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倭国神代記  作者: がばい
3章
32/53

誰がために

 人里離れた森の奥深くにスクネは立っていた。

  辺りは暗く、日が落ちてからすでに何時間も経過している。目的地である泉には気配が二つ感じられたため、ヒミコが一人になるのを待っていた。結局、それをあきらめる。これ以上は時間の浪費にしかならないと思い。


 泉に近づくと、すぐにヒミコが待ちかねた様子で声を出した。

 ヒミコ「遅い。何をしておった? まさか、そなたともあろう者が、尻込みしておったわけでもあるまいに」

 気配を完全に消し、空気と同化しているスクネの侵入に対して、ヒミコは事も無げに言った。予期していたスクネも動揺しない。ただ泉を見回す。予期せぬことがあったために。

 スクネ「一人しかいないのか」

 言葉を口にして、ヒミコに注意を払う。表情の変化を、態度の変化を、見逃さないために。おそらく無駄だと理解しつつも。

 ヒミコ「翁やタマモがおれば、話も満足に出来まい。それに、そなた達の戦いに巻き込まれるのもごめん被る」

 予想通り、無表情で、何の変化もヒミコは見せない。

 仕方なく、スクネは細心の注意を払いつつ話を始める。尚も、スクネは二人分の気配を感じながら。

 スクネ「先に聞いておく。おれを、わざわざ招待してくれた用件は何だ」

 ヒミコ「そなたと少し語らいたかった。この国を離れて、一年ほど経つが……その間、どの様な事が起こった?」

 スクネ「答える、必要を認めない」

 一歩、スクネは踏み出す。

 ヒミコ「それ以上、近づくでない。あまり近寄られると……わらわも恐れをなして、逃げ出すしかなくなるであろう」

 スクネ「恐れの色など見えないな」

 更に一歩踏み出そうとして、スクネはそれを中断する。中断せざるおえないものをちらつかされたために。

 ヒミコ「だから、近づくでない。わらわには転移呪がある。こう言えばよいか?」

 呪をヒミコは確かに握っていた。

 笑みの色を浮かべながら、ヒミコは静かだが、澄み渡るような声で話を始めた。

 ヒミコ「そなたは父親の名を知っておるか?」

 意味のある質問にスクネには思えなかったが、答えた。

 スクネ「父などいない」

 ヒミコ「母親の名は?」

 スクネ「母などいない」

 ヒミコ「知らぬのでなく、おらぬのだな? それが変だと思わぬか? 神の器である天之岩戸(あまのいわど)を持つトヨウカグヤでなく、四魂(しこん)にすぎぬそなたに、親がおらぬのは?」

 脳が「これ以上聞くな」と指示する。それをスクネは振り払う。「気のせいだ」と自分に言い聞かせながら。

 ヒミコ「そなたは四魂(しこん)の中でも特殊な存在。元来は、魂のみしか存在しない。固有の身体を持たず、他の者の身体に宿り、初めてこの世界に存在する」

 脳裏に絶望がよぎる。汗が額からあふれ、得も言われぬ息苦しさに、スクネは侵される。

 ヒミコ「しかし、今この時代、そなたは身体を手に入れた。千年前と違い、そなただけの身体を」

 悲しみと苦しみが同時に襲いかかる。それをスクネは抑えつけようとすればするほど、息苦しくなっていく。

 スクネ「兄」

 否でも応でも兄の名が脳裏を走り抜ける。その名に感じるのは怒り。なのに、怒りを感じれば感じるほどに、息苦しさが増していく。

 ヒミコ「そなたの兄は千年前の戦いで、魂の大部分が、この世界から追放され、そなたの魂はこの時代に逃された。そして、そなたは代わりの身体を手に入れた。それにしても……皮肉とは、この事を言うのであろうな」

 ほんの一瞬だけ、ヒミコの表情が大きく変化する。何処か懐かしさを感じているような、それでいて悲しそうな表情を見せた。

 わずかな変化の後、表情を戻したヒミコが言葉を続ける。

 ヒミコ「そのおかげで、そなた達の願いは叶ったのであるから」

 スクネ「願い」

 とうとう息苦しさに耐えられなくなり、スクネは両膝を折り、その場に這いつくばる。

 ヒミコ「この時代に、そなた達は別々に存在している。ただし、兄はこの世界の者に認知など出来ぬ存在となり、記憶の大部分を失っているがな」

 スクネ「にぃさんに責任は……」

 全身から汗が流れ落ちる。それが原因か、息苦しさに加えて、激しい乾きが襲い、スクネは声を出すのが辛かった。

 ヒミコ「そなたの兄は、それでも、たった一つだけ記憶を残した」

 懐から呪をヒミコが大事そうに取り出す。呪からは詩が流れ出す。


 いと思ふ いとしの君に 木漏れ日で

  出会ふた事も いと悲しかな


 その(うた)は、片方が作った(うた)。何度もタケヒコに怒られながら、自分に笑われながらも、必死に、真摯に、一心に、作った(うた)。そして、届けるべき相手に、なかなか届けられなかった(うた)

 呪を、懐にヒミコは大事そうにしまう。

 ヒミコ「この(うた)は、そなたの兄が残した唯一の記憶」

 スクネ「兄は、セイガは……」

 兄の名を、スクネは口に出した。名を思い出すだけで、今まで感じていた怒りは、不思議と消えていた。代わりに苦しみがスクネを打ちのめす。

 ヒミコ「そなたも気付いている通り、そなたの兄は、セイガは、塩土の翁として存在している」

 スクネ「塩土の翁の記憶は……」

 苦しみの中で塩土の翁を思い出す。記憶がない者には見えなかった。ただ、兄とは何処か違っていた気もする。

 ヒミコ「わらわが記憶を与えた」

 遠い目をしながらヒミコは続ける。

 ヒミコ「そこには感情も何もない。あるのは与えられた情報と、それに対するわらわが教えた反応の演技のみと思っていたが……この間、そなたと会った時、確かに、塩土の翁は感情を見せていた」

 そして、ヒミコは笑みを浮かべる。

 ヒミコ「そして……その事実はわらわに自信を与えた。神に対し得る、強い意志の存在を」

 笑みを引っ込め、ヒミコが元の表情に戻る。

 ヒミコ「少し話が逸れた。そなたの話に戻ろう」

 苦しみから、息苦しさから、スクネは逃れたかった。それなのに、この話から逃げれば、更なる苦しみが襲いかかるような気がして、逃れる事は出来なかった。

 ヒミコ「そなたが得たのは、死に逝くはずだった捨て子。魂はすでに黄泉へと旅立っていた赤子。クメと名付けられた赤子」

 その名を聞いて心に激痛が走る。信じられないほどの罪悪感がスクネの心を襲う。それでも、それを押し込める。壊れそうなほどの苦しみを押し込める。


 本当に壊れる前に、聞かねばならない事を聞くためスクネは立ち上がった。

 スクネ「カグヤに何をした」

 声を出すのも辛い。それでも、スクネは必死に声を出す。息苦しさと渇きを、無理やり押し込めて。

 ヒミコ「突然、何を聞いてくる?」

 スクネ「カグヤが神の力を得ているのに、なぜ記憶が消えない」

 ヒミコ「何の事を言っておるのやら。わらわごときが、神の器に何も出来ぬことは存じておろう」

 スクネ「もう一度聞く、カグヤに何をした」

 現在のスクネにとって、この問いはすべてに優先された。自分の心よりも、自分の命よりも、なぜか理由もわからずに。

 ヒミコ「何も出来ぬ。神の器として生まれた者は運命によって守られる。自然の脅威、四魂、力の暴走、ありとあらゆる運命によって守られる」

 ひょうひょうとヒミコは答える。

 スクネ「そんなことは知っている。カグヤに何をした。なぜ記憶が消えない。なぜ神に二度も身体を奪われながら、理性を保てる」

 ヒミコ「偶然であろう。それよりも……いい事を教えよう。真布津鏡(まふつかがみ)五百之御統之珠いおつのみすまるのたまが、現在タマモと共に狗奴国にある」

 動揺が走る。恐怖が、壊れかけたスクネの心に襲いかかる。

 スクネ「まさかカグヤを」

 ヒミコ「他に理由が?」

 何かが壊れた音がした。音と共にスクネはその場に崩れ落ちた。



 広げたヒミコの手のひら上に鮮やかな紫色をした呪が乗せられていた。

 ヒミコ「心の傷をえぐるような真似をしてすまなかったな。そなたの力無くば、神は降臨せぬ。だから、帰せぬゆえな」

 そして、やさしくヒミコは微笑む。

 ヒミコ「スクネ、あなたはこの世界で今度こそ幸せになりなさい。ですが、その前に……己の過去と向かい合って貰わなければなりません。自ら封じている記憶と……それだけが、あの人をこの世界へと導いてくれる、唯一の手段ですから」

 そう呟くと、ヒミコは自らの背の後ろで横になっている塩土の翁に目をやる。

 ヒミコ「もう少しです。あと少しだけ、あの中で我慢してください。かならず魂の残りすべてをこの世界に取り戻します」

 そして、憎しみを込めてヒミコは最後に付け足した。

 ヒミコ「そして、あれの時を終わらせる」

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