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Brotherhood  作者: 逢桜カイン
Brotherhood 第一巻
12/14

Section 8

あの日の少女がそのまま大きくなったような美人だった。

 青松凛。青松貿易先代社長の一人娘。

 名前を体現したような、少し気が強そうで上品で清潔感の強い女性に成長していた。

 シンプルなスーツを着て薄化粧でも、長い髪を下ろしただけで十分華やかで、それは室内に満ちていた殺気が恐れをなして雲隠れしてしまうほどだった。

「凛……」

 アイリンは上司である凛を名前で呼んだ。声が少し震えている。

「どういうことなのか、説明して頂戴。あなた達は誰なの。何故ここにいるの?」

「この男たちはわたしを殺しに来た、頭のおかしい盲信者よ! 凛、早く警察を呼んで!」

「盲信者?」

 ルカがよろよろと立ち上がって「《教団》をご存知でしょうか」と告げる。

「《教団》、ってあの《教団》? 魔法は神の恩寵であり試練である、って言って魔法に関する問題を取り締まってる……」

「えぇ。そうです。私とツバキは《教団》の《剣》として、アイリン・ホァンを断罪しに来たのです。更にもう一つご存知ないですか? 彼女は日本の刑法なら確実に極刑に値する程の罪人であることを」

 ルカの声は全く情け容赦なくアイリンを責め立て、凛に対してまでも監督責任とかなんとか言い出しかねない剣幕だった。

 アイリンは再度「うるさい」を連呼し始める。

「アイリン! きちんと説明して! あなたが説明してくれないと、私はこの人達の言うことを信じるしかないのよ!」

「凛、わたしは会社の資産を増やしただけ! 凛のために仕事をしたの、他の男たちには到底追いつけないほどの金を稼いだの!」

 凛はアイリンのその言葉で全てを悟ったようだった。青ざめ、無意識にか一歩後退ると、表情には恐れと軽蔑が浮かんだ。

 それを見たアイリンが激昂する。

「凛のため! わたし、凛の会社を大きくするためにあんなに汚い仕事をした! 凛はいつもわたしを見てくれない、わたしはずっとずっといつもいつも凛を見てるのに、凛のために生きてるのに、どうしてなの、日本語喋れるようになった、和食も作れるようになった、親戚にツバ吐かれた、けど、わたしはずっとずっと!」

 ヒステリックに叫び始めたアイリンは、全身に力が入って血管や筋が浮き、鬼の形相だ。

「アイリン……っ」

「凛はいつもあの女のことばかり! いつもいつも、あの売春娘の話! どうして? わたしが金持ちの娘だからなの? わたしが貧乏な家に生まれていたら、凛はわたしを認めてくれた!? それともくだらない男を黙らせるためにいちいち寝ないと、尊敬してくれないの!?」

 ツバキは言葉が出てこない。それどころか、まともな思考は全て組み上がる前に一瞬で粉々にされる。

「アイリン! 誤解よ、私は」

「もういい! 凛が認めてくれないわたしなんて、要らない!」

 途中から叫びは悲鳴になり、アイリンの声は涙に濡れる。

 ツバキが立ち上がる間もなく、アイリンはポケットから何か錠剤のようなものが入ったタブレットケースを取り出した。

 自殺出来るだけの毒だと、確かめるまでもない。

「アイリン! やめて!」

 凛が悲痛な声を上げて駆け寄ろうとするが、アイリンは聞き入れずに震える手でタブレットケースを開けようと躍起になっている。ルカは当然制止しようとしていない。殺そうとしていた相手が勝手に自殺しようとしたところで、結果は変わらないのだ。

 自殺する前に殺せなかったということでこの任務の評価は落ちるかもしれないが、ツバキはそんなことはどうでもよかった。

 一言ではとても説明出来ない感情がわだかったまま残りそうで、それだけは強く無念に思う。

「やめたまえよ」

 突如、どこから聞こえたのかわからないが男の声が聞こえた。

 驚いて辺りを見回すと、同じように驚いた顔で視線を右往左往させているルカの姿が目に入る。

 そして、アイリンがタブレットケースを開けるのをやめて立ち尽くしていた。

「白い羊のために死ぬなんて馬鹿馬鹿しい。どうしたのかね、私の黒い羊?」

 その声の主は、何もないところから現れた。

 黒いインクが空中に溶けて広がるように、世界に染みが付いたように姿を表し、アイリンの傍らに立っている。その胸元には十字が光っていた。

「あ、あ……」

 ルカが震える喉から声を絞り出していた。凛はあまりの出来事に硬直して震えることすら出来ずにいるようだった。

「アンジェリーニ神父……!」

 ルカは十字架を首からかけた悪魔をそう呼んだ。

「ほう、そう呼ぶかね、ブラザー・ルカ。よろしい。ならば私もあまりお前を育てた親の顔をするのはやめておこう。まぁ、職場に親が顔を出して同僚に挨拶などし始めて喜ぶ子などいないと私も思う」

 ツバキは動揺に動揺が重なって思考が追いつかない。

 ただ、言葉では理解出来なくとも、体には怒りと殺意が漲り、同時に強い警戒がツバキの脚を掴んで離さない。

「ところで、黒い羊。お前の望みは叶わなかったのだね? 私があんなに知恵を授けてやったというのに、世の中はお前に冷たいな」

 さも同情するような口ぶりで、しかし内心愉快なのを隠そうともせず罪人を慰める姿は、聖職者の形をしていても悪魔そのものだ。

「黒い羊、この世に絶望して去りたくなる気持ちは察するが、せめてそんな世の中に復讐してから死になさい。私が手を貸してやろう」

「アンジェリーニ神父! 何故……! 何故あなたが……!」

 ルカの叫びは悲痛を極め、危険を感じてツバキはルカの手首を掴む。悪魔相手に真正面から対峙して精神を動揺させているのは、発狂させてくださいと自らを差し出すのと同義だ。

「ルカ、落ち着け。無理でも落ち着いて心を閉ざせ、どうしても出来ないなら俺はお前を撃つ」

「良いパートナーを得たな、ブラザー・ルカ。甚だ忌々しい」

 悪魔はそう言って笑う。妙に上品で洗練された仕草がただただ不気味だった。

「お前は私……と言ってもこの肉体ではなく悪魔としての私の伴侶の器にしようと育てていたのに、全く、あと少しというところでこんなに厄介なパートナーを受け入れてしまうなんて。子育てとはままならんな。そんなに絶望した顔をするな。子は親を選べない、お前は運が悪かった、ただそれだけのことだよ」

「いつから……一体いつから神父の体を乗っ取っていた? 薄汚い寄生虫め……!」

「お前と出会う遥か前からだよ、ブラザー・ルカ。それに乗っ取っているとは人聞き悪い。この肉体の持ち主は、長年私であり神父だ。神父は私、私は神父。最早融和した魂に境目などない。イザイア・ジョヴァンニ・アンジェリーニは悪魔であり神父である、そう生きることを選んだのだ。悪魔の身では入り込めない場所に入れるのはとても便利だからな。それに人々も勝手に信頼し、疑わない。あの男には感付かれていたかも知れんが、お前は気付かなかっただろう」

 本性を晒した悪魔の微笑みは、見つめていると目眩がし始める。

 ツバキは悪魔が人間に取り憑いて融和しているケースは初めて見たし話も聞いたことがなかったが、慈愛に満ちた父の真似をしても、親切で心豊かな神父の振りをしても、悪魔というものはその存在そのものに毒を持つのだ、と改めて思う。

「悪魔の器に向かないのなら、せめて玩具として楽しませてもらいたいと思ってね、そちらとしてはそれなりに目がありそうだし、精々ツバキと共に私が蔓延らせた茨の海でもがきたまえ」

 そう言うと悪魔はアイリンに何事か耳打ちした。

 すると、アイリンが眼球を落としそうなほど目を見開き、体を強張らせてけたたましい叫び声を上げる。

「アイリンに何をしたの……!?」

「彼女の願いが叶うように祝福しただけだ、シニョリーナ。クク……では諸君らには主の祝福のあらんことを。アーメン」

 悪魔は十字を切り、祈りの言葉を口にして姿を消した。

 姿が見えなくなっただけで一斉に緊張の糸が切れて、今までせき止められていたかのように汗が出てくる。

「ルカ、大丈夫か」

「……今はそれどころじゃありません」

 確かにその通りである。アイリンは苦しみ、叫びながら体を強張らせ、強張った筋肉は何倍にも膨れ上がっていっているのだ。

 化け物のような姿で、野獣のような声で、もがきながら威嚇を繰り返している。

 理性は欠片も望めない状況だ。

「アイリン! アイリン、駄目よ、そんな姿はあなたの望みじゃないでしょう!」

 凛が説得しているが、全く耳に入っている様子はない。

「どうせ、こんな事態でも《教団》の応援は期待出来ねぇんだろ? 凛を任せた。ヤツは俺が仕留める」

「えぇ。あなたと私ごとき助けるために割く人員の余裕が《教団》にあるなら、わざわざあなたなんて拾いませんよ。最悪の事態を避けるためにも、私が戦線を離脱するわけにはいきません。彼女には一人で逃げてもらうしか」

「馬鹿言え! 今のヤツは見境ない、俺らが注意を引いたところで、俺らを狙うとは限らねぇ! ハイヒール履いた女が逃げ切れる速さじゃないのはわかってるだろ!」

「私情に惑わされて最善を見失わないでください! あなたが死んだら誰があれを止めるんですか!」

 互いに譲れない意見をぶつけ合う中、三メートル以上に巨大化したアイリンが咆哮を上げてサイズが不揃いの四肢をよたよたと動かして歩き始めた。徐々に動かし方を把握して動きが速くなっていく。

「凛! 逃げろ! 振り返らずただ階段を駆け下りろ!」

 日本語で怒鳴られた上にその中で名前を呼び捨てにされて、凛は少なからず驚いているようだったが、構っていられない。

「でも……!」

「申し訳ありませんが、あなたの社員の命を保証するような戦いでは、私達が敗れるだけでなく無限に被害が広がります。ご理解願います」

「俺らを盾にして逃げることを後ろめたく思う必要はねぇんだよ。あんたは俺らと住む世界が違うんだ。どうしても後ろ髪引かれるなら俺の名前を覚えて帰ってくれ。生還しても名前がわからなかったら礼言おうにも探せねぇだろ。こいつはルカ、俺の名前はツバキだ」

 凛は何か言おうとしたが飲み込んで、靴を脱いで走り出した。

 急に動き出した獲物を追おうとアイリンが足を速めたので、ツバキは身体に残った僅かな魔力を絞り出してアイリンの顔面に撃ちこむ。精々エアガン程度の威力だっただろう。全くダメージになっていないようだが、アイリンはツバキの方に顔を向けた。

「お前の相手は俺らだぜ、アイリン!」

「オオオァァァアアアアアア!!」

 こんな化け物を、拳銃程度では殺せる気が全くしない。

 幸い、魔力の供給に演技や言い訳をする必要はなさそうだが。



×××



 凛は両手に靴を握って階段を駆け下りている。

 心臓が跳ねて口から出てきそうだし、何度か転んで所々が痛い。

 時折階上から激しい轟音と揺れが伝わってきて、その度に恐怖で脚がすくみそうになる。

しかし無我夢中で脚を動かしている。

 子供の頃、香港の歓楽街での出来事を思い出していた。

 あの時も子供ながらに全力で走ったのだ。

 自らを盾にして凛を逃してくれた少女を一度も振り返らず、少女の本当の名前も訊かぬまま、まるで逃げることが使命であるかのように――



 エキゾチックな少女だった。

 日本風の衣装を着ていたから話しかけようという気になった、というのも大きいが、魅力的な少女だと思ったのだ。

 好奇心をくすぐるものは何にでも飛びつきたかった凛は、相手が答えてくれたのが嬉しかった。たとえ言葉に不自由していても、顔を見れば誠意があるかどうかくらいはわかる、と生意気にも確信していた。

 カメリア、と呼ぶと少し照れながら頷いてくれた。

 その時のはにかんだ笑顔が可愛くて、その笑顔を引っ込めると少し大人の女性のように見えた。

 手を引いて歩いてくれた道は、後に不夜城と呼ばれる街だと知った。なんでもない日なのにお祭りのようにネオンが輝き、沢山の人が行き交って、浮き立つような心持ちになったのを覚えている。

裏路地に入ると今度はマンションの非常階段を上がって、鍵が壊れている扉を抜けて、そんな些細な冒険に心がときめいた。

屋上から街を見下ろし、高くそびえ立つビルを見上げ、カメリアは言葉を持たないながらに彼女の住む街を精一杯紹介してくれたのだと、そう思って胸が熱くなった。

 かっこいい少女だ。

 親に養われ、選別済の安全なものだけを与えられ、言われた通りの毎日を送るだけの自分とは、大違いだ。

 彼女は自分の足で歩いているし、自分の目で世界を見ている。

そう思って純粋に尊敬したのだ。

 後々成長して沢山のことを知り、カメリアの境遇に気付いた時は、なんて自分は愚かなのだろうと心底落ち込んだが、それでも彼女が格好良かったのは変わらない。

 何と言っても果敢なのだ。

 一見勝ち目のないもの――大人や、社会や、運命――に立ち向かっていくたくましさを感じた。

 小綺麗な格好をしていた凛を攫って金をたかろうとでも思ったのか、難癖をつけてきたチンピラたちにも、平然と相対していた。

自分はいいから早く逃げろと凛の背中を押してくれた。

ずっと、あの後どうなったのかが心配で、一日たりとも彼女のことを忘れた日はなかった。

望まぬ身で春を鬻ぐ女性や貧困が理由で売られていく子供を助け続けることで、ずっと罪悪感と後悔と無力感を慰めてきた。

彼女に許されたかった。彼女に認められたかった。彼女に愛されるような人間になりたかった。

そうして凛はあの日から、ずっと無我夢中で走り続けたままなのかもしれない。

無我夢中に走りすぎて、大事なことを見落として、人の心を傷つけて、また人を盾に逃げ出す失態を犯してしまった。

そして今も、どこまで走ればいいのかわからない。

 カメリアのために、アイリンのために、自分に何が出来るのか――



(カメリア。日本語で言うと、ツバキ)

 凛はいつの間にか階段を下りきっていた。握りしめていた靴を履き、割れたガラスの散らばるエントランスホールを駆ける。

 しっかりしろ、と自分の頬を叩いた。

(まずは生き残ること。次に彼らの助けになること。それを成し遂げなければ)

 凛は外に飛び出した。

 電話をかけながら、タクシーに飛び乗る。

 彼は住む世界が違うから、逃げて当然だと言った。

しかし。

ただちやほやされて生きてきたわけじゃないことを、あの日の少女に見てもらわねばならない。



×××



 魔力がすっからかんのツバキは、防戦一方というより、防御も完全ではなくじわじわ追い詰められていた。

 ツバキを囮にしてルカが何発か攻撃を入れるも、刃物では全く歯が立たなかったため、敵を倒すには、やはり魔法で高火力攻撃を入れる他ないようだ。

 しかし相手が腕を振り回して突進してくるのを避けるのが精一杯で、魔力の供給をする隙がない。

 なんとか距離を取ろうとしても、所詮、室内という限定された空間だ。大した時間は稼げないし隠れるところもない。部屋の外に移動するか、という案も出たが、投げるものがある空間に移動するのは危険だし、アイリンがビルの外に出たら大惨事を免れないと判断して、ずっと同じ部屋の中をひたすらぐるぐる逃げまわっている。

「なんか案はねぇのか、ルカ!」

「あったら黙っていませんよ!」

「くそ、せめて部屋の端から端まで離れられたら……!」

 そうして数秒でも時間が稼げれば、魔力は供給出来る。

「そんなの、敵を壁に磔にでもしないと無理ですよ! 或いは、こちらが瞬間移動でもしない限り!」

「ウウウォォォオオアアアアアア!」

 アイリンの咆哮が空気を激しく揺らし、耳が最大の武器であるルカは相当参っているようだ。

 早く決着を付けないと、ただただ犬死にするハメになる。

 どうにかして、魔力を。

「……ちょっと待て、瞬間移動は出来ねぇが、距離を取る方法、これイケんじゃねぇか!?」

「それよりツバキ! もっと速く動けないんですか! ニ、三手先であなた、首がもがれますよ!」

 ルカほど速くも長くも動けないから、先に捕まるのは目に見えている。だが、それを利用して、今思いついた作戦を実行する以外に、特に名案が浮かびそうな気もしない。

「ルカ、後は頼んだ!」

 ツバキはそう言うと、向きを変えてアイリンに挑みかかる。

「無茶です! ツバキ、何を考えてるんですか!」

「うるせぇ! 黙ってお前は俺の魔力タンクやってりゃいいんだよ!」

 ツバキはアイリンの攻撃を二発避け、三発目を左腕で防御しながらも腹に食らって思い切り吹き飛ぶ。左前腕と肋骨が折れた気配がするが、もうそんなことは些細なことだ。

 ルカが「馬鹿」と罵っている。

 ルカが馬鹿でなければ問題はない。


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