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夢幻草紙  作者: 阿望 凜
桜花の君と緑翠王
3/5

桜花の君

次の日…宵闇に紛れて子供はこっそりと屋敷を抜け出した。

内心…昨晩の事は夢のようにも思えたのだが、子供は男の言葉を信じて約束の池の畔へと急いだ。

もうすぐ池が見え始める…というところで、風に乗り笛の音が聞こえて来るのを聞き足を止め耳をすます。


「なんて綺麗な音なんだろう…」


そう呟いてふと空を見上げると、風にそよぐ木の葉が月の光を受けきらきらと揺れている。

一瞬…それが花の盛りを誇らしげに咲く、桜のように見え子供は思わず目をこする。

笛の音に混じり、人の声も聞こえて来る。


「ほほほ……様、お戯れを……」

「……何を申すか……おい…桜花、何とか言ってくれ……」


聞き覚えのある、昨晩の男の声が混じっているのが聞こえる。

子供はその声に安心したのか、再び池に向かい歩き始めた。

茂みをかき分けようと枝に手をかける刹那…美しい女の声がいとまを告げる。


「…そろそろお約束のお方がいらしたような。我らはこのあたりでおいとまを…」

「うむ…またゆるり話をしようぞ。」


茂みから子供が姿を現すと、そこには男が二人いるだけだった。

子供は思わずきょろきょろと辺りを見回す。


「…よく来たな…ん?何を探しているのだ?」


昨晩の男が声をかけて来た。

男の声に子供ははっとした顔をするものの、やはりきょろきょろ何かを探すような素振りをする。


「何か気になるものでもあるのか?」


男にそう尋ねられ、頭を傾げながらようやく口を開いた。


「…今、ここに女の方がいらっしゃいませんでしたか?」


その問いに、男ともう一人…雅やかな衣装をつけた男が顔を見合わせた。


「いや…ここには我ら二人しか居らぬが…どうした?」

「先程ここに来る途中…笛の音と共に、女の方が話す声が聞こえたのです。」


そう答える子供の顔を見ながら、昨晩の男はもう一人の男に…


「どうじゃ…なかなか良い耳をしておろう…」


と、嬉しそうに話す。


「そなた…笛を吹くそうじゃの。」


雅やかな衣装の男は、じっと子供を見つめそう問いかけた。

子供は小さく返事をし、緊張した面持ちで同じようにじっとその男を見つめた。

穏やかな面差しの雅な男は、どう見ても位の高い貴人に見えた。

淡い色合いの衣装は、辺りを照らし始めた月の光をたたえまるで宵の闇に浮き上がるように咲く満開の桜の花に似ている


「今宵…そなたの笛を是非聞いて欲しい…と、この男に言われてここに参った。私にも聞かせて貰えまいか。」


その男は、柔らかな視線を投げかけながら尚も見つめる。

時折祖父が話してくれる、殿上人の姿に被るように思えた。

もしかしたら本当なら自分の目にすることが出来ないそんな雲上の人かもしれない…そんな事が頭をかすめた時、子供は思わず平伏しようと座り込んだ。


「これこれ…私はそのような者ではないぞ。さあ立って…今宵はそなたの笛を聞きに参った、そなたの音色私に聞かせてもらえまいか?.」


そう言いながら座り込んだ子供の手を取り、立ち上がらせた男は尚も子供の顔を柔らかい視線で見つめ続ける。

その視線に耐えかね、子供はちらりと昨晩の男を見た。

男はニタリと笑いながら小さく頷いた。

それを見て覚悟を決めたのか、子供は震える指先を抑えるようにしながら笛を取り出し何度も音の調子を合わせ…やがて静かに笛を吹き始めた。

静かに流れる風が、木々の間を渡るように…子供の吹く笛の音は風のない池の周りに響き渡る。

吹きながら子供が頭に描いていたのは、この場所に来るまでの風景だった。



鮮やかに沈む金色黄昏の空

舞う鳥は宿り木に…

暮れ落ちた空には星が一つ…二つ…

宵闇にさざめく木々の間から届く調べは天人の奏でる調べ…

流れる雲の羽衣は

緩やかに舞いながら

月の女神を天空に誘う



「…ほう…これはなかなか…」

「どうじゃ…なかなかのものであろう。この音色を、この子の祖父という者は『話にならぬ…』と申したそうな。」


昨晩の男がそう言うと子供は昨日の出来事を思い出したのか、しゅん…としおれたような顔をした。

子供は昨日あった事をもう一人の男に話した。


「そなたが笛を吹いたとき、そなたの祖父殿はどのようなお顔をされたかの?」


子供はしばらくその時の事を手繰り出すような顔をしていたがやがて…


「ほんの少し、ああ…と驚いた顔をしてそのあとすぐに随分曇った顔をしました。」


男は話を聞き終えると、しばらく何かを考えていたようだがやがて…


「…そう気を落とすでない。

人の心が感じる事は人の顔が違うように…同じように見えても違うもの…そなたの祖父殿には何か考えがあってそう申した…と私は思うた。

心の奥底に思う事があっても、口には出せぬ時もある…」


…と、静かに告げる。


「…そういうものなのでしょうか?」


子供は得心いかない…という顔で言葉を返した。

男は軽く笑いながら、手にした扇を懐にしまい目を細め優しく言った。


「そなたものう…大人になれば知る事じゃ…」


薄雲に隠れていた月が顔を出した。

煌々とした光が辺りを照らし、暗いながらも周りの風景を映し出す。


「…おお…なんと月の美しい事。今宵の出会いを喜んでおるようにも見える。

ならば月に一曲…献じようか…」


そう言いながら居住まいを正し、懐から笛を取り出しそうして子供に向かい言った。


「これから吹く調べをよく聞くのじゃ。

そうして合図をしたら同じように真似て吹いてみよ…難しいものではない。

よく聞けばそなたなら、簡単に真似できよう…」


男はそう言うと、笛の調子を合わせ吹き始める。


子供は目を閉じ耳をすましその調べを聞き取る。

時折その小さな指先が、調子を取るように動いている。

雲に見え隠れしていた月も、いつの間にか現れて煌々とその光を放っている。


男の奏でる調べは、単調なものだった。

それでもその音色は美しく辺りに響き渡る。

奏でる音が二巡り目に入る頃、子供の指先は自分の笛のその上を音もなく渡っている。

やがて三巡り目に入り、男は子供に笛を吹くように目で合図した。

うながされるように子供は笛を口にあて、男の調べに重なるように吹き始める。


重なりあった音が一巡りし、二巡りにさしかかった時…男の笛の調子が微妙に変わり始める。

子供はそれに引きずられる事無く、元の調べを奏でている。

男と子供は互いに目配せしながら、入れ替わり立ち替わり…まるで笛の音で錦を織るような調子に変えていく。

傍らで聞いている男が何気に池に目をやった時…

水面の上に二羽の水鳥が現れ、笛に合わせて舞うように泳ぎ始めた。

子供もそれに気づいたのか、鳥が舞うそれが面白く笛の調子を上げていく。

笛を吹きながら子供はその有様を見ていたが、そのうちその水鳥が月の光に照らされた水面の舞台で舞う二人の舞い人に見えてしかたない。

広がる羽音は衣擦れの音に…舞うその足元には静かな波紋が広がっていく。

前に後ろに、重なる舞い手の姿は風を操り波紋を広げる。

それは対の鳥が互いの心を確かめるように、愛しい者と巡り会えた喜びを月に舞って見せるようにも思えた。

子供は笛を吹くことを忘れ、その姿美しい舞い姿に見入っていた。

やがて風が静かに巻き上がるように水面を走る。

二人の舞い手は風に乗り羽ばたくような仕草をすると月を目指し飛び上がる。


はたり…


笛の音が止まる。

子供は舞い手…鳥が消えた空をじっと見つめて身じろぎもしない。

水面には波紋が広がり月の光が余韻を映していた。

笛の男はゆったりとした仕草で笛を収めながら子供に向かい一言告げた。


「うむ…そなたなかなか良い耳をしておるのう…

誰かと共に笛を吹くなぞ随分久しい…久しぶりに楽しい夜だった。」


にっこりと笑いながら男はそう言った。

嬉しそうなその言葉に、子供は目をキラキラさせてにっこり笑う。


「私も楽しゅうございました。」

「そなた…名をなんという。」


笛の男は輿を落とし子供の手を握りながら名を尋ねる。


「…萌木と皆は呼んでおります。」


その月の光に照らされた笛の男の顔をじっと見つめながらまるで、いつか祖父に連れられ行った寺の本尊…優しい観世音菩薩のようだと思った。


「ならば萌木…またこうして私と笛を吹いてくれるか?そなたの笛は私の心を踊らせるように感じる。」


その言葉に、子供は嬉しそうに目を輝かせ大きく頷いた。


「私は桜花…皆からそう呼ばれておるこれからはその名で呼んでおくれ。」


優しい手が子供…萌木の手を包みしっかりと握られた。

その様子を傍らで見ていた男が…


「おいおい…わしを忘れてもろうては困るぞ。

夜道は危なかろうここまでの道中は、行きも帰りもわしが付いてやるから安心せい。おっと名をまだ教えておらなんだな。

わしは緑翠王と皆に呼ばれておる。

どこに居っても、お前がわしの名を呼んだ時は迎えに行くから安心いたせ。」


そう声をかけてくる。

そうして男…緑翠王は、愛おしむような手つきで萌木の頭を撫でる。


「…さぁ、あまり遅くなっても家の者が訝しむ。

今宵はここまでにいたそう…緑翠王…すまぬが…」

「おう、わかっておる。さぁ萌木…昨日のようにしっかりとわしの背中に掴まれ。」


名残を惜しむように、見送る桜花に萌木は小さく会釈をする。

それを見て桜花は思い出した様に言葉をかけた。


「おお…そうじゃ萌木…この事は、たとえ親に聞かれても話してはならぬ。我らとの約束じゃ。」

「はい。わかりました。」


萌木がそう答えると、桜花の君は促すように緑翠王に頷いた。

緑翠王は昨日のように走り始めた。


(まるで天翔るように緑翠様は走っておられる…)

萌木はふとそんな事を思った。


あの夜からあの子供…萌木は、月の夜になるとあの池のほとりに行っては不思議な笛を吹く桜花から笛の手解きを受けるようになった。

月夜になると祖父達は宴に呼ばれ、仕度に追われて萌木の事など気にも止めない。

大人達がバタバタと仕度に追われているその隙に、萌木はこっそりと屋敷を抜け出す。

屋敷から少し離れた辻には、いつも緑翠王が待っていた。


「萌木…待っておったぞ。」

「緑翠王様、お待たせしました………?」


萌木は、待っていた緑翠王の腕の中に小さな子供が寝ているのに気がついた。

緑翠王は何か言いたげにしている萌木を急かすように背にのせて、桜花の待つ池のほとりに向かった。

池では桜花が萌木を待ちかねたように待っていた。


「よう来たの…」

「今宵もよろしくお願いします。」


萌木を迎えながら、桜花は緑翠王を見るとクスクス笑いながら問いかける。


「緑翠王…それはどうした?」

「…これはの…萌木を待つ辻で、母御にはぐれたと泣いておったのでな。あやしておったら寝てしもうたのよ。」

「ほう…また悪い癖が出たかと思うた。」

「なっ…何を申すやら!わしはこれからこの子の母御を探して参る。終わる頃には戻るゆえ…」


緑翠王は足早に茂みの向こうに歩いて行く。姿が消えると同時に、一陣の風が舞い上がる。

緑翠王の姿が消えて桜花は萌木に耳打ちするように囁いた。


「あの男…ああ見えても小さな子供が好きでの…泣く子を見るとほっておけぬ質でな。」

「だからあの時声をかけられたんですね。あの時、私は祖父に言われたことが悲しくて泣いていたんですよ。」


萌木はそう言って、緑翠王との出会いを桜花に話した。


「ははは…そのような出会いだったのか。緑翠王の癖もたまには役にたつものよの…ふふふ。」


萌木には桜花の笑いの意味がわからず、きょんとした顔でその顔を見ていた。

そのうち訳を教えてやろうと言われ、いつものように笛を吹き始めた。


「…うむ…いいぞ…そうだ、音をよく聞くのじゃ…」


桜花はいつも楽しそうな様子で萌木を教えた。

萌木は地に水が吸い込むように覚えていく。

その傍らでは、いつの間に帰ってきたのか緑翆王がにこやかに笑って二人のやり取りを見ていた。

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