフは謝罪を兼ねて各々の席へ酌を注ぎに行くルールがある。
私も騒ぎの一端を担っていた事もあり、腰を上げようとしたところ、モモに「原因はあの二人だから」とそのまま座り込ませた。
「さてと、怒ったらお腹空いたよ。まだツマミ残ってるかな?」
「あ、じゃあ私が」
再び立ち上がろうとしたところ、再びその行く手を遮られた。
「チハヤはモモと休んでて。テキトーに取ってきてあげるわ」
「ありがとう、ラソワ」
モモの肩から離れ、そのまま食事の置かれたテーブルへと飛んで行った。
「じゃあモモちゃん、お酒注ぐね」
「ありがとう、チハヤ」
新しいコップに、モモの好きな果実酒を注ぐ。甘酸っぱい匂いとアルコールの匂いが鼻孔を擽る。
注いだコップをモモちゃんに渡すが、モモちゃんはそれ程お酒に強くない。少しずつ、コクリコクリと呑んでいく。
「ねぇ、モモちゃん」
「何だい、チハヤ」
「ラソワとパートナーになった時の話は、まだ聞いちゃ駄目?」
モモのパートナーであるラソワ。二人の出会いや馴れ初め、パートナーになった時を何度か訊いたが、一度もその問いに答えが返ったことはない。
「チハヤがパートナーを見つけたら教えてあげるよ」
そんなつれない返事も、幾度となく聞いた。その返事をするモモの視線の先は、いつだってラソワに向いていることも知っている。
私の胸は、ほんの少し高鳴る。
お読みいただき、ありがとうございました。