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ドラゴンスレイヤーズ  作者: 鈴本恭一
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第二話



 秋風が、炎の熱気と焦げ臭さをミュルツの鼻腔へ流し込む。



 風は彼の外套を翻させ、村を焼き上げる炎をさらに大きくした。ミュルツがその一面の炎の中を駆け抜ける。炎の中、村の中心に一匹の竜がいた。




 赤い竜だ。大きい。地上から肩までの高さは、二階建ての建物ほどあるだろう。



 鋼鉄よりも堅牢な深紅の鱗と、一翼の巨大な翼を持ち、四肢からは鋭い鉤爪。いくつもの背びれが長い尻尾の先まで続いている。




 角を生やした頭部――首も長い。ほぼ全方向を向くことができる――が、接近してくるミュルツを認識。彼と目が合う。竜眼。



 名剣のように鋭い竜の歯の間から、僅かな光が瞬く。仄かに鱗が輝き、その口腔から一条の赤い熱線が放射された。空気は急激に熱せられ、その熱風で土煙が上がる。村を焼いた竜の火炎。





 ミュルツが走りながら、腕をかざす。



 彼の腕の先、空間に、黒。





 魔剣だ。





 光を発さない黒い点がミュルツの前に現れ、緩やかに膨れあがっる。点から、円へ。





 熱線が激突。



 その直前、黒円が急激に収縮した。一瞬で縮み、消滅する。





 咆哮。



 鮮やかな赤い光条は幻のように掻き消え、それを吐き出したはずの竜から吼え声が鳴り響いた。そしてそれもすぐに消える。





 竜の頭部が消えていた。





 最初から頭部のないものであるかのように、その竜の頭、首の先が完全に消滅している。一拍の間を置いて、首の断面から血飛沫が上がった。竜の体勢がぐらつく。



 その体に、次々と穴が穿たれた。



 大小様々な真円の穴。強固を誇る竜の体が、ただの肉片にされていく。まるで空間そのものが竜を屠って弄んでいるかのようだった。



 出血という現象は間に合わない。血が噴き出す前に、赤い竜は細切れにされ、大地へばらばらと撒き散らされていく。





 ミュルツはそうして竜を一匹葬ると、頭上を仰いだ。




 上空に巨大な影が。それが数体、飛行している。




 全て竜だ。



 先程ミュルツが仕留めたそれと同じ、赤い竜たち。



 彼らはミュルツを睥睨している。魔剣を持つ人間を警戒していた。





 その為、彼らは背後から迫り来たそれへ、すぐには気づかなかった。





 竜眼が、竜たちよりも高みからやってくるものを感知したとき、一匹の竜が無数の長槍に貫かれる。竜の体を貫通するほど長い、いくつも返しがついた黒い槍だ。貫かれ、爆裂。薄青色と橙色が混ざった炎に包まれる。



 竜たちは散開。敵襲。敵を見た。





 矢じり。



 黒曜石のような黒い輝きを帯びた、菱形の物体だ。大きさは人間と同サイズ。それが空中を飛行している。ミュルツは心が躍った。





 黒の矢じりが煌めく。竜を屠った長槍が、その黒い表面から放たれた。



 竜たちは機敏に距離を取る。その攻撃をかわした。槍の雨が彼らの脇をすり抜ける。




 すり抜けたと同時に、槍は空間から霞み、消えた。





 再び槍が現れたのは、竜の背後。肉薄する距離に。槍は放たれた勢いそのままに空間を渡り、竜へ直撃する。串刺しだ。破壊鎚さえ弾き返す竜鱗を、その槍は容易く貫いた。





 空を飛んでいた竜の全てが、その一瞬で仕留められる。





 巨体が大地へ叩き付けられ、大きな地揺れを起こした。そのまま爆発する。水色と紅色の炎が竜を呑み込み、火柱となって消える。



 ミュルツはその震動に足下を泳がせられるが、視線は空へ向けたままだ。




 黒い矢じりは火の粉で汚される上空を旋回。その形状が、菱形から三角へ変形している。飛翔速度は鳥よりも竜よりも早い。





 そして蹴り付けられたかのように、矢じりが彼方へ吹っ飛んでいく。



 尾のような白い線を空に引き、すぐに姿が見えなくなった。




「……」




 ミュルツは息を吐く。





 《竜殺し》だ。あの、矢じりに似たそれが。





 竜が人間を襲うように、《竜殺し》も竜を襲い、易々と殺していく。《竜殺し》は謎の存在だった。竜を狩ってはすぐに去る。



 人間は飛べない。ミュルツもそうだ。だから《竜殺し》の後を追うことは出来ず、その正体を掴むことは出来なかった。





 《竜殺し》が去っていった空から視線を剥がし、そして、ミュルツは周りを見た。



 村にあった家々は全て焼き尽くされている。炎があらゆる建物から上がり、人間と家畜の焦げる匂いであたりをいっぱいにした。



 生き残っているものはいない。



 皆、死んだ。



 ミュルツが駆けつけるのが遅すぎた。





「……」





 ミュルツは眉ひとつ動かさず、自分が仕留めた竜の骸へ近付く。



 もはや血肉の溜め池のような惨状になっているそこへ、迷うことなく足を踏み入れた。目的は、肉塊にへばり付いている、竜の膚、鱗だ。




 革手袋のついた手で、それを剥がす。少し振って簡単に血を払った。どこかの街で王城への使者を探し、王に献上するのだ。



 この行為を、ミュルツはあまり好いてはいない。




 腰に帯びた雑嚢へそれを無造作に押し込むと、ミュルツは全滅した村から立ち去る。



 次の場所へ行かなければ。竜が襲撃する場所へ。場所は魔剣が教えてくれる。




 いつも、間に合わないというのに。





 涙は、すでに涸れていた。心も、とうに。きっと。









                  **** **** ****





 二十年前、ミュルツは母親を殺して生まれた。





 黒の魔剣で母の腹部に穴を開け、そこから産声を上げた。産婆からはそう聞かされている。おそらく事実だ、とミュルツは思った。





 母はひどく病弱で、子を産めばそのまま死んでいただろうとその産婆は言っていたが、ミュルツには何の慰めにもならない。




 国王には、ミュルツ以外にも王子がいた。異母兄弟たち。出会えば冷たい視線と態度しか向けない。王城の召使いも大臣も、王さえも、ミュルツに温かなものなど与えはしない。




 そんな城での生活が嫌になり、竜退治の旅に出て、もう4年が経っていた。





 夜も昼も、ミュルツは歩く。



 いくら歩いても、彼はけっして疲れなかった。飲まず、食わず、眠らずとも、ミュルツの体調は健全のままだ。そんな状態を健全と呼べるのか、彼には分からなかったが。



 なので、どこにでも彼は泊まれた。



 肉体が異常なまでに頑強なので、本来は泊まる必要さえないが、彼は数日に一夜は体を休ませた。




 街道を少し離れれば、手付かずの森か、どこかの農園の端にいきつく。そこで一夜を過ごし、払暁と共に出発する。



 今夜も、ある森の中、太いモミの木を背にして腰を下ろし、ミュルツは眠気のない時間を過ごしていた。




 山野の獣は、ミュルツを襲わない。特殊な肉体と同じく、彼にはそういった特性があった。



 魔剣のせいだろう、と彼は思う。





 青ざめた月明かりの中、ミュルツは手を中空へかざす。



 その手から指ひとつ置いた空間に、夜よりも暗い、深淵のような黒い点が出現した。



 彼の魔剣だ。



 彼の能力の一部、ではない。彼は魔剣を保持している。他人には説明しがたい感覚だが、ミュルツは確信を持っていた。これは、自分とは違うなにかなのだ。



 手をさらに頭上へかざす。黒点も移動した。



 夜空は煌びやかな星々と、剃刀のような三日月が冴えるように浮かんでいる。






 彼は魔剣に命じる。




 ―――月と星の光を、斬れ。





 途端、ミュルツの視界が暗黒に陥る。



 さきほどまで視認できていた自分の腕、森の暗がり、木々の葉が、完全に黒に染め上げられた。一色の世界。無明だ。



 獣たちのざわめきが響き渡る。



 僅かな星光や月光を頼りにしていたものたちは、その異変に恐慌を溢れさせていた。虫も動物も、覚醒して跳ね回る。





 もういい、とミュルツは命じた。





 すると、魔法のように光りがそそがれる。



 円弧を描く月、薄い陰影を持った樹端、血の染み込んだ、自分の古い革手袋。もう魔剣は見えない。



 山の中に駆け巡っていたざわめきが静まっていく。



 しかし、何事かと警戒する気配はなくなっていない。





 ミュルツは、ひとり、夜を過ごす。





 眠りのない日々は、長く、苦い。







                  **** **** ****




 ミュルツは、自分が最後に涙を流したのはいつだろう、と思い返してみた。思い出せない。






 くるしい、という状態だけは、多々あった。日々が、それだ。




 どこにいても、なにをしていても、城の中は苦しかった。どれだけ息を止めても平気だというのに。何が苦しいのか分からない。





 自分がひととは違うのだ、と知ったのは、5歳か6歳の頃、異母兄弟に城の櫓から突き落とされたときだ。



 人が死ぬには十分な高さだった。けれど、ミュルツは死ななかった。その場で、すぐに立ち上がった。体には傷ひとつなかった。ミュルツは、自分を落とした少年へ同じことをした。彼は頭から落ちて死んだ。頭部は原形を留めていなかった。ミュルツの心は動かない。




 自分は死なないのかもしれない、とそのとき思った。






 眠りというものを知らないのだと気づいたのも、その頃だ。



 夜になると、なぜか城は静まり返る。何があったのか不思議に思い、不寝番をしている衛兵へ、「皆、死んでしまったのか?」と聞いて苦笑いされた。そして「王子は眠らないのですか?」と問われた。「私は眠りなど知らない」と言うと、冗談だと思われたのか、さらに笑われた。しかし、私が真剣なのだと悟ると、ひどく気味悪がられた。






 城の中、眠らずに過ごすには退屈だった。



 最初は書庫から持ってきた本で時間を潰していた。しかし、城中の全ての本を読み終えた後は、木彫りを日課にし始めた。



 どれだけ没頭しても疲れない為か、ミュルツのその腕前は彫り師にもひけをとらないものとなった。しかし、毎夜、一晩中だろうと彫り道具を使う王子の姿は、他の者には薄気味悪いものだったようだ。国王直々に、「夜には何もせんように」と命じられてしまった。





 なにもしない時間は、ひどく退屈だった。



 ミュルツが、体の奥にくるしさを憶え始めたのは、それからだ。



 酒をどれほど呑んでも酔わず、頭をどれだけ壁に打ち付けても気絶しない。






 夜は長い。気が遠のく。



 あるとき、自分の腕を、剣で斬り落としてみた。



 痛かったが、痛いだけだった。何も感じない。



 腕の断面から、瞬く間に新しい腕が生えると、その痛みも消えた。



 切り落としたはずの腕は、いつの間にか無くなっていた。





 その時にはもう、他人に「腕はなくなっても生えてくるのか?」と問うほど、ミュルツは幼くなかった。





 心は何も感じないというのに、くるしさだけが体の中に溜まっていく感覚。





 ミュルツは、それに堪えられる自信がなかった。






 彼が、竜退治を名目に城を出たのは、それが原因だった。




 竜が現れる場所まで、眠らずに歩く。たどり着き、竜を殺す。目的が出来た。







 そして、彼は《竜殺し》と出会った。











                  **** **** ****





 《竜殺し》は前触れもなく現れる。





 圧倒的な速度で視界の彼方の空から飛来し、瞬間移動する不思議な投擲武器で竜を屠る。竜はその武器が生んだ火炎に巻き込まれ、爆裂の中、消滅した。《竜殺し》はそれを確認すると、再びいずかかの空へ消え去っていく。



 単純で明快な、《竜殺し》の動き。




 あれが行う一連の狩猟行動に、ミュルツは魅入った。



 動きに無駄や蛇足が一切無い。




 それは、《竜殺し》がほぼ一撃で竜を葬り去る戦闘能力の高さだけではない。



 殺し、何も残さず、ただ去る、というそれへ、ミュルツの心は惹かれてしまう。





 完璧で、清廉だ。



 自分とは違う。





 自分の魔剣も、竜を血の一滴まで残さず消し去ることが可能だろう。しかし、それはできない。




 竜退治に行くと王へ願い出た時、旅立つ条件として、竜の遺骸を一部でも城へ届けることを契約されたのだ。



 そのため、ミュルツは竜を完璧に消滅させることが出来ない。竜を狩ってその鱗や爪、牙といったものを奪わなければならない。





 自分は《竜殺し》とは違う。




 それでも、彼は竜と戦う時、《竜殺し》がきたことを確認すると、今まで胸に溜まっていたくるしいものが和らぐのを実感できた。目的は同じだ。竜を殺す。





 無論、《竜殺し》とは何の交流もない。



 ただ、狩り場が重なるだけだ。




 《竜殺し》は清々しいほど現場に自分と竜の痕跡を残さない為、ミュルツが遅れてその場へ駆けつけると、竜の鱗も爪も手に入らない。ミュルツが相手にしていた竜を《竜殺し》に狙われた場合も同じだ。何ひとつ残らない。





 それが、むしろ快かった。




 竜が村を襲い、村人を虐殺し、畑も家畜も焼き尽くされているというのに、それらは些末だとミュルツは思った。少しも心が揺れない。彼は、《竜殺し》の完璧な攻撃へ心を奪われていた。





 それを旅の中で自覚する。





 自分は、もう領民のことなど考えていない。



 ただ、次もまた《竜殺し》に会えるだろうか、という思いが心の中を占めている。






 会えれば良い。



 会えなければ、次に期待しよう。






 ミュルツは、生まれて初めて、楽しみというものを憶えのだ。




 彼の竜殺しの旅は、続いた。


























 竜が、ある時期を境に、突如として国中から消えてしまうまで。





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