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夢幻草紙  作者: 阿望 凜
隠れ里
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旅立ち

萌木が龍神の姿に変わった緑翠王に拐われしばらくの時が。萌木がいなくなるのと同時に、月夜の笛童子もいなくなった。

あの後都の界隈では萌木が龍神に拐われたと噂が流れた。

口さがない人々の噂話は際限無く枝葉が付き、果てに『黒松の館の死んだ娘は、龍神と契りその子を迎えにやって来た』と言われる始末。

萌木の祖父はその話を肯定も否定もせず、ただ笑ってうやむやに聞き流していた為人々はその話をそう信じていた。

そんな中で萌木の祖父は笛に関するすべてをもう一人の孫…若松に引き継ぎ、家の管理の全てはその父親に譲り自分は館の離れに移り暮らし始める。

そうして萌木の祖父は周りの者に「黒松の翁」と呼ばれるようになった。


騒ぎの元になった萌木の養母はそれからしばらく病の床に伏した。そういう状態であっても見舞いの客が来る度、興味本意に萌木の話をすれば『厄介払いが出来て清々した。』とうそぶく始末。

そんな自分の娘を翁は哀れと思い、息子の若松は情のないつまらぬ親…と思う心情が心にあるのか、時折軽蔑するような視線で母を見ていた。

萌木を拐った緑翠王という風は、黒松の館のそれぞれの心の中に隙間風を吹かせて過ぎ去ったようだった。


噂話が一息ついた頃…

隠居暮らしを始めた翁は萌木を探していた。

人伝てに笛を吹く子供の話を聞くと、ふらりと旅支度をして出かける。だがいつもがっくりと肩を落とし疲れた顔をして帰って来ていた。


そんな事が続いたある日の事…館によく来る行商人から、都より三日歩いた山里に不思議な笛を吹く若者がいるという話が入ってきた。

この若者、笛の音で人の病を癒すやら風を呼び雨を降らせるやら何やら不思議な笛を吹くという。

行商人はたまたまその里に行商で立ち寄り、里の者から話を聞いたらしい。翁は詳しくその若者の事を行商人に聞いた。


「さて…その若者は、その里の者ではないそうな。時折里に下りてくるとかで、そこからまた山に入った隠れ里に住む者だと里の者は言うとったのう。里の者も会ったものはわずかという話だよ。」


だが、その行商人からはそんな答えが帰ってきた。それからその里を訪ねたという者に幾人か話を聞くのだが、帰ってくる答えは行商人のそれ同じだった。


しばらくするとその若者の噂は都にも広がり、その里に若者を訪ねて行く者やら若者が住むという隠れ里を訪ねる者がいたが…若者に会うことも隠れ里に行き着く者は少なくわずかに数えるほど。

運良くその隠れ里ににたどり着き、その若者の笛を聞いても夢心地の中で気がつけば山里に帰されていた…と言うから、その話が真実かどうかは誰にもわからなかった。

やがてその若者の話は大きく広まり、都の高貴な殿様の耳にも人伝てに入ってきた。


ある月の宴の折…その高貴な殿様は興を添える為に…と黒松の翁を招いておった。黒松の翁は殿様の求めに笛を吹き始めた。

それを聞きながらある者がそう言えば…と、山里の笛を吹く若者の話を出す。


「なんでも…病に倒れた者が快癒したと…」

「ほう…なんと不思議な。」

「いやいや…私が聞いた話では、荒ぶる神を鎮めたと聞くぞ。」

「笛の音で神を鎮めるとは…なんとすごいもの。」


人の噂話は話は枝葉がつく。

話半分に聞いても不思議な音色で人を癒すだの、神を鎮めるだのそんな話を聞けば誰でも一度はその音色を聞いてみたいと思う。

果たして…話を聞いた殿様は、その若者を召抱えたくなった。

この殿様大変な見栄はりで、人が持つそれ以上の物を何かしら欲しがる。

人の噂にこれだけ上がる者を召し抱えたら、どれだけ人はうらやむだろうか…と話を聞くうちにそう思ってしまった。


「誰ぞ…その若者…ここに連れて来ることが出来ぬか?」


殿様は思わずそう声に出して尋ねた。しかしその声に応える者は誰一人いなかった。

それもそのはず、山里里にはたどり着けても若者が住むという隠れ里にはたどり着けない。

隠れ里への道を求めて山に分け入るも、邪な思いを持って山に入るなら辿り着くどころか迷い果てると言われておった。

噂を聞いたものがもう幾人もその隠れ里を目指して山に入ったが、運良くたどりつけても帰ってきた者はわずかな者訪ねて確かにたどり着く保証はない。

まして召抱える話などそんな話で行くならば…人々の頭の中には道に迷い果てるに決まっておる…そんな言葉が渦巻いておった。


「今一度聞くが…」


殿様は誰も応えないのに苛立ちながら、再びその場におるものに問いかけた。その時…


「…私で良ければ、その御役目お受けいたしまするが…」


そう応える者がおった。


「…その声は、黒松殿か?」

「…はい…確かにその里にたどり着き、その若者を迎える事が出来ると…そう断言は出来ませぬ。それを承知の上で殿のご意向を伝える使者として…でしたら…この黒松その里を訪ねますれば…」


と言い平伏した。雅な御方はにたり…とその様相に合わぬ顔で笑う。

そうして座から下り翁の傍らに寄り…是非とも取り計らうように…と告げ、側の者に金を用意するように伝えた。

その場に居たものは皆ヒソヒソと声を潜め話、意味ありげな視線を翁に浴びせる


「して…何時その里へ向かう?」


まるで子供が欲しいものでもせがむように、翁に尋ねる。

翁は、平伏したまま…


「支度が出来次第、その山里を訪ねに参ります。それでは旅の支度がありまする故、今宵はこれにて…」


と答え酒宴を後にする。


館にたどり着いた翁は、翌朝身の回りを整理しいつものように旅支度をする。

あれこれと片付ける中…ふと目にした小箱を開けると、中に入っていた笛を愛おしそうに手に取り袋の中に納め旅の荷物に入れた。

そうして…家人を呼ぶと、孫の若松を呼ぶように言いつけた。しばらくすると呼ばれた使いの家人とやって来る。

翁は家人に下がるように言い、辺りに誰もいないことを念入りに確かめて若松の前に座る。


「おお…すまぬのう…」

「ご用とお聞きし、急ぎやってまいりました…何事にござりましょうか?」


不意の呼び出しに、若松は怪訝そうな顔をして尋ねる。


「お前は笛の技を極めたい…と申しておったな…その決意今も変わらぬか?」

「はい、母が申すような出世の為に笛を吹くなぞ御免にございます。」


若松の顔には明らかに母親を軽蔑する色が浮かんでいた。


「まあそう申すな…そなたの母であろう。」

「ですが、私は萌木に母がしたこと許したくありません。いかに私の事を思っていたとしても、あのような事を…分別がつくとはいえあれは幼い子供。大人のすることではありません。血の繋がりがあろうと無かろうと、萌木は私のただ一人の弟です。」


若松はきっぱりとそう言うと翁の顔を、凛とした目で見つめた。


「萌木が聞くと喜ぶであろうの…どのようなことを周りから言われても、そなたの事を兄と慕っておったのだから。」


翁はその目を見ながらそう言った。若松は、何か言いたげな顔をしてその言葉を聞いていたが意を決したように…


「おじじ様。ひとつ教えて欲しいことがあります。」

「あの騒ぎの前に、萌木と二人...おじじ様に聞いて頂いた事がありましたよね…あの時おじじ様は萌木の音色が『つまらぬ』とおっしゃった…あれはなぜですか?

あの時私は萌木の音色の方が私のものより優れていると思ったのですが。」


若松は真っ直ぐと翁に顔を見てそう尋ねた。

翁はしばらく若松の顔を見ていたのだがやがて目を閉じてため息を一つつくと…


「…あの時、そなたはその様に感じておったのか…」

「はい…私の音色にはない物を、萌木の音色の中に感じておりました。これは萌木が笛を吹き始めてからずっと感じていた事です。

だから、おじじ様がなぜ萌木が吹くのを遮るように『話にならぬ』とおっしゃったのか、それが不思議でならなかったのです。

未熟な私でも感じるものを、おじじ様がわからぬはずがないと思っていたので…」


若松は身じろぎもせず翁を見つめながらそう尋ねた。


「…あの時…わしがそう言わなんだら……そなたでなく、萌木を選んだらどうなっておったかの。」


翁はちらりと若松の顔を見ながらそう呟いた。若松はしばらくその言葉を頭の中で繰り返していたのだが、翁の思うことがわかったのか目を剥くように見開き顔を見る。


「まさか…?そこまでは………」

「…まさかをまさかでないにするものもおる。人とは思い込んだら何をするかわからぬもの。」


翁の言葉に若松は何やら考え込んでいた。翁はその様子を見ながら、手元の文箱から二通の手紙を出した。


「では…このあとすぐにこのお方のところを訪ねるがよい。出来るだけ誰にも見つからぬようにな…この方が手筈を整えてくれよう。

万が一家の誰かに問われたら、わしの使いで出かけると申せ。」


翁はそう言って一通の手紙を若松に渡す。手紙の表書きには、翁が懇意にしている寺の僧侶の名前があった。

そうしてもう一通の手紙を渡す。

書状の表書きには、かねてより彼が師事したい…と願っていた人の名があった。


若松は翁をを尊敬していた。

翁の持つ技術を伝えられた時、これを更に昇華させ自分のものにしていくことが翁の期待に応える唯一と考える。

萌木の一件の後、ある笛の奏者と出会った。その者の音色は、自分にはないものがありそうして何より萌木の音色に似ていると感じる。

どうしてもその技に近づきたい…それとなくその思いを翁には伝えていたのだが…

若松は手にした書状の一通を見て顔色を変えた。書状の表書きはその奏者の名前があった。


「おじじ様…これは…」

「よいか…くれぐれも申しておくが、お前の父母にはこの事…話してはならぬぞ。理由はわかっておろう…」

「はい…しかしなぜ?」

「そなたには父母の思惑に絡め取られるような生き方を……わしのような生き方をしてほしゅうない。

自分の心底から望む人生を歩んで欲しい。

この旅は生きて戻れるかわからぬ、だからせめてそなたの願いを叶える橋渡しだけでもと思うての…」


チラッと翁は、若松の顔に目をやり深く頷く、若松はその意味を解して、答えるように頷いた。

そうして……


「…おじじ様…その若者、萌木であるとよいですね…そうであって欲しいと私も願います。

どうぞご無事で旅を…」


そう告げると静かに万感の思いを込め、深々と礼をすると立ち上がり離れを出る。

離れに爽やかな風が吹き込む。陽の光は立ち去る若松を照らす。

渡り廊下を歩く若松の姿を翁は静かに見送る。翁の心中には、一つ荷を下ろしたようなそんな感慨が浮かんでいた。


翌日、翁は供も連れず旅に出た。



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