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夕闇の彼方へ  作者: 犬公
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第十一話:お待ち扉

 キッチンにはやはりヒナがいた――『トースター』のパンが焼き上がるのを待っているようだ。一息ついている。

「おはよーっ、ヒナ」

 アジズがゆったりとした口調で言った。

ヒナはやっぱり照れ臭そうに、少し間をあけて返した。

「おはよ、アジズ……」

「そんなに恥ずかしがることないのに……。特にオレの名前言うときとか」

 アジズは、ヒナから『さん』をつけられずに呼ばれたのには少し驚いたが、……嬉しかった。

やはりアジズは、呼び捨てにされる方が気が楽なようだ。

「あのさ、ヒナ……」

 アジズの声が少し小さくなった。

リビングの方からすっかり意気投合したシリルとヘンズさんの共感の笑い声が聞こえてくる。

「昨日はごめん……。オレ、ヒナのベッドで……」

 

 アジズが言いづらいのと同じくらい、ヒナも聞きづらそうだ。ヒナのほほが赤い。

「いいよ全然っ。ちゃんと寝れたし……」

「……二人がベッドじゃ窮屈だったろ?……嫌だったんじゃねえか?」

 アジズは不器用にも思いきって聞いてしまった。

「――えっ、ふたりって?……」

 ヒナは動揺していた。

「何言ってんだよ。オレ、一回ちょっと目が覚めてさ、……ヒナが横で寝てるからびっくりしたんだぜ?」

 ヒナの『恥ずかしい度』が頂点に達した。

 (知られちゃってたんだ……)

 

 もうそろそろパンが焼けてもいい時間。

パンが焼けてくれれば、ヒナはこの恥ずかしい空気からの逃げ道を見つけられるかも知れない……っ! 

しかし、ヒナは――少し――それが嫌だった。

こんな無邪気な自分には、今まで出会ったことがなかった。

「……アジズに気付かれないようにやったのになぁ……」

 ヒナはなぜか微笑むことができた。

「……えっ?」

「ううん、何でもない」

 ヒナには、アジズが聞き取れたのか、それとも聞き損ねたのかを確認する勇気はなかった。

……ただ、どちらにしても、ヒナはもう言ってしまったのだ。

なぜかヒナの中には、何かをアジズに気付いて欲しいと思う“ヒナ”がいた。

 

 トースターが『チーーンッ』と声を張り上げて、キッチンのご主人に『できましたー!』と伝達した。

 ヒナは朝食づくりにもどる前に、アジズの質問に答えるべく、真剣に向き合った。

 

「嫌じゃなかったよっ」

 

 アジズは不意にどきっとした――最近、妙に多い気がする……。

「そ、そっか、なら安心した。……やっぱヒナはわかんねえなぁ。普通嫌がると思ったけど……」

 

「……アジズはわたしが横で寝てて、嫌だった?」

 

「えっ……」

 ヒナは、素直に想いを重ねて尋ねた。

 アジズは思わず真剣な目をヒナに見せてしまった。

ヒナはさりげなく朝食の支度を再開する。

 

(……この『嫌』の反対って、『嬉しい』……なのかなぁ?)

 

 アジズはしばらく、ヒナが最後の盛りつけをするのを眺めていた。

 ヒナは

「できたっ」

と言うと同時に、アジズの方をちらっと見た。ここで目が合うとは、何とも新鮮である。

「…オレ、ヒナが気持ち良さそうに寝てたから、逆に嬉しかったよ。……なんか変だけど……」

 本当に理由はそれだけ?……まあ見逃してやろう。

 ヒナは、自分がどんな顔をして寝ていたのだろう、とちょっと恥ずかしくなった。

(気持ち良さそうに……かぁ)

 

 アジズは、ヒナが――ちょっと恥ずかしそうに――微笑んでくれていることが何よりも嬉しかった。

 

「アジズ、……これ運んでくれる?」

 ヒナは初めてアジズにお願いごとをした。

 アジズは、それには何も返事せず、――そのかわりとは言わないが――小さくささやいた。

 

「やっぱ似合うじゃん」

 

「えっ?」

 ヒナは、にっこりと微笑むアジズを見つめ返した。

 アジズは皿に手をかけて去ろうとする。

「……もーっ、そんなことは始めに言ってよっ。気付いてないのかと思ったじゃん……」

「ごめんごめん……。最初は本当にわかんなかったんだよ。違和感なかったからさ……」

 

 ヒナは去りゆくアジズの背中を見守るように、じっと手を胸にあてて立ちつくしていた。

 

『ピンクのトレーナー』

 

 ヒナは自分の袖を見て、確かに自分が『自分』であることをたしかめた。

(……いっぱい話せた気がする……)

 

 

 

 

 朝食の時間はゆったりと流れていった。

出発当日だというのに、こうのんびりとした空気に包まれているというのも、不思議ではあるが、……案外『旅立ち』というのは、こうあるべきものなのかも知れない。

 

(ふぅ……、ここに来てヒナに出会えたのは幸運だったな。食事にありつけたし……)

 シリルは、腰かけたイスの上で、片付けられていく食器を優雅に眺めながら思った。

 

 実は、シリルは向こうの大陸に忘れ物をしていた。

……重要なそれは……――『食料』だった。

 

 確かに、ヒナを背負ったとき、何かもの足りないとは感じていたが――予定では背負って行くはずの『リュックサック』の存在などすっかり忘れていた――、まさか自分に限って、そんな重大な過ちに気づかず、未知の世界へ漕ぎ出そうとは……。

まるで自分がアジズを『死』の旅へ連れ出そうとしていたようで、たまらなく心が痛めつけられた。

……と言っても、もともとこの旅は、その種の旅に近かったのだが……。

 

 今では――ヒナの家にいる限りでは――、だいぶ安定していると言える。

そして、旅の土台となる筋ができたことで、この旅は幾分安全なものとなった。それはシリルが思うところの『幸運なこと』である。

 

「シリルーーっ。そろそろ支度した方がいいのか?」

 

 アジズは――やっぱりのんびりとした口調で――言った。

 

「あっ、……ああ。そうだな……」

 思えばシリルにはアジズがいた。

この旅は、アジズがいなければ成り立たない。

 

シリルは考えることなく、そう感じた。

 

 

 王都行き三人の服装は、思った通り、ばらばらだった。

それが個性の顕現なのかは分からない。

ただ、本人たちが自身の格好に何とも思っていないのは確かだ。

もう、その装飾物と一体となって、切っても切り離せない特有の雰囲気をまとっている。

 アジズは、『抹茶』を思い出させるような薄手のしぶい緑の『ジャケット』にさらさらなベージュの『ジーンズ』。

そして、はおったジャケットの下には、胸もと辺りに横に2本空色のボーダーが入った白の『Tシャツ』を着ている。

いつでも自然と一体になれるようにと、アジズを包み込んでいる。

 

 もちろん、これは『いつもの』服装であって、わざわざ着替えた訳ではない。……まず、他の服がないのだ……。

 仕方のないことだが、こちらの“世界”では、アジズとシリルは『汚れモノ』である。

いつも同じものを着ているのだから、周りの人からどう思われることだろう。常識が違う。

 

 今回は『旅』ということだから、一応の例外としておこう……。

 

 

 シリルは、内ポケットが6つある専用コートに身を包み、なかなかまとまった感じだ。

内ポケットには本が一冊ずつ、計6冊収納済み。

細身の体は、このコートを得て、ようやく落ち着いたというところだろう。

 

 ヒナは、アジズの注文を聞き入れたカラーで優しく抱かれていた。ただ、二人と違って、慣れない格好に少しばかりの不安を感じている……ように見えたのは先程までか。

今はもう、その新鮮さと明るさが《ヒナらしくて》爽快である。

 

 

 旅の支度も終えて、ヘンズさんの口数はますます増えた。

しかし、三人が最後の扉を前にし、『いざ、旅立とう』というときには、もう何も言えなかった。

 

 アジズは、靴ひもを結んでいたが、視線は床の一点にあった。

 

 ……ここにいる一人ひとりが、様々な想いを頭の中で言葉にすることなく、心に大切にしまっておくことに決めたようだ。

 

 視覚や聴覚などから得た情報は、暗号のまま、頭の中を回転するだけである。

自分の行う一つひとつの動作に、わずかに残っている『コントールできる意識』を奪われ、ほとんど無意識の状態に近い。

 

 アジズは靴ひもを結び終えると、ようやく考えることができるようになった。

 

(出発かぁ……。ヘンズさん、どう思ってんのかなぁ……)

 アジズは自分の親父の顔をヘンズさんに見た。

(きっと親父も……)

 

 

 玄関の扉がひらいた。

もちろん、これはシリルが開けたのであって、勝手に開いた訳ではない。

……もしも自分たちの手で開けようとしなかったら、ずっと閉じたままなのだ……。

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