第十二話〜ルドとバイク〜
ルドに見せることもあり、ドラグーンの車体を専用の布巾で拭いていると、コンコン、というノックが耳に入った。
「チハヤ、ルド連れて来たぞ」
「おぅおぅ、来たぞ、嬢ちゃん!」
にっかり笑うルドの姿に、私は呆気にとられた。
その浅黒い顔に無精髭はない。ボサボサだった錆色の髪はブラシで梳かれ、丁寧に結われている。身に着けているのは、薄汚れた服ではなく、清潔な白いTシャツにラフなパンツ。ベルト替わりの藍色の腰紐が、黄昏れるように靡いている。靴ではなくサンダルだが、それは逆に彼らしさを映しているようだ。
「ルドさん、イケメンですね……」
「イケ?」
「かっこいい、ってさ。良かったな、ルド」
つい口から出た前世の言葉を、カトラが要約してくれた。そして、その言葉にルドは、一瞬間を置いた後、ボッと火が着くように赤面したのだった。
「お、おぅ、て、照れるじゃねぇか……」
視線を彷徨わせ、しどろもどろと言う彼は、先程会った彼と同一人物とは思えない。
(言われ慣れてないのね……)
まるで思春期男子を思わせる彼の態度に、私は思わず彼の頭を犬猫のように撫でたい衝動にかられるが、その衝動はムッとした表情で私とルドの間に割り込んだカトラに止められてしまった。
「いい大人が照れるな」
「し、仕方がないだろう! 俺だって、嘘でもこんな美少女にそんなこと言われたら照れるんだよ!」
真っ赤な顔のまま、ムキになったルドは叫ぶようにカトラへ文句を言う。そんな彼を、カトラは呆気なく無視して、溜息を吐いた。
「ルド、照れるよりも目的を果たせ。楽しみにしてたんだろ?」
「お、……おぅ、そうだった! ……って、それか?」
カトラの肩越しから覗き込むようにして、ルドはドラグーンを目にした。
途端、ルドはその眼差しを真剣なものに変えた。
口を閉じ、赤面した顔をあっという間に元に戻す。カトラの横を抜けて、私の隣にしゃがんだ。
「これが、ドラグーン……」
「そう、ドラグーンって言うのはこの車体の名前で、これ自体はバイクっていう二輪車なの」
「二輪車……触って見ても良いか?」
訊ねる声とは裏腹に、好奇心に彩られたその瞳は、触りたい! と訴えていた。
「……どうぞ」
本当は、あまり人には触らせたくない。
独占欲丸出しだが、許して欲しい。しかし、それを感じて、ルドはちゃんと訊ねてくれたのだと思う。
それに、何となくだが、ルドはドラグーンを乱暴に触ることはない気がした。
その考えは正しかったようで、ルドは私の許可が得ても乱暴にすることはなく、そっと撫でるようにドラグーンの車体を触り始めた。
確かめるような手付き、時々コンコンと軽く車体をノックする。タイヤのゴムに触れた時は思わずと言った口調で「何だ、これは」と呟いていた。その様子から、確かにこのドラグーンはこの世界にとって異質で、たった一つの存在なのだと理解する。
あちこちを観察すること、およそ十分。
眉間に皺を寄せて唸りながら、ルドは立ち上がった。
「こんな素材、初めて見る。確かに、嬢ちゃんが異世界からの転生者だって実感するな」
彼の言葉の一句一句に、私の胸は痛いほど鼓動する。思わず、汗が滲んだ自身の手をぎゅっと握り締めた。
「同じモノが出来るか分からんが、この外装については……まぁ何とかなるだろう。しかし、この丸いのだな。これは何だ? 布じゃないよな? 硬さはあるが……?」
「それはタイヤと言って、主に伸縮性のあるゴムと呼ばれるものから出来てます」
「伸縮性?」
「そうです。馬車とかで使われてる車輪は、今木製じゃないですか。木製だと柔軟性が無いので、車輪に当たった衝撃がダイレクトに伝わるんですよ。このゴムと言うのはある程度の硬さと柔軟性があるので、路面と車輪の衝撃をある程度緩和してくれるんですよ。あと摩擦力があるので、雨の日でも停まる際に滑るなんてことも殆ど無くなります」
「この突起は何だ?」
ルドの指先には、タイヤの隅にある突起を指していた。
「それはエアバルブと言います。タイヤのゴムって袋状になってるんですよ。その中に空気を入れるための出入り口です」
「空気? 何故空気を居れるんだ? ゴムだけでは駄目なのか?」
「ゴムってね、凄く凄〜く重いんですよ。これ一つを取っても私はきっと持てません。重いのは乗り物にとってマイナスにしかなりませんよ。あとは劣化ですね。ゴムばっかりだと多分劣化も早いと思います。その点、空気は劣化しませんからね。加えて重さも形もなく、何より無料ですから」
「ふむ、なるほど。面白い発想だ。 それに、普通の馬車に取り付けても良さそうだな! 是非ゴムとやらは造ってみたいな。これの材料は?」
「前世の世界では、ゴムの木と呼ばれる木の樹液で造っていたようです。粘り気のある白い液体で、それを加工したものをゴムと呼んでいました」
「粘り気のある樹液か……」
「そうなんです。図鑑でいくつかそれっぽいものは見つけてるんですが、流石に現物を見て確認をしないと……」
「ふむ。では、その木の生存地と名前を後で教えてくれ。旅のついでになるが、寄れる所があれば樹液を採取して送ろう」
「い、良いんですか?!」
思いがけぬルドの申し出に、私は隣に居る彼へ前のめりに迫って確認した。すると、あれ程真面目な表情だった彼の顔が、再び真っ赤になり、視線が彷徨い始めた。
「お、おぅ、嬢ちゃんの頼みだし、な……」
「わぁっ! ありがとうございます‼」
私は満面の笑みを浮かべて、ルドに礼を述べた。
「う、うむ……。痛って!」
ゴッ、と鈍い音が真横から聞こえたかと思うと、後頭部を抑えて呻くルドとその拳を握り締めたカトラが居た。
「……この幼女趣向者め」
蔑む眼差しでルドを見下ろしたカトラは、吐き捨てる様にそう口にした。
「なっ‼ それは言い掛かりだ! 無実だ‼」
「黙れ、幼女趣向者。さ、もう良いだろ? あとは明日にしよう」
「えー?」
まだ話したいことや聞きたいことがあると文句を言うが、取り合っては貰えず、がっしりと強くカトラの手に捕まって車庫から出されてしまった。
「ほら、幼女趣向者も行くぞ」
「……カトラ、心が折れる。辛い。その呼び名は本当に勘弁してくれ、いや、して下さい……」
「冗談だから気にするな」
「冗談でも他者が聞いたら分からんし、そもそも俺も冗談に聞こえなかった。本当に止めてくれ、後生だから……」
肩を落として、まるで萎れた雑草の様に憐れな姿でカトラに縋るルドに、流石に私も同情する。
真顔でからかうカトラの背中をちょこっと抓ってみせる。少し驚いた顔のカトラが、私に抓られたことと、それの意味を理解して、少し肩をすくめた。
「悪かった、悪かったよ、ルド。滅多にスキを見せないあんたが珍しくて、ついやり過ぎた」
反省感の薄いカトラの言葉に、ルドは不信感満載な視線をカトラへ突き刺す。
「全くだ。やり過ぎだ、大馬鹿野郎。謝っただけで許されると思うなよ」
「分かってる。こないだ杜氏のラコーマさんとこ手伝いした見返りに良い酒を貰ったんだ。それを開けてやる」
「よし、許す」
(即決!)
無駄のない即決ぶりに、思わず勢い良く、私はルドを見た。
そこには恨めしくカトラを睨んだ視線はなく、背筋を伸ばして仁王立ち、にっかりと笑みを浮かべたルドが居た。
そんなルドと視線が合うが、「おうおう、嬢ちゃん! 湿気た面は止めて呑みに行くぜ!」と陽気に笑った。
「すみません、お酒呑める年じゃないので」
「真面目か! いやいや、真面目で結構! 早く大きくなれ、嬢ちゃん! 早く盃を交わしたいなあ!」
さっきの萎れ具合は何だったのか、と驚くほどの変わり様に唖然としている私に背を向け、ルドは倉庫から外へと出て行った。向かう先は、恐らくこの里にある数少ない宴会場だ。
呆ける私の目の前に手が差し出された。
指から手首へ腕へと視線を移動させると、やはりカトラの顔に視線が辿り着いた。
「面白いだろ、あいつ」
「なんて言うか……、うん、面白い人だね」
カトラの手に私の手を重ね、二人で倉庫から外へ出た。
鍵を締めるために倉庫へ向き直る。
同じ位置にあるドラグーンを見て、私はルドの言葉を思い出した。
(一先ず、外装とタイヤは何とかなりそう!)
大きな第一歩が踏み締めた、と思わず唇をニヤけさせずにはいられなかった。
お読みいただき、ありがとうございました。