二人の英雄1
怖さをぬぐい去ってから、スクネは改めてこれから戦う白い大蛇に目をやる。白い大蛇の目は、おまえ等など物の数ではないと言っているかのように見える。その咆哮は、敵意に満ちた怒りではなく、慈悲をくれてやると言っているかのように、尊大に聞こえる。大蛇のその澄んだ岩塩のような白い肌は、おまえらの成す事すべて無であると、強調しているかのように見えた。
そのすべてをスクネは不快に感じる。
スクネ「あれの存在は不快だな」
タケヒコ「同感です。嫌悪感を持たずにはいられません」
同じ様に、白い大蛇を見上げていたタケヒコが同調する。目線をカグヤにやってから、スクネは何処からともなく天之壽矛を出現させた。現われた天之壽矛が地に突き刺さる。そして、自らの衣服のすそを噛みちぎる。
その行動の意味を理解したカグヤが、天之壽矛をスクネの右手に結び付ける。再び、スクネは白い大蛇に目線を移す。そして、空高く舞い上がり始めた。
空を舞い上がり、スクネは視線に捕らえる白い大蛇の頭部へと向かう。向かいながら空中で、スクネは天之壽矛を白い大蛇の目に、空間歪曲の力を行使して突きを入れる。天之壽矛は白い大蛇の目に触れる事無く、見えない壁のような物に遮られる。
空を舞っているが、五体満足に動かず、移動速度の上がらないスクネをタケヒコが追い越し、天之羽張で白い大蛇の頭に斬りかかるが、再び壁のような物に遮られた。
それを目にして、スクネはその場に留まる
スクネ「これはいったい……結界か」
カグヤ「そうだよ。呪の結界と同じ様な物だけよ。触媒はないけどね」
思わず疑問を口にしたスクネの言葉に、カグヤが精神感応の力で答えた。
白い大蛇をスクネは観察する。結界を目視する事は出来ない。それでも確かに結界は存在し、現在も猛攻をかけるタケヒコの攻撃を防いでいる。
スクネ「結界を砕く方法はないのか」
カグヤ「とりあえず結界を砕くなら、その結界の耐久力と同等以上の力で砕くしかな……て、スクネ、危ない!」
咄嗟にスクネは避けた、大蛇が黒い息を吐き、黒い息のかかった大地が腐れて、黒い墨のようにぼろぼろになる。
スクネ「病原菌をばら撒くやつか。神にふさわしいな」
自分の両腕両足を見ながら、スクネは自虐気味に皮肉をつぶやいた。白い大蛇がかつてと同じ力を持っているなら、小さなつぶやきも聞こえ、何か尊大に言い返してきたかもしれないが、今は帰って来ない。
代わりにカグヤが心配そうに答えた。
カグヤ「結界に関しては、わたしも考えとくから。くれぐれも気を付けてね」
スクネ「心配いらない」
この場に留まっていても、事態が好転などするはずもない。その思いから、スクネは取り敢えずタケヒコに加勢して、白い大蛇へ攻撃を始める。
白い大蛇は乱雑に黒い息を吐き続けた。黒い息を受けた兵士が、声にならない呻き声を上げて倒れる。黒い息を受けた妖鬼が、苦しみに耐えかね、自らの顔を自らの爪で引っかきながらもがき続ける。
地上では、地震に呑みこまれる光景よりも、見ようによっては、更にひどい悪夢の様な光景が繰り広げられていた。
まき散らされる病原菌によって地獄と化した光景に、シンムは思わず目を背けた。
シンム「最悪じゃねぇか。まだ苦しまないで良いだけ、さっきまでの方がましだったじゃねぇか。しかも、おれ達だけ安全なんて……」
黒い息はシンム達には決して届かなかった。白い大蛇が結界でスクネ達の攻撃から身を守っているのと同様、カグヤが結界を張って守ってくれていたから。浮遊しながら、カグヤが結界を維持していてくれたから。
結界越しに白い大蛇を見ていたイヨが口を開いた。
イヨ「これが病気の大蛇。なんとかならないのでしょうか?」
カグヤ「スクネ達がなんとかしようとしているけど。あの結界をなんとかしないと」
イヨ「消せないんですか?」
カグヤ「まぁ、わたしが今張っているのと同じやつだから、壊せるはずだよ。あっちの方が結界としては強力なんだけど……消すの? 壊すんじゃなくて?」
目をきょとんとカグヤがさせる。
イヨ「ひょっとしたら、何とかなるかもしれません」
何か考え事をしているイヨの両肩をシンムは掴んだ。何かあるなら自分にも出来る事もあるかもしれないとシンムは思う。このままいつまでも、ただカグヤに守られているのは嫌だったから。
シンム「本当か!」
頷きながらイヨが都牟刈之太刀を指差す。指差された都牟刈之太刀を見たが、イヨの言いたいことがシンムには理解出来ない。
シンム「何か知らねぇけど。この剣で何か出来るのか?」
その時カグヤの身体がシンムにぶつかった。何か言ってやろうとカグヤを見上げると、白い大蛇が黒い息を自分達に向かって集中させていた。それを必死にカグヤは防いでいた。
イヨ「詳しい話は後です。間違いなくその剣なら結界を斬れると思います」
シンム「信じるぜ。姉貴、聞こえただろ! 結界を解いてくれ!」
話を聞いている時間が無い事をシンムは悟り、すぐさま行動へ移る事を決める。話は生き残った後でも遅くないから。生き残るためには、今は信じるしかないから。
カグヤ「だめだよ。今、結界を解いたら黒い息の餌食だよ」
絞り出すような声で、カグヤが答える。声を出した瞬間、カグヤの身体が更に下がった。さっきまで宙に浮いていたはずのカグヤは、すでに地をふんばるように立っていた。
どう見てもカグヤは限界に達しているように見えた。だからシンムは声を荒げた。
シンム「いちかばちかだろ、姉貴!」
スクネ「それは馬鹿のすることだ」
癇に障る言葉を、スクネが口にした。
シンム「誰が馬鹿だって!。だいたいこのままだと……」
反論するシンムを無視して、スクネは前進で回転を始めた。右手に紐を巻き付けて取り付けた天之壽矛が、全身の回転に合わせて旋回する。
空間歪曲の力で天之壽矛の先がカグヤの張った結界の上に出現して、大きな盾のようになる。
スクネ「何かをするんだろう。おれでは長くは持たない」
くだらない反論など、スクネの行動と言葉に封じられる。くだらない怒りなどいらない。今やるべき事にシンムは集中する。
カグヤ「シンム、一瞬だけ結界を解くから、とにかく走って!」
シンム「ああ」
機と見てカグヤが結界を解いた。同時にシンムは走り始める。一目散に、白い大蛇の身体目指して走り始めた。今もタケヒコの攻撃を防ぎ続けている結界を消すために。
白い大蛇の身体目指して、全速力でシンムは走る。白い大蛇がそれに気付いたのか、標的をシンムに絞り、黒い息が吐きかけられる。黒い息を、シンムの頭上にスクネの作った大きな盾が移動して来て防ぐ。それを信じて、シンムは決して走るのを止めない。走るのを止めれば、そこですべてが終わってしまうから。
走るシンムを妖鬼が遮る。止まっている暇などないのに。時間もかけられないのに。
シンム「邪魔だ、どけよ!」
走りながら、シンムは威圧するように叫んだ。妖鬼は応えず、次々に行く手を遮り始める。
タケヒコ「止まらないでください、シンム様」
遮る妖鬼をタケヒコが斬り裂く。だから、シンムは走るのを止めない。行く手を遮る妖鬼は、タケヒコが何とかしてくれるから。
肩で息をしながら、シンムは白い大蛇の身体にたどり着いた。休んでいる時間などあるはずもない。すぐに都牟刈之太刀を抜き、見えない結界に振り下ろした。都牟刈之太刀は結界に、視えない壁に遮られる事なく、白い大蛇の身体に傷を付け、緑色の血が流れる。
大声でシンムは叫ぶ。
シンム「タケヒコ、今だ、両目を斬ってくれ」
叫ぶ声が届くよりも早く、タケヒコは動いていた。
タケヒコ「当然です」
白い大蛇の両眼を、タケヒコの天之羽張が結界に邪魔される事なく斬り裂いた。
視力を失った白い大蛇が、何もない方向に黒い息を吐き出す。
スクネ「回復の時間など与えない」
白い大蛇の眉間に、スクネが空間歪曲の力で相対距離を零にした天之壽矛を突き刺す。間髪入れず、タケヒコが上空から落下しながら剣を振り下ろす。透過の力を持つ天之羽張は、白い大蛇の表面をいっさい傷つけず内部を斬り裂く。追撃するようにイヨが投げつけた火炎呪が、炎を巻き起こし白い大蛇を包み込んだ。
白い大蛇が初めて苦しみ始めた姿を、シンムは肩で息をしながら見上げていた。
猛攻をスクネ達は繰り返した。視力を失った大蛇に反撃すらさせずに攻め続けた。その中、突然タケヒコが一時的に攻撃を止め、スクネに詰め寄って来た。
タケヒコ「考えていたのですが。少しおかしくないですか? なぜ反撃してこないのです」
スクネ「反撃の手段がないか、時間稼ぎか、それとも……まさか、必要性がないのか」
タケヒコ「わたしが一番恐れているのがそれです。神が自らの死を望んでいるのだとしたら。先程まで見せていた治癒能力を、完全に失っています」
白い大蛇を見ると、与えた傷は塞がらず緑色の血が流れ続け、炎で焼けた跡も焦げたままになっていた。
スクネ「性格の悪さは抜きん出ているな。わざと殺されて、天之岩戸に閉じこもる気か」
舌打ちしてから、皮肉をスクネは口にした。殺せば逃げられる。殺さなければ、殺される。それを承知しているが故に、舌打ちせずにはいられなかった。
同じ思いなのだろう、タケヒコは苦々しそうにしている。
タケヒコ「来世で、再びこれだけの好機を得られる可能性は……」
スクネ「皆無だ。神が天地創造を始めれば、おれ達には何も出来ない。今回のように、都合よく別世界からの来客者など、絶対に神が許さないだろう」
タケヒコ「同感ですが、だとしたらどうします?」
スクネ「白い大蛇の口内に突入するしかない」
タケヒコ「それも同感です。そこで、お願いがあります。わたしが白い大蛇の口を無理やり開けます。あなたが突入して、神に魂魄強化を」
魂魄強化を白い大蛇に行う。それしか神を倒す手段などない。問題は、口内に突入しても自分ではとスクネは思う。それなら取る行動は一つだけ。
スクネ「不可能だ。この身体では仮に中に入っても、タマモに勝てない。おまえが突入しろ」
タケヒコ「あなたのその四肢でどうやって」
自らの意見を言い終わると、スクネはタケヒコの反論を聞かずに、白い大蛇の口に向かって飛行した。白い大蛇は何の抵抗もみせずに、スクネの接近を許す。
背後をスクネは確認する。予想通りタケヒコは付いて来ていた。
スクネ「後は頼む、タケヒコ」
考え得る唯一の行動、スクネは今の自分でも出来ると思える行動に移る。天之壽矛を咥え、白い大蛇の口に向かって加速する。天之壽矛の空間歪曲の力で、下唇と上唇の間に矛を差し込み、上に向かって突き上げる。口が僅かに開く。その開いた口目掛けてスクネは更に加速する。口に突っ込むと、自らの肩に大蛇の牙を突き刺してから急上昇して、強引にスクネは口を広げた。
血が噴き出し、激痛に顔を歪ませながら、スクネは叫んだ。
スクネ「タケヒコ、今だ」
タケヒコ「スクネ、あなたこそ馬鹿なことを……ですが、今は感謝します」
白い大蛇の口内にタケヒコが入ったのを確認すると、スクネは力尽き、地上へと落ちていった。
白い大蛇の口内で大きな呪を見つける。その呪には白い蛇が巻き付いていた。呪の中に眠る、セイガ。魂だけとなった身体は赤白い。
白い蛇が話し出す。
神「余は待っていたぞ、四魂タケヒコ」
タケヒコ「なぜ待っていたのか知りませんし、興味もありませんが。ここにいたのは、わたしにとっても好都合です」
懐からタケヒコは呪を取り出す。取り出した呪は、ヒミコから預かった魂魄強化呪。おそらく神を滅ぼせる唯一の方法。
それを見ても、神は全く動じた様子を見せない。
神「それを使ってもよいが……余は、この四魂セイガと同化しておる。すなわち、それを使えばこの罪人も消えるがどうする?」
白い蛇の容姿に変化はない。それでもタケヒコには、うすら笑いを浮かべている様に見えた。
タケヒコ「確かに、スクネの言うとおり、性格の悪さは抜きん出てますね」
呪を握る手に思わず力が入る。ここまで来ながらという思いで、タケヒコは唇を噛みしめ、血が滲む。
神「はて、余を消すのでなかったのか、四魂タケヒコ」
尊大に言い放つ白い蛇は、おそらくタケヒコの思いを知りながら言っている。逆上すれば本当にすべてが終わる。だから、タケヒコは唇を噛みしめるのを止め、冷静に観察する。
白い蛇の身体は、呪の中の赤白いセイガの身体の中から飛び出している。この状態を何とか解消できればと、タケヒコはその方法を模索する。
その時間を奪い取る様に、それは無駄だと言いたげに、白い蛇が尊大に言い放つ。
神「無駄だ。余は汝らの呼ぶ所の神であるぞ」
言い放たれると同時に、タケヒコに脳裏に外で苦しむ人々の様子が映像となって現われる。
タケヒコ「あなたは何処までも」
再びタケヒコは唇を噛みしめる。悔しさで、先程よりも強く噛みしめ、血が垂れ落ちる。そんなタケヒコに愉悦を浮かべる様に白い蛇は言い放つ。
神「四魂タケヒコ、汝に命ずる。なに簡単な事を成せば良い。天之羽張で余を斬れ。それで終わるであろう」
タケヒコ「それで、あなたは天之岩戸に再び閉じこもれるという訳ですか」
神「悪い取引ではあるまい? それで、この時代の失敗作共は、生をまっとう出来るのであろう?」
タケヒコ「無念です」
手から力が抜けて、呪がその場に落ちる。それでも、タケヒコは力の入らない手で、呪の代わりに天之羽張を握る。肩にも力が入らず、垂れ下がっている。あまりにも口惜しく泣きそうな自分に鞭打ちながら、天之羽張を振り上げた。
タケヒコ「神よ……わたしはあなたを決して許しません」
神「許す、許さぬは余が決める事。四魂タケヒコが決めて良き事ではない」
それ以上、言葉を紡ぐ力もなくなり、両目を閉じてタケヒコは天之羽張を振り下ろした。それですべてが終わる。勝利も敗北も何もかもが消え、無力感と屈辱感だけを残して、神との戦いは後延ばしにされる。おそらく、勝機など存在せぬ未来に。
目を閉じたタケヒコの身体に衝撃が奔る。誰かに突き飛ばされ、目を開けた。角を生やした妖鬼がタケヒコの落とした呪を拾い、白い蛇に投げつける様が見えた。
神「何をするか、四魂タマモ!」
白い蛇の怒りの声と共に衝撃波が走る。そして、壁に叩きつけられた角を生やした妖鬼に黒い息を吐きかける。角を生やした妖鬼は苦しみから逃れる為か、自らの爪で自らの心臓を貫いた。力尽き、角を生やした妖鬼がその場に倒れる。その際、気のせいか、角を生やした妖鬼がタケヒコを見ながら泣いているように見えた。
狂ったように白い蛇が衝撃波と黒い息を吐き出す。右手にタケヒコも黒い息を受け、右手が黒く染まる。そして、衝撃波を受け、白い大蛇の口から外に放り出された。