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どちらが幸せなのか答えなさい02
※男が子供を産める世界観です
キース家にお邪魔している一人息子のユラを迎えに行った時だった。いつもならばキースの母親が出迎えてくれるのだが、今日は見覚えのない男が玄関口に立っていた。堂々とした佇まいからどうやら客人という訳ではなさそうだ。そう言えばキースには年の離れた兄がいるとキースの母親やキース本人から聞いたのを思い出した。ここからうんと離れた都の王室で職に就いた為、滅多に帰らないそうでリムフェはキースの兄を見た事がない。男の正体はキースの兄かも知れない。確証を得ないまま何となくそう思い、軽く会釈したリムフェに男は目を見開いた。驚愕した男の視線は頭のてっぺんから靴の先まで舐め回す様にリムフェを観察して、リムフェを困惑させる。キースの兄だと思った男は自分の知り合いなのか。リムフェは記憶を失っているので男を知らなくても知人ではないと断言する事は出来ない。不躾な男の態度に不快を感じるが男の正体をはっきりと確かめなくては。
「やはり、リムフェ様」
先に口火をきったのは男が先だった。男は確信を持ったのか先程とはまるで別人の様に礼儀を重んじる。
「私です。キールです。お久し振りです。ここ私の実家なんですよ。五年振りに帰って来て驚きました。リムフェ様……ようやくお目にかかれました。キースの、キースは私の弟なのですが、キースの友達だというユラくんに貴方の事を聞きました。ユラくんの話を聞いてまさかとは思いましたが、やはりリムフェ様だったのですね。ずっと探しておりました。帰りましょう。カイルも待っています」
リムフェの前に片足を立てて跪いた男ーーキールにリムフェはやはり困惑する事しか出来ない。キールという男は何を言ってるのだろう。まとまらない頭を抱えつつもリムフェが分かったのはキールが自分を知っており、自分の無くした記憶も知っているという事だ。本音を言うと興味はあった。スコウィールとユラの三人で暮らす平穏な日々に不満などは一切ないがそれでもふとした時に言い知れぬ違和感を感じる事があるのも事実だ。それはきっと自分が忘れてしまった記憶が潜在的な所で訴え掛けてるのかも知れないとリムフェは思った。けれどリムフェには記憶を呼び戻す術はないし、スコウィールもリムフェの過去を知らないと言う。沈黙を続けるリムフェを真剣な面持ちで待つキールにリムフェはようやく声を振り絞った。
「すみません。僕は行けません。僕の帰る家はここにあります」
確かに興味はある。だけどキールと共に行けない。だってリムフェの帰る場所はスコウィールとユラが待つ家だけだ。自分が忘れてしまった過去にも二人と同じくらい大切な人がいたかも知れないが、所詮は過去の事。今更スコウィールとユラを捨ててまで過去にしがみつく理由はない。
「何故? ユラくんの事なら心配には及びません。あの子は小さい頃のカイルにそっくりだ。ユラくんはカイルの子なんでしょう? だったら親子三人で暮らせば良いのです」
リムフェは目を見開いた。キールはとんでもない事を言い出す。ユラはスコウィールとの間に出来た子だ。スコウィールからそう聞かされた。カイルなどリムフェにとって顔はおろか名前さえ初耳である。そんな知らない男がユラの父親だって?
「違います。ユラの父親はスコウィールです」
「スコウィール?」
スコウィールの名前を出した途端、キールは立ち上がるとその顔を険しくさせた。
「やはりアイツが一枚噛んでいたのですね。よく聞いて下さい、リムフェ様。貴方がスコウィールからどんな術を掛けられているのかは分かりませんが、これだけは言えます。リムフェ様の帰る場所はカイルの元だけだ!」
「それはどうかな?」
キールの荒げた語尾に続いたのはリムフェではない。リムフェは声のした方へ顔を寄せる。それはリムフェにとってとても馴染んだ、この五年間リムフェの心を放さない声だ。
「「(スコ)ウィール!」」
リムフェとキールが叫んだのはほぼ同時だった。二人のすぐ傍にスコウィールが堂々と立っている。つい先程まで気配はなかったのに一体いつの間に。驚くリムフェに応えたのはスコウィールの不適な笑みだ。リムフェはザワリと心を揺らした。こんな夫の表情を自分は知らない。まるで別人の様だ。見知らぬ顔を貼り付けるスコウィールにリムフェは言い知れぬ嫌な予感を覚えた。
「ウィー、ル?」
悲痛さを滲ませた瞳でウィールを見上げる。いつもの彼ならばこんな表情のリムフェを優しく抱きしめてくれるはずだ。しかしスコウィールから返ってきたのは人を小馬鹿にしたような冷笑のみだった。
「リム……いいえリムフェ様、その男の言う通りです。ユラは私と貴方の子ではない。そして貴方の愛している男は私ではない。ですので少し魔法を掛けさせて貰いました。貴方の中にある愛する男の記憶を消したのです。おかげで上書きしやすかったですよ。少なくとも五年間は私を愛したでしょう?」
「……記憶? 上書き? 何を言ってるんだ。僕達は夫婦じゃないか」
リムフェはふるふると身体を震わせた。信じられなかった。目の前で冷徹に笑いながらリムフェを突き放す言葉を吐くスコウィールと五年もの間、誠心誠意リムフェを愛してくれたスコウィールとどうしても繋がらない。何故、どうして、涙を滲ませながらスコウィールに訴え掛ける。理由があるはずだ、きっと。リムフェは縋るようにスコウィールを見た。しかしーー………。
「愛する人に裏切られた気分はどうですか?」
視界がぐらりと揺れた。立っていられなくて足元をふらつかせるリムフェを慌てて支えたのはキールだ。キールはスコウィールを睨み付けるが、スコウィールはせせら笑う様に続けた。
「もう少し経ってからネタ晴らしをしようと思っていたのですが、ここでゲームオーバーです。貴方の記憶も返しましょう」
スコウィールが不敵に笑い、リムフェに向かって手をかざす。長く、繊細な彫刻の様に形取られたスコウィールの指を見ながらリムフェは悲しくなる。もう二度とあの手に触れられない気がした。リムフェが涙を滲ませた瞬間、電光石火のごとく様々な映像が頭に流れ込んできた。意識が遠くなる。瞼が、身体が重い。ここで倒れてはダメだ。スコウィールに聞きたい事が、言いたい事が沢山ある。リムフェは僅かに残っている気力を振り絞った。スコウィールの姿を瞳に閉じ込めたいのに身体は言う事を聞いてくれない。次第に視界がぼやけていき、スコウィールの輪郭が曖昧になっていく。このまま意識を手放せば楽になれるだろうに、青色の瞳は最後まで抗いをみせた。
「ウィール……」
言いながら手を伸ばす。もう一度だけでもスコウィールに触れたかった。スコウィールはリムフェを愛していないと言ったけれど。それでも。それでも、とリムフェは思う。リムフェの意識が持ったのはここまでだった。
リムフェが目覚めた時、全ての記憶を取り戻していた。スコウィールは既になくキールの姿だけを確認したリムフェは自分の置かれている状況に言葉を詰まらせる。この独特の振動。リムフェは馬車の中にいた。リムフェの意識を取り戻した事に気付いたキールはまずリムフェの体調を気遣うと申し訳なさそうに口を開いた。
「私がリムフェ様の許可なく、強引に馬車に乗せました」
聞きたいのはそんな事ではない。
「ユラは!? ユラはどこだ?」
スコウィールが姿を眩ませたのは仕方ない。スコウィールは自分を憎んでいたのだから、と記憶を取り戻したリムフェはスコウィールの行動の辻褄に納得がいった。今、一番気掛かりなのはユラだ。彼はスコウィールとの間に出来た子ではなかったが、間違いなくリムフェが産んだ子供である。
「ユラくんには事情を掻い摘んで話しました。賢い子ですね。貴方の遠出に納得してくれましたよ。ユラくんは当分私の実家で暮らして貰います。両親と弟にもくれぐれもよろしくと言っておりますのでご心配なく」
「そんな……勝手に……」
キールの両親も弟のキースも信用の足りる人達だったが、親である自分に一言も断りがないのは如何なものか。リムフェは眉間に皺を寄せて抗議する。
「こうでもしないと、来てくれなかったでしょう?」
キールは自分の強引さに自覚はあるものの後悔は微塵も滲ませていない双眸でリムフェを真っ直ぐに見据えて。
「カイルに会ってください」
そう言った。
(カイルと今更どんな顔して会えばいいか分からない)
馬車に揺られながら考える。五年前、カイルの子供を身ごもった時、彼に何も告げずにスコウィールの手を取って城を去った。
(カイルに会うの、……恐い)
これが正直な気持ちだ。カイルの顔を思い出すだけで身体中がざわめくのが分かる。胸が締め付けられるのを感じる。確かにリムフェはカイルが好きだった。けれどカイルはネイを想っていた。だから散々カイルを振り回しておきながら逃げたのだ。ユラを身ごもったからというのはほんのキッカケに過ぎない。本当はずっと自分以外を、ネイを愛するカイルから逃げたかった。自分が傷つきたくなくて。父に最期まで振り向いて貰えなかった母の様になりたくなくて。だいたい何故今頃になってカイルと会う必要があるのか。リムフェはキールに問うてみた。するとキールの双眸が細められる。当時を思い返しているのだろう、キールはどこか遠い目をしながらリムフェが逃げてからの日々を語り出した。
「リムフェ様が去られた後のカイルは見ていられませんでした」
この一言につきる、とキールは言う。リムフェがいなくなってからのカイルは別人の様に覇気がなくなり、今にも消えそうな危うさを纏っているらしい。リムフェは絶句した。自分の中に抱くカイルのイメージと全く違うからだ。カイルは若くして騎士団長を任されるだけあってエネルギーに溢れる男だった。カイルを何かに例えるなら太陽だと即答出来るくらい、彼は光の似合う男だ。そんなカイルに覇気がないだと。
「何故? 何故カイルがそんな風に? カイルの身に何があったんだ?」
「貴方がいなくなったからですよ」
「えっ?」
「カイルはリムフェ様を愛していますから」
は、と喉元に息が詰まった。
「何を言ってる? 冗談はよせ」
「冗談ではありません」
「カイルが愛していたのはネイだ!」
こんな事言わすな、と言外に含むリムフェの語尾は荒くなる。しかしキールは怯まない。
「ええ。五年前、貴方がいなくなるまでは私もそう思っておりました。だから当時の私は貴方を邪険にしてしまった。カイルは私の憧れの人でしたからカイルの恋路を邪魔するリムフェ様が許せなかった。今更謝った所で許されない事をしましたが、謝らせて下さい。申し訳ございませんでした」
まるで酒に酔った様に頭の中がぐらぐらと揺れて掻き乱れる。考えがまとまらず視界が覚束ない。思わずリムフェは両手で顔を覆った。二人の男の顔が浮かぶ。もうどうすればいいのか分からない。