第五話:大陸
月明かりの下、一隻の『船』が静かに漂っている。
その狭い操縦席に誰かいるようだ。
眼鏡と一冊の本が側の棚の上に置かれている。『世界創造論』という本のようだ。夜の青い闇の色をした髪と瞳は、空間に溶け込んでいるが、整った顔は逆に、星たちの光もそこに集まったかのように、明るく照らされている。
この女、いや、男は、一睡もせず、船の梶をとっているようだ。
一応のところ、『世界創造論』の知識をもとに、向かう方角を決めていたのだが、何せ、一定の方向を示す道具がない。唯一決め手となるのが太陽という具合だ。
彼は、独自の観察により、と言っても、昔の賢人の著書を参考にしているのだが、星によっても方角を定められないかと見込みをつけていた。
残念ながら、未だに解明はできていないが、一カ所、一年を通してほとんど動かない星を見つけることに成功していた。彼は、昔の文献から引用して、――この文献も、彼の解読精神から単語単位で翻訳したものだ――『スタザクシス』と名付けた。
この世には多くの『知恵本』が存在するが、そのほとんどは、書かれている文字の解読ができずに保管されるだけである。
彼の手にかかれば、……とまあ、これは言うまでもないが。
前日の観察で見つけておいた、例の星『スタザクシス』が船の右手に位置するように保ちながら進む。
こう決めておくことで、この船の操縦師の目指そうとしている方角が、いつも前方に見えた。
それでもまあ、今晩の星は何だか、不思議と信用に欠ける。
そこに、もう一人の青年が眠たそうな顔をして入ってきた。
「……ほへ? シリル、まだ起きてんのか? いい加減寝た方がいいんじゃねえのか?」
シリルと呼ばれる男は答えた。
「大丈夫だ。……もう少しで夜も明ける。この海域に『バーグ・ド・ラグフ』がいるのかは分からないが……、夜が明けてくれれば、はっきりと方角に自信が持てるし、僕も楽だ」
「ん? そういえば、太陽って昇ってきてくれんのかなあ? オレたち、変なトコに向かってる訳だし、もしかしたら……」
「それは多分大丈夫だ。……僕の理論が正しければの話だが……。とにかく、アジズは寝とくんだな。朝は来る。僕が起こしてやるよ」
アジズと呼ばれる青年は素直に頷いて、狭い寝所へと戻った。
(ふう、アジズ……、きっとお前は聞いてくれると思うが、僕の理論は、誰にも見向きもされない、異例な発想なんだ。
これが立証されるまでは、お前は普通の考え方を持っていればいいんだよ……)
シリルは心の中で、アジズを説得した。
(さあ、朝よ来い! 僕たちに、希望の光を届けてくれ!)
「アジズ、アジズ、朝だぞ」
「……ふあ? あさ?」
アジズが起こされたときにはもう、日が、少し見上げたところにあった。
「なっ、言っただろ?」
シリルは優しく微笑んだ。
アジズは一面の海を見渡した。そして、空を。
「シリル……、オレたちの世界って、広いんだな」
アジズはしみじみと言った。
「まあな……、思った以上に広いことは確かだな」
シリルは疲れているだろうに。
でも、アジズにそんな顔ひとつ見せないし、言葉に余計な重みを感じさせない。
そして遂に、この瞬間がやってきた。――それは、二人が待ち望んでいた。
「あれ? おい見ろよっ、シリル!」
アジズは、遠く前方の雨雲――のような灰色の煙雲――を指した。
「ああ、あれがどうした?」
「よく見ろよ、下の方、下の方! 島だよ!」
アジズの視力が、微かに見える『島』をとらえた。シリルにはぼやけて見えないが……。
「本当か!? よしっ、このまま直進しよう!」
シリルにスイッチが入った。
(やはり、あるんだな? 僕の思った通り……、別の大陸が!!)
近づいてみると、小島ではなく、本当に『大陸』だった。奥には険しい山脈も見える。
二人が気がかりなのは、目の前に見える街らしき建造物の集団から、煙がモコモコと吹き出ていることだ。
正面からはやはり、恐いので、脇に見える森――と言っても、枯れ果てた、葉のない森だが――の近くの岸に船をよせ、上陸することにした。