悲しき兄弟3
牢獄の中で、セイガは一人膝を抱えて座していた。その表情には生気が無く、まるで死人の様で、ただ、ただ、無言で座していた。
脱出は簡単だった。だが、長老たちにヤマトトも捕らえられている事を告げられ、動くに動けなかった。そうして、幾日かが過ぎた後、タマモに告げられた。
タマモ「ヤマトト、処刑されたらしいわよ。それであなたも釈放ですって、よかったわね」
その言葉を聞いた瞬間、セイガは全身から力が抜け、何も考えられなかった。だから、膝を抱えて座していた。
しばらくそうしたあと、不思議と悲しみは消え、怒りだけが込み上げて来た。
セイガ「殺してやる! どいつもこいつも壊してやる」
思いっきり天に向かって叫び声を上げた後、セイガは天露之糸で牢を切り刻んだ。
牢を出ると、何処からともなくやって来たタマモが近づき、耳元でささやく。
タマモ「ふふふ。壊すのは勝手だけど、その前に掛けてみないかしら? 神に」
セイガ「掛ける? 何に」
タマモ「回帰」
返す言葉をセイガは失った。失った言葉にかわり、眼前に希望が広がりを見せる。その希望の向こうに、神の器となる者の姿が映し出される。その姿がセイガに言葉が戻す。
セイガ「カグヤは神を降臨させたら、神の器となった者はどうなる」
タマモ「ふふふ。心配はいらないわ。どうせ、回帰を果たしてしまったら、すべては無かった事になるだけ。違うかしら?」
セイガ「すべては無かった事に……ヤマトトの死も、カグヤが神の器になった事実も」
その甘い言葉が頭を駆け巡り、他に何も考えられなくなる。
タマモ「そう、どうするかはあなた次第」
そう言って、苦笑を浮かべ、立ち去るタマモが足を止める。
タマモ「忘れていたけど、ヤマトトを処刑したの、あなた自身だから」
セイガ「今、なんて言った!」
その言葉にセイガは再び我を失い、怒声を上げた。そんなセイガを見ながら、タマモが愉快そうに言葉を訂正する。
タマモ「ごめんなさい。違ったわ、あなたでなくて、弟のスクナだったかしら?」
困惑するセイガを無視して、タマモはいなくなった。何処に向かったかは、わからない。だが、セイガは自分がこれからやらなければならない事を、十分すぎるほど理解出来ていた。それは、裏切り以外の何物でもなかったが、カグヤの元へとセイガは向かった。
この後どうなろうとも、何も無かった事になる。だから、考える事や、迷う事は時間の無駄にしかならないと思えたから、セイガの行動は迅速だった。
祭壇の中央に座すカグヤに向かってうやうやしく座すセイガの掲げる真布津鏡が、紫色の輝きを放ち始める。時同じくして、隣にいるタマモの五百之御統之珠も紫色の輝きを放ち始める。
祈りの言葉を刻むセイガを支配するのは、ヤマトトを失った絶望と、それを奪った者達への怒り。
真布津鏡が放つ紫色の輝きを強めていく。それをスクナは見つめる。兄であるセイガに、自らが目覚めているのが分からないよう、静かに見つめ続ける。
静かに見つめるスクナを支配するのは、自らの愚かな行為への絶望と、愛する者に忘れられた悲しみ。
兄弟にとって、二つの神器から放たれる紫色の輝きは、絶望の中から生まれた希望の光。祈りの言葉を刻むセイガの怒りを静められるのは、神の奇跡。見つめ続けるスクナの悲しみを癒せるのは、神の慈悲。 兄弟は失われた過去を取り戻すため、神の降臨を望む。
神の儀式を行う祭壇に爆音が走る。何かが爆発したのだろうが、神の力に覆われた祭壇には、傷一つ付かない。儀式を邪魔するため、駆けつけて来た者が神器を取り上げようとする。それを、突如発生した雷が、突如巻き起こった竜巻が、自然の猛威が阻止する。
タケヒコ「今すぐ止めなさい! セイガ、神はあなたが考えているような者ではありません」
声を荒げる者はタケヒコ。その言葉にセイガは耳を貸さず、祈りの言葉を刻み続ける。
タケヒコ「タマモ、長老達に騙されているのです。ついさっき、わたしが聞きだしてきました」
叫ぶタケヒコの言葉が聞こえていないのか、聞く気がないのか、タマモも耳を貸さない。
タケヒコ「スクナ、本当にカグヤ様を失ってもよいのですか!」
その言葉に、スクナの心がわずかに揺れる。
タケヒコ「スクナ、神の器はカグヤ様です! 神の降臨によって、最初に消えるのはカグヤ様です。知っているのですか!」
その言葉がスクナの心を動かす。
スクナ「カグヤ!」
叫ぶと同時に、スクナは反射的に左手で己の右手をはたいた。真布津鏡が右手から地に転がり落ちる。それに気付いたタケヒコがすぐに拾い上げ、空高く、遠くへと放り投げた。
それはすでに遅かったのだろう、神が降臨する。
降臨と共に、神はセイガの頭部を右手で締め付け、持ち上げた。
神「この愚か者が。真布津鏡を手放し、余を不完全な形で降臨させるとは。四魂セイガ、四魂スクナ、二つの魂を使いこなせておらぬようだな」
セイガ「おまえが神か」
目の前のカグヤは尊大だった。元の面影は何処にもない。だからセイガは神と言った。
紫色の眼、紫色の髪、紫色の唇をした、かつてカグヤだった者が口を開く。
神「そう、余は汝等の呼ぶところの神に値する者。この世界の創造者にして、この世界の管理者でもある」
タケヒコ「あなたに、この世界を好きにはさせません」
天之羽々斬と天之羽張を両手に握り締め、神に斬りかかろうとするタケヒコを、タマモが阻止する。
タマモ「お願いがあります。世界を回帰させてください」
あのタマモとは思えないほど、殊勝に、丁寧に、懇願するように言った。
神「却下する。この世界に用は無い。だが、四魂タマモ、そちはよくやった。どこか遠くに下がっておれ。余は、このたわけ共に教育を施さねばならぬ」
そう述べ、神は左手をかざす。白い光に包まれたタマモは、その場から強制的に転移させられた。
神「まずは四魂スクナ、出て来るがよい」
命に応じ、セイガの身体からスクナの魂が分離する。魂だけとなったスクナは青白く輝いていた。
魂の出現と同時に、神は掴んでいたセイガを放り投げ、代わりに肉体を掴む様にスクナの魂を掴む。
神「四魂スクナ、余の降臨を途中で放棄するかの行動、許されるとでも思うたか?」
スクナ「カグヤは? カグヤを返せ」
神「余の質問に答えぬなら……消すぞ」
スクナ「消すなら消せ! そのかわりカグヤを返せ」
子供が駄々をこねるように叫ぶ、スクナ。その刹那、横からタケヒコが神に斬りかかる。
タケヒコ「あなたが消えなさい!」
神「四魂タケヒコ。数々の無礼、存在せぬ未来で悔いるがよい」
斬りかかって来たタケヒコの天之羽々斬を、神は左手一本で叩き落す。その流れのままに左手をかざして、タケヒコを未来へと転移させた。そして、スクナの魂を掴む右手に力を入れる。
神「これで三人になった。四魂セイガ、そちにこそ命ずる。この愚か者を、そこに落ちている四魂タケヒコの天之羽々斬で滅せよ」
スクナ「にぃさん」
苦しそうな表情を浮かべるスクナと天之羽々斬に、セイガは交互に目をやる。
セイガ「こいつを……ヤマトトの仇」
天之羽々斬を拾い上げるべく、セイガは前かがみになる。それを見た神の口元が歪み、スクナは目を閉じた。
その時だった、走って来る一人の女性が目に入ったのは。
ヤマトト「その剣でいったい何をする気です!」
セイガ「黙ってそこで見ていろ、ヤマトト」
天之羽々斬を拾い上げると同時に、セイガは神を斬りつけた。刃が赤く染まる。確かに手応えはあったが、神は何事も無かったかのように立っている。神は斬られた瞬間に治癒していた。
神「四魂セイガ、そちも血迷うたか……仕方あるまい。黄泉に落ちろ!」
黒い渦が出現して黄泉への扉を開ける。だが、セイガは動じない。
セイガ「この剣が、天之羽々斬だと忘れやがったな」
神「はて、そうだとして、いかがいたす? よもや、先程余の力を吸上げたからそれを使うとでも? 余の力を使えば消し飛ぶぞ」
セイガ「そんなこと知ったことかぁぁぁ」
叫び声と共に、セイガは神の力を天之羽々斬に宿し、神に向かって突進を始めた。紫色に輝く剣に少しずつひびが入り、身体は火が付いた様に焦がれていく。目の前に立つ神への距離は数歩位しかないはずだった。それでも、その数歩が永遠にも思えるほど遠い。
正直、一人では届く前に身体が持たないと思った。だから、セイガは叫ぶ。世界でたった一人の協力者を求めて。
セイガ「スクナ、手を貸せ! カグヤを救いたいなら、今すぐに!」
叫ぶセイガの言葉に、スクナは躊躇する。相手にしているのはカグヤ。すなわち、手を貸せばカグヤが死ぬことになるから。そんなスクナの気持ちに気付いたのか、奇跡が起こる。
カグヤ「お願いだから殺して、スクナ!」
何処からカグヤの声が聞こえたのかは分からなかった。少なくとも神となったカグヤの口元は動いてなどいなかった。
スクナ「カグヤ?」
戸惑うスクナにヤマトトが叫ぶ。
ヤマトト「スクナ……カグヤを殺しなさい!」
スクナ「ヤマトト様?」
思わず見たヤマトトは涙で濡れていた。
カグヤ「おねが……い」
消え入りそうなカグヤの声がまた聞こえた。その声が奇跡を起こす。魂だけとなった身体を、再びセイガの身体と一つにする。
スクナ「カグヤ、カグヤ、なんで、なんで」
セイガ「これで終わりだ」
後は無我夢中だった。
気付いた時には、天之羽々斬がカグヤを貫いていた。貫いたカグヤは、スクナには笑っているようにも見えた。信じられないほど好きになった、あの元気な笑顔で。
それで、スクナの心は少しだけ救われた
神「余に楯突いた罪、償うがよい。この世界から追放する」
怒り狂った神が右手をかざす。その行動の意味を無意識に悟ったセイガは、最後の力を振り絞って呪を投げた。
セイガ「タケヒコに教わりながら、あの森で作った詩だ。生き残ったら聞いてくれ」
意識が朦朧として行く中、スクナはカグヤの声を聞いた。
カグヤ「させない、逃げてスクナ!」
世界から追放されそうになるスクナとセイガを、カグヤが救う。兄弟の魂と身体を未来へと逃して。
だが結局、セイガの魂だけは救われず、世界から追放された。
気が狂ったように笑い続けながらタマモは矢を射続ける。その目には、うっすらと光り輝く雫があった。強制的に転移させられた後、長老達から無理やり事実をタマモは聞き出した。そして、その日、逃げ回る天人を一人残らず射殺した。
その後、タマモは倭国大乱で再びヤマトトに出会うその日まで、千年の長き間、姿を消した。
二人を未来に逃したのは正解でした。ですが、結果として完全には間に合わず、神の力は不完全に働いた。魂のほとんどをセイガはこの世界から追放されました。それがセイガの存在の欠落と、記憶の欠落につながりました。
また、この時の記憶をスクナは一部失いました。気の毒な事に、幸せな記憶だけを。だから、スクナは自らの名を捨て、記憶を捨てました。
そして、二人はカグヤの不完全な力によって、別々の時代に転移しました。この日からおよそ七百年後の時代へセイガが、倭国大乱が起こる直前にスクナが。
いと思ふ いとしの君に 木漏れ日で
出会ふた事も いと悲しかな
一人取り残されたヤマトトは、呆然としながら呪から流れる詩に耳を傾けていた。その間、ほんの一瞬だけ、時が完全に静止したかのように感じられた。呪から流れる詩が終わる。
それ以上呆然としている時間は、今のヤマトトにはない。立ち上がり、カグヤの遺体に近づき、脈を計った。わずかにまだ動いている。折れた天之羽々斬の刃を抜き、手当てを施す。魂無き身体に。
ヤマトト「このままでは、亡くなるのも時間の問題でしょう。ですが、その前にする事があります。カグヤ……いえ神! 貴方様の知識をいただきます。貴方様がこの世界の敵だというのなら、必ずや、わたしが貴方様の天敵となりましょう」
決意の言葉と共に、ヤマトトは懐から呪を取り出す。その呪は、セイガにも、スクナにも、タケヒコにも、誰にも存在を伝えていない転生呪。
呪の輝きと供に、ヤマトトは世界から消え、ヒミコが誕生した。