二人の英雄2
白い大蛇がこの世の終わりかと思える声で咆哮したあと、天高く昇って行く。地上からは辛うじて点で見えるぐらいの高さまで昇った白い大蛇が、口を大きく開く。開いた大蛇の口に、禍々しい赤い光が集約していく。
白い大蛇の口から放り出されたタケヒコは、カグヤに膝枕をされて横になっていたスクネの隣に着地した。
白い大蛇が原因か、ただの偶然か、星が消え、吸い込まれるような暗闇しかない夜空で、吠える白い大蛇をスクネ達は見上げていた。
タケヒコ「まさか、この大地を消す気ですか」
白い大蛇を見上げながらタケヒコが確認するように言った。
スクネ「大地の爆発に巻き込まれて死ぬ気だろう。何処までも、最悪な奴だ」
恐らく当たりだろうと思う意見をスクネは口にした。
タケヒコ「どうすればいいのです……どうすれば」
苦痛の為か、絶望からか、タケヒコが顔を歪ませている。とはいえ、その問いにスクネは答えようもない。まして、両腕両足が動かず、先程無理をしたせいで、この身体の死も近いスクネには、ただ見上げる事しか出来ない。それが嫌と言うほど理解出来る自分が、スクネにはもどかしかった。
カグヤ「方法なら一個だけあるよ」
スクネ「カグヤ」 タケヒコ「カグヤ様」
会話に割って入って来たカグヤの名を、二人は口にした。頷き、カグヤは膝枕したスクネの頬に手を当てながら、辛そうに言う。
カグヤ「スクネをわたしの力で、別の身体に移すんだよ」
タケヒコ「そんなことが可能なのですか。それにそれでも……」
何か言おうとしたタケヒコを、カグヤが制止する。
カグヤ「時間がないから質問はなし。スクネの神宝、蛭子。力は魂の自由。早い話が、誰か他人に宿れるんだよ。本来は赤ちゃんの時に誰かに宿るんだけど……今のわたしなら大人でも可能だよ」
タケヒコ「だめです。一人の人間に二つの魂が宿ることがどういうことか、千年前に、あなた達自信に起こったことを忘れたのですか。宿られた者はどれだけ苦しみ、宿ったスクネ自身も!」
否定するタケヒコに、スクネは「今はそんな事気にする時ではない」と言おうとしたが、それが口に出る事はなかった。
シンム「タケヒコ、姉貴は時間がないって言っていただろ?」
会話にシンムが割って入って来た。何かを決心した様な強い眼差しをして。
タケヒコ「シンム様!」
驚きの表情をしながらタケヒコは叫ぶようにシンムの名を口にした。
シンム「姉貴、単刀直入に聞くけどよ。スクネの魂を宿すの、おれの事だろ」
無言でカグヤが頷く。その間にも、白い大蛇の口に集約していく赤い光が強くなっていく。誰の目にも、時間が無いのは一目瞭然だった。
シンム「早くしてくれ。大地がなくなっちまってからじゃ、遅ぇからな。イヨ、少し離れてろ」
心配そうにシンムの後ろに立っていたイヨが、わずかに距離を取る。
カグヤ「シンム、スクネの身体に手を当てて」
真剣な表情のカグヤに言われた通り、シンムがスクネの身体に手を当てる。それを確認すると、カグヤが目を閉じ、祈り始めた。
カグヤ「汝にして他にあらざる者、他にして汝になる。現世での転生すなわち蛭子よ、ここにその力を示せ」
大地が怯えたように揺れる中、青白い色をしたスクネの魂が、シンムの身体へと吸い込まれる。
遥か上空で、破滅の赤い光を集約している白い大蛇を、スクネとシンムは見上げる。
自由に動く両腕両足を確かめるスクネ。
スクネ「今度こそ終わらせる」
かつて感じたことないほどの力を感じるシンム。
シンム「今度こそ守ってみせる」
二人は一つになりながら、思い思いの意志を言葉に込めた。
白い大蛇の口から赤い光が放たれた。一人となったスクネとシンムが光に向かって飛行していく。剣と光の衝突。破滅の赤いの光と都牟刈之太刀がぶつかり合う。赤い光は都牟刈之太刀に斬られ、拡散する。
イヨ「これなら……大丈夫ですよね」
不安そうにイヨは両手を重ねて祈りながら見ていた。
タケヒコ「今は二人を信じる事しか」
何も出来ない自分に憤りを感じたのか、タケヒコは左手を強く握り締めて、その手に血が滲んでいた。
上空の白い大蛇の目が光る。それに呼応して妖鬼が殺到し始める。妖鬼を相手にしている余裕などスクネとシンムの二人にあるはずもない。だから、守って貰う。
スクネ「タケヒコ」シンム「タケヒコ!」
守り得る者の名をスクネとシンムは叫ぶように口にした。
タケヒコ「シンム様に、スクネには、近づかせません」
殺到する妖鬼を、タケヒコの天之羽張が斬り裂く。妖鬼と戦うタケヒコを信じて、スクネとシンムの二人は破滅の赤い光を斬る事に集中する。
再び、白い大蛇の目が光る。破滅の赤い光が強さを増してスクネとシンムの二人を押し込み始める。
イヨ「このままでは」
二人は少しずつ地上へと押し込まれていく。不安げなイヨの言葉が聞こえる。
力を欲するスクネとシンムの二人は、一つの結論に達する。
スクネ「おれを魂魄強化しろ」
シンム「急いでくれ! このままじゃあ持たねぇ!」
赤い光と対峙する二人の口にした言葉を聞いたイヨの顔が、蒼白に染まる。そのイヨを無視して、カグヤが行動に出る。
カグヤ「いい、絶対に負けたらだめだよ。それが出来ないなら、絶対にこんな事しないんだからね」
スクネ「当然だ」 シンム「負けねぇ」
力を欲するスクネとシンムの二人の背中に、カグヤが手を当てる。その手に二人は押されるように、白い大蛇から放たれた破滅の赤い光を押し返し始める。
自らの魂すら賭けても、まだ足りない。
突然、白い大蛇の破滅の赤い光が消える。そして、次の瞬間、今までが冗談に思えるほどに強い破滅の赤い光が降り注ぐ。完全に力負けして、スクネとシンムの二人は地上まで押し戻される。
スクネ「このままでは」
シンム「どうしたら」
勝機を探す二人に、やさしくも力強い女性の声が聞こえた。
声「今こそ、鬼の力を使いなさい」
声に導かれ、スクネとシンムの二人は両肩に彫られた鬼の印に力を込める。反応した鬼の印が光り出す。そして、両手に握った都牟刈之太刀が光り始め、都牟刈之太刀が巨大になっていく。都牟刈之太刀は天高くまで大きくなった。
シンム「これは……さっきのとは」
スクネ「幻覚」
声「実態を持った写影幻覚。シンム、そなた一人では、あまりにも強すぎるその力を、真に行使など出来なかっただけです。ですが、今は」
それ以上の説明など必要ない。今すべきことは漠然と、そして確信を持って分かっているから。やるべき事を確認するように、決意をスクネとシンムの二人は口にする。
スクネ シンム「斬る!」
女性の声を信じて、二人は巨大になった都牟刈之太刀を振り抜き、破滅の赤い光を斬る事に全精力を傾ける。だが、破滅の赤い光の圧力がそれを拒む。力が足りず、都牟刈之太刀はひくりとも動かない。破滅の赤い光を押し返し、斬り裂くには、単純な腕力が後少しだけ足りない。二人は両腕に力を込めるが、状況は悪い方へと向かって行く。せっかく見えた希望をあざ笑うかのように。
都牟刈之太刀を握るスクネとシンムの二人の身体が、破滅の赤い光の力に耐え切れないのか、それとも魂魄強化の力を使い過ぎたのか、少しずつ透けていく。魂が空間に溶け出していく。それでもあきらめるわけにはいかない。
あきらめればすべてを失うから。それが嫌でシンムは戦っているのだから。
あきらめれば自らの罪を拭う事は出来ない。そうしなければ愛する者に、敬うべき者に、スクネは顔向け出来ないから。
思いだけでは神の力に届かない。力が欲しい。後少しだけでいいから。このままでは神の力の前に屈するしかないから。
背中から力がそそがれる。二人の背中をカグヤとイヨが必死にささえている。
スクネ「これなら」
シンム「勝てる!」
二人の叫びに吹き飛ばされるように、白い大蛇から放たれる破滅の赤い光が消える。振り抜いた都牟刈之太刀が破滅の赤い光を斬り裂いたために。
力尽きたように、白い大蛇が地上へ落下を始める。落下しながら大蛇は尾から溶けて消え始める。
終わったと思ったスクネとシンムの二人に、再び女性の声が聞こえる。
声「まだです。神は世界を、時間を、時の流れを止める気です。早く大蛇の中へ」
もう力尽き、自分達では満足に動く事も出来ない二人は叫ぶ。
スクネ「カグヤ、中だ」
シンム「大蛇の中に連れて行ってくれ!」
カグヤ「わたしも聞こえたよ。二人とも、もう少しだけ頑張って」
二人を抱いて、カグヤは落下する白い大蛇の口の中へと入っていった。
白い大蛇の口内では、白い蛇と大きな呪の中の青白い色をしたセイガが消えかかっていた。大きな呪の左横には葦の芽のようなものがあり、右横には黒い泥のようなものが紐のようになり始めていた。
セイガ「来たのか? スクナ、いや、スクネだったな」
なつかしい声をスクネは聞いた。千年前、自らの罪ゆえに、裏切り、それでも助けてくれた兄の声。
スクネ「にいさん」
セイガ「何、汚ねぇ顔してやがる。おまえ等が勝ったんだろうが、少しは喜べ」
スクネ「ごめん、にいさん。全部おれが……」
セイガ「黙れ、スクナ。おまえのやることはあとひとつ……だろ?」
昔とセイガは何も変わらない。自分の言う事など聞いてくれないし、自分の願いなど聞こうともしない。それでも、常に自分の事を考えていてくれた。
寄り掛かっていたカグヤから離れて、スクネは一人で立ち上がる。呪の中のセイガが笑う。何処か楽しそうに、何処か嬉しそうに。自らの死などどうでもよさそうに。その姿を目に焼き付けながら、スクネは都牟刈之太刀で葦の芽と紐を斬り裂いた。
その直後に、セイガは笑いながら消えた。
泣きそうな顔をしながらカグヤは言った。
カグヤ「二人ともごめんね」
今にも消えそうなシンムが答える。
シンム「気にすんな、姉貴。おれもやっと気が済んだ」
まるで他人事のようにスクネの言葉が続く。
スクネ「急げ、カグヤ。こいつが消えるぞ」
都牟刈之太刀をカグヤに手渡そうとした時だった。奥から女性が歩いて来たのは。
ヒミコ「あと少しだけ待ってもらえぬか」
その女性のたたずまいは威厳に満ち、その表情は慈愛に満ちていた。そして、その女性もまた、空間に溶けかかっていた。
ヒミコ「狗奴国の新大王、伊都国の王、イブキシンムよ。最早、風前の灯とはいえども、わらわの首を取れ。わらわはそれぐらいしか、おまえに何もしてやれぬ」
無言でシンムは都牟刈之太刀を振り下ろした。邪馬台国の女王ヒミコの頬に浅い傷が入る。
シンム「大事な所で語りかけてくれてたの、おまえなんだろ? 恨みは正直いっぱいあるけどさ……これ以上は、おれには無理みえてぇだ。情けねぇよな」
ヒミコ「身体と意識を持たせたのも、無駄足になったか」
そう言い残してヒミコは反転すると、背中を見せて奥へ歩いていった。一歩毎に、その身体を溶かしながら。
シンム「いいぜ、姉貴」
スクネ「頼む、カグヤ」
今度こそ都牟刈之太刀をカグヤは受け取ると、スクネとシンムの二人の胸に突き刺した。二人はそれを他人事のように見ていた。笑顔さえ浮かべながら。
涙で顔を濡らしながら、カグヤは都牟刈之太刀から手を放して、白い蛇の方を向く。
神「茶番、茶番、茶番。くだらぬ、くだらぬ、くだらぬ、塵どもが、余が消滅して、この世界が本当に無事で済むと思っておるのか?」
カグヤ「思ってないよ。わたしにも同じ知識があるもん。だから、ここに来たんだよ」
涙を堪え、カグヤは精一杯の皮肉な笑顔を見せ、白い蛇の首を掴んだ。
カグヤ「わたしが何をしようとしているか……分かるよね?」
神「おまえが、おまえごときが、この世界の神になる気か!」
カグヤ「そうだよ」
安堵感と、少しばかりの寂しさに包まれながら、スクネとシンムの二人は朦朧とする意識の中でそれを聞いて、息絶えた。