Section 6
彼女は大家であって、誰のおふくろでもないが、ツバキにとってのおふくろの味は相も変わらずツバキの身体を労ってくれた。
ゆっくりと湯船に浸かり、好きな時にタバコを吸い、ひとりきり自分の部屋で(ルカは空いている部屋で寝てもらった)翌日の昼まで眠って、悪魔にちょっかいを出されて発生した弱気の類はだいぶ払拭された。ただ、当たり前の人にとっては当たり前のそれらが、ツバキにとっては得難い幸福となってしまって非常に悲しい。
かつてツバキの下の部屋に住んでいた家出少女も、昨年の六月に定食屋のバイトで知り合った男のもとに嫁に行ったと聞いて安心する。食うに困ってろくでもない商売や借金に手を出したりしていなくて本当に良かった。
今は一時的に実家に帰っているカンボジア人の留学生と、前期の時点で留年が確定したので開き直って運転免許を取りに山形に行っている男子大学生が住んでいるらしい。
大家の老婆は終始笑顔でシェアハウスの近況を語り、ツバキくんたちも頑張ってね、と二人を送り出してくれた。
「昨夜ハンスと連絡を取り、アイリン・ホァンが昨夜の時点で日本から書類上は出国していないことを確認しました」
「そうか。相手は密航出来るような奴か?」
「いえ、渡航歴がかなりデータとして残っているし、その中にはややきな臭い日程のものもあったので、密航はしていないと思われる、とのことでした。また、彼女の雇い主であるリン・アオマツも現在日本国内にいるようです」
「じゃあ日本にいるのはほぼ確実だな。だが……・元々海外出張も多いだろうから、感付かれる前にとっとと叩かないとナチュラルに国外逃亡するぞきっと」
「えぇ。追うのは容易いですが時間をかけるのは避けたいので、敢えて青松貿易の本社のネットワークへのハッキング等はしないように頼んでおきました。慎重で抜け目ない相手だとシレン氏が言っていましたし、恐らく敵は安易な防壁で油断してはいないでしょうからね。せっかく現場に来ているのだから、私が相手に接触していつでも追えるように準備に入ります。良いですね?」
「ダメだって言ってもやるだろ」
「正当性が認められる意見は一考しますよ」
「うそつけ。お前の仕事は蛇なんだから絶対譲らねぇだろ」
「私が功を焦るような愚か者だと言いたいんですか?」
「うるせぇ。お前が超地獄級マイペース野郎だって言ってんだよ」
「そっくりそのまま返しますよ。任務の最中に実家に帰る人なんて初めて見ましたから」
「俺のは性格上の問題じゃなくて戦略上必要なことをしてるだけだって説明しただろうが」
二人が言い争っているのは、六本木のとあるビルの屋上である。
青松貿易の本社ビルとの間に遮蔽物がなく、且つ近すぎて見つかる可能性を考慮して選んだ監視場所だが、腕の良いスナイパーなら窓際の人間を撃ち殺すことも可能な距離だ。
ただ、社長室が窓際にあるかどうかはわからない。多くの社長が部屋に眺めの良い窓を欲しがるが、まれに窓を嫌がる社長もいる。
「ところで、あなたここから狙って確実に撃てますか?」
「あ? 実弾でやれって言われたらちと自信ねぇが、魔弾ならある程度の誘導を魔法で付けられるから確実に撃てるだろ」
「威力はどちらが上ですか」
「こんだけ長距離ってなると魔弾は魔力が散るから実弾より威力減衰の幅がデカい。その分魔力を上乗せすりゃいいだろうが、そうすると魔力にしろ精神力にしろ、コスパはすげー悪くなるな」
「なるほど……見事に一長一短ということですね」
「あんま遠距離型じゃねぇんだよ俺。ていうか、中衛すらあんまり好きじゃねぇ」
「強いて言うなら準前衛、ですか」
「そうだな。刃物も出せるが、格闘出来るわけじゃねぇからあんま前には出れねぇからな。格闘は武器作る奴より防具作れる奴や肉体強化出来る奴がやった方がどう考えたって建設的だ。俺は敵の目の前で突然武器を出せるってことが強みなんだから準前衛以外にベストポジションはねぇ。ついでに、距離を取られた時のためにお前みたいなのがいる」
「ええ、そうです。その前に、接敵してから逃げられるようなこともないように、事前準備をしなくてはいけませんね……ターゲットに印を付けること、敵を追い込む理想的なステージを選ぶこと、そして実際に追い込むこと……発信機付けは秘書として働いている昼間の彼女とすれ違う程度の接触で簡単に出来ますが、発信機に気付かれて外されるまでの時間には確証がありません。夜の行動を割り出した上で、いざという時の保険としてくらいに考えていてください」
「敵の夜間の動きはシレンが調べてメールしてくれるから、お前がシレンを信頼出来るならそっちに任せちまって構わねぇだろ。戦場選びはどうする」
「とりあえず、本社ビルを建設した会社……或いは調度品を搬入した会社のパソコンに侵入してビル内のどこに社長室があるか、周りの部屋がどういう部屋なのかを調べます。場合によってはそこでケリを付けることもあり得ますから。あとは敵が売るための人間や薬物を保管する場所が必ずあるでしょうからそれも調べます。まぁ、後者で戦闘になる可能性が高いですから、後者に関してはあなたが自ら調べた方がよろしいかと思いますが、一応こちらでも多少は調べます。あとは、ターゲットの罪状の裏付けですね」
「あいよ。どうせ東京湾沿いのコンテナ置き場とかじゃねぇかなと踏んでるけどな、そういうだだっ広くて街と離れたとこは仮に銃を撃っても人が悲鳴を上げても誰の耳にも届かないとか、海にポイするのも楽だとか、色々犯罪をやりやすい現場だし、俺も何度かそこで悪魔憑き殺してるから。まぁ、なんかあったら連絡するわ。あれだろ、《教団》が寄越した回線使えば良いんだろ?」
「あなたの居場所は常にわかりますし、何かあったら大体のことはわかりますが、もし言語でなければ伝えられないことがあったらそれでお願いします」
「あいよ」
そう言って、ツバキはビルの屋上を去る。
ルカは上手くやるだろう。ルカという人格を信頼するのとは違う。ルカという人間に対する確信だ。
だからあまり建物の構造だのなんだのということに関しては、心配をしていない。それよりも、ルカには言わなかったが、ターゲットについて調べなくてはならないことがある。
×××
ツバキが向かったのは、東京湾だった。ただ、ルカに語った都心に近いコンテナが並ぶ一帯ではなく、郊外の港町から小さな船外機がついているだけの簡素な釣り船で海に出た。大きな船の行き来が過密な東京湾を小さな船で行くのは技術も度胸も要るが、慣れた様子である。
誰にも盗み聞きされない場所で通話したい相手がいるし、違法な取引というのは陸で行われるとは限らない。
手帳に挟んだ電話番号を控えたメモを見ながらPDAを操作し、ほんの僅か、繋がってくれと祈る。
「……」
相手は無言だが、呼び出し音が止まったからには、繋がったのだろう。ツバキは小さく息を吸って口を開く。
「地下を泳ぐ鮫に告ぐ。赤い花の散る夜は、月の灯りに気をつけろ」
詩的な言葉選びだが、意味のある言葉ではない。合言葉だ。
「ごきげんよう赤い花? 今宵の月は如何か」
年齢も性別も全くわからないように合成された機械のような音声が返事を寄越した。
「月は出ていない」
「それはなにより。ではご用件」
「黄艾鈴という二十五歳の女について、あとその雇い主の青松凛という二十五歳の女。十五年前に香港への渡航歴があるかどうか」
「二五」
「高ぇ」
「ならば結構」
「じゃあ、黄艾鈴だけでいい」
「それならニニ」
「……、じゃあ二五出してやる」
「黄艾鈴。中国北京市海淀区出身、所謂資産家の娘。両親健在、年の離れた弟がいる。清華大学経済管理学院経済系卒。在学中にサークルで知り合った留学生の青松凛に能力を買われ、新卒で青松貿易株式会社に入社、秘書課所属。職務に関しては非常に勤勉、且つ有能。秘書という役割を超えて社に貢献している。犯罪歴、病歴、受賞歴、特になし。使用言語は北京語、英語、日本語、フランス語。取得している資格・技能は、国際運転免許、上級秘書士。交際歴、特になし」
感情のかけらもない冷たい音声がものすごい早口で伝えてくる情報を、ツバキは必死にリスニングし、記憶していく。
「住所は日本東京都港区、しかし現在居住の事実はない。社内では、男性職員との衝突も見られる程気の強い人物、というレッテルを貼られているらしく、ネット上に彼女に関すると思われる中傷が数件見られる。約半年前、悪魔と接触した可能性が高い。理由は、睡眠を摂っているところを監視カメラ含め、全く目撃されていないこと。大麻、覚醒剤、臓器、人身売買で金を稼いでおり、その金は匿名で慈善団体に寄付している。寄付先はユニセフや赤十字社、ユネスコ、WWFなど、有名団体ばかり。手足として使っているのは全員日本人だが青松の社員ではないし、特定の団体の人間でもない」
睡眠を一切摂っていない、そして金の行き先がわかっただけでも大きな収穫だ。
悪魔憑きである確信と、動機の手がかりだ。
「その他、基本情報は必要とあらば答える。詳細な出没情報、現在位置、各〇ニ」
「そいつは己の情報の防衛にどの程度気を使っている?」
「それならば特別に無料で教えよう。私には当然気付いていないが、私とその他大勢とを比較するのは無意味かと」
要は、何かを知りたいなら自分から買えということだ。
情報屋は、情報収集能力よりも自衛能力と商才が試される職業だ。
「青松凛の渡航歴は、ある」
「そうか……やっぱりな」
「以上でよろしいか?」
「黄艾鈴と悪魔の関係について、或いはその能力については?」
「曖昧な情報が多い。私の推測の域を出ない。まだ売れん」
「なら、商売じゃなくて世間話として聞かせてくれ」
「私には世間話をするような友はいない」
「そう硬いことを言わず」
「以前、そう言ってごねたお前に根負けして情報を流した結果、どうなったか。知らぬとは言わせん」
ちなみにこの通話は、情報屋に会員権の料金を事前に払った人間との専用回線で、通話料金も一秒一万円くらいの割合で情報屋に取られるシステムになっている。
「え、アレ未だに気にしてんのか」
「気にしているのではない。真実でない情報に踊らされている人間の言動など愚昧以外の何物でもない。だが、些細なことでも損害を被ったら反省するのが当然であろ」
「それって、俺にも反省を促してたりする?」
「そうではないと思うのなら、会員権を剥奪する」
「俺何も悪いことしてな」
ブツッ。
通話が切られてしまった。
「なんだよ……あんたが俺に惚れてるわけじゃないことなんて、あんたと俺がわかってりゃ何の損もねぇだろうが……」
無駄話が長引き、通話料だけでもかなり貢いだので許して欲しい、と思いながらPDAをポケットに仕舞う。次回も繋がってくれと祈るハメになったな、と溜息を吐いて、今度は鞄から双眼鏡を取り出した。
海の上を見渡し、次いで陸を眺める。
コンテナが並んでいる一帯をじっくり見渡すも、海から見える部分に関しては特に異常はない。
(それにしても、あの顔とスタイルで二十五になって恋愛歴なしってのは、意外だな……わざわざ情報屋に言われるってのも妙だ……。なんなんだ、奥手なのか、恋愛恐怖症かなんかなのか……別に人生恋愛が全てじゃねぇが、悪魔なんかにそそのかされて金集めて寄付なんかしてる場合じゃねぇだろ)
そもそも何故寄付なのか。
寄付先が寄付先なので、特定の誰かを狙って救うための寄付という可能性はあり得ない。
金が欲しくて金を稼いでいるわけじゃないが、金の行き場に困って寄付をしている、という印象である。或いは、寄付をする、という行動が最終目的か。だとしたら、慈善心から罪を犯していることになる。
(いくらやっても結果が出なくて繰り返してくうち、本人も本来の目的を見失い始めてるんだろうな)
悪魔に取り憑かれた者達は、往々にして本来の目的や得たかった幸せから遠のく。
だからこそ、悪魔は太古の昔から悪魔と呼ばれているのだ。
人をそそのかし、身に余る力を与え、幸福から遠ざける。
ツバキは悪魔憑きをそれで「救える」とは思わないが、止めてやらなければならない。殺す羽目になってしまっても。
(迷いは、しない。他に方法がない今は)
ツバキはボートを動かして岸壁に向かった。
置いてあるコンテナの配置と色くらいは頭に入れておかなければ、ここで真っ先に殺されるのが自分になりかねない。
倉庫街をウロウロしているツバキのPDAにルカ、そして紫蓮から連絡が入ったのはほぼ同時だった。
ルカからのメールは、本社ビルの内部構造を探った結果、敵の根城になっているであろう、妙に頑丈な扉その他諸々を搬入してリフォームされた部屋があるとわかった件。文面にはないが、恐らく発信機も問題なくつけたのだろう。一方、紫蓮からのメールは、今夜アイリン・ホァンがまさにツバキが今いる場所に出没する可能性がある件だった。
本社ビルのアジトの存在を社長や他の社員が知っているかどうかはわからないが、五ヶ月前のリフォームは九十九パーセント黒だ。
それも、大手リフォーム会社から一括ではなく、規模の小さい会社から少しずつ購入しているのは逆に怪しい。売った側の記録だけを見た場合、普通は見抜けないだろう。ルカの執念の前にはチャチな小細工に終わってしまったが。
今夜この辺りに出没するというのは、紫蓮曰く、最近は毎日のようにここら辺りで目撃されているらしいから、という理由だった。
その理由だけでは確実性は低いが、ツバキの経験と勘は確実に出るだろうと判断する。
相手は結果が出ないことに焦っている。毎日のように取引や誘拐・解体を繰り返しているとしたら、今日取りやめる理由はない。
仮に《教団》に目をつけられたことに勘付いたとしても、悪魔憑きになって半年も経っているなら、とうにブレーキが効く状態ではなくなっているだろうとツバキは睨む。
いくら冷静で隙のない人間でも、焦ればミスを犯す。
今夜は張り込んで相手の実態を見つつ、隙あらば討伐に入ることになりそうだ。
二人に今倉庫街を見ている、とだけ返信し、PDAをポケットに戻す。
(魔法とか特殊能力の類だけは、未だにあるのかないのかすらわからねぇからな……怖ぇっちゃ怖ぇが)
しかし、それは相手も同じ。ツバキは本名や年齢すら知られていないし、武器も魔力も持ち歩かない。余程戦力差が開いていなければ、素人に負ける筈がない。
今回は、魔力の貯蔵も十分だ。
(敵さんの目の前でチューする口実は考えておかなきゃなんねぇな)
今までそうして戦ってきたから、キスする言い訳はいくらでもあるが、「ルカと」する納得出来る理由は難題と思われた。
不意に、ポケットの中でPDAが震える。メールの着信だ。
「今そちらに向かいます。動かないでください」
ルカからだった。
特に何か打ち合わせたわけではないが、きっと張り込むつもりで、多少の備えも揃えてきてくれるのだろう、と勝手に期待するが、ルカはそういう期待を裏切ることはきっとしない。
動くな、と問答無用で言うからには。
(慣れちまえば、本当に相性の良い相方なんだろうけどな)
だが、慣れることは得意にしても、初対面の瞬間の、あのなんとも言えない蛇に睨まれたような不快感は当分忘れられそうにない。
ルカが来るのをコンテナの上で待っていると風がじわじわ涼しくなり、いつの間にか夕日が沈んでいた。空がうっすら紫色をしている。
ルカは驚くべき身体能力でコンテナの上を軽々と飛び移りながらやってきた。身体能力だけで言えば、確実に^―¥ルカの方が上だろう。
「よぉ、ご苦労さん」
「いえ、お疲れ様です。……アイリン・ホァンは現在も本社社屋にいるようです。シレン氏から今夜の予定に関する情報は入りましたか」
「あぁ。俺はここだと睨んでる。実際、気持ち悪ぃ空気が淀み始めてら。ここで、今夜人死が出る」
「それが被害者ならば阻止してください」
「その結果敵を取り逃したら?」
「私が追います。ちゃんと発信機は体内に入れたので、容易には私から逃げられませんよ」
「体内、って」
気持ちの悪いことを聞いてしまった。服や耳たぶに外側からつけられているのは、まだ生易しい方だったということがうかがえる。
「ぶつかった拍子に、ペンが刺さったように装って体内に射ち込みました。多少は訝しがるにしても、体内を循環しているものを取り出すのはそう簡単ではありませんし、そこまで小さいナノマシンを利用しているのは恐らく世界で私だけですから、まず疑われないかと」
「それで居場所がわかっちゃうってわけ……?」
「あなたにつけてもらっているものと違ってGPSを利用しているのではなく、シンプルに信号を発信するだけのものなので、受信機を持った私があまり離れるとわからなくなるし、電波状況によって不確かな場合もあるのですが、東京にいる間はまず大丈夫です」
《教団》はツバキが思っていた以上にすさまじい科学力を抱えている。個人レベルで《教団》から逃げ切ることなど、出来ない。
そう、確信する。
「……そうだ、別口で、アイリン・ホァンが金を稼いでどうしてるかがわかった。全額寄付だそうだ。寄付の目的も曖昧で、寄付先は有名な団体ばかり」
「なるほど。ところで、リン・アオマツが慈善活動家としてかなり著名な人物だということはご存知ですか」
「慈善活動家を一人も知らなかったからご存知じゃなかったわ……ていうか、それマジか……」
「私もアジアで仕事をするのが初めてなので初めて知りましたが、リン・アオマツは聖女などと呼ばれていたりもするようです。聖女を支える存在が悪魔と結託しているなんて、とんだ茶番ですが」
「……」
「……どうかしましたか?」
「いや、青松凛も黒なんだろうかな、と思ってな」
「悪魔憑きを庇うものは処罰の対象になります。何も知らなかったなら保護対象ですが、アイリン・ホァンが悪事を働いていたことを知っていたのなら、現場の判断で殺害してもこちらにお咎めはない、ということになります。……あなた、過去にリン・アオマツと何かありましたね?」
ツバキは言うべきか言わぬべきか迷い、眉間にしわを寄せる。
言っても言わなくても変わらないし、凛がツバキの知る凛だとしてもツバキの行動になんら変化は来さないが、それでもルカには話しておくべきだろうか。
「ガキの頃、一回だけ会ったことがある。香港で」
「……失礼ですが、何故ですか? 彼女は社長令嬢の筈」
「そうだ、俺は身寄りのねぇ貧しい売春宿のガキだからな、会う筈のねぇお嬢様だった。迷子になっててな、きったねぇ街に迷いこんで、そりゃあ盛大に浮いてた。あまりに綺麗な身なりだったんで覚えてる。……それだけだ」
「一目惚れは都市伝説だと思っていました」
「ちげぇよ」
ルカの価値観と発言はいちいちツバキの予想を超えてくるので会話でじわじわ疲労感がたまる。
「それは一目惚れが都市伝説だ、という点についてですか?」
「それもだし、俺は一目惚れなんかしてねぇって」
「そうですか。あ、何を選べばいいのかさっぱりわからなかったので、適当に持ってきましたが何か食べますか」
ルカはそう言って、コンビニの袋を差し出す。安易にカロリーが摂れるバー状やブロック状の食品とゼリータイプの補給食、それから栄養ドリンクが入っていた。
「うっわ、この量、ガチで張り込みって感じだな」
「今夜すぐ現れると決まったわけではないので念のために。空腹は敵です。集中力を削ぎますし、正常な判断力も失われます。こんなものではまともな食事とは言えませんが、それでもないよりはマシです」
どうやらルカは食に対する執着が随分強いらしい。
ツバキは判明したその事実を脳内にしっかり収納する。
ツバキも空腹が集中力を奪うのは重々承知しているから食事を軽視するつもりはないが、ツバキはルカ程食事の質を気にしない。
「まぁ、でも俺は今夜来ると思う。いざとなったら敵前で供給も必要になるだろうから、覚悟しとけよ」
「舌先数ミリ切られる程度のことに覚悟なんて要りませんよ。私は魔力を自分では使わないので、取られた実感も薄いですし」
「違う違う。まぁそれも違わないが、俺は魔力の供給だとバレたくないからもし人前ですることになったら一芝居打つからな、っていう……その覚悟」
ルカが意味をはかりかねたのか沈黙したので、なんとなく気まずくなってツバキは黄色いパッケージの商品を幾つか見比べてチョコ味を選んで開封した。
もそもそした食感で、決して菓子として美味くはない。
だが、ずっしりとカロリーが詰まっている気配は濃厚だし、最悪、空腹が原因で体調を崩さなければなんでもいい。
「……たとえ一瞬でも隙だらけになるわけだし、魔力を供給するための行為だと知られると今後土壇場ではやりにくくなるからな、ガチでやらせてもらう。だから最悪、目撃者が生き残るとあらぬ噂をたてられるかもしんねぇ。俺は気にしないが、お前は俺が知る限り一番気にしそうだ」
「あなたの交友関係は知りませんが、私は作戦行動の一環で行うことを私情で断ったりしません。むしろ、そんなところで気を使われて手間取るのは不本意です」
「そりゃ頼もしい」
必要以上にプライドが高くて勝ち気な男である。
うっかり躓いたら、それだけで簡単に悪魔に魅入られそうだ、というか、ツバキが今まで仕事をしてきた中で、悪魔が目をつけるのはこういうタイプが多かった気がする。非常に危なっかしい。
しかし調子がいい時は非常に頼もしいのも事実だ。
「完全に日が沈みましたね」
ルカが鞄をごそごそやり、何やら右眼側に少しゴツいオプションがついたサングラスのようなものを取り出してかける。
暗視ゴーグルにしては常識を覆すコンパクトさだが、《教団》には小型軽量化の鬼神のようなエンジニアがいるのだろう。
ツバキはそんなものに頼らなくても、どうせ接敵して戦うのだから十メートルかそこら視界があればいい、と思っているし、敵が取引か人体の解体作業を行うとしたら、確実に光源は確保する筈だ。
倉庫街には何本か外灯があるので、近くなら問題なく見える。
だが、ルカの仕事は近くにいる敵の相手ではない。
更に左耳にインカムをつけ、レーダーのようなものを見始めた。
「まだ夜は始まったばかりですから、数時間は動きがないとは思いますが」
「今のうちに、一応念のために社屋の見取り図を見せてくれ」
ルカは一瞬「何故」という顔をしたが、すぐにPDAを操作してデータを送信してきた。ファイルを展開し、問題の魔改造された部屋に運び込まれたものリストも確認する。
明らかに外部からの襲撃に備えたその部屋の存在は、いざとなったら敵がそこに立てこもるつもりだと雄弁に語っている。
それに向いた魔法使いが数人いれば一瞬で突破出来るだろうが、一般人では即座に突破することは難しい砦だ。
可能な限りこの場で仕留めるつもりではあるが、敵が逃亡を判断するのは早いと見て構えなくてはならない。




