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一章四

他の弟たちからも別れの言葉を告げられて、桜はそのたびに笑ってみせた。

珍しく、華やかな笑顔をしている娘に泰道は目頭が熱くなった。

(於禰、そなたが生きていたら、私は桜を側室ごときにはさせなかった。小国でよいから、年の近い若者の正室として嫁いでいたら、あの子も幸せだったろうに)

だが、側室であっても、武田晴信殿は桜をおろそかには扱わないだろうが。

「…父上。どうかなさいましたか?」

桜の声に、泰道は我に返った。

「ああ、すまない。考え事をしていた。桜、早く、駕籠に乗りなさい」

言われた通りに桜は、駕籠に乗り込んだ。

ゆっくりと襖が閉められ、二人の持ち手が駕籠を持ち上げて、歩き始めた。

他の家臣や侍女たちもそれに続く。

泰道と泰高、鳶丸たちは桜の行列を見送っていた。

桜はこれから、安穏とした人生は送れないだろう。

正室や他の側室方に気を使いながら、夫の訪れを待たなければならない。

諏訪氏の御寮人も側室の一人になる可能性があるらしいとも聞いていた。

「桜、どうか、無事で」

絞り出すように泰道は呟いた。

それを泰高は黙って、見つめていた。


行列はゆっくりと岩谷城のある山の麓を下りる。

駕籠の側には、侍女のお岩も従っていた。

よく晴れ渡った空のもと、鳶が鳴いている。

だが、桜は気持ちが暗いままだった。

物見窓を開けて、景色を眺めていても、ため息が出てしまう。

甲斐の中央部の武田の城に着くのは、後、数日はかかる。

「…桜様。やはり、不安でございますか?」小声でお岩が話しかけてきた。

「いいえ、大丈夫よ。ただ、武田のお城までは遠そうだなと思って」

桜は無理に笑いながら、答える。

「そうですね。同じ甲斐にあると申しましても、武田のお城までは馬で三日はかかるそうです」

お岩はうろ覚えながらも桜に、教えてくれた。

三日ということは、徒歩で倍はかかるということか。

桜は瞬時にそう考えた。

「じゃあ、大体、五日から六日はかかるのね。早く、着いてほしいものだわ」

そうでございますねとお岩は苦笑いする。

桜は物見窓を閉めると、一人、両手を握りしめた。

爪が手のひらに食い込んで、痛かったが、意識は鮮明になる。

長い道のりになりそうだと思ったのであった。

城下町にまで下りると、ひたすら、行列は甲斐の中央部を目指した。

半日も経つと、岩谷城の治める領地を出る。

お岩は歩いて、桜をしきりに気にしていた。

もしかしたら、体調を悪くされたのだろうか。

心配になってくる。 物見窓を再び、開けて、桜が声をかけてきた。

「…岩。まだ、四日近くはかかるわね。姉上達が無事であれば、いいのだけど」

岩はいそいそと、駕籠に近づき、桜に答えてみせた。

「はい。四日と半分はかかりましょう。でも、山道を登らずに、整備された道を主に使うそうですので。安心なさってください」

「わかったわ。岩は甲斐について、詳しいのね」

感心したらしく、桜がお岩をほめてきた。

お岩はにこやかに笑って、肯いた。

「それはそうですとも。於禰の方様は隣国の諏訪の生まれでいらっしゃいました。わたしは諏訪と甲斐、両方に行ったことがございますから」

「…お岩、けれど、あまり無理はしないでね。もう、今年で五十を過ぎたのだから」姫様とお岩は慌てて、声をあげる。

周りの家臣達も苦笑いしていた。


そんな二人のほほえましいやりとりを付き従っている家臣達は、笑いながら、見守っている。

一緒に来ていた津田は、桜が旅を楽しんでいるように感じていた。

隣を歩いている若者に声をかけた。

「…桜姫は於禰の方様にあまり、似ておられないが。だが、あのおっとりとしたご気性は人徳だな」

しみじみと歩きながら、於禰の方を思い出した。

「はあ、私は於禰の方様を存じておりませんので。ただ、お美しい方だったとは聞いておりますが」

「ああ。まるで、白百合のような凛とした方だった。ご気性も明るくて、朗らかで。お顔立ちは梅乃姫と桜姫を足して、二に割ったような感じだったか」

割と細かい説明に、若者は目を見張った。

「梅乃様と桜様を足して、ですか。なかなかの美人でいらしたんですね。海野の方様もお美しいとは思っていましたが」

「まあ、そんな話をしていても仕方がない。さくさく、歩くぞ」津田は見かけによらない軽快な足取りで、若者を追い越す。馬で従っている家臣は三騎ほどしか、いない。

若者は急いで、津田を追いかける。

お岩や他の人々は、山に咲いている桜の花を遠くに見渡したりしながら、武田家へ、旅路を急いだ。

近くの村で泊まり、翌日の朝方早くに出発をした。

桜はお岩に世話をされながら、村人の家の一室で食事を取ったりした。

簡単に体を水で拭いたりしながら、身支度を終えたのだった。

駕籠の中で揺られながら、桜は姉が渡してくれた香袋を懐から、取り出した。

梅花と呼ばれる香はほんのりと薫って、鼻腔をくすぐる。

それに励まされながら、決心をするのであった。



甲斐の中央部、躑躅ヶ崎と呼ばれる土地にある館にたどり着いたのは、言われた通り、それから、四日後だった。

途中で崖に沿った道を進んだりもした。おかげで、家臣達の疲労は限界に近いものになっていた。

館の主、晴信は桜や付き従ってきた女人達や家臣達をねぎらい、すぐに館に招き入れてくれた。

婚儀は後日にと言うことで、体を休めるようにと桜には言づてをしてくる。

「…姫様、晴信様はかなりの美丈夫な方でした。側室とはいえ、あんなすばらしい方に奥方にしていただけるなんて。よかったですね」

そう、お岩はほめそやした。

桜はそうねと肯きながら、先を不安に思った。

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