Interlude
香港の繁華街の片隅に小汚い路地があって、小さな遊女の姿がそこにあった。
いい加減に前を合わせて適当に帯で縛った着物のような格好をして、黒いパサパサの髪を結い上げて赤い花の飾りを差した、まだ幼さの残る少女、ではなく。
少年だった。
親に売られ、売春宿で育てられ、売春婦の真似事をしながらなんとか食いつないでいる少年だった。
地べたにしゃがみこんで、客からくすねた煙草で、夕飯を食いっぱぐれた切なさを誤魔化しているのだった。
そんな生活を続けているので、年齢相応の成長が出来ていない。
故に少女と見分けがつかない有り様なのだ。
少年は生まれてこの方、汚いものしか見たことがない。
残飯のようなものを食べて、清潔とはいつも縁遠くて、周りの大人が教えてくれるのは悪いことばかりで、彼の人生には楽しいことも、嬉しいことも、滅多になかった。
ごくたまに気前の良い客が気に入ってくれた時だけ、腹がいっぱいになるほど食べたいものを食べられて、広くて綺麗な風呂に入らせてもらえて、広くてふかふかのベッドでゆったりと寝かせてもらえる。それだけが楽しみだった。
その楽しみのために多くのものを犠牲にしながら生きていた。
周りも皆そうやって生きていた。
だから、それはただただ衝撃だったのだ。
あまりの出来事に、どこかから飛んできた流れ弾か何かに当たって死にかけて、天国の夢を見ているのではないかと思ったほどだ。
なにせ、清潔そうで上品な水色のワンピースを着て、長い髪を結いもせず、化粧もしないで、なのに今まで見た誰よりも美しい少女が、自分のような薄汚い見習い花売りの目の前に現れるなんて、少年にとって奇跡以外の何物でもなかったのだ。
「エクスキューズミー」
ワンピースの少女は、妙に平らな訛りの英語で話しかけてきた。
「あなた、ここがどこかわかる? 道に迷っちゃったの」
発音は多少違和感があったが、姿に似合う透明感のある綺麗な声だった。幸い、聞き取れないほどではなかったので返事をしてやろうと思ったが、少年は緊張しすぎて口が乾き、上手く声が出せなかった。
「ごめんなさい、英語がわからないのかしら。困ったわ、私、中国語はわからないの。さっきからすれ違う大人の人は怖くて声がかけられないし……私と同じくらいの女の子だ、と思って咄嗟に声をかけたはいいけど、言葉が通じないんじゃ……」
「う……あう」
美しい少女は、少年を少女だと思い込んでいるらしい。
女装した男だとバレたら、と思うと一層声が出なくなった。
「私、お父さんのパーティが退屈でホテルから抜け出してきたんだけど、どっちに行ったら帰れるのかわからなくなっちゃって……ホテルの名前は、えーと、あっ、なんとなく字は思い出せるのに発音がわからないわ!」
育ちが良さそうで、危機感が薄い言動から少年は少女が想像も出来ないほど金持ちの家庭の娘で、とんでもない世間知らずなのだろう、と思った。それがこんな治安の悪いところで一人フラフラしていたら、間違いなくろくな目に遭わない。
どうにかして少女の泊まっているホテルに帰してやらなければ。
そう思い、少女の手を取り、大きい道の方へ走り出す。
「ちょっと、どこへ行くの? ホテルわかるの? ねぇ、ちょっと、待って、あ、あなた! んもう、せめて名前くらい訊けないかしら」
少年は髪に差した赤い花の飾りを指で指し示す。
椿の花。彼の名前の由来だ。名も告げず売られた赤子を買い取った売春宿の店長が名前を考えていた時に偶然目に入った花。
「カメリア? あなたカメリアっていうの? 話せないだけで、リスニングは出来るのね?」
否定も出来ないので、少年は頷いた。
「そう、カメリア。素敵な名前ね。私は凛よ。ねぇ、カメリア? パーティは当分終わらないし、私がいなくたって誰も気付きやしないわ。ホテルがどっちにあるのかわかるなら、少し寄り道したいわ! エスコートしてくれない?」
少年は跳ね上がって暴れる心臓を無理矢理押し込めて、少女の手を引いて笑顔を見せ、親指を立てて見せた。




