猫
私は獣のごとき私は、夏の、昼下がりの畦道を歩いている。周囲には何もない。青々とした田んぼに、砂利道。右手には生い茂る木々。左手にはヨコツの山並みが広がっているが、それらは平素から見慣れた光景に過ぎず、特筆すべき事柄ではなく、従って意識の上で、景色は景色としての形を取ることなく空間のベースとして把握されるに留まり、何もないという認識に至る。
しばらく歩いていると喫茶店があった。白木で建てられたログハウスだ。ペンキで塗られたのではない、真っ白な、曲線の凹凸によって形作られた、陰影の柔らかで、それでいて濃淡の曖昧な壁がまず目を惹いた。次に目を惹いたのは看板だ。丸太を平行に切ったそれは、歪な円形をしている。側面から見ると、白木の皮が見えるから、どうにも壁の材木の余りを利用したらしいことは容易に察せられた。看板には、喫茶店と書かれている。店名は、砂利道から上がった埃のためにか汚れてしまって、読むことが出来ない。触れられる距離まで近づくと、どうにも英文字が書かれている。
「Mountain――」
私は、それを口に出して読み上げてみたがどうにもしっくりこない。もしかすると、Mountや、あるいはMont だとか英語圏とは別の単語かも知れない。だが、そこまで考えたところで夏の日差しが、眩めきを寄越した。涼を求めて私は、その喫茶店Mo――に入ることにした。
カウベルにしては、儚げな音が私の耳をくすぐった。分厚い扉を閉めてから振り返ると、そこにあったのは洋風の扉には似合わない雅やかで、細やかな装飾の施されたガラス細工が揺れている。雪洞と提灯を合わせたような印象の風鈴は、どこかエッシャーのだまし絵めいている。敷居の上で、風鈴はゆらゆらと振動の名残を残す……。
「いらっしゃい」
声に、私は反射的な動きで背後を振り向いた。一瞬の心臓の止まるような感覚の後で素早く駆け巡った視線が店の奥の影にまるで溶け込むように佇む人物をみとめた。思考が彼のことを疑問に思う。誰だろうか。何者が、なぜここにいるのか。だが冷静を取り戻してみれば、いらっしゃいと声をかけたのだから店主か、そうでなくとも店員に違いないと判断するだけの余裕が出て来た。当たり前のことだ。だが、私には、先ほどまでこの空間に、私以外の何者も存在しないような、一種隔絶した、孤高にも似た感覚が胸に宿っていたのだ……あるいは、思考の裏にとりついていたのだ……。
「座るか」
その平易な言葉が、こちらに対する問いかけだと気が付くのに少しの間を要した。私は、ぎこちない警戒を残した動作でカウンター席の一番右側で、背の高い一本の観葉植物がすぐ脇にあり、出入り口に一番近い、日陰となっている座席に腰掛けた。
「珈琲を」
「熱いのか」
「ええ、熱い濃いめの珈琲を」
どうやら最小限の言葉以外を用いない店主は、注文を聞くとそのまま、店の奥のコーヒーメーカーの所へ引っ込んでいった。豆を取り出す音がする。一粒一粒が流れ落ち擦れるときに鳴る潮騒の音。乾いた音なのに限りなく潤った音のイメージ。しかし、その音に四方の山から蝉の鳴き声が交じり、木々の風に揺れる波の音が混じり、判然とした、空間の全体を構築する――空間の外、またその外、認識の殻の外側に存在する、有りと有らゆる情報が音となって混じり合い、押し寄せ――静かに、豆の音が途切れるのと同時に消え去った。
私はそれらの音が押し寄せてくる間、ずっと己を抱きかかえ、がたがたとカウンター席の上で震えていた。恐怖からではなく、身体の底から来る、どうしようもなく、恐ろしげで茫漠とした、形のないという寒さから真夏のこの日に凍えそうになっていたのだ。必死に身体を温めようと腕を擦り上げていると、すっと、目の前にずんぐりとした物体が現れた。カウンターの上、音も立てずに、他人の認識の中に決して波風立てることなく静かに。――猫が現れた。
猫は、猫でしかなかった。ずんぐりと太っているという特徴以外は、さりとて特筆すべき事もない猫であった。柄はなんだかいろいろな血が混じり合っているのか、抽象的で、言語化の難しい、茶色のような、白のような、真っ黒のような、どこか赤っぽくもあり、肌色に近くもある、そんな猫であった。
ただ、瞳だけが、爛々と夏の日差しを受けて輝いていた。宝石のように強く怪しい光ではなく、夏の日差しを受けた緑を思わせる煌めきが、猫の眼から発せられ、こちらを照らし出していた。
猫は何も言わない。その毛皮と瞳の下に何もかもを静かに秘めて語ろうとしない。
夏の強い日差しの中の猫は身じろぎをせず、ただそこにぢいっと丸まっている。
丸まって、丸まって、瞳だけはこちらを、映し出して。
「珈琲」
店主の、低い声に身体を震わせる。かちゃりと、音を立ててコーヒーカップがカウンターの上に置かれた。猫の脇にだ。
「あの店主」私は思いきって尋ねた。言葉を、どうにか、殻からに渇いた喉の奥から絞り出して「猫が」と。
店主は少しだけ考える素振りをしてから、これもまた短く嫌いかと告げた。私は、それに首を横に振って応えた。それを見ると、店主は、それ以上何も言うことはないと店の奥へと引っ込んでいった。残されたのは、煮えたぎるように熱い珈琲と、湯気と、それに伴う薫り高い香りと、猫である。
私は、珈琲を飲んだ。猫を眺めながら、少しずつ、少しずつ。飲めば飲み干すほどに、蝉の声が耳に聞こえてきた。蝉の声が、鳴き声が耳の奥にこびりついていく。私は、ともすれば泣きたい思いで必死になって珈琲を飲んだ。
そしてようやく、コーヒーカップ一杯の珈琲を飲み干すことができると、猫の横に珈琲代金を置いて私は席を立った。
ちりんちりんと。背後に、風鈴の音を置いて外に出る。蝉の音がする。山の声がする。風が吹いて、後は何もない。私は歩いた。砂利道を、裸足の足で踏みしめて歩いた。四本の足で、しっかりと大地を踏みしめ、時には日陰で涼を取りながら、静かに、決して主張することなく、波風立てぬ在り方を模して、私は歩いた。ぴんっと髭をたてて、静かに、眠れる場所を探す猫こそが私だった。
夏の畦道を猫が行く……一匹の、ともすれば誰にも理解されない、見向きもされない一匹の猫が……。
最近、ゴーゴリの『鼻』や、『ゴーゴリの妻』という作品を見た後、映画の『アンダルシアの犬』や『対角線交響楽』、ジャン・コクトーの『詩人の血』といったモノを見ました。見た結果がこれです。ちなみに今列挙したモノは、『鼻』以外は特に調べる必要も……いえ、アンダルシアの犬もエポック的な意味で大切な作品なんですが……あの内容を理解できるかどうかは全く保証できないというか、いきなりブラクラと言いますか……その、そういうことです。