07
どちらが幸せなのか答えなさい07
カイルの腕の中でリムフェは静かに目を閉じた。ユラを産んでからの出来事が波の様に次から次へと押し寄せてくる。何から話そうか。カイルとの間に出来た五年もの空白をどんな風に埋めていけばいいのか分からない。しばらくしてカイルの腕から解放されたリムフェは目を開き、じっとカイルを見た。ユラと同じ、緑色の瞳がそこにある。カイルは確かにユラの父親だ。大丈夫。リムフェは心の中で決意を固める。向かい合うんだ。
「カイル……キールからどこまで聞いてるのかは分からないけど、僕五年前に男の子を出産したんだ」
衝撃とも言えるリムフェの告白にカイルは黙って頷いた。動揺が見られないので、キールの書簡にユラの事も書かれていたのだろう。
「ユラって名付けたんだ」
「いい名前ですね」
「有り難う。ユラはとても良い子に育ってくれた。カイルの事はまだ五才だから話していない。でも年頃になったら話すつもりだ。カイル……もしその時、ユラが君に会いたいと言ったら会って上げてくれないか?」
「勿論です。俺も会いたい」
カイルの瞳が柔らかに躊躇なく細まる。穏やかな空気が二人の間に流れているのを肌で感じた。前触れもなしに突然再会したらきっとこんな風にはならなかったはずだ。リムフェもカイルも再会前に考える時間を作れたのが良かったらしい。キールのおかげだ、とリムフェは感謝する。
「カイル有り難う……本当に……僕から頼めた立場じゃないのに。僕、ユラを産んだ事には一切後悔ないけど、カイルに知らせずにいた事は心のどこかでずっと引っかかってた。勝手に一人で全部決めて御免。御免なさい」
「謝らないで下さい。過ぎたことです」
「有り難う、カイル。相変わらず優しいな。城でいた時、僕は君の優しさにいつも救われていた。本当に有り難う」
言いながら、リムフェが笑うとカイルは瞳を大きく揺らした。
「変わりましたね、リムフェ様」
「そうかな? 自分じゃよく分からないけど……でも……うん、きっとそうだな。僕はもう昔みたいにうじうじしてられないよ」
母親だからね、と続けるリムフェの肩にカイルは手を沿えた。青色の瞳と緑色の瞳が静かにかち合う。
「リムフェ様。ユラくんと一緒に俺の元で暮らしませんか?」
それは思ってもないカイルからの提案だった。リムフェは驚いたのか少しだけ身体を強ばらせた後、ふるふると首を振って拒絶する。
「スコウィールですか?」
唐突に絞り出された名前にリムフェは息を呑み、そして瞠目する。
「リムフェ様が城を去った五年前から噂がありました。当時の俺は、彼はあくまで貴方の護衛だと思っていました。しかし書簡には一緒に暮らしてると……リムフェ様。スコウィールとは一体どういう関係なんですか?」
リムフェの肩に置かれたままのカイルの手に力が入るのが分かる。
「分からない」
「分からない?」
「スコウィールは出て行ったんだ」
「出て行った?」
カイルと再会する前に起こった出来事を思い出す。記憶を無くしたリムフェは夫婦としてスコウィールと生活していた。そこにユラもいて、三人で暮らした家はいつも温もりがあった。「ただいま」と言ったら「おかえり」と迎えてくれるあたたかい家。リムフェの帰るべき場所。リムフェ達は確かに家族だったはずだ。それなのにーー。全ての記憶が戻り、スコウィールに憎まれていた事も思い出した。でも本当にただ憎まれていただけだった? リムフェの事を少しも好きじゃなかった?
『愛してる、リム』
共に暮らしてきた五年間を思い出す。それが全部嘘だとはどうしても考えられなかった。だから。
「でも待つよ。スコウィールが帰ってくるまでずっとあの家で」
「帰ってこなかったら?」
「必ず帰ってくるよ」
「すみません意地悪を言いました。だって貴方があまりに……」
カイルの手が離れる。リムフェは頭を振った。
「いいんだ」
スコウィールは帰ってくる。勿論根拠など何もない。けれどリムフェは信じていた。城に住んでた頃、自分はずっと帰る場所を探していた気がする。いつだったかカイルから「おかえり」と言って貰えた時もあるがどうしても自分の場所は見つからなかった。でもあの家は……三人が暮らしていた家は違う。リムフェは帰る場所をようやく見つけたのだ。だからユラと二人でスコウィールの帰りを待つ。憎まれてるかも知れないのに烏滸がましいかも知れないが、スコウィールの帰る場所を作ってあげたい。スコウィールの青い瞳を思い出す。リムフェの記憶がある時は皮肉混じりにしか笑ってくれなかった義兄。スコウィールがあの家に帰ってきてくれた時、「おかえりなさい」と出迎えればどんな風に笑ってくれるだろうか。
「ただいま」と言ってくれればそれでいい。