03
どちらが幸せなのか答えなさい03
長い旅だった。五年前、スコウィールと王都を出た時はスコウィールの魔法の力で移動していた事を思い出す。その為、記憶を取り戻したとはいえリムフェ自身、自分が住んでいた場所から王都までの距離は曖昧な認識しかなかった。ただ漠然とすごく遠いのだと。実際はリムフェの想像以上に遠く長い旅路となった。揺れ動く馬車での旅は決して快適とは言えなかったが、キールは気を使ってくれたし、知らない場所を転々とする事で多少の気分転換にはなった。そのおかげで今までずっと目を反らしてきたカイルの事を改めて考える事も出来た。左手の薬指で輝いている指輪をもう片方の手でそっと撫でる。スコウィールから聞かされた母の過去を思うと母は最低な事をした。けれど、リムフェにとって最低な母かと問われればリムフェは迷いなく否と答えるだろう。
(母さん)
母はどんなに蔑れてもーー愛する人、父から逃げなかった。その直向きさが怖くもあり、同時に羨ましくもあった。リムフェには絶対に真似が出来ないから。事実、自分はカイルから逃げた。
(向かい、合わなくちゃ)
会いたくないと駄々をこねている場合ではない。カイルは初めて自分が心から愛した男性で、何よりユラの父親である。
(向かい合って、話しして、それから……、)
リムフェが決意を固めた頃、ようやく王都付近まで近付いてきた事をキールより知らされる。あと数時間もすれば目的地に着くという。
「リムフェ様の事、カイルには既に書簡で知らせております」
「……僕が王都に戻るのは色々問題があるんじゃないか?」
リムフェは自分の国を捨てた身だ。公の場には一度も出して貰えない程に蔑まれた存在ではあったが一応は王子という身分であった。もし捕まれば面倒な事になるのは目に見えている。自分だけでなく、カイルやキールにも巻き込んでしまうのではとリムフェは不安を過ぎらせた。
「ご心配なく。目的地は王都ではなく、その近くにある街です。カイルは今、そこに住んでますから」
「どういうことだ?」
カイルは騎士団長だ。城に住み込んで職務を全うしていたはずだが、五年の間に状況が変わったらしい。
「カイルは騎士団長という身分にはありません。リムフェ様はネイ様がご成婚された事はご存知でしょうか?」
確かユラがキースから聞いたと言ってネイの結婚を教えてくれた。
「ネイ様のご成婚相手……ネイ様は最初カイルをご希望されました」
「カイルを……?」
リムフェは膝に添えていた手をぎゅっと握り締めた。やはりネイはカイルを好きだったのだ。
「ですが、カイルは断りました。当然カイルは身分降格。騎士団長ではなく、一介の兵です」
「そんな……」
「騎士団長とはいえ、所詮は雇われの兵。仕方ありません。それにカイルにとっては丁度良かったでしょう。騎士団長ならかなり制限がありましたが、一介の兵ならリムフェ様とどこにでも行ける」
キールの熱弁にリムフェはどう答えていいか分からない。リムフェが視線をさまよわせていると馬車が止まった。
「着きました」
キールの一言にリムフェの心は飛び上がる。
(カイル……)
緊張からかぎゅっと握り締めた掌が汗ばんでいるのが分かる。
「リムフェ様」
リムフェの硬直した空気がキールに伝わったのか、心配そうな表情で覗き込まれた。
「大丈夫だ」
上手く笑える自信はない。それでもリムフェは笑顔を張り付けて自分を奮い立たせた。
キールに案内された街は田舎ではなかったが長閑な街だった。緑が多く、木々のあちらこちらからさえずる鳥の鳴き声が聞こえる。街の中心部へ進んでいくと明るい表情の大人達や笑顔の子供達とすれ違う。カイルが住んでいるという街に初めて訪れたはずなのに懐かしさを感じるのはどことなくではあるがリムフェが住んでいた街と似ているからだと気付いた。
キールに案内されるまま一軒家に辿り着く。もしかしてここが……?
「ここがカイルの家です」
リムフェの思いはキールの言葉で確信に変わる。レンガ造りの二階建ての家。この扉一枚隔てた先にカイルがいるのかと思うと不思議な感覚に陥った。
「それでは、私はこれで。カイルは中でリムフェ様を待っています」
「……うん。有り難う、キール」
「いえ。カイルとリムフェ様の幸運を祈ってます」
キールは時折返事に困る事を言う。リムフェはやはりたどたどしく笑ってキールに別れを告げた。
馬車の中で悩んでたのが嘘の様に緊張はあまりしていない。カイルを“想い人”としてではなく、“ユラの父親”として考えたからだろうか。あの時、ムラクルからユラを身ごもったと聞かされた時を思い出す。本当に嬉しかった。カイルと二人でお腹の子を育てたいと夢見た。けれど……。リムフェはカイルが待つ家へと入っていった。
「久し振りだね、カイル」
五年振りの再会だった。どんな言葉を掛けて良いのか分からなくて、結局当たり障りのないごく普通の挨拶を口にした。視線が落ち着かず、意味もなく少しだけ辺りをさ迷わせた後カイルの方へと注ぐ。バチリ、と視線が絡み合った。
「リムフェ様……っ!」
途端、カイルに抱きすくめられ込み上げる様な熱い声で囁かれる。カイルだ、と思った。全てを包み込んでくれる様な力強い腕も暖かな体温もふわりと鼻を掠める良い香りも。全部ぜんぶリムフェが愛したカイルだ。
「カイル……僕は、ぼくは……」
「リムフェ様! 俺はずっと……っ!」
お互い上手く言葉を唇に乗せられない。時折、互いの名前を呼びながら体温を確認し合う。不思議だ。ただ抱き締められてるだけなのに、カイルと身体を合わせていた頃よりも彼の気持ちがダイレクトに伝わってくる。