罪人の想い1
日が差し始める中、狗奴国中に法螺貝の音が鳴り響く。人々はその音を聞くと、決して慌てざわめくことなく動き出した。母親が子供を連れて家に入る。それ以外の女性は水や食料、薬草などの準備を始めた。老人達が鍬などを持ち出して広場に集結する。中年から青年位の男たちは甲冑に身を包み、武器を手にして、街の入り口を目指して行った。
戦いの準備に入る人々の光景を、シンムは巨大な社から眺めていた。狗奴国の人々の迅速な行動に感動して、シンムは感嘆の言葉を漏らした。
シンム「すげぇ。まだ何にも聞いてねぇだろうに」
タケヒコ「これが亡くなられたジョウコウ様が造られた国です。もっとも、ジョウコウ様はこの様な光景を一生見ないことを、望んでおられましたが」
横に控えていたタケヒコが答えた。
シンム「ああ、おれ達が親父の代わりに、この国を守らねぇとな」
タケヒコ「その通りです、シンム様!」
力強くタケヒコは言葉を返して来た。それが余計に、これからの戦いの厳しさをシンムに突きつける。
シンム「正直、おれに出来る事が何かあるのか、よくわからねぇ。それでも、やれる事はすべてやる。だから、足りねぇ部分は頼むぜ、タケヒコ」
そう言って、シンムは右手を差し出した。
タケヒコ「お任せ下さい」
差し出した右手を、タケヒコは力強く握り返してくれた。
タケヒコ「では、わたしは行って参ります」
深々とタケヒコが頭を下げる。そして、頭を起こすと、空へと消えて行く前に、タケヒコは微笑みながら口にした。
タケヒコ「来年も……収穫祭をやりましょう」
数日前にやったばかりの祭りが、遥か昔の事にシンムは感じられた。だからかもしれないが、空へと消えるタケヒコを、シンムは見上げていると、思いが込み上げて来る。
シンム「また……みんなでな」
見上げた空にささやいてから、シンムもその場を後にした。
巨大な社の外にシンムが出ると、スクネが近くにあった木に寄りかかって待っていた。そのスクネにシンムから声をかけた。
シンム「イヨはどうした?」
スクネ「避難させた」
シンム「おまえは姉貴の所へ行くんだろ?」
スクネ「タケヒコがいない以上、他に、誰が神と戦える」
いつも通りのスクネの受け答え、喧嘩を売っているようにすら聞こえるが、それもいつも通り。そんなスクネに、シンムは戦いになる前に言っておかないといけないと思う。もしもの時のためにも。
シンム「姉貴を頼むぜ。おれはこの国を今度こそ守る」
スクネ「あきらめろと言ったら」
シンム「おまえをこの場で殺す。わけわかんねぇけど、姉貴おまえに惚れてるみたいだからさ。幸せにしてやってくれ」
スクネ「やれる限りのことはやる」
シンム「この戦いが終わったら、嫌な奴が兄貴になるな」
うまく作れたか分からないが、シンムは本気で嫌そうな表情を作った。
スクネ「行って来る」
初めてスクネの笑顔をシンムは見た気がした。実際には無表情だったにもかかわらず、シンムには笑っている様に見えた。
狗奴国軍の先頭に、シンムは踊り出た。すでに妖鬼の群れは、目と鼻の先まで迫っている。
先に来ていたショウセンとシンムは合流した。
ショウセン「参られましたな、シンム様」
シンム「すこし遅れちまったか?」
ショウセン「まったく問題ありません。敵は目の前まで迫って降りますが、戦端は開いておりませんので」
シンム「すまねぇな。勝手な事して鬼になっちまった上に、敵が誰かも言わねぇで」
きまりが悪いとシンムは思う。とはいえ、本当の事は決して話せるはずないのだが。
ショウセン「わし等に、この国に、勝利をいただきたい。謝られるのは、その後にでも、親方様の墓前になさってくだされ」
そう言った白髪交じりの歴戦の猛者に、シンムは背中をおもいっきり叩かれた。叩かれた音が鳴り響く、その音がシンムには心地よかった。
シンム「ああ、絶対に勝たねぇとな」
ショウセン「無論、そのつもりです。シンム様、号令を」
首を縦に振ってシンムは頷く。それから一歩前に出て、振り返り、狗奴国軍全体を見回した。みんな精悍な顔つきをしていた。それだけで、この軍の強さがよくわかる。それでも、相手が相手だから。その思いを、シンムは首を横に振って振り切る。
ショウセン「よろしいですかな?」
戦いの表情になったショウセンが、決意を確認するように言って来た。
シンム「頼む」
男の巫女、すなわち祢宜であるショウセンが、精神感応の力でシンムの言葉を狗奴国全軍に伝える
シンム「みんな聞いてくれ」
父と母の形見である都牟刈之太刀を、シンムは高々と掲げる。兵士達から歓声が上がる。それが静まってからシンムは始めた。
シンム「汝の盾は、汝を守る盾にあらず。汝の剣は、汝の敵を斬る剣にあらず」
一言一言に、シンムはありったけの思いを込める。そして、狗奴国軍の兵達が合唱する。
兵達「我が盾は、友を守る盾なり。我が剣は、友の敵を斬る剣なり」
一種の高揚感がシンムを包み込む。
シンム「名も無き神は、何者に救いの手を差し伸べる」
兵達「名も無き神は、道を作る者に手を差し伸べられる」
新たな大王の言葉に呼応する狗奴国軍の声が、大地を揺るがしている。
シンム「汝の作る道は、誰が為に」
兵達「我が作る道は、友の為に」
迫り来る敵の方にシンムは振り返った。
シンム「全軍構えろ!」
高々と掲げていた剣を、シンムはいっきに振り下ろした。
振り下ろした剣を合図に、矢が一斉に射られた。矢は妖鬼の頭上に降り注ぐ。妖鬼はそれを気にする様子は見せずに、前進を続ける。
剣と盾を構えた兵士達がシンムを追い越し、前衛に躍り出る。
ショウセン「先程の言葉の意味は、先代から聞いておりますかな?」
戦いの緊張をものともしないのだろう、ショウセンは普段のままの声色で聞いて来た。
シンム「よくわかんねぇけど。この国の兵士を、もし指揮する日が来たら言えって言われていた。士気高揚のためじゃねぇのか?」
ショウセン「無論、それも理由の一つです。まぁ、論より証拠。御覧くだされ」
矢の雨をくぐり抜けて来た妖鬼の前衛が、兵士達と衝突する。盾で兵士が妖鬼の爪を防ぐと、隣の兵士がその妖鬼を剣で斬り裂いた。牙で妖鬼が兵士を喰いちぎろうとすると、隣の兵士がそれを盾で防ぐ。妖鬼の爪が兵士を切り裂き傷つくと、後ろの兵士がすぐさま傷ついた兵士の前に躍り出た。
シンム「すげぇ」
ショウセン「これが先程の言葉の、もう一つの意味です。わし等は、この戦い方を、亡きお館様より、徹底的に叩き込まれておるのです」
素直にシンムは感嘆した。兵士一人一人が己の役目を完璧に実行することの重要性を、伊都国にいた頃、タケヒコにも、亡きヤカモチにも、言われ続けていたが、最後まで実行出来なかった。しかし、それが狗奴国では行われている。それがどれほど困難か、理解出来たから。
戦いは狗奴国軍が優勢な状態で幕を開けた。それは、亡きジョウコウと、狗奴国の人々の、努力の成果だった。
シンム「それでも……」
小声で呟いた言葉を、シンムは呑み込んだ。
感覚を研ぎ澄ましながら、スクネは空を飛翔する。地上では、すでに妖鬼と狗奴国軍が戦いを始めていたが、気に留めない。ただ一心に、神だけをスクネは探す。
スクネ「何処にいる。何の為に妖鬼など準備したのか知らないが、すぐ近くにいるはず」
奇襲が理想だと内心スクネは思いながらも、その可能性をほとんど棄てていた。間違いなく神はすでに自分の存在に気付いている。その確信が奇襲を棄てさせ、奇襲をさせないことに意識を集中させた。
スクネ「何処にいる。それともおれを恐れ、隠れて震えているのか、神。それなら、天之岩戸の奥に隠れていた方が安全だ」
挑発の言葉をスクネは口にする。乗るかどうかはわからない。ただ、何もしないよりもましだろうと言う程度の心持で。
神「余に消されない様、嘆願に参ったのかと思えば……よもや、余をそそのかすとは、愚も極まったものよ」
突然、何処からともなく現われ、神は耳元で囁いた。
天之壽矛で神を払い退ける。そして、スクネは距離を取って間合いを開き、睨みつけながら向かい合う。
スクネ「信仰され、敬愛されるべき者が、忌避され、嫌悪される行為しか行わない者よりも、愚者がいるとは思えないがな」
神「余をそそのかして、如何にする? よもや、余が冷静さを失えば、少しでも有利になると思っておるわけであるまいな?」
相変わらずの尊大なもの言い。その言葉が器となったカグヤの口から流れていると思うと、スクネは嫌悪感を覚える。それでも、今はそんな感傷になど浸っている暇はない。出来得る限りの事をするのみ。
スクネ「有利でなく、必勝を期するために、挑発しているとしたら」
神「必勝? はて、何に必勝を期すると言う。よもや、余に対してであるまいな」
瞬間転移して来た神に、スクネは中指一本で弾き飛ばされた。弾き飛ばされたスクネはそれを利用して加速する。その様子を神は目を細めて眺めていたが、スクネが止まるそぶりを見せないためだろう、前方に転移して来た。その横をスクネは通り抜ける。
神「死地を自ら選びたいのであれば、余に嘆願すればよいものを。余の心は、それを拒むほど狭くはない」
スクネ「なら、付いて来い。出来ればここで戦いたくない」
神「よい。余は嘘を申したりせぬ。相変わらず、口の聞き方はなってないが、特別にその願い聞き遂げてやろう」
時々スクネは後ろを振り返り、神が後を付いて来ていることを確認しながら、出来得る限り狗奴国から離れた。
溶岩が冷えて固まり、平坦な大地を形成している場所を見つけ、そこをスクネは選んで立ち止まった。
神「死地を決めたか。あまり、みやびな場所ではないが、本当にこの場所でよいのか?」
スクネ「ここでいい。ここなら、全力で戦っても何の支障も来たさない」
用途を終え、石ころとなっていた呪をスクネは首から外し、投げ捨てた。投げ捨てた呪が溶岩の冷えて出来た大地を、ころころと音を立てながら転がる。
神「最期に何か余に聞きたいことはあるか? 今ならこの器の隅々のことも答えて良い。例え陰部であろうとな」
相変わらず神の言葉に嫌悪感を覚える。だけど、それをすぐにスクネは心の奥底に押し止める。
スクネ「くだらないことを。神、おまえの方こそおれを挑発したいのなら、もう少し言葉を選ぶのだな」
神「では、何も聞きたいことはないのか? 始めれば一瞬で終わる。余は四魂スクネの身体を消すのでなく、魂そのものを消すと言っておるのだぞ」
尊大きわまりない態度で、尊大きわまりない言葉を神は口にする。それがスクネにとって問題なのは、既成事実である事。そして、この自らを神と名乗るカグヤの形をした者は、最悪の意味でも嘘をつかない。それが唯一の突破口だとスクネは思う。
スクネ「なら、一つ聞いておく。なぜ妖鬼など準備した」
神「妖鬼? はて、余が天人どもの器に準備した、醜悪な失敗作のことを言っておるのか?」
スクネ「天人だと」
神「余がこの世界の塵を、余興でも使うと思うたか? 余は天人共に狂乱という余興を与えただけ。当然、褒美もある。余の天地創造の邪魔をした芸術品の魂を壊した者に、その身体を与える」
大げさに神は両手を広げる。あからさまな挑発。それに乗るのも手だとスクネは思う。
スクネ「イヨを殺せと命じたのか」
神「言ったであろう。命じたのでない。賞品として上げただけ、余は野蛮な命令は嫌いだ」
スクネ「仮にそうだとしても、イヨまでたどり着かない」
神「たどり着かない? はて、ただの天人だけならそれもあり得ようが……つい先程、余は黄泉から面白い魂を連れ帰った」
挑発に乗る事をスクネは決める。どちらにせよ、隙など神にはないのだから。
スクネ「黙れ」
いっきに間合いを詰めて、スクネは天之壽矛で神を突いた。突きを避けた神が伊都国で使った赤い光を至近距離から放つ。回避は不可能。ゆえに防ぐ。
スクネ「天之羽々斬の刃を消し去った光でも、神器までは消せないようだな」
すでに神器としての力を失っているとはいえ、真布津鏡はスクネの予想通り、神の放った赤い光を防いだ。
神「神器を盾として使うなど、余に対する敬意に欠けると思わぬのか」
スクネ「問題ない。敬意など、最初から抱いてないのだからな」
天之壽矛で神の腹をスクネは滅多刺しにしてから間合いを広げた。避けるのが遅れた神は傷口を手でなぞる。傷は一瞬で回復した。
背筋が凍りつくような笑みを神が浮かべる。
神「余の気が変わった。苦しみ、悶えながら消えろ、四魂スクネ」
両手の爪を神は伸ばし、スクネを左右から攻撃して来た。矛と鏡で攻撃を防ぐ。直後、神は背後に転移して来て、爪でスクネの左足のかかとを切り裂いた。
右足一本でスクネは跳躍して神との間合いを離す。爪で切られた左足が、血で赤く染まる。
神「予言してやろう。次は左足の太もも、右足のかかと、右足の太ももの順に貫く。最後に痛みを与えたら、傷を治してやる。余は動けぬ者をなぶる様な趣味は持ち合わせぬ」
スクネ「黙れ、神」
空間を歪曲させて神を背後から天之壽矛でスクネは突いた。それを神は左手で簡単に掴むと、右手の爪でスクネの左足の太ももを貫く。そして、あっさりと矛を放すとスクネを挑発するように後ろを向き、背中を見せる。血で染まる両足に鞭打ち、スクネは神の頭上目掛けて跳躍する。空間歪曲の力を利用して神を頭上と足元から矛で挟み撃ちにする。何事もない様に神はそれを避け、左手の爪を頭上目掛けて伸ばした。爪にスクネの右足のかかとが貫かれる。
神「次は右太ももの番、痛みをこらえる準備はよいか?」
着地と同時に奔る痛みを堪え、スクネは矛を横に払った。横に払った矛が避けられ、予言通りスクネの右足の太ももが爪で貫かれる。途端、踏ん張りが利かなくなりスクネはその場に倒れ込んだ。
神「四魂スクネともあろう者が、自らの足で立てぬとは、実に情けない。しかし、心配はいらぬ。予言通り、痛みを与えたら両足の傷を治してやろう」
動けぬスクネに神がゆっくりと近づく。矛を突き、スクネは抵抗するが神は避けながら近づいて来る。すぐ側まで神は近づいて来ると、スクネの頭を右手で掴み上げ、左足のかかと、左足の太もも、右足のかかた、右足の太ももの順に左手を傷口に当てたあと放り投げた。放り投げられたスクネの傷口から血が噴き出し両足に激痛が奔る。散々、血を噴き出しながらスクネは宙を舞った後、地上に叩きつけられた時には傷が治っていた。
よろめきながらスクネは立ち上がる。尊大で、嫌みな笑みを神が浮かべる。
神「血を抜かれた気分はどうだ? 脳が呆然として心地よいか? 夢見心地のところを悪いが、次の予言に入る。最初に左肩を貫き、次に右肩を貫いてから、左手を腐らせてやろう。但し、次は治さぬ」
スクネ「今度も、その予言通りに動く気か」
神「余の予言は、決して外れぬ。当然であろう」
確認だけしてスクネは天之壽矛をしまう。それから、神に向かって無防備にゆっくりと歩き出した。観察するように目を細めながら、神は左肩を右の爪で貫いて来たが、スクネは歩みを止めず、ゆっくりと近づく。今度は右肩を貫かれる。両肩から血が流れる。すでに血をかなり失っているスクネは身体から力が抜けて行くのを感じるが、決して歩みを止めない。
神「何か策があるのかと思えば、自暴自棄にでもなったのか」
スクネ「次はこの左手を腐らせるのだろう。早くやったらどうだ」
左手をスクネは突き出しながら歩く。その姿を神は面白くなさそうに見ながら、人差し指の爪を伸ばし始めた。直後、笑みを作り、スクネは左手を引っ込め、代わりに爪に向かって右手を突き出す。
それを神は見切っていたのか、次の瞬間には、爪は元の長さに戻っていた。
神「右手を盾にして、余の予言を妨げようなど、幼稚なことを見抜けぬとでも思ったか」
スクネ「思ってなどいない。最初から近づきたかっただけだ。この距離なら避けられないだろ、神」
左手で神の右手を掴み引き寄せると、スクネは右手に天之壽矛を握り、神の心臓目掛けて突いた。強引に左手が振りほどかれ、矛が避けられる。そして、左手が黒く濁った爪に貫かれ、黒く変色する。今までとは比べ物にならないほどの激痛が奔る。だがスクネは力を振り絞る。殺気を完全に消し、無心でスクネは予め借りていた天之羽張を抜き、神の頭部目掛けて剣を振り下ろした。
力尽きてスクネはその場に崩れ落ちる。その際、神の頭部で呪が輝くのが見えた。
スクネ「予言通りでよかったな」
神「何をした! 今、その剣で何を斬った?」
激昂が神の言葉にまじる。これみよがしにスクネは口元を緩ませながら言った。
スクネ「すぐにわかる」
呪の輝きは、神には見えていない様だった。