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二章二

桜は晴信の隣で横になりながら、いろんな話をした。

故郷の話や百年桜の事などを聞かせると、晴信は興味深そうに肯いてくれた。

それにうれしくなりながら、桜は夜が明けるまで、晴信と語らったのであった。


翌日の朝方、目の下にくまを作って、起きてきた桜を見て、蕗乃やお岩は昨夜はさぞかし、濃密な一時だったのだなと思った。

だが、話を夜通し、していただけだと知ったら、唖然とするのは目に見えていた。

「桜様、体はおつらいでしょうけど。身支度をなさいませ」

お岩はいそいそと、桜に顔を洗うように勧める。

髪も櫛で梳いて、身支度をした。

朝食もすませると、桜はお岩にあることを知らせた。

「あのね、岩。話したいことがあるの。いいかしら?」

「はい、何でございましょうか?」

桜は笑いながら、こう言った。

「実は、晴信様が父上に文を送っても良いって、いってくださったの。後、屋敷内であれば、自由にしても良いって。だから、必要以上に心配しなくてもいいみたいよ」

「まことでございますか。それはようございました」

驚きながらも、お岩は喜んだ。

桜は手をつけられない代わりにつかの間の自由を得たのであった。


それから、数日が経ち、桜は館の中をお岩と共に見て回った。

麻亜の方とも挨拶をして、やっと、武田家に受け入れられたようであった。

「…桜様、もう、四月(うづき)も終わりに近づいてきたようです。桜も散ってしまいましたね」

ため息をつきながら、お岩が話しかけてくる。

「そのようね。そういえば、晴信様も諏訪家との戦で、苦戦なさったと聞くわ。確か、ご当主の方も自害なさったとか」

答えると、戦は恐いですね、とお岩が震えてみせた。



桜は晴信から、聞いた話を思い浮かべた。

晴信をおびき出そうとした諏訪家の当主は、ある策を用いた。

娘の諏訪ご寮人の事で話があると伝えたらしい。

ところが、家臣は晴信に鎧と帯刀をするようにと忠告をした。

言われた通りに、当主の元へ赴けば、最初はにこやかに晴信を迎える。

『よく、来てくださった。娘もあなたの顔を見れば、喜ぶでしょう』

そう言って、話をしようとした時だった。

いきなり、隣の部屋から、刺客が飛び出してくる。

晴信は応戦して、刺客を斬り伏せた。

それを残念そうにしていた当主に晴信は、罠にはめられそうだったことに気が付く。


『娘御の話をしたいとおっしゃったのは、嘘だったのですね?』

そういえば、当主はその通りだと笑いながら、答えてみせる。

晴信は呆然とする中、当主は腰に差していた自分の刀を鞘から抜いて、腹に突き立てた。

そして、気が付いた時には、当主は血を流して、亡くなっていたという。

『俺はそなたらに従う気はない。名家である諏訪家の生まれであるとよけいにな』

最後にその言葉を残した、と苦渋に満ちた表情で晴信は言っていた。

桜は諏訪家に嫁いでいた晴信の妹の禰ヶが子を残して、後を追うように亡くなった事に心を痛めていた。

一人だけ、残された娘のご寮人は大叔父に当たる人物に引き取られたらしい。


「…桜様。そういえば、菖蒲様は海野家が諏訪家に滅ぼされた後で、岩谷城を出られたそうで。武田と手を組んだ以上、敵対していた家の者とは一緒にはいれないと泰道様がお決めになられたと聞きました」

お岩がそう耳打ちをしてきた。

桜は菖蒲が嫁入りをする前に言っていた事を思い出した。

『そなたの嫁入りを認めるわけにはいきませぬ』

そう言っていた言葉が裏目に出るとは、思っていなかったのであった。


菖蒲は四人の子を置いて、城を出たらしい。

梅乃は桜が旅立ってから、数日後に嫁いだので、菖蒲が岩谷城を出されたのは知らないだろうとのことだった。

「…菖蒲様もおいたわしい方です。お子さま方とは別れの挨拶もそこそこに、出立なさったそうでございますから」

「そう。菖蒲様のご実家はもう、ないものね。私もなにかしらでお力添えができたら、よかったのだけど」

桜が答えれば、お岩も涙ぐんだ。

二人して、新たに戦が起きなければいいのにと思った。

海野氏が滅び、諏訪家も当主が亡くなり、生き残ったのはご寮人のみ。

「菖蒲様は、知人の方のお屋敷にしばらく、滞在なさるそうです。殿は菖蒲様に少しばかりの路銀をお持たせになられたとも伺っております」

「…菖蒲様が平穏無事にお過ごしになられたら、よいのだけど」平和な武田家で過ごしている桜には、何にもできない。

せめて、神仏に祈るくらいしか、できることはないのだ。

まだ、信虎の慰み者にされなかっただけ、運がよかったというべきである。

桜はため息をつきながら、花が散り、葉に変わった桜の木を見つめた。

武田家がこの後、辿る運命を知る由もなかった。


桜の元へ晴信が訪れるようになってから、一月が過ぎた。

二人して、とりとめもない話をしながら、夜を明かす。

「…今日は実家から、文が届きました。その海野のお方様が離縁されたそうで。知人の方のお屋敷でお世話になると聞きました」

おそるおそる菖蒲の事を話題にすると、晴信は意外そうに目を少し、見開いた。 「桜殿は知っていたのか。わたしは命じてはいないが。その知らせはこちらにも届いている」

「そうでしたか。父が諏訪家に滅ぼされた一族には用はないと言ったそうで。弟たちは城に残っていますけど」

晴信は途端に、厳しい表情になった。

何かを考え込んでいるらしい。

「…桜殿、今は無理かもしれないが。諏訪湖に出かけてみないか?」

彼がいきなり、誘いかけてきたので、桜は面食らった。

「私と、でございますか?」

「そうだ。桜殿は諏訪湖を見たことがないだろう。暇があれば、連れて行きたいと思っていた」

晴信は諏訪湖はとても、水が澄んでいて、美しい湖だと語る。

いつかは一緒に行こうと約束をして、二人は眠りについた。桜は夢の中で、諏訪湖を思い描いていたのであった。



翌日、お岩と話をしながら、生け花をしていた。

庭に咲いていた春の花ヶは良い匂いで、桜の鼻腔をくすぐる。

武田家は平和そのものだが、各地では下克上が横行するご時世になっていた。

「…美濃の斉藤殿は狡猾な方だと、聞いております。そういえば、諏訪ではご寮人を旗頭に立てて、戦を起こそうとしたとか。今は大叔父に当たる方の所でお過ごしになっていられるのに」

お岩は男の方の考えることはわかりませんねと、ため息をつく。

「諏訪のお方がそんな目に。父君を亡くされて、一月も経っていないのにね。おいたわしい」

桜はまだ、会ったことのない諏訪のお方を想像して、心を痛める。

とても、美しい女性で心根も素晴らしいと聞いてはいたが。 「ですけど、晴信様が諏訪のお方様を新しく、側女として、お迎えになるのではと噂になっております。側女とは悪い言い方でございますけど。桜様、頭の隅にでも留めておいてくださいませ」

「…わかったわ。私もこちらに来て、一月が経ったところだから。離縁されることはないだろうとは思うけど」

ぱちんと、鋏で花の茎の長さをそろえる。

桜はかげりのある表情で、生け花をする手を止まらせることはなかった。

その後、桜との約束通り、晴信は遠駆けだと称して、信濃の諏訪湖まで連れて行ってくれることになった。

上原城や桑原城には、人はおらず、無人の状態になっていた。

そういう所で滞在するわけにもいかなかったが、諏訪満隆の邸に滞在させてもらえるように晴信は手配したらしい。

桜は荷造りをお岩としながら、諏訪のお方の事を考えていた。

名を湖衣姫というらしく、晴信ははかなげな女性であったと言っていた。

「…桜様。わたしもお供はいたしますけど。少しは武田の侍女たちとも親しくなさいませよ。お世話をしてくれる人を二、三人は晴信様が付けてくださるそうですから」

内気で引っ込み思案なところが意外とある桜はお岩以外に、親しくしている侍女はいなかった。

それを見かねたお岩に忠告されて、そうねと肯いた。

「確かに、その通りね。私、お岩には甘えてばかりだったわ。武田の侍女たちとも仲良くならないといけないのはわかっているつもりよ」

「無理をなさる必要はございませんけど。欲を言えば、そうなっていただきたいと思っているのです」

お岩は真剣な顔でそう言ってきた。

桜もお岩のいっていることはもっともだと、思った。

これを機会に、晴信が付けてくれた侍女とだけでも、親しくなれればと決意した。


荷造りも終わって、館の外に出る。

馬に乗れるようにと、脚半や手甲を付けて、袴も履いた。

お岩も似たような格好でいる。

笠と杖を持参して、桜に同行するつもりらしい。

晴信も袴の裾をしまい込んで、脚半を身につけていた。

「桜殿、準備はできたようだな。信濃の諏訪湖までは馬で行っても、三日はかかると思う。途中で野宿もあり得るから、腹をくくっていてほしい」

真面目な顔でそう言われて、桜は唖然としそうになった。

慌てて、押しとどめたが。

「三日もかかるのですか?!」

それでも、声までは抑えることはできそうになかった。

大きな声が出てしまった。

「…ああ。家臣たちも十人ほど、連れて行くからな。大勢で移動するとなると、余計に時間がかかる」

晴信は肯きながら、説明をしてくれる。だが、桜にしてみれば、ちょっとしたお出かけと思っていただけに、三日という時間は重く、のしかかった。

「桜殿。徒歩ではなく、馬にあなたを乗せて行くから、堪えてさえいれば、何とかなるだろう」

そう言われても、桜はなかなか、馬に乗ることもできず、考え込んでしまうのであった。

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