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倭国神代記  作者: がばい
3章
35/53

無意味な勝利3

 望外の結果を得た会議を終え、シンムは帰路の途上で、姉であるカグヤが立っているのが目に入った。掛ける言葉が見つからず、シンムは思わず目を逸らしてしまう。

 それに気付いたカグヤが、怒りと悲しみとが混雑した声を出す。

 カグヤ「本当の姉弟じゃないかもしれないけどさ。でも……そんなこと、今さら関係ないよ」

 シンム「違う!」

 なぜかシンムは自分でも分からないが、目を会わせられない。それでも、シンムは思いのすべてを込めるつもりで、カグヤの言葉を強く否定した。

 その思いは姉に届かない。

 カグヤ「なんにも違わないよ。血がつながっていなくっても、あなたは弟だよ、すくなくともわたしは……」

 シンム「違うって言ってんだろ! 姉貴が、姉貴かどうかの問題じゃねぇ!」

 カグヤ「じゃあ、なんで目を逸らすのさ! それとも、大王になったら、わたしとは関わりたくないって言うの!」

 シンム「冗談じゃねぇ! 大王だろうと、なんだろうと……姉貴は姉貴に決まってんだろ! ただ今は放っといてくれ!」

 カグヤ「全然、意味がわかんないよ!」

 口論になる。出来れば喧嘩をしたくはない。目を会わせて話せればとシンムは思う。でも、今それをすれば……

 シンム「姉貴に会うと聞いてしまいそうなんだよ。一歩間違うと責めてしまいそうなんだよ。だけど、出来れば今まで通りに、伊都国にいた頃の様に暮らしてぇから。ジョウコウさんが許せって言ってくれたみてぇだから」

 たまらず思いを声にした。言葉にした事をシンムは後悔する。逃げ出したい気持ちが心を覆い、他の事が何も考えられなくなる。だから、目だけでなく、シンムは顔ごと背けた。

 顔を背けたシンムの両肩を、カグヤが両手で掴んで揺すりだす。

 カグヤ「あなた何の事を言ってんの? 伯父さんが何て言ったの?」

 シンム「姉貴を許してやれって言ったらしいから……おれはそれを信じてぇ」

 カグヤ「わたしを許す? やっぱり、わたしが何かしたの?」

 シンム「ジョウコウさんが姉貴を殺そうとして。そしたら、姉貴がジョウコウさんを……」

 自分に「何を言っているんだ」と、シンムは問いかける。自分に「この話題に触れたくなかったはずなのに」と、問いかける。

 両肩を揺らすカグヤの手の動きが止まる。

 シンム「とにかく、この話題はこれ以上したくねぇ」

 この話に終止符を打って、取り敢えず他の話題を探しつつ、カグヤにシンムは顔を向けた。

 シンム「姉貴?」

 顔を向けると、信じられない事がカグヤに起こっていた。

 飛行呪を使ってもいないのに浮遊を始める。そして、常人ではありえない速度でカグヤが離れて行く。

 カグヤ「やっぱりわたしが伯父さんを殺したの? それにスクネを殺そうとしたの……わたしが?」

 姉が何を言ったか、シンムには聞こえない。困惑している時間などあるはずもなく、シンムは離れて行くカグヤを、全速力で追いかけた。

 結局、引き離される一方だったが。



 街の外で片手を失っているモリヤが、浮遊するカグヤの足に掴みかかっていた。その光景が、タケヒコの言葉を止める。同じ結果を起こすわけにはいけないから。

 カグヤ「失敗作!」

 掴みかかったモリヤを見たカグヤの顔が、恐怖で引きつっていく。

 モリヤ「死にたくない、死にたくない。おまえが……おまえ等が、あの馬の骨が全部悪いんだ。僕は死にたくない」

 目を充血させたモリヤがわめき散らしていた。

 カグヤ「スクネ、どこに行ったの? 早く助けに来てよ。いやだよ。もう二度と……もう二度といやだよ」

 泣き崩れ、その場に座り込むカグヤ。足から肩に手を持ち替えて、わめき散らすモリヤ。


 二人を見つけたタケヒコが動き出すより早く、スクネが動く。無理やりモリヤをカグヤから引き離すと、放り投げた。そして、スクネがカグヤの手を握る

 手を握られたカグヤが、恐怖に満ちた眼をスクネに向ける

 カグヤ「違う。スクネに似ているけど……違う。違うよ、手を放して! 助けてよ、スクネ」

 泣きながらカグヤが必死に手を動かすが、スクネに握られた手は振り解かれない。

 タケヒコ「まさか、その男は……カグヤ様を放しなさい、ツクヨセイガ!」

 言葉と共にタケヒコは動く。天之羽張(あまのはばしり)を抜き、塩土の翁に斬りかかる。しかし、天之羽張(あまのはばしり)は、眼前を横切った上空からの一本の矢に遮られた。

 その矢を見て、タケヒコは先程死んだ者の名を口にした。

 タケヒコ「タマモ!」

 タマモ「正解。随分おひさしぶりね、タケヒコ。ご機嫌はいかがかしら?」

 無傷のタマモが、妖艶な笑みを浮かべながら、上空に浮かんでいた。

 タケヒコ「タマモ、邪魔はさせません」

 上空のタマモを視界に捉えると、タケヒコは殺意の目で睨みつけた。

 タマモ「ふふふ。わたしと舞う? それとも、器を守る方を選ぶ? それだと、少し妬けるわ」

 返答代わりに、タケヒコは左手に天之壽矛(あまのじゅぼこ)を握り、上空のタマモを突く。同時に、天之羽張(あまのはばしり)を塩土の翁に向かって払う。何の変哲もない攻撃は、予想通り塩土の翁とタマモに簡単に避けられる。予想していたが故に、タケヒコは迅速に次の行動へと移る。泣き崩れるカグヤを守るべく。

 ゆっくりとタマモが降りて来る。更には塩土の翁が若干後退して間合いを広げる。

 天之羽張(あまのはばしり)天之壽矛(あまのじゅぼこ)の両方で二人を牽制しながら、タケヒコは背中越しに、泣き崩れているカグヤに話しかける。

 タケヒコ「カグヤ様、この場は大丈夫です。ですから、わたしの近くから離れないようにお願いします」

 二人の一挙一動に細心の注意を払いながら、タケヒコは現状を切り抜けるすべを模索する。四魂二人を相手にしながら、カグヤを守り通す手立てを。

 背後のカグヤは泣き叫びながら、きょろきょろと辺りを見回している。

 カグヤ「スクネは? スクネは何処に行ったの? スクネを連れて来てよ!」

 タマモ「ふふふ。スクネならそこにいるでしょう。最も、あなたの望むスクネかどうかまでは知らないけれど」

 口元を妖しく歪めるタマモの視線の先には、塩土の翁がいた。

 カグヤ「黙って、タマモ。スクネを呼んで! わたしの言っているスクネは土偶なんかじゃないよ!」

 背後のカグヤは、タケヒコの予想も出来なかった言葉を口にした。

 タケヒコ「今、何と言いました……カグヤ様?」

 驚愕するタケヒコの問いかけに、カグヤは答えない。

 タケヒコ「塩土の翁が……土偶?」

 牽制のため、塩土の翁に向けた天之羽張(あまのはばしり)を持つ手に自然と力が入る。

 逆の手に持った、天之壽矛(あまのじゅぼこ)の向けた先にいるタマモが妖しく微笑む。

 タマモ「ふふふ。タケヒコでも分からなかったかしら……でも、仕方ないわ。わたしも最初は、騙されたのだし」

 先程から無言の、塩土の翁を横目でタケヒコは見ながら、タマモの言葉を耳に流していた。

 タマモ「なかなかいい出来でしょう? その人形に、ツクヨセイガの魂の断片を封じ込めているらしいわ」

 タケヒコ「このセイガが土偶?」

 タマモ「信じられないかしら? だったら、いい物を見せてあげる。わざわざ、ヒミコが作った物を」

 紫色の呪を取り出すと、タマモはモリヤを掴み上げ、その呪をモリヤの頭に当てる。そして、投げられ、呪がタケヒコの足下に落ちる。

 目線を一瞬だけ、タケヒコはそれに移す。そして、呪を投げたタマモの目線を向けた。

 タマモ「その呪は記憶の模造品らしいわ。それ、今やったのと同じ様に使ってみなさい」

 タケヒコ「記憶の模造品? 呪に、モリヤ様の記憶を映し出したとでも言うのですか」

 タマモ「御明察の通り。それを応用して、この土偶に魂の断片を封じているらしいから……とりあえず、頭に当ててみなさい」

 二人の動きに注意を払いながら、タケヒコは天之羽張(あまのはばしり)を地に突き刺す。呪を蹴り上げて掴むと、それを頭に当てた。

 映像が目の前に広がる。見えたのは何者かによって殺され続ける姿。それによって、モリヤの死体が生まれ続ける姿。

 タケヒコ「永劫死を与えられたのですか、モリヤ様」

 呪を頭から離すと映像が消える。ちらりと目線をモリヤに移すと、苦悩し続ける姿が見えた。

 タケヒコ「最早、わたしに出来る事は……」

 呪から流れた地獄が脳裏をよぎり、言葉の続きを言えなかった。

 目線をタマモに向ける。

 タマモ「現在の記憶を常に記録出来るらしいわ。これがないと、自分が誰かもわからない、何をすればいいかも分からない、人形と言うわけよ」

 感傷に浸っている暇などない事を、タマモの声が呼び戻させる。

 タケヒコ「この呪の力は理解できました。ヒミコに、なぜこれ程の力があるのです? 少なくとも、わたしの知っている限りでは不可能でしたが?」

 タマモ「さぁ、神にでもなったのかしら?」

 両手を広げてタマモがおどけてみせる。

 タケヒコ「あなたも知らされてないのですね」

 タマモ「聞いてるわよ。でも、教えないだけ」

注意深く表情の変化を見たが、予想通り顔には出さない。故に、これ以上の追求を止める。そして、現状打破に全力を注ぐため、全神経を集中させるべく脳を切り替える。

 結果として、それすらかなわなかった。

 シンム「姉貴やっとで……追いついた。突然どうしたんだ?」

 息を切らせながらシンムはやって来た。

 タケヒコ「シンム様、なぜこんな所に……」

 嫌な汗を、タケヒコは背中に掻いていた。状況は悪い方へと向かっているから。座り込んだままのカグヤを守りながら戦うだけで至難なのに、もう一人増えたとなると、不可能といってもよかったから。

 やって来たシンムに、タマモが声を掛ける。余裕を見せつけるかのように。

 タマモ「ふふふ。坊や、まだ壊れていなかったのね。すごいわ、褒めてあげる」

 シンム「てめぇ、タマモとか言う奴じゃねぇか。丁度いい、伊都国のみんなの仇、ここで討ってやる」

 乱れていた呼吸を整えたシンムが、タマモを睨みつける。

 タマモ「こわい、こわい。怖いぐらいに頭が悪いわ。褒めて、損したかしら? そろそろ、場違いなことがわからないのかしら?」

 シンム「あれ? よくよく見んと、モリヤとスクネもいんのか?」

 苦しむモリヤと塩土の翁を交互にシンムが見ていた。そのシンムに、タケヒコは事実を教えた。

 タケヒコ「スクネは偽者です」

 シンム「偽者?」

 いぶかしげに塩土の翁をシンムが見ているが、くわしく説明をしている暇などあるはずもなく、タケヒコは声をかけた。

タケヒコ「お願いがあります、シンム様。カグヤ様を連れて下がっていてください。わたしがタマモを討ちます」

 シンム「嫌だって言いてぇけど……分かったぜ。どうせ、また訳わかんねぇ理由があんだろ? だったら任せるからしっかりやれよ、タケヒコ。姉貴、逃げるぞ」

 明らかにシンムは不満気ではあったが、カグヤの安全を守る事を優先したのだろう、すぐさま行動に移る。

 地に刺していた天之羽張(あまのはばしり)を抜き、四魂の二人がシンムとカグヤに手を出さない様に、タケヒコは警戒を強める。


 不満顔のシンムが、カグヤの手を掴み逃げようとした時だった。それを拒み、手を払いのけ、カグヤが怯えた声で叫んだ。

 カグヤ「あなた誰? 近づかないで! 勝手にわたしに近づかないでよ! 助けてよ、スクネ!」

 シンム「何言ってんだ、姉貴? 冗談だとしても面白くねぇよ、それ」

 神代の訪れで、タケヒコが恐れていた事が現実になる。あれの力にカグヤの記憶が消される。すなわち、あれの降臨の準備が整った合図。

 嬉しげなタマモの声が耳をつんざく。

 タマモ「ふふふ。川原に転がっている石ころ一つ一つを、わざわざ記憶なんてする訳ないでしょう?」

 タケヒコ「シンム様、カグヤ様は気が動転しているだけです。無理やりにでも連れて逃げてください!」

 脳裏に絶望がよぎりながら、タケヒコは叫んだ。いま出来得る、最善の道を。

 最悪の道を、タマモが語る。

 タマモ「ふふふ。カグヤと言ったわね、わたしと来たら、本物のスクネの所に連れて行ってあげる。どちらか好きなほうを選びなさい」

 怒声をあげながらタマモの言葉をシンムが否定する。

 シンム「うるせぇ、姉貴がてめぇの言うこと聞くわけねぇだろ。さぁ、行こうぜ」

 愉悦の表情を浮かべるタマモの言葉を聞いたカグヤが嬉しそうに立ち上がり、差し出されたシンムの手を払いのけた。

 カグヤ「あなたの方こそ黙って。タマモ、本当にスクネの所に連れて行ってくれるんだよね?」

 タマモ「ふふふ。スクネは今頃、わたしの知っている場所で、あなたが来るのを待っているはずよ」

 カグヤ「だったら、今すぐ連れて行って!」

 最悪の道へとタマモによって誘惑されていくカグヤに、タケヒコは祈る様な気持で声を上げる。自らを取り戻して欲しいという願いを込めて。

 タケヒコ「カグヤ様、一緒に行かれてはなりません。スクネなら、直に戻ってまいります」

 カグヤ「タケヒコも黙っててよ。わたしは今すぐに、スクネに会って助けて貰うの。タマモ、早く連れて行って」

 タケヒコ「シンム様、早く別の所へ、カグヤ様を無理やりにでも連れて行かれてください!」

 天之壽矛(あまのじゅぼこ)をタケヒコは消して、懐に手を入れ、真布津鏡(まふつかがみ)を握りながら叫んだ。その叫びにシンムがすぐ反応する。

 シンム「姉貴、こんなときに訳わかんねぇことばっか言ってんじゃねぇ。タマモはまかせたぜ、タケヒコ」

 カグヤ「近づかないでって……言ったでしょう!」

 無理やり連れて行こうとするシンムを拒絶するように、強い口調でカグヤが叫ぶ。そして、同時に生まれた衝撃波によって、シンムが吹き飛ばされる。

 タケヒコ「仕方ありません」

 衝撃波にシンムが吹き飛ばされたのを見て、これ以上は時間を掛けられないとタケヒコは判断を下した。ゆえに、強行突破を図るため、タケヒコは真布津鏡(まふつかがみ)を取りだす。神器の力を駆使する以外に、手立てがなかったから。

 カグヤ「邪魔しないで」

 手に握った真布津鏡(まふつかがみ)が、カグヤの手の中に転移する。

 カグヤ「セイガ、タケヒコを拘束して!」

 一瞬の出来事に動揺してしまい、タケヒコは致命的な隙を作ってしまう。結果、その隙を見逃されず、今まで口を閉ざし、まったく動かなかった塩土の翁から羽交い絞めにされてしまう。

 カグヤ「絶対に放さないで! いくらタケヒコでも、わたしの邪魔をこれ以上させないよ。それと、これは持って行くよ」

 転移させた真布津鏡(まふつかがみ)をカグヤ見せる。

 タケヒコ「カグヤ様、お願いですから、正気に戻ってください」

 何とか塩土の翁の拘束から逃れようとするが、タケヒコは身動き一つ取れない。この時、あせりと絶望だけがタケヒコの心を支配していた。



 衝撃波で吹き飛ばされた、シンムは地面に叩きつけられて腰を強く打った。確かに痛みは奔った。でもそれは、どうでもよく感じていた。よりにもよって、姉のカグヤから吹き飛ばされたという事実に比べれば。

 シンム「今の……姉貴がやったのか?」

 何でという思いが、シンムの心を染める。それには誰も答えてくれない。代わりに、姉であるはずのカグヤが、訳のわからない言葉を口にする。

 カグヤ「タマモ、スクネが首を長くして待っているだろうから、早く行こうよ。スクネに守って貰わないと」

 タマモ「らしいわよ、タケヒコ。あなたと、もう少し舞っていたいのだけど……悪いけど無理みたい」

 流し目線でタマモがタケヒコを見ている。

 自分は完全に蚊帳(かや)の外だとシンムも自覚している。それも「何で」だという思いもあるが、今はそんな事よりも大事なことがあるから。

 シンム「なんか、全然訳わかんねぇけど……てめぇ等に姉貴は渡さねぇ!」

 姉を渡したくないという思いが、シンムを行動に駆り立てる。都牟刈之太刀(つむがりのたち)を握りしめ、タマモ目掛けて駆けた。

 タマモ「なら、壊れなさい。元々、用はないの」

 駆けるシンムに、タマモが無造作に矢を放った。その矢は雷撃呪から作られた矢。それは、シンムに取って絶望的な一撃。

 タケヒコ「シンム様!」

 断末魔の叫びの様な、タケヒコの声が聞こえた。

 タマモ「もう遅いわ、タケヒコ」

 嘲笑するタマモの声が聞こえた。

 モリヤ「いやだ、死にたくない」

 苦しむモリヤの声が聞こえた。

 カグヤ「何してるの、タマモ。早くスクネの所に行くよ」

 姉の訳のわからない言葉が聞こえた。

 ジョウコウ「人には死に対する恐怖がある。人には死に対する恐れがある。すべての五感でそれを感じろ。そして、それを乗り越える本能を解き放てぃ」

 それらの声すべてを押し退け、死した師の、父の声がシンムの脳裏に響く。

 羽交い絞めにされたタケヒコが必死に手を伸ばす中、音速で走る矢がシンムに迫る。

 その時、シンムには周りがすべて止まって見えた。空気の流れさえも。

 シンム「唯我独尊汝無意味也ゆいがどくそんなんじむいみなり

 教わった念をシンムは唱えた。その念は、頭を瞬時に切り替える様にと教わった言葉。

 言葉と共に、全ての雑念が消え、全ての音も消え、森羅万象が消える。最後に、自分だけが存在しているかのような空間にいる感覚が襲い掛かる。空間への侵入者を感じ、それをシンムは無心に切り裂く。それは雷撃の力を持った矢。空間への侵入を拒否された矢は、雷撃の力が消え去り、軽い音と共に地に落ちた。

 空間は、更にタマモをも飲み込む。自らの空間に引き込んだタマモを、都牟刈之太刀(つむがりのたち)で斬り払う。完全に油断していたタマモの反応が、一瞬だけ遅れる。都牟刈之太刀(つむがりのたち)がタマモを斬り払う瞬間、再び衝撃波がシンムを襲う。

 結局、衝撃波で体制を崩したシンムの都牟刈之太刀(つむがりのたち)はむなしく宙を斬る。

 タマモ「今、何が起ったの……答えなさい! 何をしたのか答えなさい!」

 嘲笑が消え、動揺と怒りの色が、タマモの声に現われていた。

 タケヒコ「シンム様……ジョウコウ様の技を体得されたのですか」

 驚きと感嘆の色がタケヒコの声に現われている。

 その両方の声が、シンムには聞こえなかった。ただ、カグヤの自分を見る眼だけが心を支配していた。その眼は、弟を見る眼でなく、他人に対する眼でなく、敵を見る眼でもなく、道端に落ちる石ころを見ているような眼だった。


 場に声が鳴り響く。

 ヒミコ「全ての準備は整った。早く戻ってまいれ。始めよう、すべての始まりを」

 その声は、女性の声だった。

 シンム「誰だ?」

 姉であったはずのカグヤの眼を見て、すべての思考が停止していたシンムの脳を、その声が再び動かした。

 タケヒコ「ヒミコ!」

 羽交い絞めにされていたタケヒコが、声の主の名を叫んだ。

 塩土の翁「すぐに戻る。急げ、タマモ」

 偽物だと聞いたスクネに似た男が、ヒミコの声に応える。

 タマモ「人形は黙っていなさい!」

 怒声をタマモが振りまいた。

 カグヤ「わかったよ」

 声に応えたカグヤが、タマモの手を掴んで浮上を始める。それを振りほどこうとタマモがもがき出す。

 タマモ「あと刹那(せつな)だけ待ちなさい! わたしに恥をかかせた、あれを壊してから……」

 カグヤ「黙って、すぐに連れて行くって約束したよ。ぜったい、約束はやぶらせないよ」

 苦々しげな眼をタマモはシンムに向ける。

 タマモ「そこの破損品、シンムとかいう物を絶対に壊しなさい! 粉々になるまで破壊しつくしなさい!」

 怒声を上げながら、タマモは無理やり握られた手と反対の手で、矢をモリヤ目掛けて投げつけた。矢がモリヤの首筋に突き刺さる。

 矢は、伊都国で妖鬼に使った力を持っていた。

 タケヒコ「魂魄強化(こんぱくきょうか)! タマモ、あなたという人は……」

 魂を燃焼させて肉体の強化を行う魂魄強化(こんぱくきょうか)は、魂の消滅という危険性と隣り合わせ。そんな力をモリヤに使ったタマモを、タケヒコは睨みつけた。

 カグヤ「セイガ、もういいよ」

 空高く舞い上がったカグヤの声によって、タケヒコの拘束が解かれた。

 タケヒコ「逃しません」

 カグヤ「邪魔、タケヒコ」

 跳躍してカグヤが行くのを阻止しようとするタケヒコを、カグヤが衝撃波で吹き飛ばす。そして、三人はたちどころに見えなくなった。


 姉が去って行くのを、シンムは見ている事しか出来なかった。追おうとしたが、モリヤに行く手を阻まれたから。

 モリヤ「死にたくない、死にたくない……ぼくは死にたくないんだ!」

 シンム「うるせぇ! なら、勝手にどっか逃げれば良いだろ! 姉貴がどっか行っちまっただろうが!」

 怒りをモリヤにぶつける。姉であったはずのカグヤが去って行ったのに、追う事も出来なかった怒りを言葉にしてぶつける。

 モリヤ「死にたくない。死ぬなら馬の骨が死ね」

 うめきながら、苦しみの声を上げながら、モリヤが右手でつららを乱射しながら、突っ込んで来る。魂魄強化(こんぱくきょうか)によって飛躍的に高められたモリヤの力は、以前のそれを遥かに凌駕する。鬼と呼ばれる、人が人ならぬ者と化す変わりに得た力と、魂の消滅の危険性をはらむ、魂魄強化(こんぱくきょうか)による力の結晶。それほどの力に、以前の自分なら対抗出来なかっただろうとシンムは思う。同時に、だが今は、と。

 静かに、都牟刈之太刀(つむがりのたち)を正眼に構える。迫り来るつららのすべてを、シンムが描き出した軌道の中に飲み込む。最後に、モリヤが飛びかかって来た瞬間、わずかに身体の向きを変えた。都牟刈之太刀(つむがりのたち)が描き出した軌道に、モリヤの右手にかかる。

 右手が地に落ち、モリヤは両手を失った。

 モリヤ「シンム、シンム、シンム。どいつもこいつもシンム! おまえが僕から全部奪ったんだ。取り返してやる。全部、今ここで取り返してやる!」

 二、三歩程動けば、都牟刈之太刀(つむがりのたち)の間合いに入る距離で、モリヤはわめいている。その姿に、シンムは今までの怒りを忘れて、ただ憐れみを覚えていた。

 シンム「これでわかっただろ。わりぃけど、あんたには何もまかせれねぇ。後はどっかでのんびり暮らしてくれ」

 モリヤ「うるさい、うるさい、うるさい。あの女も、この国も、糞婆の子のおまえに、母上を裏切った父上の思惑通りに、くれてやるかぁ!」

 シンム「なら、仕方ねぇ」

 一歩前に出る。自らの提案を受け入れてくれないのなら、斬るしかなかったから。

 タケヒコ「いけません、シンム様」

 間にタケヒコが割って入った。左手に握られた天之壽矛(あまのじゅぼこ)がシンムの都牟刈之太刀(つむがりのたち)を受け、右手に握られた天之羽張(あまのはばしり)が……

 タケヒコ「申し訳ありません、モリヤ様。魂魄強化(こんぱくきょうか)を施されたあなた様を救うためには、わたしにはこんな事ぐらいしか……」

 詫びの言葉を口にするタケヒコの天之羽張(あまのはばしり)が、モリヤの心臓の下辺りを貫く。

 狗奴国の大王ジョウコウの腹違いの兄弟は、目線をタケヒコの天之羽張(あまのはばしり)にやっていた。

 タケヒコ「御二方供、そのままお聞きください。ジョウコウ様より、わたしが受けていたお言葉です」

 目をタケヒコが閉じて語りだす。

 タケヒコ「モリヤとシンム、何時(いつ)の日か、各々の国を掛けて争う日が来よう。どちらが勝つにせよ、恨むなら我を恨め。恨み足りぬなら」

 黙ってシンムは、タケヒコの言葉に耳を傾けていた。

 ジョウコウ「来世で殺しに来い」

 最期のタケヒコの言葉が、まるでジョウコウ本人が言ったようにシンムには聞こえていた。あの威厳に満ちた声に。

 言葉を聞き終えたモリヤの眼に涙が浮かぶ。

 モリヤ「勝手すぎる……勝手すぎるよ。ぼくが欲しかったのは、そんな言葉じゃない……」

 涙がモリヤの眼からぼろぼろと落ちて行く。

 タケヒコ「わたしには、これ以上は何もモリヤ様に申し上げられません。ですから、わたしも来世で待っています。いつでも、殺しにいらしてください」

 目を開いたタケヒコが、モリヤに向かって頭を下げる。

 シンム「モリヤ、おれはてめぇが好きじゃねぇけどさ……」

 ゆっくりタケヒコの天之壽矛(あまのじゅぼこ)を手でどかして、シンムはモリヤに近づいた。都牟刈之太刀(つむがりのたち)の刃を素手で握り締める。刃に自らの手が傷つき、血が滴り始める。

 そして、手に力を込め、シンムは自らの血と刃でモリヤの心臓を突き刺した。

 シンム「この痛みは忘れねぇ。あばよ……糞兄貴」

 モリヤ「シンム」

 怒りでも憎しみでもない眼を、モリヤはシンムに向けていた。

 タケヒコ「失礼します、モリヤ様」

 頭を上げたタケヒコが、天之羽張(あまのはばしり)をいっきに振り上げると、モリヤはその場に倒れた。

 刃を握ったシンムの手からは、二人分の赤い雫がたれ落ちていた。

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