第七話:疑問
一行は町の手前まで来ていた。……上手く逃げきれたのだ。
シリルは――やはり――息を切らしていた。
その顔には、何か、達成感のようなものが感じられる。
「……あっ、あの……」
シリルはふと我に返る。
「もう大丈夫です……」
「あ、あ、あっ……、すまない……」
シリルは慌てながらも、ゆっくりと女の子を背中から下ろしてやった。
「そう言えば、だいぶ咳が治まったな」
アジズは、まだ心配だ、という表情で女の子を見ていた。
女の子は恥ずかしがり屋なようで、下を向いて微笑んでいた――ほほを赤く染めて――。
「あっ、さっき何か言いかけてたようだけど、あの町に何かあんのか?」
アジズの透き徹った声が女の子を襲う。
そこに、シリルがお邪魔にも割り込んでしまった。
「おいおいアジズ。やっとこうやって落ち着いたんだ。先ずはお互い、自己紹介といこうじゃないか」
アジズは、そっか、という感じで、怒ってはいない。
アジズにはもともと、女の子が感じている『どきどき』がなかったようである。
「えっと……、オレはアジズ。こっちがオレの親友のシリルっ。オレたち、ここは初めてなんだ」
アジズは、自分たちが海の向こうからやって来たことなど忘れかけていた。
ただの見知らぬ土地。それほど“世界”が自然なものであったのだ。
「……わたしはヒナ……」
「えっ? ヒナ……?」
アジズは聞き返した。女の子が、ささやくような小さな声で言うものだから。
「……うんっ」
ヒナはゆっくり頷いた。ちょっぴり嬉しそうに見える。
「なる程、ヒナか」
シリルは相槌を打つように言った。そして、いよいよ本題に入る。アジズが聞く。
「ヒナはどうして森にいたんだ?」
「えっ……、それは……」
ヒナの表情から、何かを意図的に隠そうとしている訳ではなく、『言いづらい』ようであることが読み取れた。
言おうとは思っているが、どう言ったらいいのか……。
アジズには、そんな微妙な気持ちを感じとることができた。
「言いづらいなら別に、言わなくても……って、なっ、泣くなよっ」
ヒナは涙を落としてしまった。アジズは困惑した。
それを見ていたシリルは言った。
「町で何かあって、逃げる感じで森に入ったのだろう。……ただ、僕たちと遭遇してなかったら……」
ヒナは申し訳なさそうに目を下に逸らした。
「……ごめんなさい」
「ヒナは悪くねえよ」
アジズは優しく言い放った――いつもより慎重に――。
アジズは、自分がヒナに優しく接していることに何か感じたようだ。我に返ったように話を切りかえる。
「と、とにかく……、今からどうするかだ」
「うむ、そうだな。……ヒナ、もう町に行っても大丈夫か?」
シリルの問いに、ヒナは小さく頷いた。
町は、鈍く硬い金属音を除き、森と同じくひっそりとしていた。
ヒナの言う『言いづらい出来事』は過ぎ去った後のようだ。
ヒナは今のところ体調もよく、のどの方も驚くほど回復していた。
アジズたちは、一緒にヒナの家について行くことにしたのだが、その途中、一人の婦人に会った。
ヒナは話しかけられている。
……が、アジズとシリルには、その婦人が何を言っているのか分からなかった。恐らく、『言語』が違った。
「ち、違うんですっ!」
ヒナが大きな声を――と言っても、普通の人と比べればそうでもないが――出した。
婦人は不愉快そうにアジズたちを一瞥し、何やら言い残して去って行った。
「なんて言ってたんだ?」
アジズがヒナに尋ねる。
「………」
「言いづらいなら……、今度は泣くなよっ」
ヒナはまたも涙を目にためていたが、のみ込むように我慢した。相当つらいことでも言われたのだろうか……。
(おかしい。何故ヒナは僕たちとも……)
シリルは、アジズが疑問に思わずにいる重要な点に気付いていた。
「……ただいま」
「おかえり、ヒナ。……おや? その人たちは誰だい?」
「あっ、この人たちはね、その……、わたしの命の恩人……」
「ハッハッハ。こりゃたまげたな。お二人さん、ありがとよ。ヒナは時々帰って来ないもんだからね。今朝もどこかへ行っては帰って来ないからさ、まあ、いつものことだとは思ってても心配なワケよ」
アジズたちを待っていたのは、とても意気盛んな黒髪の男だった。……どうやら、ヒナの父親にあたるらしい。
「……お前の親父さん?」
アジズが小声でヒナに聞く。
「そうだけど……?」
「んー、なんでヒナはそんなにアレなのかなぁ?」
「……アレって?」
ヒナはだいたい分かっているようだった。
二人が話していりうちに、テーブルには『お茶』が出され、シリルはイスに腰をかけた。
「だから、ヒナは何か、……か弱いって言うか……」
「……そうなのかな、やっぱり……」
ヒナはちょっと照れ臭そうに笑っては見せたが、内心、気にしているだろう。アジズはそれを感じてしまった。
「いや、別に、それが悪いとかじゃないんだ。……ヒナはヒナらしくていいと思う」
アジズは人をつらくさせるのが得意だった。
そう、得意だった。
しかし、人というのは、相手をつらくさせたくないと思えば思うほど、自分の刃を隠そうとするものである。
また、もし刃が機能してしまったときには、血のついた刃を花にかえようとするものである。
負わせた傷を治せるかは別にして、相手を思う気持ちこそ、一番の根底にあるべきものなのだ。
ヒナは胸が熱くなるのを感じた。
「……ありがとうっ」
「何言ってんだよ……(オレも……)」
ようやく四人がテーブルを囲んだとき、シリルのお茶は半分になっていた。
シリルはこの時を待っていた。
「お話したいことがあります」
シリルは、異大陸の大人相手に、堰を切ったように語り始めた。
ヒナ登場を機会に『……』が増えます。読みにくいってことも……。