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一章六

「でしたら、後もう少しで、お別れでございますなあ。津田様がいらしたおかげで、わたしどもは安心していましたから」

「悪いとは思っているのだ。おばば殿、姫をよろしく頼みましたぞ」

すると、お岩は機嫌が悪くなったらしく、眉を寄せる。

「誰がおばば殿じゃ!失礼にもほどがありますぞ。わたしは津田様より、年下なのをお忘れか!」

かっと目を見開いて、そう叱りつけたお岩に津田は大笑いしてみせた。

桜はどっちに味方についたものやらとため息をついた。

「はは!それだけの元気があれば、よしというもの。お岩殿、あなたはまだまだ、長生きしますよ」

「それがおなごに聞かせるお言葉かえ?もう少し、言いようがありましょうに」

まだ、怒っているらしいお岩を置いて、津田は笑いながら、中に入ってしまった。

まったくと言いながら、お岩は眉間に寄ったしわを伸ばしている。

「…津田様はあれでも、六十近いお年です。わたしはまだ、五十四。おばば殿とはまた、失礼な言いようです」

「確かに、岩はまだまだ、足腰がしゃんとしているものね。髪だって、白いものはまだ、少ないし」

「姫様。全く、慰めになっていません」

励ましたつもりなのだが、岩に言い返されてしまったのであった。


そして、夜になり、桜は眠りにつこうとしていた。

障子の向こうでは淡い月の光が降り注いでいる。

「桜殿、おられるか?」

庭から、声がする。 だが、桜は返事をしない。

婚礼が終わるまでは、自分は客人なのだ。

若殿と何かあってはならない。

「…本当に、私を、いや。俺を嫌いになられてしまったのか?」悔しそうな声が耳に届く。

だが、寝具にくるまって、目をつむった。

その後、人の気配も声もしなくなった。


翌朝、桜は少し、遅めの時刻に目を覚ました。

朝食を取り、身支度も整える。

そうして、障子を開けて、桜をぼんやりと眺めた。

そんな時に、お岩が慌てて、部屋にやってきた。

「桜様!大変でございます。あの、三条のお方様の侍女がこちらにご用があるとかで」

ばたばたと廊下を走ってきたらしいお岩は、息を切らせていた。

「…三条のお方様が?私、何か、失礼なことをしたかしら」

「姫様は何もなさってはいませんよ。側室として入られると言う話を聞かれたのでございましょう。姫様がどんな方なのか、検分なさりに来たのやもしれませぬ」

お岩は厳しい表情でそう、答えてみせた。

「…桜様。お部屋を片づけます故」

お岩は一人であわただしく、畳の上に広げられていた桜が書き付けていた料紙などを片づける。

そんなに、散らかっていないので、すぐに終わったが。

桜は白に紅色のぼかしの入った打掛と淡い桜色の小袖を重ねている。

白い透き通るような肌の彼女には、よく似合うとお岩は密かに思った。

「岩。三条のお方様はいつになったら、来られるの?」

問いかける声に、岩は我に返った。

「はい。その、三条のお方様は侍女の方がこちらに来て、様子を見てから、その後でいらっしゃるとの事で。わたしはそうとしか、聞いておりませぬが」

「そう。私はまだ、晴信様と婚儀をしていないから。側室ではないのに」

桜は三条の方を怖いと思っているらしい。

今から、会うというだけで、不安そうな表情をしている。

「桜様。何かございましたら、岩が晴信様に申し上げておきます。ただ、国元にお知らせするのは、できませぬ。そこの所はおわかりください」

「わかっているわ。父上と武田家は私を嫁入りさせた時点で、同盟を結んだも同じだものね。私が帰れるのは、離縁された時ぐらいだし」

話をしていると、人の気配がしたので、二人は口を閉ざした。


「佐野のご寮人殿、お初にお目にかかります。わたくしはお方様と京の都より、共に参りました、名を笹乃(ささの)と申します。お方様より、お言づてを預かっています」

丁寧に手をついてはいるが、口調は尊大なところがなきにしもあらずである。

笹乃は頭を上げると、皮肉げに笑っていた。

「…あなたが三条のお方様の侍女殿なのですね。私は岩谷から来ました」

実名は言わなかった。

「あら、わたくしを侍女と呼ぶなどと。あなた様の方が身分は低いし、田舎の育ちですのに。目下扱いはされたくありませんわ」

つんっとしながら、笹乃は言ってのけた。

「…あなた、姫様になんということを」

お岩が憤りながら、笹乃に食ってかかろうとする。

桜はとっさにお岩の腕を掴んで、止めた。

「やめて、岩!笹乃殿は様子を見に来られたのであって、喧嘩をしにきたのではないわ」

「ですが、姫様」

「良いから、私のいうことを聞いて。笹乃殿に何かあったら、三条のお方様を怒らせることになるのよ?」

すると、お岩の体から、力が抜けた。

笹乃は怯えながらも、失礼致しますと言い残して、戻っていった。

そして、三条のお方がやってきたのであった。

三条のお方は、こちらがはっとさせられる気高さと高雅な雰囲気を持ち合わせた美しい女人だった。 だが、まなざしは冷たく、刺々しいものであった。

桜は自分が側室になることを怒っておられるのだと、思っていた。

「…笹乃があなたに失礼な事を言ったとか。わたくしはただ、こちらに参ることを伝えさせるために遣わしたのだけど。よけいな一言が多い者故、許してほしい」

桜はかしこまって、わかりましたと答えた。

三条のお方はよいといって、顔を上げるように言ってくる。 尊大な態度に見えるが、京の都の公家の出の人らしいので、桜よりもずっと、身分が高い。

「…三条のお方様。お初にお目にかかります。岩谷から参りました、名を桜と申します。以後、お見知り置きを」

「こちらこそ、お初におめもじつかまつる。わたくしは実の名を静子(しずこ)と申す。佐野のご寮人、あなたは一昨日の夜、殿と会っていたとか。どういう気でいられるのか?」

扇子を口元に持って行きながら、桜を見据えてくる。

「…それは。私が偶然、外に出ていた時に武田の殿様と遭遇して。なので、他意はありませぬ」

いつもよりも注意しながら、言葉を選んだ。

三条のお方こと、静子姫は切れ長の目をつと、細める。

あくまで、冷淡な態度は崩さないので、居心地が悪い。

「佐野のご寮人はそう、申されるか。わたくし付きの侍女がその場に立ち会わせて、あなた方を見かけたと聞いた。若い男女がしどけない姿で夜中に逢い引きをするのはほめられたものではないと思うが?」

桜は静子姫の容赦ない言葉に、背筋が震える。

「私はそんなつもりはありませぬ。ただ、婚儀もすませていないのに、二人で会うのは良くないとは思っていますけど」

「その通りであろう。以後、気をつけられよ」

そう言うと、また、無言になる。

沈黙が下りる中で、お岩や笹乃は廊下ではらはらとしていた。

「…佐野のご寮人は、あまり、派手な小袖は着られぬな。あくまで、地味な物を選んでおられる。甲斐のあたりではそれが流行りなのか?」

それを聞いた桜はさっと、顔を赤らめる。

自分が田舎者だと、遠回しに馬鹿にされたのに気づいたのだ。

「…甲斐のあたりでの流行りは私もあまり、詳しくはないので。都ぶりにはほど遠い育ちでしたし」

そう答えるのが、やっとだった。

静子姫はそれを怒るでもなく、笑うでもなく、淡々と見つめている。

桜は冷や汗をかきながらもただ、耐えるしかなかった。

いつ、終わるのだろうか。

そればかりが頭の中に浮かんできた。

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