第二話:決意
二人は、シリルの家にいた。
昼間の『船』の実験は上手くいった。
船はスイスイと海の上を進んだのだ。
これについて、シリルは言った。
「あの船を動かす原動力がこの石だ。ただの石ころに僕が魔法をかけたんだ。」
「おい、いつから魔法なんか使えるようになったんだよ。」
「待てって。この世に魔法なんていう便利過ぎるものがある訳ないだろ?僕の言う魔法は『魔法学』の本の中で魔法と呼ばれていたもののことだよ。」
「……なんだか意味不明だな。」
アジズは混乱しかけていたが、シリルは続ける。
「この本はかなり昔に書かれていて、先ずは文字の解読からしなきゃならなかったんだ。
解読には一年もかからなかったな。
この本はきっと、世界に一冊、僕だけのものである訳だ。
最大の図書館『ピッツバーキング』で、文字が訳不明で今にも捨てられそうだったこの本に出会えたのは運命だろうか。うんうん……。」
シリルは『魔法学』の本のことに話が流れているのに気付いていなかった。それはアジズもだった。
「そんな小さな文字ばっか見てるから、眼鏡かけないといけなくなるんだよ。」
アジズは極度の遠視だった。ある意味、アジズも眼鏡が必要である……。
「……いつの間にか話が逸れていたみたいだ。
アジズ、この石には加工が施されているんだ。ほら、こんな具合さ。」
石はちょうど、中身がくり抜かれて、箱のようになっていた。
どのようにしてつくったのかは分からないが、石の厚みは薄く、容積は大きい。
「……じゃあ、例えばコレだ。コレも『魔法学』を参考にしてつくったんだが、『電気灯』というものだ。ほらっ、この通り。」
「わあ!!……って、どうなってんだ!?」
部屋は、あっという間に昼間の時刻に戻ってしまった。
「おっと、すまない。ゴホンッ。えー……だからな、この電気灯は『電気力』によって光るんだ。僕たちは明かりには火を使っているだろ?」
シリルは他にもいろいろと話したようだが、アジズにはさっぱり理解できなかった。
恐らく、世界の誰もが、シリルの言うことに驚きを隠しきれないだろう。
「まあ、船を動かすには多くの電気力が必要な訳だ。しかし、僕は『魔法学』を越えたんだ。電気力は蓄えることができたのさ。」
「おい、なんだよシリル。お前、すげえモンつくったんじゃねえのか!?」 アジズは、ソファーで横になってシリルの話を聞いていたが、この時ばかりは起き上がって、きちんと座り直した。
二人は、長い間のつき合いなので、お互い自由気ままに接し合っている。
ただ、人の話を横になって聞くのはどうかと思われるかも知れないが、実は、シリルは、心を見抜いてしまいそうなアジズの清らかな目が苦手であった。
夜にこうやって話をするときは、ソファーにいつも横になって、気持ちよさそうにしているアジズに向かって、別段、気にすることなく、話を持ち出すのだ。
アジズは天上を眺めたり、チラッと横目でシリルを時々見たりして話を聞くのだった。
「なあ、アジズ……、そのだなあ……。」
シリルはアジズの純粋な眼差しを背中で受けるようにした。そして続けた。
「僕は、船で海の向こう側に行ってみようと思ってるんだ。」
アジズはシリルの背中しか見れなかった。しかし、十分にその意志が伝わってきた。今のシリルの目は本気だろう。
「海の向こうなんて、誰も考えたことないだろ!?まして生きて帰って来れるのかよ!どうなんだ?」
アジズは本当の友だから言える口調で尋ねた。
「……分からない。」
「だろ!?……まあ、お前が本当に行く気なら止めねえけどなっ。オレもついて行くよ。」
シリルは戸惑っていた。
アジズが一緒に来てくれたら、どんなに心強いことか……。嬉しさのあまり、心が痛んだ。
「だけどアジズ、僕のやろうとしていることは多分、無意味に終わるだろう。
……一緒に死ぬな!
僕は新たな世界への好奇心を満たすために、自らの命を犠牲にするんだ。
たとえ僕が、海の向こうで何かを見たとしても、それを誰かに伝えることはできないだろう。
得体も知れない距離を往復できるような電気力は、まず無いだろうからな……。」
シリルは素直になれなかった。アジズと共に旅に出て、答えを見つけて生きて帰ってくる。
これがベストだった。
だが、実際、そういう良い結果ばかり、いつも起こってくれるはずがない。
……決まり文句である。
「無意味じゃねえよ!」
アジズはシリルの思考を遮るように叫んだ。
「この世に無意味なことなんかねえだろ?」
シリルはいつもアジズのことを尊敬していた。
確かに、頭も悪いし、きちんとした礼儀作法もよく分かってないし、教養のかけらもない。
――ただ、勘は鋭くて、運動神経は抜群にいい。
自分とはまるで正反対なアジズだが、一緒にいると勇気がわいてくる。
自分は、読書や研究のためだとか言って、家にこもってばかり、外のことはあまり知らない。
よく知っている、といったら、ピッツバーキング図書館までの道のりぐらいだろうか。
アジズはどうだろう?
多分、同じ図書館へ行くのに、たくさんのわき道を知っているだろう。彼は外で自分とは違うものを学んでいたんだ!
シリルは外の世界に興味を抱いていた。
しかし、今回の船旅はスケールが半端ではなかった。アジズも知らない新世界への旅だった。
「わかったよ。」
シリルは呆れたような声で言って、アジズに振り返った。
「今夜は遅いから泊まっていけ。」
彼の顔は穏やかだった。
アジズは、このセリフを何回聞いたことだろうなあと思いながら、笑って言った。
「ったくー。寂しがり家なんだから〜。」